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第3話 森の精霊

 旅が始まってから七日が過ぎた。


 ルシルたち一行は街道を北西に進んでいる。

 先日、国境の関所を抜け、隣国のタスマール王国へと入っていた。


 旅は、基本的に大きな街道を行くのだと聞いている。

 安全で舗装されているからだ。

 盗賊や魔物などの脅威は、兆候や目撃報告が上がり次第、その街道の安全に責任を負う領や国が威信をかけて迅速に対応する。

 そうして関所で落とされる税や、商人が外から持ち込んだ商品、帰りの仕入れが風を吹かせ、世の中を回しているのだそうだ。


 朝は早くに移動を開始し、日が沈む前には教会の施設や宿に入っているが、状況次第では野営することもあるそうだ。

 二から三時間ほど移動したら、三十分の休憩を挟んで馬を休ませる。

 急ぐ旅ではなく、安全を最優先にしてゆっくりと確実に進む。

 このくらい広くて均されている道ならば、人が歩くよりもいくらか早く進めるだろう。


 今のところ、旅に問題はない……という訳でもない。

 クロードである。

 前世の夫の生まれ変わりである。

 事あるごとに突撃してきた。


『――本当に俺のこと、分からないのか?』

『――なあ、リーゼ。どうか思い出してくれ』

『――俺は前世で夫だったエリクだ。幼馴染で小さい頃からずっと一緒だったんだ』


 それも前世の言葉で話しかけてくる。


 現在は大陸全土で、共通語が大体どこでも通用する。

 前世で自分が死んだ後、大きな戦乱が吹き荒れて、国がくっついたり離れたりするうちに、一つの国で使われていた言語が急速に広まったのだそうだ。


 必死な様子のクロードに、最初のうちはごまかしながらも罪悪感を覚えた。

 けれども休憩のたびに空気を読まず突撃してきては、周りに耳慣れない言葉でこちらの失言を引き出そうとする姿に、なんだか情けなくなってしまった。


 自分を棚に上げ、不義理をしている自覚はある。

 正直に明かした彼に対し、自分はズルくも秘密を隠し続けている。

 それでも会ったばかりの人たち、それもほぼ男性に囲まれて、長旅を始めたばかりなのだ。

 少しでも早く慣れようと毎日が一杯いっぱいである。

 そんな余裕のない中で、頻繁に試すようなことをされるのは、正直に大迷惑だった。

 ここ数日は話しかけられても、ツンと無視をしている。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 今日の昼休憩は、街道沿いの開けた草原でとることになった。

 季節は過ごしやすい夏の初め。

 ルシルは広げてもらった敷物に座り、昨夜泊まった宿で用意してもらったパンとチーズ、酢漬けの野菜を食べる。

 同席するのは世話係のクロエや司祭のシメオン、彼の従者である教会の神官たちが数人。


 その他の同行者たちは、輪になったり一人で気楽にしたりと、それぞれに過ごしている。

 持ち回りなのか、数人の騎士が休まず散らばって、周りを警戒するように立っている。

 御者の男性が馬に桶で水を飲ませ、その横に飼葉を積んでいた。


 さらに視線を巡らせると、クロードは少し離れた場所で他の魔術師たちと一緒にいた。

 しばらく無視をしていたらしゅんとなって、昨日から近づいてこない。

 見えないところで怒られたのかもしれない。

 それでも、ことあるごとに視線は感じる。

 よく目が合うので、自分も彼を探しているのだろう。


 ザザと風が吹き、ルシルのブロンドの髪と、草原の草花と、周りを半周囲んだ森の木々の梢を揺らした。

 風が運んだ新しい空気に思わず独りごちる。


「なんだか魔力が濃い気がする……」


 魔力に匂いはないのだけれど、思わずスンスン鼻を鳴らしていると、隣に座ったクロエが応じた。


「私にはそこまで分かりませんが、確かに何か……ムワッとする感じがありますね」


「風の向きからすると、森の方から流れてきているみたい」


 食後のお茶を飲みながら、そんな話をしていると――


「総員警戒! 魔物が来るぞ!」


 緩んでいた空気が、鋭い声によって一気に引き締められた。

 声の主である壮年の騎士が森を睨み、腰にいた剣を抜く。

 

 休んでいた騎士や兵士たちが、瞬間にその雰囲気をガラリと変える。

 手にしたパンを懐にしまい、口の中のものを水で流し込み、近くに置いた武器を取って立ち上がる。

 その表情に恐れはなく、各々が役割をこなすため、素早く静かに動きだした。


「聖女様、必ずお守りしますのでご安心を。どうか我らの後ろから動かないでください」


 五人の騎士が、ルシルやその近くに集まる非戦闘員を森から隠すように陣取った。

 残りの騎士や兵士、魔術師たちが森へと近づいていく。

 ルシルは騎士たちの大きな背中の隙間越しに怖怖こわごわと様子を伺った。


 しばらくすると、藪から複数の小さな影が飛び出てきた。


「こいつらは無視だ、次に来るのを叩くぞ! 後ろへ通すなっ!」


 最前列の隊長の声がルシルのところまで届く。

 遠目だけれど、小さな影は狐のようで、なにかに追われ逃げているように見えた。


 そして、そのすぐ後ろから、別の集団が飛び出してくる。

 こちらは身体が大きいので、ルシルにもすぐに分かった。


 魔狼――狼が魔物化したもの。

 魔力が淀んだ場所では、野生動物が魔物化することがある。

 凶暴化し、魔力を使って身体強化をしたり、無詠唱の攻撃魔法を使ってきたり。


 涎をまき散らしながら、大口で跳びかかる魔狼たちを、騎士や兵士が危なげなく撃退していく。

 中には牙や爪を紙一重で躱しながら、すれ違いざま、その躯を一閃のもとで上下に分断する猛者もいた。


 予め状況に応じて役割が決まっているのだろう。

 クロードたち魔術師は少し離れた場所で待機していた。


 やがて、戦闘は収まった。

 国から選ばれた護衛の彼らはさすがに優秀で、一匹も後ろには通さなかった。

 しばらく待っていると、周囲の確認を終えた騎士が戻り、「もう大丈夫です」と言われたので、身体の強張りを解きホッと一つ息をついた。




 キュー、と小さな鳴き声が聞こえた気がして、ルシルは森の方へと近づいた。

 声の主を探すと、大小二匹の狐が少し離れた場所で、それぞれ血を流し倒れていた。


 親子だろうか。

 大きな方はすでに死んでいた。

 小さい方も体中血だらけで、もう息も絶え絶えといった様子だった。

 子狐に手を当て、治癒魔法を流す。


 ――これは、ダメだ。


 間に合わなかった。


 治癒魔法は決して万能なものではない。

 怪我をすぐに癒やすが、あくまで静養していれば自然に治る範疇であり、失くなった手足が生えてくるようなことはない。

 自然に任せるよりも傷跡は残りにくいだろうか。

 それでも流れ出た血は戻らないし、なにより傷を癒やすため、術者の魔力とは別に患者側の体力も必要とする。


 そのため、大怪我を負っている相手の場合は難しい見極めが必要になる。

 傷を治すため最後の体力を使わせ、それがぎりぎりで繋いでいた命を奪ってしまうこともあるそうだ。


 だけれどそのような場合、治癒魔法をかけなかったから助かったとはならず、大抵は遠からず命を落とすことになる。

 聖女の選定中、治療院では本人や家族の同意を得て、安楽な最期のために治癒魔法をかけることもあった。


 やがて、子狐の心臓が止まった。

 傷は癒やした。

 今際いまわきわ、少しでも苦痛を取り除けただろうか。

 それとも、最後まで生きて死ぬ、野生の誇りを汚してしまったのかもしれない。


 近くで見ていたシメオンに尋ねる。


「神父様、この子たちを埋めて弔っても良いでしょうか?」


 シメオンが首を横に振った。


「それでは他の獣の糧を取り上げることになります。そのままで、自然の摂理に任せるのが良いでしょう」


 確かにその通りだと納得する。

 魔物の恐怖やそれから助かった安堵など、なんだか感情の起伏が大きくて、正常な判断ができていないのかもしれない。


「分かりました。せめてこの子を親の隣に置かせてください」


 本当の親子なのかは知る術もないが、それでも同族なら独りよりも安心できるだろう。

 これも自分勝手な感傷を押し付けているだけなのだけれど。


 子狐を、親と思しき亡骸の隣に移動させる。

 赤黒い血で濡れていなければ、初夏の陽気に親子が寄り添って休んでいるようにも見えるだろう。


 ――ビョオ、と一際多くの魔力を乗せた温い風が、森から吹いた。


 それに呼応するように、子狐の亡骸が淡く光を放つ。

 しばらくすると、光は躯を離れ球の形で宙に浮いた。

 そしてその光に、森からの風が、風に乗った魔力が吸い込まれていく。


 光を中心に風と魔力が渦を巻く。

 騎士たちがルシルを下がらせ、守るために位置を変えた。


「何が起きているか、分かるやつはいるか!?」


 隊長が魔術師たちの方を見る。

 三人の護衛魔術師の中では年嵩で、片眼鏡の学者然とした男性が困ったような表情をする。


「確かな話ではないのですが……精霊が新たに発生する際、生き物の魂魄を核として、そこに魔力を凝らせて成るのだという説があります」


 どうやら目の前で起きている現象は、とても珍しいもののようだ。


 やがて風は止んだ。

 光も消えたそこには、代わりに小さなものがぽつんと浮かんでいた。


 大きさは、ルシルが両手で包み込めるくらい。

 くすんだ白色は真ん丸で、長い毛に覆われた表面は目や口などの器官があるようには見えない。


「これは……間違いなく精霊ですな。よもや誕生の瞬間に立ち会えるとは……」


 先ほどの学者然とした魔術師が、上ずった声で言う。


 生まれたばかりの精霊は、大きな方の亡骸の近くを彷徨っていたけれど、しばらくしてこちらへと覚束無げに寄ってきた。

 騎士たちが警戒したが、危険はないと大きな背中を押してどかせる。


「私たちは北へ旅をしているんだけど、あなたも一緒に来る?」


 言葉は通じていないだろう。

 それでも、精霊はルシルの外套の襟元へと収まった。

 首に当たるフワフワな感触が、柔らかくてくすぐったい。




 名前は『ポポ』とした。

 見た目や触り心地が、タンポポの綿毛みたいだったから。


 森に由来する精霊で、土や風属性の魔法が使えるようだ。


 ポポはいつも傍らにいるわけでなく、明らかに消えている時がある。

 まるで存在がこの世界からズレてしまったように。

 精霊とはそういうものなのかと学者風の魔術師に聞いてみたら、「すいませんが分かりません」と困り顔で返された。


 散々呼んで探したあげく、気付いたらフードの中にいたりする。

 テーブルの上でポンと跳ねたり、コマのように回っていたりもする。


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