対策の検討
「いらっしゃいませー、何名様ですかー?」
「3人です」
「――お好きなお席へどうぞー」
……何だろう、あの一瞬の間は。
この客また来たんだなと思われたんだろうか。
区役所を後にした俺達は、向かう前に集合したカフェに再び訪れていた。
小一時間前には大盛況だった光景は鳴りを潜め、数席しか埋まっていなさそうだった。
そんなに長い時間ではないのに、こんなに変わるんだなと驚いた。
時計を見てみると、店を出てから50分しか経っていなかった。
区役所に着いてから少し待たされた時間があるから実質40分程度。
その40分程度の出来事を受けて、今後どうするかを話し合う為に、ここに戻ってきたのである。
「――何なの、あれ」
先程ほんの少し見えたはずの笑顔は完全に消失し、鋭い眼光が俺を射抜いていた。
「……ごめんなさい」
「え、あ、違うよ。克己くんじゃなくて、役所の人達の事!」
あまりの眼力に思わず謝ってしまった。
――いや。
「美里や河西さんがこれまでかけてくれた時間や労力を、俺はぶち壊した。だから……ごめんなさい」
改めて、謝罪する。
少なくとも瑞穂が医療的ケア児として認められ、希望通りではないものの認可保育園に通えることになっていたのに。
俺は、それを拒絶した。
2人の頑張りを無に帰したのだ。
謝っても謝りきれるものではない。
「……そう、ですね」
河西さんが、ポツリと呟く。
「私も、コーディネーターとして、ご両親の思いを役所側に伝えきれませんでした。申し訳ありません」
「え、あ、いやそうじゃなくて――」
「それを言うならあたしもだよ。必死に伝えたつもりになってたけど、伝えられてなかった事がよく分かって……ごめんなさい」
「美里……」
思わず謝罪大会のようになってしまった。
それから少しの間、無言の時間が続く。
「あ、あのー……ご注文はお決まりでしょう……か?」
店員が気まずそうに話しかけてくる。
思い思いにドリンクを注文した。
「――さて」
河西さんが、静寂に水を打った。
「ママさん、取り急ぎですが、ひすとりあ保育園に連絡を入れた方がいいと思います」
「あ、それもそうですね。ちょっと行ってきます」
促され、美里が席を立って外へと向かっていく。
俺と共に取り残された河西さんは、少し声を抑えて告げてきた。
「私は、パパさんの判断は間違えていないと思います」
思いがけない言葉に、目を丸くした。
「そう……ですかね?」
「そうですよ。流石に私も、役所側のあの対応には呆れました」
いくら何でも酷過ぎます、と扉の向こうに見える区役所を眺めながら口にする。
通達が口頭なのは、かろうじて分からなくもない。
本来決定通知が書面で発行されるのは月末で、あくまで事前通達だから文書が間に合わなかったのだろう。
それにしたって、保護者が伝えていた懸念にまともに答えられないとは何事か、と河西さんは憤慨を漏らす。
「正直、パパさんが質問攻めにしだした所から、私もいけいけって思っちゃいました」
てへぺろ、と舌を出す。
「でも、あれでママさんは、結構救われたんじゃないかと思いますよ」
「そう……でしょうか……」
「はい。だって、ママさんがこれまでどれだけ頑張ってきたかをちゃんと理解して、怒ってくれたんですもの」
あ、怒ってたのはバレてたんですね。
……努めて冷静な態度を心がけたつもりなんですが。
「気持ち、切り替えましょう。今必要なのは後悔じゃないです。これからどうするかを考えないと。そうでしょう?」
「……そうですね」
確かに、そうだ。
過程がどうあれ、結果としては俺は決定を受け入れなかった。
つまり、来年からの瑞穂の通園先をどうするかという、一番最初の問題に戻る事になる。
ほぼ1年前の状態に逆戻りだ。
「保育園の選択肢がない事は変わらないんですよね」
「はい」
そう。そこがそもそもの始まりだ。
ただし、当時と今では決定的な違いがある。
「ひすとりあ保育園から看護師派遣を受けつつ、通える保育園をもう一度探す、でしょうか」
「……いえ――」
少し考えた後、河西さんが待ったをかけた。
「――認可保育園で探している限り、今回と同じ道を辿ります」
「確かに……」
「その上、今はもう1月。期間もありません」
そうか、そうだった。
今回、10月に募集があって、それに申請して今が1月。
そもそも次の機会ってあるのか?
「2次募集みたいなのってあるんですか?」
「ありますよ。今回のが1次調整、この後2次調整になります。ただし――」
河西さんの声色が、明らかに暗い影を落とした。
「――1次調整の決定を辞退すると、2次調整には申請ができません」
「ごめんなさい!」
俺が状況を詰ませていた。
今はまだ辞退の意思は表明したものの、辞退手続きそのものは行っていない。
だが、あちらから来る決定通知の内容はさっき聞いたままのはずなので、それを受け入れるか辞退するかである事は変わらない。
そして辞退するなら今季の認可保育園への転園は不可能、という事だ。
……3次調整とかあれば可能性はゼロではないけれど。流石に運任せ過ぎる。
「だとすると、非認可保育園から探すしか手がない、ですかね?」
「そうですねぇ……」
河西さんが考え込んでしまう。
俺は、口には出しながらもそれも難しいと感じていた。
当初保育園をとにかく探していた時は、認可とか非認可とかを考えずにとにかくリストアップする所から始めたのだ。
結論として、自宅の周辺に非認可の保育園は、ない。
だとすると、最低でも諦めなければならない条件がある。
――距離、だ。
電車で通える範囲まで広げれば、少しは選択肢も増えるかもしれない。
俺が、そんな事を悶々と考えていた時だった。
「克己くん! 河西さん!」
店の扉から駆け込むように戻ってきた美里が声を上げた。
店員や他の客達の視線が集まる。
居た堪れなくなった美里は、肩を窄めながらとぼとぼと席に戻ってきた。
「どうした?」
「今、青柳さんと電話してたんだけどね」
青柳さん。瑞穂が今現在通っているひすとりあ保育園の園長だ。
俺も何度か会った事がある。
「――ひすとりあ保育園で、もう1年瑞穂を預かってもいい、って……」
……何だって?
理解しきれなくて、頭の中で単語だけを切り出して反芻してみる。
もう1年。
瑞穂を。
預かってもいい。
「えぇ!?」
今度は俺が思わず大声を挙げてしまった。
2人が指を口に当てながら必死に訴えてくる。
「……本当はだめなんだけど、事情が事情だし、特別に、って」
願ってもない話だ。
そもそもこの一件が、ひすとりあ保育園には3歳までしか通えない事から始まったのだから。
「と、いう事は?」
「えっと……解決、とは言えないけど。一旦、保留?」
今度こそ。
身体から力という力が全て流れ出していくような気がした。




