最終話 それから
聖女の護衛旅から戻ったクロードは、すぐに王宮魔術師の職を辞した。
慰留の声を振り切って再度スピナリザ王国へ赴くと、そこで魔道具について一から学んだ。
前世エリクであった時、なすすべなくリーゼを見送った後、妻の命を奪った黒鱗病の治療薬を創るべく残りの人生を全て掛けた。
やがて当時の医学薬学を極めながら、その道がどうしても宿望には通じていないのだと解り、最後は絶望の中で死んだ。
今回は、医療魔道具という治療方法。
スピナリザ王国でそれ以上学ぶことがないと判断すると、イスマルファ王国に帰って自宅に引きこもり、独自に研究を進めた。
昼も夜もなく、何かに駆り立てられるように、新しい仮説を立ててはその検証を繰り返す日々。
食事は禄に喉を通らず、ベッドへ横になってみてもすぐにガバリと起き上がる。
周りは心配したが、それで止まるようなものでもなかった。
無理やり口にパンを突っ込んでくれる人はもういない。
そうして護衛の旅から戻って八年が経つころ、執念とも呼べる日々は実を結んだ。
前世の医学と薬学の知識も合わせ、黒鱗病に侵された細胞だけを識別、攻撃して死滅させる医療魔道具の開発に成功。
その過程において、それまで治療法がなかった他の病にも応用できる、汎用的な基礎技術も確立した。
国の研究機関に技術移転し、臨床試験も成功に終わると、医療の新たな地平を開いたと大絶賛を受けた。
国からは勲章や爵位に領地、果ては姫との結婚など、あらゆる褒美を提示されたが固辞した。
貴族や裕福な商人たちからの、山ほどの縁談や研究支援の話も全て断った。
半ば無理やりに押し付けられた、莫大な金子と使用人付きの豪邸。
王都の一等地に建つその邸宅は、維持費や使用人の給金さえ国持ちだった。
クロードの動向を監視する目的もあるのだろう。
勝手に拠点を他国へ移そうとすれば、止められたり、捕らえられたりするのかもしれない。
傍から見れば、大きな成功を収め、人生の絶頂にいるようにも映るだろう。
だけれど心は満たされず、そこでクロードは空っぽになった。
屋敷の寝室に引きこもり、一日中ベッドの上、ただ天井や壁を見て過ごす。
壁にはスミレの刺繍がされたハンカチが額入りで飾ってある。
触っていると手垢で汚れてしまうので、断腸の思いでそうしてもらった。
出された料理は多く残してしまい、勿体ないので回数と量を減らしてもらった。
逆に酒の量は増え、日に日に不健康さを加速させている。
衝動的にナイフで喉を突こうとしたこともあったが、どこからか現れた精霊に刃を曲げられた。
「――邪魔するな……」
恨みがましく精霊を睨みながらも、それを肩や頭に乗せていた少女の影を探してしまう。
薄情にも精霊はすぐに消えた。
時間だけが無為に過ぎていく。
擦り切れ空いた心の穴を、乾いた風が虚しく吹き抜ける。
――もう、何もする気がしない。
『いつかどこかで、もしまた会えたら、その時はもう一度、あなたと一緒になりたいな』
いつか――それは今の生の可能性もあるのだろうか。
少女からもらった最後の言葉が、ぎりぎりで彼を生かしていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
そんなある日、珍しく執事が寝室の中まで入ってきた。
「旦那様」
「……どうした?」
「十歳ほどの少女が、両親と共に旦那様を訪ねてきております。平民のようですが、その……『ルシル』と言えば伝わるからと」
「――!!」
クロードは屋敷のことにまるで興味なく、差配は全て執事に任せていたが、それでも一つだけ強く言い付けていたことがあった。
――『リーゼ』や『ルシル』の名を出す人物が訪ねてきたら、絶対に追い返さず客としてもてなせ。
クロードがバネ仕掛けの人形のように跳ね起きる。
ボサボサ髪のまま、ヒゲ面のまま、更には下着姿のままで階下へとすっ飛んでいった。
「生贄の儀式は教会が勝手にやり始めたことだけど、それはそれで使い道があるからって止めずに放置してたそうよ。若い女性の命を何だと思っているんだって、説教してやったわ」
使用人たちによって無理やり身なりを整えられたクロードは、応接室のソファで少女と向き合っていた。
少女の両親や使用人には部屋を出てもらい、ドアを少し開けた隣室で待ってもらっている。
ウェーブがかった肩下までの赤色の髪、目尻が少し上を向いた意思の強そうな金色の瞳。
リーゼやルシルとはまた系統が違う整った面立ち。
けれど、彼女なのだと会った瞬間に確信した。
なぜなのか説明はできない。
――それでも、分かるのだ。
名前は変わらず、ルシルと付けられたそうだ。
偶然ではないのだろう。
二度の人生で続けて黒鱗病に罹ったことに対し抗議をしたら、世界の医療水準を進めるためだと説明されたのだという。
運命を曲げたことの詫びと、新しい聖樹を発生させたことの褒美を合わせ、すぐに生まれ変わらせてもらったとのこと。
前世の記憶は十歳の誕生日に突然戻ったのだそうだ。
どうやら自分が焦がれて止まない思い人は、主神と崇められる存在に説教をしたり文句を言ったり、賠償やら報酬を引き出すことができるらしい。
まだどこか実感はなく、うすぼんやりとした心地で聞いていたが、理解が追いつくと腹底からカッと怒りが上ってきた。
「ふざけるな! 人の人生で遊びやがって。どうすればその主神とやらに会える? 俺が魔法で焼いてやる!」
「よく分からなかったけど、存在するじげんがいくつも違うらしいから、少なくとも生きている間は無理なんじゃないかな」
「クソッ! なら死んだ後だ。魂だけになっても、必ずやり返してやる!」
こんなに大きく感情が動いたのは、いつぶりだろう。
なんだか振り回されてしまい、上手く制御ができなかった。
その後、恨みつらみを一通り吐いた後、ようやく我に返る。
頭を振って、怒りの残滓を振り払い、ゴホンと一つ咳払いをする。
そうしてソファを立ち、困り顔をしていた少女の前に跪いた。
「ルシル、俺の全てを捧げる。だからどうか、お前の心をくれないか」
少女はパッと笑顔の花を咲かせ、だけれど悪戯っぽくうーんと唸った。
「私、痩せすぎの人ってタイプじゃないのよね。あなた痩せてるどころか死相が出ているし」
「これからはたくさん食べる! すぐに太るから!」
「いや、太っているのも違うんだけど……中肉かやや細めでお願いします」
今にも千切れそうな三十路の男が、十歳の少女を必死に口説いている。
これは愛だの恋だの、そんなきれいな言葉で表せるものではない。
執着、渇望、もっと狂って汚くて、べったりと奥底にへばり付く熱泥のようなもの。
ふと、少女がソファを立った。
小さな顔が近づいてきて、跪いたままだったクロードの口端に軽く口付けを落とす。
「まだ十歳だから、今はこれで我慢してね。未来の旦那様」
膝をついたままの体勢で、思わず少女を抱きしめた。
少女もその腕を背中へと回してくれる。
小さな手のひらから、じんわりと熱が広がっていく。
子供だからだろうか、体温が高い。
そして当たり前に薄くて固い。
風がよく通る森の中にいるような、青くて清涼な匂いがする。
小さな身体を腕の中に閉じ込めながら、クロードは目の前が明るく拓かれていく感じがした。
長い間、暗くて鈍色だった世界が色を取り戻し、眩しく輝いていく。
空いていた穴はいつしかなくなり、心は温かな幸福感で満たされた。
扉の隙間から覗く三対の目、少女の両親と執事の氷の視線さえ気にならないほどに――。
「またいつか旅をしたいな。私ね、あの旅が本当に楽しかったの」
「ああ……世界中、どこへだって行けるさ」
なんだか、全てが報われたような気がした。
やはり神というものは、感謝の気持ちで祈るべき存在なのかもしれない。
いつのまにか現れた、綿毛のような精霊がテーブルの上で小さく弾んだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
数十年の後、年の離れた魔術師夫婦が精霊を供に大陸を旅して巡る冒険記が、実録の触れ込みで世に出された。
村の家畜を襲う魔物を退治したり、怪我人を癒やしたり、枯れた森を蘇らせたり。
絶景を見たり、そこでしか食べられない料理を涙と一緒に飲み込んだり。
そうして長い旅の終わり、二人は聖樹を仰ぐ街に腰を落ち着け、子や孫に囲まれながら賑やかな余生を送ったという。
――エトヴィン著『魔術師夫婦 クロードとルシルの旅路』より
以上で完結となります。
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