第18話 女たちの夜
旅が始まってから八十日と少しが経った。
ルシルたち一行は、ハーリナルト王国を抜け、東で隣ったスピナリザ王国へと入っていた。
これまでは宿屋で休む場合、宿側の事情が許すなら個室を割り当てられていた。
けれど、先日の暗殺未遂以降は個室は避けられ、二人部屋なら女性騎士のジャンヌが、それ以上に大きな部屋なら世話係のクロエも同室に泊まるようになった。
二人ともよく喋る気質ではないけれど、女性だけだからだろう、静かな部屋でも気まずさや息苦しさは感じない。
それぞれ刺繍をしたり、装備の手入れをしたり、経典を読んだり。
そうして眠る前の時間、お喋りをしたりもした。
たまには菓子やつまみを持ち寄って、隠していた酒を飲んだりもした。
ルシルとクロエは、教会から支給されたお揃いの綿のネグリジェ。装飾はなく、大人しめで着心地の良いもの。
ジャンヌは上はシャツで下はズボン。
三人とも、男性から見ればあまり色気を感じない格好だろう。
それでも……前々から気付いていたけれど、ジャンヌとクロエ、二人とも大変スタイルがよい。
出る所がしっかり出て、それ以外は引き締まっており、メリハリがきいている。
ルシルもお腹は引っ込んでいるけれど、残念ながら全身がシュッとしていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「――ジャンヌさんって貴族様ですかね?」
今日はジャンヌと二人の夜。
旅の初めから気になっていたことを聞いてみた。
「分かりますか」
もう灯りを消した暗い部屋の中、並んだベッドの上でジャンヌが顔をこちらに向けるのが気配で分かった。
「言葉や立ち振る舞いがとても上品なので、そうだろうなと」
「確かに私は子爵家の生まれです。家は傾いて没落寸前ですが」
「そんな高貴な女性が、騎士をしているのですか?」
「はい、私は一度結婚をしておりまして、子供も一人産んでおります。事故で夫を亡くした後、息子を夫の家に取られ、私は実家に帰されそうになりました」
「それは……酷い話ですね」
好奇心で蛇が潜む藪をつついてしまったのかもしれない。
ビビったルシルに、ジャンヌは淡々とした口調で続ける。
「向こうの方が家格も上だったので、仕方なかったのです。貴族の世界では珍しくもない話です」
「それで騎士に」
「はい、実家に戻ってもまた別へ嫁がされると分かっていましたから。幸い、実家は武を誉れとする家でして、淑女教育が始まる前は、周りに交ざって私も剣を教えてもらっていました。それでもだいぶ訛ってしまっていたので、騎士の試験を通るのは大変でしたが」
そう言って、ジャンヌは苦笑した。
「……再婚するのが嫌だったんですか?」
「そうですね。私は亡くなった夫を愛していたのでしょう。彼以外の男性と結婚するのが……肌を晒すのがどうしても嫌だったのです」
分かると思った。自分も同じだ。
前世の夫だったエリク以外の男性に深く触れられたくはない。生まれ変わりのクロードは例外だろうか。
前世でもらった熱を憶えている。
心地よくて幸せで、滑稽なくらい必死で、どこかもどかしいもの。
「それでも、年齢的に女がいつまでも騎士でいるわけにもいきません。そのうちに丸くなり、大人しくどこかの殿方に嫁ぐのかもしれません」
そう言って、彼女は寂しそうな声で笑った。
小娘の自分が共感の言葉をかけたとしても、慰めにはならないだろう。
「もしかしたら来年の今頃は、再婚して腹には子がいるかもしれません」
「さすがにそれは、早くないですか?」
ジャンヌが気を使って笑い話にしてくれたようだ。
クスクスと笑いあい、そろそろ眠ることにした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
今日の宿は四人部屋だったので、ジャンヌに加え、クロエもいる夜だった。
各々、隠したおやつや酒を出しながら、目を合わせてニヤリとする。
若い女が三人も集まれば、話題の半分は色恋についてだ。
「ルシル様は魔術師のクロード様と、その……思い合っているのでしょうか?」
少し酒が入ったクロエが思わずといった様子で聞いてくる。
口移しで神酒を飲ませたりと、色々やらかした自覚はあるので、うーんと唸った。
「私は主神様に嫁ぐためこの旅をしているわ。クロードとは気安くしてるけど、そのくらいの分別はあるわよ」
「いささか痩せすぎとは思いますが、それでも彼は彫刻家が生涯をかけた傑作のような、とても美しい顔をしていますね」
ジャンヌがそう評する。確かに綺麗な顔をしていると思う。そしていささかどころでなく痩せすぎなのは誰の目にも明らかだ。
「ほんと痩せすぎですよね、あいつは味にはうるさいんですけど、食べることに興味がないんですよ。口に無理やりパンを入れないとダメなんです」
ジャンヌとクロエが、なんだか微妙な表情をする。
「そう言えば今日、彼は護衛を外れて自由行動をとっていました。珍しいことです」
取り繕うようにジャンヌが言う。
確かに今日の昼、街を見て歩いていたルシルの隣にクロードの姿はなく、代わりの護衛騎士が傍にいてくれた。
今いるスピナリザ王国は、昔から土地が痩せ農作物の実りが悪かった代わりに、交易や学問が栄えたのだそうだ。
先日、同国内で別の街を見て回った際、クロードがある種の品を扱う店に目を留めていたことは知っている。
魔道具――魔法を発現させる道具である。
この国で開発され、ここ数年で商品として出回り始めたばかりなのだという。
光を灯したり、熱を起こしたりといった実用的なものから、発した力場が幸運を引き寄せるという眉唾なものまで様々。
そしてどの品もおしなべて、庶民には決して手が出ない高価なものなのであった。
クロードは魔道具に興味があるそうで、この国にいるうちに一日休みをもらいたいと前から言われていた。
ルシルとしては一緒に店に行ってもよかったけれど、一日じっくり見たいからとやんわり断られた。
そんな対応をされると、なんだか面白くはない。
まあ、それはともかく。
ジャンヌとクロエ、二人とも誠実な人柄をした素敵な女性だと思う。スタイルも良いし。
どちらかでもクロードのことが男性として気になっているのなら、自分がいなくなった後に彼のことを頼めないだろうか。
だけれどそんなことを考えると、なんだか胸がツキリと痛むのだ。
前世でも彼の人生を縛ってしまったのに、また同じように自分だけを想っていてほしいという勝手すぎる願望。自分は主神へ嫁ぐというのに。
「二人共、クロードをどう思う、よければ紹介するけど?」
「私は遠慮します。神に仕える身ですので」
「私も、さすがに女の自分より腕の力がないだろう男性は好ましくありません」
クロエとジャンヌからお断りの言葉が続く。
クロードは思ったより人気がなかった。
それにどこかほっとして、苦笑が零れた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
今日は女三人の夜。
「ついに、手に入れました」
クロエがやや興奮気味だ。
宿の四人部屋。
窓際の丸テーブルには、洒落た模様の小箱が置かれていた。
クロエが蓋を開けると、中には九粒、黒くて小さなものが中枠に仕切られ収まっていた。
凝ったことに、それぞれ上部に施された飾りつけが異なっている。
「『ギー・シャルル』、店に長時間並んでもめったに手に入らない、幻とも言われる高級ボンボンショコラです。無二の風味を持ち、滋養強壮に効能があるとか。そして、美容にも――」
そこでピリ、と緊張感が部屋を奔る。
「――私は主神様に嫁ぐ身だから、やはり少しでも綺麗になって、喜んでもらわなくてはね」
ルシルがそう言って伸ばした手を、ジャンヌがパシッと払う。
「主神様は見てくれなどに左右されるような、凡下な格ではございません。そのままの貴方様を愛でられるかと。ここは私が、その雑念を引き受けましょう」
箱の中身は九個、問題なく三人で分けられるのだ。それなのに何故、このような無益な争いが起こるのか。
――甘い匂いが、頭を鈍くする。
「お二人ともお待ちください、そもそもこれは私が手に入れた品です。ならば毒見を含め、初めは私が口にすべきでは」
クロエが体ごと割って入ってくる。
その眼にはいつもの落ち着きがなくて――。
やいのやいのと騒がしく、女たちの夜が更けてゆく。
後日、国の調べにより、市井に流通した高級菓子の類に、調味料や香料を騙る、向精神や催淫効果を持つ禁止成分の混入が認められた。
他国の工作員による仕業であり、スピナリザ王国の経済活動を阻害、撹乱することが主な目的であったと予想されると国の上層部には報告がされた。
次回の更新は8/26以降になります