獄帰循輪(ごくおくじゅんりん)
痛い。
頭が痛い。
血液が、自分の脳を循環するたびに痛みを頭に巡らせる。
揺れる地面と、何かが軋む音、それに、何だろう……水の音かな? それが私を呼び覚ます。
目を開けると真っ暗な空だけが広がっている。
軋む音。
体は気怠いものの、動けはするようだ。
「ここは……」
痛む頭を押さえながら起き上がると、周りは真っ黒な水とそれに浮かぶのは赤い小さな花、たまに見るオレンジ色に光る灯籠。それがあたり一面の見える限りの景色。
軋む音。
私は今その黒い海の真ん中で船に乗っている。
軋む音。
「お目覚めになりましたか? でしたならまずは挨拶から……ご機嫌よう」
私の真後ろ。船尾には綺麗なスーツ姿の人が爽やかな笑顔でこちらに微笑みかけてくる。
さっきから頻繁に木が鳴っていたのはこの人がオールを定期的に左右に振っているからだ。
「……? 誰……? 何で私はここに居て……?」
頭が痛い。何も思い出せない。微かに嫌な予感だけが私の心臓を逸らせる。嫌だ。この先は聞きたくないと。
私の願望とは裏腹にソイツは丁寧な口調ではっきりとそう言った。
「おや? 頭を負傷したせいで記憶喪失のような症状が出ているのでしょうか? 結論から申し上げましょう。あなたは死にました。……そうです。あなたの想像する通り、ココは屍人を運ぶ渡し船の上。そちらの世間一般で言うところの三途の川を渡っています」
何かを思い出そうとする度に強烈な痛みが頭を襲う。
微かに残る残像。
ボヤけては居るが、人の顔ような何かが脳裏に浮かぶ。
少しでも情報を整理したい。
「所で、あなたは……?」
先ほどから、曇りない微笑みを顔に貼り付けながら小舟を漕ぐスーツ姿の人から何か情報を得れないかと質問を投げてみる。
「これは、これは……ワタクシとしたことが、ご紹介が遅れました。ワタクシ、この先をご案内させて頂きます、案内人と申します。以後宜しくお願い致します」
案内人と名乗る人は一旦船を漕ぐのをやめて手を自分の胸元へやると丁寧なお辞儀を披露してくれた。
「あぁ、ご丁寧に、私は……」
次は自分の自己紹介を話そうとした途端、激痛が走る。
「……!!」
頭への急激な痛みに悶えながら、痛み出した場所を優しくさする。
「無理をなさらずに、いずれ思い出せるでしょう……おっと、そんな話をしている間に対岸につきましたね」
案内人が心配そうに顔を覗き込んでくるが、目が合いそうになったその瞬間、常に揺れていた床が大人しくなる。
何かにぶつかる衝撃と案内人の言葉で反射的に前を向く。
目前にはゴツゴツとした岩肌が足元に並び、奥にはうっそうとした森が広がって居た。相変わらず空は黒い。
「足元お気をつけ下さい」
いつの間にか小舟の隣にある桟橋に降りていた案内人がこちらに手を差し伸べている。
その手を取るとグッと力が腕に伝わり、案内人の胸へと吸い込まれるように引っ張られる。
「あっ! ど、どうも……」
されるがまま引き寄せられた私は立ち上がると同時に揺れる小舟から片足を岩肌へと移し、案内人に綺麗にエスコートされる様に黄泉の国へ踏み入れた。
胸に飛び込む時に見た伏目な顔はとても綺麗だ。小さな揺れでもさらさらと揺れる前髪の下を、長く弧を描くように伸びるまつ毛で装飾された目が瞬く。しなやかに伸びる鼻筋の先にはその肌の白さからは想像できない真っ赤な唇が口角を滑らせた。
「いえいえ」
見惚れてしまうような整った顔立ちの案内人を見る僕を爽やかな笑顔であしらい、私が島に上陸したのを見届けてから手を離すと、桟橋の端に寄り両手を軽く森の方へ促しながら少し前屈みになる。
「ようそこおいで下さいました、こちらが死後の世界となります」
案内人の発言でここがただの島ではないのだなという事を自覚する。遠くから聞こえる鐘の音と不気味に揺らめく木々の葉が何かを訴えたのか、背筋を何かが這う様な悪寒が襲うが、右手で左手の二の腕を掴み、必死にそれを押さえ込む。
「ははっ……私って本当に死んだのか……?」
「えぇ、左様でございます」
□■□■
森の中に入ると案外整備された道があり、そこを暫く歩くに連れて徐々に木々が無くなったと思うと、突如として視界がひらける。
「さぁ、着きました。ご覧の通り、ここが釜茹で地獄でございます」
私の目の前には大きな薪をくべた、それまた大きな釜が天から吊るされ、その頂上からは叫び声が響き渡っている。
あまりの熱気と奇声、煮えたぎる水の音に、声が出ない……ここは天国じゃなくて地獄……?
背筋が凍るような冷たい汗が背骨を伝う。
そんな私の様子を見ていたのか、案内人が話しかけてくる。
「ご安心ください。あなた様が行き着く先はここではございません。ここは通過地点となります。ささ、この蒸し暑い場所なんて離れて、早く次へと進みましょう」
通過地点……この先は天国が待っているのか……? 地獄の奥底へ向かっているのか……? 案内人の貼り付けたような笑顔からは何も読み取れない。
「は、はい……」
微かに痛む頭痛が思考を邪魔する中、ゆっくりと先に進む案内人の後を追う。
□■□■
その後も剣山が花畑のように生えた山のふもとや、赤く染まる石の上でツノの生えた化け物に肉ぎり包丁で切断される人々、景色を歪ませるほどの蒸気が上がる棺桶に強引に押し込められる地獄の住人たちを尻目に、案内人はどんどんと先に進んでいく。
鐘の音が聞こえる。
時よりくる激しい頭痛は頻度も痛みも次第に強くなる一方だ。その中で思い出したこともいくつかある。
自分は誰かに突き落とされて、落下死した。そしてその犯人の顔をよく覚えていること。
そして、恨みを持ったまま死んでしまったことだ。
鐘の音が聞こえる。
思考の整理をつけている間に周りが枯れ木ばかりな事に気がつく。
鐘の音が聞こえる。
「ここは……?」
何人かの女性が枯れ木に向かって何かを叩きつけているのが目に入る。今までは地獄だと分かりやすい光景だったが、ここだけ生きてる時には見聞きしたことのない景色で異様な雰囲気を醸し出している。異様というより不気味悪い。
鐘の音が聞こえる。
聞こえる。聞こえる。鐘の音が。
森に反響して最初は気づかなかったが、どうやらあの女性たちが木に何かを打ちつけている。それが甲高い音を立てて周りに響いているのだ。
「呪いです」
唐突だった。こちらが聞く前、思考すらする前に案内人が答える。
「え?」
思わず上擦った声が出た。
「彼女らは呪っているのですよ」
案内人はまた私が聞く前に私の質問に答える。
「呪われますか?」
立て続けにされる質問に今度は明確な疑問符をつけて送り返す。
「え?」
呪う? 人を? あの……私が死ぬ原因になったあの人を……?
「せっかくだから呪われてみてはいかがですか? 呪いたい相手が、いらっしゃるんでしょう?」
案内人のその発言に、死ぬ直前に見た記憶に焼きつく顔が思い浮かぶ。
息を呑む。
意を決して木々に近づくと彼女らのしている行為がはっきりと見えてくる。
彼女達は一心不乱に何かを呟きながら釘に串刺しにされた藁人形にむかって金槌を打ち付けている。それもみんな藁人形の頭を釘で打ち抜いているから尚更怖い。
1つの痩せ細り、枯れた木の目の前に立つと足に何かがぶつかる。
金槌だ。
ずっしりと重たいそれを持ち上げると、隣に立つ案内人に、大きな釘と藁人形を手渡される。
「今恨んでいる相手の顔をよく思い浮かべてください。使い方はすでにご存知だと思いますゆえ、あえて説明は致しません」
□■□■
体の体温が、循環する血液が、溶けて垂れ流れる。意識が薄れる。霞む視界が写す犯人の顔。
□■□■
死の間際の光景が頭から離れない。
そうか、そうなのか、死ぬ原因になったアイツが恨めしいのか。自分の感情を再確認したその時、沸々と殺意が湧き上がり、自分の中で何かが燃え上がるのを感じる。
殺してやる。
藁人形と釘を受け取ると、藁人形を枯れ木に押し当てて、藁人形の頭に釘を差し込み思いっきり、金槌を叩きつける。
叩く。
叩く。
叩く。
1回ずつ殺意を込めて釘を叩き込む度に甲高い音が辺りに反響するが、その音が頭痛を誘う。
□■□■
街灯が点滅する夜。
1人の女性が仕切りにこちらを気にしながら走り去っていく。
何かに引っ張られて、振り向く女性。
□■□■
一瞬のフラッシュバック。頭に何かが流れていく。
遠心力に踊らされて止めることが叶わない鉄塊が目標を捉える。
□■□■
日が差し込むトンネル。
息切れるうつ伏せの彼女の目は潤んでいる。
どこかで聞いたことある声。
□■□■
ぶつかる金属は高い音を立てて次に備えて助走をつける。
「はぁーはぁーっ! ふーっふーっ!」
こもる殺意が私の息を絶え絶えにする。
□■□■
逃げる逃げる逃げる。
影の中に引き込まれて
□■□■
泣き叫ぶ2人の子供の声が乱反射する。
私は彼女を知っている。
子供に覆い被さるそれを上から。
□■□■
マンションの玄関から部屋の奥へ女性が逃げている。
私の手には何かが握られている。
□■□■
電撃のように次々と誰かの記憶がフラッシュバックする。
「はぁー、はぁーっ! ……ふーっ、ふーっ!」
私は全ての女性を知っている。知っていると言うより、見たとこがあるのだ。今、この場所で。
そうこの藁人形に釘を打ち込むたびに次々と彼女らの記憶が流れ込んでくる。
頭痛は酷くなる一方だ。
□■□■
女性は窓辺までやってくると、必死に窓の鍵を開けようとしているが、中々開かない。
□■□■
「はぁー、はぁーっ! ………ふーっ、ふーっ!」
脳内に流れ込む彼女たちの記憶を見ていくうちに1つの違和感に気付く。彼女たちの記憶なはずなのに誰1人として、自分の視点じゃないことに。
コレが彼女たちの視点じゃなければ誰の記憶だ……?
□■□■
ベランダに出た女性は隣の部屋へ逃げようと防火扉を開けようとするが、寸前のところで突如視界に現れた手に阻止されてしまう。
「はぁー、はぁーっ! ……ふーっ、ふーっ!」
振り上げる私の手を女性は必死に押さえ込もうとする。私はそれを必死に押し込むうちに揉み合いになる。
□■□■
そうか。わかった。これは私の記憶だ。
なんで彼女たちを襲ってるんだ……?
それでも鳴り響く鐘の音は止まらず、頭痛は止まらない。
□■□■
私は幼少期から虐待の影響で親という者の顔を知らない。
両親の逮捕後に私を引き取った親戚は厳しく、友達からは虐められ、愛情というものを殆ど感じ取れなかった。唯一親戚の叔父から愛を感じたのは叱責と共に振り下ろされる拳だけだった。
だから私も可愛いと感じるものには、私なりの愛情表現を示そうと思った。
その頃からだろうか、小動物を捕まえては肉が骨になるまで臓物を弄んだのは。
私には世間の言う倫理観というものがどうにも理解できなかった。なぜ好きを表してはいけないのか、なぜ他人のためにと命を賭けたボランティアはするのに、私のために命差し出すことはしないのか。
なぜ
なぜ
なぜ
□■□■
ベランダで揉み合いになる。
私は貴方に愛を伝えたいだけなのに……どうして分かってくれないんだ……苛立たしい。私の愛を受けいれないやつなんて殺してやる。そうやってみんな私を拒否してひとりぼっちにするんだ。許せない。許さない。
「はぁー、はぁーっ! ……ふーっ、ふーっ!」
彼女と揉み合いになった末に刃が胸に食い込む。殺意の熱が体を高揚させる。
震える彼女の手を押さえ込み、思い切っり体重をかける。
「あっ」
2人分の体重をかけたのが原因だろうか、ベランダの策が外れそのまま身を乗り出す。反射的に周りをつかもうするが、彼女が私の手を離してくれない。
確かここは13階。
あぁ、即死か。
鈍い音を立てて地面にぶつかる。頭に激痛が走るが、体が言うことを聞かないのは勿論、声も出ない。
目の前には眼孔を開いた女性がこちらを凝視している。ガラスの様な瞳は、私が呪い殺そうとしたやつを映し出していた。
彼女の割れた頭から真っ赤なソレが溢れ出し、私の方へ流れてくると、私の頭と繋がる。
その瞬間激しい痛みが1度だけ脳髄を駆け巡る。
□■□■
全てを思い出した。全がわかった。この世の全てを。
頭から温かい何かが垂れてきて、目の前を赤く染める。
私か……皆私を呪っていたのか……そして今私が呪っているのも……
思考が整理された瞬間に穴という穴から汗が溢れ出る。
「よくも騙したな!」
釘を打つ手を辞めて思いっきり横な振りに金槌を振るが、案内人には掠りもせず、明後日の方向に金槌が飛んでいく。
激しい頭痛にもう耐えられない。
「騙した……? はて何をおっしゃられているのか判りかねます。これは全て自分自身が行ったことですよ? 殺したのも、死んだのも、今自分自身を呪ってしまったのも」
殺してやる。
心の中でそう唱えた瞬間に視界が回る。
「うっ! 頭がっ……!」
覚えのある激痛が頭に走ると体の自由が奪われ、倒れ込む。
「ここがアナタのたどり着く場所だったのです。ようこそ。地獄の底へ」
微かにのこる意識の中でその言葉だけが耳に届く。
□■□■
痛い。
痛い。
頭が痛い。
木が軋む音で目が覚める。
「ここは……」
頭の痛みに耐えながら起き上がると、一面真っ黒な世界に赤い花、オレンジに光る灯籠が目の前を過ぎ去っていく。
「お目覚めになりましたか? でしたならまずは挨拶から……ご機嫌よう」
完
こんにちは!こんばんは!おはよう!初めまして!空気です!
まずはこの作品を最後までお読み頂きありがとうございます。
今作は知り合いから頼まれて作っていた声劇シナリオが諸々の都合上ボツになってしまったので、小説にしたため直した物です。
私自身が同サイト内で書いている長編小説が次の章に入るのに休憩中の為、その繋ぎとして、サボっているわけでも、失踪した訳でもないよ〜という言いわk……ゴホンッゴホンッとっとっと!まぁ、そんな訳で、供養な訳です!プチホラーだけにねっつってね!
なにより皆様の有意義な時間の足しにして頂けましたなら幸いです。
それでは、また次回作で!
よしなに〜