第14話 百年前(1)
百年ほど前の時代、遠くの国の辺境の村、前世のリーゼとエリクはそこで生きた。
二人は同じ年に生まれた幼馴染で、家も斜向かい。
リーゼの家は畑を耕し、エリクの家は村で唯一の道具屋を営んでいた。
互いの親同士も仲が良く、小さいころの二人はどちらかの家で一緒に食事をしたり、満腹で眠くなるとそのままくっついて寝たりした。
村には他にも年が近い子供がいて、皆でもよく集まって遊んだけれど、それでもお互いだけがはっきりと特別だった。
男女で体の特徴がさらに分かれるころになると、それまでのようにいつも一緒にいることはなくなった。
それでも、エリクは里山で季節の野花をせっせと摘んでは贈ったし、リーゼはエリクの母親に教えてもらいながら彼の好きな料理を作ったりした。
激しく燃え上がるような恋情ではなかった。
熾火のようにじんわりとした熱を分け合うような、想いの形を互いに心地良いよう沿わせるような、そんな名もない情。
小さなころからエリクは際立って天才だった。
リーゼが虫を捕まえようと草原を走り回っていた時、エリクは自宅や村長宅にある少ない書物から読み書きを習得し、彼の父やたまに来る商人に教わって計算も身につけた。
一緒に遊んでいる時も、エリクはどこか近くや遠くを、物事の根底や裏側にある法則を覗こうとしているような目をしていた。
十歳の頃には画期的な農具の開発、作物を加工し付加価値をつけた上での取引など、次々と村に恩恵をもたらした。
教材を作り、リーゼを含めた村民たちが読み書きや計算をできるようにした。
そういった話がやがて広まると、貴族がやってきては養子に迎えようといってきたり、大店の商人がやってきては将来の番頭候補として引き取りたいといってきた。
エリクはその全てを丁重に断りながら「やり過ぎたな」と言って、それからは目立つことをしなくなった。
リーゼが結婚できる十八歳の誕生日を迎えた夜、先に十八になっていたエリクからこっそり呼び出された。
「外で風に当たってくる」と下手くそに言うと、両親は娘の挙動不審に気付いたようだけど、それでも苦笑して見逃してくれた。
外で落ち合った二人は手を繋ぎ、少し離れた丘を登った。
秋虫の鳴き声がリンリンと響く中、夜風はちょうど心地よいくらいに涼しく吹いて、草木をさやめかせる。
空には少し欠けた月が、満天の星と一緒に浮かんでいた。
そうしてたどり着いた丘の上、繋いでいた手を離したエリクがリーゼに向き合う。
成人男性の平均身長といった彼だけれど、それでも近くで向き合って目を合わせれば、リーゼが少し首を後ろに傾ぐことになる。
口を引き結んだエリクの目が、これまで見たことがない色をして揺れていた。
たぶん希望と恐れがない交ぜなそれは、その比が目まぐるしく変わっていく。
そうして一度目を瞑りゆっくり開くと、そこには追加で覚悟の色も乗っていた。
「リーゼ、俺の全てを捧げる。だからどうか、俺と結婚してくれないか」
まっすぐな求婚の言葉に、さすがにそうだろうと予想していたリーゼも思わず心臓が跳ねた。
急激に頭に血が上ってくる感覚がある。
エリクの顔色も月明かりの下で赤い。しばらく見ていると、いっそ紫がかってきた。
後で聞いたところによると、返事がもらえるまで息を止めていたのだそうだ。
「私、痩せすぎの人ってタイプじゃないのよね」
少しためてから、リーゼは返事を返した。
何年も前から、この時のためにずっと用意していた言葉。
同じ村に住む少し年上で姉のような女性から、「男ってのは少し焦らしてあげるとより燃えるものなのよ」という助言に従い、リーゼなりに考え抜いた言葉。
「これからはたくさん食べる! すぐに太るから!」
「じゃあいいよ! いや、太っているのも違うんだけど……中肉かやや細めでお願いします」
そう言いながら、エリクの首に腕を回す。
焦らし時間はためを含めて延べ一分ほどだった。
二人は深い口付けをした。
初めてのそれは拙いものだったけれど、ふわふわとした、なんとも幸せな心地へと連れていってくれた。
リーゼは勢いのまま思いきって身体を押し付けてみたけれど、期待とは裏腹に肩を掴まれぐいと距離を離された。
「結婚するまでは我慢する」
そう言ったエリクは、なんだか腰が引けるようにしていた。
さり気なく隠しているが、明らかに身体の一部の様子が普段とは違っている。
リーゼがぐい、と押し付けた胸は残念ながらあまり存在感のあるものではなかったけれど、それでも彼のそういった琴線には届いたようだ。
「結婚するんだし、今してもいいよ」
なるべく軽い感じで言ってみると、エリクは虚を衝かれたように目を丸くする。
「結婚するし、してもいい。いいのか……?」
「いいよっ」
「……っ!」
都会ではどうなのか知らないが、ここは辺境のど田舎。
性にはおおらかで、婚前交渉も褒められることではないけれど、割と普通である。
だから年頃の娘を持つ父親は、娘の周りに男の影がちらつくと気が気でなくなり、妻に「あんたが言えるのかい」と叱られるのであった。
しばらくの逡巡の後、エリクは苦し気に答えを出した。
「これまで散々我慢してきたんだ。結婚するまでは我慢する。小父さんとも約束したんだ」
「それって私のお父さんのこと?」
「うん、無責任に弄んだら、首だけ出して畑に埋めて烏に目玉を食わせるって言われた。とても怖かったよ」
その場面を思い出したのか、エリクが怯えたような渋面をした。
「…………」
そこまで言われてしまったら、村の淑女としてリーゼは引き下がるしかない。
しかし、男共は一体なにを話しているのか……。
――ヘタレ! バカ真面目!
心中で悪態をついて舌を出す。
送ってもらって家に帰り、嬉しさと持て余した熱を抱え、成人となった夜は悶々と更けていった。