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第22話 博愛の街

 ルシルは喉の乾きで目を覚ました。

 行儀悪く、水差しの口から直接水を飲もうとして、ゲホゲホと咽せる。

 傍に付いてくれていたクロエに確認したところ、倒れてから丸二日ほど眠っていたそうだ。


 ベッドから下りて凝った身体をほぐしながら、自身の状態を確認する。

 四肢の動きに問題はない。

 尽きた魔力は八割ほど回復しているだろうか。

 左の目は見えないままだった。


「聖樹に名前を付けたところまでは覚えているけど、その後はどうなったの?」


 そう聞くと、クロエが明るい表情を向けてくる。


「街は当面において難民の救済を行うと声明を出しました。現在は壁の外で、食料や生活品の支援を行っています。我々も、最低限の人員を残して手伝いに出ていますよ」


「そう……良かった。だけど市長様たちには、騙し討ちみたいになってしまったわね」


「そうかもしれません。それでも、多くの救われた人がいるのです。私は、ルシル様がなされたことをとても誇りに思います」


「そうね、後のことに責任が持てなくて申し訳ないけど、私なりに考えて、できることをやったわ」


 そんなことを話していると、扉がノックされ、旅に同行の医者が入ってきた。

 全身を入念に検査され、左目以外は問題なしとされた。

 ただし、今日一日は絶対安静とのこと。


 言いつけに従いベッドの上で大人しくしていると、同行の面々が代わるがわる見舞いに訪れる。

 護衛の際にも影響するかと思い、左目のことを正直に話したら、めちゃくちゃ叱られた。


 失明した左目は濁ったりはしていないけれど、それでも対面で話していると瞳の動きに違和感があるそうなので、前髪を下ろして隠すことにした。


 空腹で腹も鳴ったけれど、壁の外の人たちのことを考えると、どうしても今日は食事をとろうと思えなかった。

 なんの意味もない、傲慢な自己満足なのだと分かっている。

 医者やクロエも困らせてしまった。

 それでも、今日一日だけは……。




 次の日、手早く朝食をとって、外へ出る。


 街の壁の外に立てられた仮設テントへ行き、そこで難民たちの怪我を魔法で癒やした。

 彼ら彼女らはテントに入る列の途中で、刃など危険なものを所持していないかを入念に調べられている。

 その上で、治療中も屈強な騎士たちに囲まれていたのだから、怪我は治ってもずいぶん気疲れしたことだろう。


「すぐ治すから、もう少し我慢してね」


 ここまで逃げて来る途中、森で足を切ったという十歳ほどの少年は、痛々しいほどに痩せていた。

 膿んだ傷を魔法で癒やす。


「ありがとう、お姉ちゃん。ねえ、お姉ちゃんって聖女様なの? 大人が言ってた。聖女様のおかげでご飯がもらえたり、こうして怪我も治してもらえるって」


「そうね、私は聖女だよ。でもご飯や治療は、この街の人たちがそうしようって決めたんだ。私は樹を一本植えただけだよ」


 それから、エトヴィンと名乗った少年と少しだけ話をした。


 久しぶりのパンがどんなに美味しかったか。

 読み書きはできないけれど、いつかできるようになりたいこと。

 大きくなったら、旅をして色々な国を巡りたいこと。

 そうして、その見聞や感想を旅行記にして多くの人に読んでもらうことが、彼の夢なのだそうだ。


 少年がそれを叶えるには、努力や才能はもちろん、きっと大きな運が必要なのだろう。

 周りの友達や大人には、絶対無理だと笑われたのだそうだ。

 それでも、子供が夢を抱いて何が悪いのだ。


「素敵な夢だね。本が出たら私も読みたいな」


 汚れてボサボサと膨らんだ髪を撫でる。

 エトヴィン少年はされるがままで、くすぐったそうにする。

 そうして、少し大人びた表情をして言った。


「僕たちの人生にはこれからも、つらいことが待っているかもしれない。それでもくさらず前を向いて生きたら、いつか報われてもいいんじゃないかって思うんだ。もし、本当に本を出せたら、僕は教会に行って神様に言ってやるんだ。やりたいことをやってやったぞ、どんなもんだいってね」


 その瞳が放つ光は、大人の諦めを知らない、まっすぐで曇りないものだった。

 だから、胸が詰まり、黙って顔を見ることしかできない。

 少年の言葉と瞳はなんだか印象に残り、旅の終わりまで色褪せることはなかった。




 その後、数日滞在し種々の手伝いをした後、街を発つことになった。

 街の人たちが見送りに集まってくれる。

 中には忙しいであろう市長や庁舎の職員たちの姿もあった。


「市長様、お世話になりました。その……勝手なことをしてしまい、改めて申し訳ございませんでした。職員の方々含め、大変な思いをさせてしまいまして……」


 できる限りに心を込めて深く頭を下げる。


 目覚めた後、ルシルは勝手に聖樹を生やしたことを市長たちに謝った。

 市長はこめかみをピクピクさせながらも、「街にとってはありがたいことです」と許してくれた。


 ルシルが再度謝ったのは、最後に会った数日前に比べ彼らの様子が明らかにおかしかったからだ。

 難民や聖樹関連で仕事が山積みなのだろう。

 皆、目の下にどす黒いクマができ、頬も若干痩けている。

 数日で数年分、老けたような気さえする。

 まるで、ありがたい存在であるはずの聖樹から、生気を吸い取られているようにも見えるかもしれない。


 予め旅に同行する皆やこの街の神官に相談し、聖樹の利がその逆に比べて遥かに大きいだろうことは確認していた。

 それでも騙すようにして聖樹を生やし、結果として彼らの仕事を増やしてしまった。

 難民の責任を押し付けてしまった。

 もともと予定していた計画もひっくり返してしまっただろう。

 彼らには、ひたすら謝ることしかできない。


 市長が一歩前に出て、若者を諭す年長者の声を出した。


「しばらくは激務が続くでしょうが、聖樹はこの街に間違いなく良い影響を与えてくれることでしょう。もし難民について責任を感じていらっしゃるのでしたら、それは筋違いですな」


「……そうでしょうか?」


「彼らについては、街が救うと決めたのです。先行きは分かりませんが、なあに悪いようにはならないでしょう。なにせ我々には、聖樹の祝福がありますからな」


 そう言って、市長はニヤリとした。

 老境に差し掛かろうという痩せてくたびれた男の、踏んできた場数が皺として刻まれたような、とても渋い笑みだった。


 人々に見送られながら、聖女一行の馬車隊は街を出る。

 入った時とは逆の門をくぐり、こちらもジグザグの坂道をゆっくりと下っていく。

 道から少し離れたところで、難民たちがこちらに手を振っている。

 皆、相変わらず痩せているが、それでもその表情には、か細いけれど希望を見つけたような明るさがある気がした。

 その中に先日話した少年の顔を探してみたけれど、見つけることはできなかった。


 遠ざかっていく街の城壁から頭を出している聖樹にせめてもと祈る。


 ――どうか皆を見守ってね。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 ――遠い未来。


 地図の上で国の名や境の線は大きく様変わりした。


 かつて『博愛の街』と呼ばれ栄えた、エーベルブルクの街がなくなって久しい。

 現在、この地はどの国にも属さない無主地で、レイダ聖教が管理する自然公園となっている。

 建物があった場所は均され草木に覆われて、昔日の城塞都市の面影は石壁の残骸がわずかに残るのみ。

 そんな場所の中心で、大きくなった聖樹『博愛』は天を突いている。


 そしてその聖樹のほど近くに建てられた歴史資料館。

 日中は誰でも入れるその建物には、聖樹に由来する数々の資料が展示されている。


 その建物の一階隅に、古()びた石の碑がひっそりと置かれていた。

 もとは外に立てられていたもので、長く雨風に晒され劣化したため、館の中へ移したのだという。

 碑には聖女の祈りによる聖樹の成り立ちと共に、当時の市長をはじめ難民を救うため尽力した人々の名が、どこか誇らしげに刻まれている。


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