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第17話 百年前(4)

 それから二年ほど、リーゼは以前のように家事をして、店や畑を手伝い過ごした。

 村の皆は以前と変わらず接してくれて、それでも身体が上手く動かせない時は嫌な顔をせず手を貸してくれた。


 この病の進行は、年が若いほど早いのだそうだ。

 やがて黒い痣は大きく広がって痛み止めも効きづらくなり、波はあるが時に痛みでのたうつようになった。

 エリクが言うには、これ以上効果が強い痛み止めを使うと、意識が朦朧としてしまうとのことだった。


 こうなってしまっては、自分が役に立てるのは、創薬の被検体としてくらいだろう。それはそれで希少なのだろうけれど、その途にすべてを捧げる気もない。


 そうしてある朝、エリクに言った。


「ねえエリク、今日は一日一緒にいてほしいの」


 エリクは何も言わずに頷いた。

 その日はエリクの腕を借りながら、村を巡ったり、丘を登った。

 日が落ちる前に家に帰り、エリクの好物料理を作った。

 もう手が上手く動かせなかったので、彼にも手伝ってもらった。


 夕食と片付けを済ませた後、二人で寝室に移動した。

 そうしてエリクの頭を胸に抱く。


「あなたのおかげで、私はすごく幸せだったよ。ありがとうね」


 明かりがついていない部屋の中、窓から入っている白い月の光で、顔を上げたエリクの瞳が揺れているのが分かる。


 医者に貰った命を終える薬。

 小さな瓶に入った液状のそれを、今夜使おうとリーゼは決めていた。


「もう身体が辛くて……痛み止めの薬を飲んでも頭がぼんやりしちゃって……だからね、終わりにしようと思うの」


 びくり、とエリクの肩が大きく震えた。

 その先は聞きたくないとばかりに、胸に顔を埋めてくる。

 彼の後ろ髪を指で梳きながら、考えていた言葉を告げた。


「ねえエリク、一年だけ私を思って。一年後、スミレの花をお墓に供えてほしいな。それで十分だから、後は新しい奥さんを貰って幸せになってね」


 恐れているのは、彼が勢いで自分の後を追うこと。

 だから一年後の望みを言った。

 その間に、どうか持ち直して欲しいと思う。


 身近な人が死んだ時、残された側は喪失感に打ちのめされて立ち止まってしまったとしても、それでも空白を別のもので埋め、また歩き出すしかないのだ。


「俺も、俺も一緒に……着いていっていいか?」


 エリクが窺うような声を出す。


「ダメよ。あなたはその頭脳を世の役に立てなさい。もし後を追ってきたら、あなたのこと無視するから」


 きっぱりと言うと、彼は迷子の子供のような弱々しさで首肯した。


 それからしばらく、色々な話をした。


 幼い頃、いつも一緒にいたので兄か弟だと思っていたこと。

 その後は、異性としてずっと意識していたこと。

 わりとモテるエリクに、リーゼがいかに心を砕いてきたのか。


 物心がついてから、ずっと結婚したいと思っていたこと。

 リーゼの作った料理だけは、なぜかいくらでも食べられたこと。

 リーゼを狙う村の若い男たちを黙らせるため、時にもやしのような細腕で石を握って殴り合いをし、執念で勝ったけれど奥歯が数本失くなったこと。


 互いにたまに笑いながら、思い出や考えていたことを脈絡なく語り合う。


「こうなっちゃったから思うんだろうけど、もっと外の世界を見てみたかったな。私が知っている世界はとても狭いもの」


「……どこに行きたいんだ?」


「それも分からないよ。私は外がどんなふうになっているかほとんど知らないもの。あ、でも、魔法を見てみたかったわ」


「魔法?」


「うん、洗濯場でね、前におばさんが話してたの。街に行った時、魔法で傷を治してもらったことがあるって。キラキラ光って綺麗だったそうよ」


「……」


「傷を治す他にも、火とか水とか自由に出せたらとても便利だし、格好いいわ」


「……分かった」


「え?」


「俺に魔法の才はない。だけどいつか状況が変わったら、千の魔法を使えるようになる。だから……」


 何気なく言った内容に、真剣な表情で思ったより食いついてくる。


「だから……あの世でだってどこだって、もしまた会えたら、隣にいさせてくれ」




 そうして終わりの時が来た。


 リーゼが引き出しの奥から薬を持ち出し、エリクはそれを昏い目で見ている。


「繰り返しになるけど、私は十分に幸せだったし、自分なりに精一杯生きたわ。だから心配といえば、あなたのこれからくらいよ」


 顔を見れば、彼が考えていることはすぐに分かる。

 もう心が疲れてしまって自分と一緒に行きたがっている。

 だけれどダメだ。彼はまだ若く、これから輝く未来があるのだから。

 生は分かち合えるけれど、死は孤独に受け入れるしかないものだ。


「エリク、お願いだから生きて。どうすれば伝わるの? 私はあなたに生きてほしいの」


「……俺たちは一心同体だろう。結婚した時にそう誓ったはずだ」


「命ある限り、だよ。もういくね。さようなら、私の愛しい人」


「待っ――」


 エリクの口端に口付けをする。


 小瓶の蓋を開け、中身を一息に飲み干した。

 酷い味だと思う間もなく、意識が昏い闇に呑まれていく。


 最期に見たエリクの顔はくしゃくしゃになっていたから手を伸ばそうとしたけれど、届くことなく途中で落ちた。


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