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第2話 旅の始まり

 ルシルには前世の記憶がある。


 今より百年ほど前の時代、遠い国の辺境の村で生きた。

 死病にかかり長生きはできなかったけれど、平穏で幸せな人生だったと思う。

 前世の記憶があるなど、頭がおかしくなったと思われたり、下手をすると悪魔憑きだと教会の異端審問にかけられそうなので、家族を含め誰にも言っていないが。


 クロードと呼ばれた青年は、こちらの顔を穴が空きそうなほど凝視している。

 何度も何か言おうとして、言葉が見つからない。

 そんな感じで口をぱくぱくとさせている。


 肩まで伸びた男性としては長い黒髪、空のように青い瞳。

 美しい顔立ちも前世とはまるで違う。

 中背で痩せているのが、せめてもの共通点だろうか。


「――リーゼなのか……?」


 そうして、絞り出すようにルシルの前世の名前を言った。

 声すら違うが、間違いない。

 彼は前世の夫であったエリクの生まれ変わりだ。

 自分と同じように前世の記憶もあるようだ。


 ルシルの髪はブロンドで、瞳は緑。

 目鼻立ちも前世のリーゼのものとはまったく違う。

 背が小さく痩せた体型は、あまり変わらない。


 向こうも自分がリーゼの生まれ変わりだと気付いている。

 こちらも確信しているし、やはり分かるのだろう。

 どんな仕組みなのかはさっぱりだけれど。


 嬉しくて胸が熱くなった。

 「エリク」と呼んで飛びつきたくなったけれど、ちょっと待てよと思いとどまる。


 今世のルシルは名目上でも、聖女として主神の妻になると決まってしまった。

 しかもその実態は命を捧げる生贄である。

 前世の夫の生まれ変わりに、その旅の護衛をさせる。


 ――ややこしいけど、それってどうなの?


 なんだかそれは、とても不誠実なことに思えた。


「……なんのことでしょう? 私はルシルです。よろしくお願いしますね、魔術師様」


 とっさに誤魔化し目を逸らす。


「俺だよ、エリクだ! リーゼ、本当に分からないのか!?」


 なおも言い縋るクロードに、周りの皆がドン引きしている。


「おい、クロード! お前さっきから何を言っているんだ? 彼女から離れろ!」


 腕を掴んでこようとするクロードの肩を、隊長が突き飛ばして距離を離す。


「あなたとは初対面です。誰か他の方と間違えているのでは?」


「そんな……」


 クロードの絶望の表情に、それはそれで罪悪感を覚える。

 一体、どうするのが正解なのだろうか。


 知らないふりをするのは後ろめたいけれど、それでも一度明かしてしまえば、もう元には戻れない。

 旅は数ヶ月あるのだ、その間に考えよう。

 何かいい案を思いつくかもしれない。


 他の魔術師の紹介をどこか遠くに聞きながら、そんなことを考えていた。




 次の日、老境の男性がルシルを訪ねてきた。

 王宮魔術師の筆頭であり、クロードの直属の上司なのだそうだ。


クロード(あのバカ)が無礼を働いたと聞きました。誠に申し訳ございません。本人が直接謝罪するのが道理ですが、いまだ興奮が収まらないようだったので、無礼を重ねてはと思い置いて参った次第です」


 謝罪の言葉とともに、毛が寂しくなった頭を下げられる。

 旅の出発までもう時間はないが、それでもルシルが望むなら、護衛をクロードから他の魔術師に交代させるとのことだった。


「交代の要員に調整がつかなかったとしてもご安心を。その際はこの老骨が供をしましょうぞ」


 そう言った彼の手は、会った初めから高齢者特有の細かい震えを見せている。

 王宮魔術師の職に年齢の上限があるのかは知らないけれど、どうか城の中で穏やかに過ごしてほしいと思う。


 奇跡のように生まれ変わった先で、さらに奇跡を重ね再会したエリク――クロードと、先日限りでお別れというのもあんまりである。

 護衛の交代は断って、代わりにクロードのことを訊いた。


 クロードは十八歳で、ルシルの二つ年上。

 十五の時に、王宮魔術師の厳しい試験を歴代最年少で突破したのだそうだ。


「さっきはバカと申しましたが、あれは天才と呼ぶたぐいですな。複数属性に通じるばかりでなく、魔力は莫大でその制御にも長けております。正直、私がもう少し若ければ、嫉妬していたでしょうな」


 今生のクロードは、どうやらすごい人のようだ。

 前世のエリクは魔法が使えなかった。

 ルシルと同様、生まれ変わることで魔法が使えるようになったのは、なにか理由があるのだろうか。


「さらに憎らしいことに、あれは頭も切れます。魔法の術式は全て頭に入っており、杖や詠唱の補助も必要としません」


 頭が抜群に良いのは、前世のエリクも同じだった。

 一度見聞きしたことは、決して忘れないのだと言っていた。

 前世では、ほぼ独学で読み書きと計算を修めた後、彼が教師役となり、村の識字率や計算力が大幅に向上した。

 結婚したころには村長に請われ、定期的に領へ提出する書類の作成も代行していた。


「自棄的と言いますか……どこか自身を安く捨て置くような気質があり、そこは心配していたのですが、常識はわきまえており今回のようなことを起こすとは……」


「それはもういいですよ。……ちなみに既婚かどうかや、恋人の有無はどうでしょうか?」


 予想外の質問だったのだろう、筆頭は怪訝な顔をして顎に手をやった。


「……少なくとも結婚はしておりませんな。色恋についてあれとそういった話をしたことはありませんが、若い連中がぼやいているのを聞いたことはあります。若い娘が多く同席する親睦会などには、寄り付かないのだそうです」


 ほうほうと頷いていると、筆頭の言葉が続く。


「有り体に申しまして、我々王宮付きの魔術師というのはかなりの高給取りです。加えてあの容姿であれば、参加したならたちまち娘たちに囲まれると思うのですが……。男色の気はないようですが、大きく尖った才は、時に人並な感覚の欠如を伴うものなのかもしれませんな」


 ……どうなのだろうか。

 前世と嗜好が変わらないのなら、決して女嫌いではないと思う。

 前世では結婚した後、毎日のようにがっつかれ割と大変だったのだ。


「ありがとうございました。旅の間、彼に守ってもらえば安心ですね」


「……魔術の腕について、あれは護衛に最適であると断言できます。それでもこれまで見せなかった執着のようなものをあなたへ向けている。聖女様があれで良いと仰るのならば、任務をしっかりと果たした上で、人として一皮剥けてくれればと願っております」


 筆頭は、人生の年長者の顔でそう言った。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 その後、国の式典などでバタバタとしながら、あっという間に出発の日がやって来た。


「あなたにとって良き旅となることを、主と旅の神に祈っております」


 教師をしてくれた老女が、別れの言葉を告げる。

 再会は敵わない、今生の別れ。

 これまでの固いものとは違う、まるで孫娘へと向けるような、そんな慈愛の表情だった。


「ありがとうございました。先生に教わることができて、私はとても幸せでしたよ」


 そうお礼を言うと、彼女は一瞬だけ泣きそうに表情を崩したけれど、その後は口端を少し上げて微笑んだ。


 教会の関係者たちが見送りに出てくる。

 王都の住民たちも珍しいもの見たさに詰めかけた。

 その中に家族の顔を探してみたけれど、やがて促され馬車へと乗り込む。


「出立!」


 護衛隊長の力強い号令が響き、旅の隊列がゆっくりと動き出した。


 馬車は全部で四台。

 一台がルシルや世話係のクロエを乗せた箱馬車。

 もう一台が、シメオンやその従者である教会の関係者を乗せた箱馬車。


 残りの二台は幌付きの輜重しちょう馬車だ。

 食料や旅の荷だけでなく、人も運ぶ。

 クロードたち護衛の魔術師や御者の交代も兼ねた雑役の兵士、医者や外交を担う文官など。


 その馬車列を、騎乗した十の騎士が先導する。

 総勢で三十人弱の旅の一団となった。


 騎士たちは白銀の騎士鎧を着込み、二列で馬車の前を行く。

 王都を出るまでは民衆へのアピールとしてこのままゆっくりと進み、街を出たところで一旦停まって旅装に着替え、隊列も護衛用のものに変更するのだそうだ。




 ルシルは今回の旅について、予めいくつか方針や目標を定めていた。


 一つ目は、この旅を目いっぱい楽しむこと。

 人はそのほとんどが、生まれた土地で生涯を過ごす。

 複数の国へ渡るなど、国の使者や交易商人、巡礼者や流民と呼ばれ一ヶ所に定住せず移動を続ける人々くらいのものである。


 様々な国に行けるせっかくの機会だ、どうせなら色々なものを見たり聞いたり、食べたりしたい。

 あまり周りを困らせない範囲で、萎縮せず要望も言ってみよう。


 そしてなるべく笑顔で過ごそう。

 楽しい旅で機嫌悪く文句を言ったり、泣いたりするのはダメだ。


 二つ目、人として成長がしたい。

 旅を通じて見識を広め深めたい。

 失敗を恐れず、新しいことにも挑戦したい。

 図書館で読んだ旅行記によると、どうやら遠い国では「旅の恥は掻き捨て」ということわざがあるそうだ。


 クロードに対しどう向き合うのかも、しっかりと考えて後悔しないように答えを出したい。


 最後は死に向かう旅だとしても、それはきっと無駄ではないだろう。

 教会のいう魂の段階ステージとやらにも適うのではないだろうか。


 最後の三つ目、もしもできるなら――。




 小石を踏んで揺れる車輪の振動が、連動したように心をワクワクと跳ねさせる。


「しゅっぱーつ!」


 馬車の中、思わず声を出して右腕を高く上げた。

 対面の席に座ったクロエが驚いて目を丸くする。


 こうして、ルシルの最後の旅が始まった。


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