第23話 海景
旅が始まってから百と幾日が経った。
ルシルたち一行は、この旅の最後の国であるレイダ聖国に入っていた。
レイダ聖国。
その名が示すとおり、レイダ聖教の始まりの国である。
王を戴かず、聖皇という聖教の最上位指導者が、国政の長も兼任しているのだそうだ。
ちなみに聖皇は現在、他国を訪問しており、拝謁はできないとのことだ。あまり残念ではない。
南の国境から国に入った後、十日ほどかけて北上し、首都である聖都エッダにたどり着いた。
大陸の北端で海に面するこの都は、聖教の総本山である中央教会を擁し、大陸における旅の終着地でもあった。
ルシルたっての願いが聞き入れられ、馬車隊は中央教会を通り過ぎ、先に海へ寄ることになった。
本や話で知ってはいるけれど、前世も含め実際の海を見たことはない。
旅の同行者たちも、そのほとんどが内陸のイスマルファ王国の出身であり、実物を見たことがある人はシメオン司祭を含む数人だけだった。
他の国に比べ、聖職者や巡礼者が多い落ち着いた色合いの通りを進んでいくと、やがて独特な匂いが馬車に入ってくる。
生臭いというかなんというか、嫌ではないけれど不思議な匂い。
通りを抜け、しばらく登っていた坂を越えると、視界が一気に開ける。
車窓の向こう側、ついに満々と水を湛えた海が見えた。
空とはまた違う深い青色、少し緑がかってもいるだろうか。
今日は良く晴れており、陽光を複雑に反射してキラキラと輝いている。
とにかく大きいの一言。
何せ、果てが見えない。
そして更に、とても深くもあるらしい。
とんでもない代物だわ、と思わずクロエと並んで窓に貼りついた。
しばらくして馬車が止まり、外からドアが開けられる。
騎士の手を借り降りると、そこは大海原に臨む展望台だった。
馬車から見たものとはまた違う、圧倒的な自然を前に声は出ない。
驚きを通り越し、唖然としてしまう。
周りの皆もしばらく静かに、あっけにとられた各々の表情で、無限のように広がる水を見ていた。
――本当にすごいなあ。
左目が見えないのが少し残念だった。
もし両目で見ることができたなら、さらに広い見晴らしがあったのだろうか。
どうしても旅をした皆で海を一緒に見たかった。
いつか彼らがそれぞれに旅をふり返った時、この景色を共通して思い出してくれれば、なんだか繋がっている感じがしてとても嬉しい。
「あれが水平線か。本当に空と海で世界を割るんだな」
クロードの隣に行くと、彼はこちらをちらりと見たあと視線を海に戻し、どこか詩的にそう言った。
「もしあの水平線の端まで行ったら、そこが世界の終わりなのかな? そこで海の水はどうなるんだろう。世界の下に落ちるのかな?」
こちらも良い感じの言葉で返したかったけれど、残念ながら何も思い浮かばなかったので、思っていた疑問をそのまま口にする。
「地平線と同じだよ。今見えている水平線の所まで行ったら、遠くにまた別の水平線か大陸が見えると思うけど……」
確かに地平線は見えていたそこまで行っても、世界は続いていた。
クロードがどこか得意気な顔をする。
「ルシル、この世界の真実の一端を教えよう。世界は地図とは違って丸いんだよ。こいつみたいな形をしている」
クロードがルシルの肩に乗っていた精霊を摘み取り、指先で回した。
世界がポポのように丸い、まるで想像がつかない。
冗談なのだろうか。あまり面白くはないけれど。
「それだと上の部分以外は、下に落ちちゃうんじゃない?」
周りで話を聞いていた人たちもうんうんと頷いている。
クロードが重力というものについて、真面目な様子で説明を始めた。
どうやら冗談ではなかったようだ。
空の高いところを、鷹を小さくしたような鳥が飛んでいる。
上手く風に乗っているのだろう、ほとんど羽を動かすことなく円を描くようにして回っていた。
そうして茫洋たる海をしばらく眺めた後、一行は来た道をひき返し、ついに中央教会の敷地へと入った。
大きな建物群に華美さはなく、歴史を経てきた厳かな雰囲気を帯びていた。
護衛隊はルシルをここまで送り届け、教会と確認の書状を取り交わせば、それで任務完了である。
任務の全体としては国へ帰還するまでを含むのだろうけど、少なくとも目的は果たしたといえる。
彼らとはここで別れ、最後の地である島へさらに船で渡るのだそうだ。
とはいえ、建物の入口でさようならというわけではなく、あと数日は一緒にいられると聞いている。
馬車を降りると、迎えてくれた中央教会の神官たちはどこか様子がおかしかった。
丁寧な扱いではあるけれど、どこか見定めをされているような視線を感じた。
案内された部屋で旅装を解く。
クロエとお茶を飲んでいると、ドアがノックされ、顔を顰めたシメオンが入ってきた。




