第12話 荒野の襲撃(2)
ルシルは女性の前で膝をつき、怪我の状態を確認していた。
女性は魔物から逃げる途中で転んでしまい、石で脛を切ったのだという。
血が流れているけれど、傷はそれほど深いものではない。水で傷口を清め、治癒魔法をかければ痕もなく治るだろう。
近くについていた騎士に、きれいな水を持ってきてくれるよう頼む。
そうして騎士が少し困った顔をして傍を離れると、不意に女性の片腕がこちらを向いて上がった。
覗いた袖口、手首に何か仕掛けがつけられているのが見える。
小さいけれど、おそらくはバネ仕掛けで矢を放つ装置。
――油断したなあ。ここで死ぬの?
刹那、どこか他人事のようにそう思った。
女性の口が薄い三日月のように歪む。
思わず目を瞑りながら、顔や首を守ろうと咄嗟に腕が上がった。
後ろでドン、と腹の中にまで響くような大きな音がしたと思ったら、次の瞬間には背中に強い衝撃があった。
何も考えられない混乱の最中、どうやら後ろから誰かに抱かれながら地面を転がる。
「邪魔をするなッ!」
「ぐっ……」
女の金切り声と、男の――クロードのうめき声。
頭が真っ白になったまま、閉じていた目を開けてみる。
舞い上がった砂埃が顔を襲った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ルシルはクロードに後ろから覆いかぶさられるように抱かれ、地面に倒れながら刺客の女性に背を向ける体制になっていた。
異変に気付いた騎士たちがすぐに集まってくる。
「捕らえろ!」
女が懐からナイフを出して暴れたが、早々に取り押さえられた。
「聖女様! お怪我はありませんか?」
焦って上ずる騎士たちの声で、逆にルシルは少し落ち着いた。
「私は大丈夫です。クロードが守ってくれたから。……クロード?」
身じろぐと、後ろから抱えていた腕がずり落ち、クロードはうつ伏せに崩れた。
その背にはローブを貫いて矢が刺さっており、血が赤黒く滲んでいる。
「クロード? クロード!?」
名前を呼んでも揺すってみても返事はない。
顔が紫がかり、目は虚ろで焦点があっていない。
呼吸は浅く心許ないものだった。
――毒だ。
喉が勝手に叫び出しそうなのをなんとか抑え、解毒魔法をかける。
だけれど、これでは駄目だ。
解毒魔法は身体に作用して侵している毒を中和するが、供給元の矢が刺さったままだと、中和した端から次の毒が回ってしまう。
矢の軸を折って服を脱がせ、身体から適切に毒矢を取り除く必要がある。
それとも強引にでも、一刻も早く肉ごと矢を引き抜く方が良いのだろうか?
しかしそれで神経を傷つけてしまったりすると、治癒魔法で傷を治しても後遺症が残る可能性がある。
逸って考えがまとまらないけれど、今この場で一番重要なのが時間であることは分かる。
「矢を折って服を脱がせられますか? あ、あと、先生、先生を呼んで!」
ひっくり返った声が出る。
肩に大きな手が置かれ、上から落ち着いた声が降ってきた。
「少し落ち着け。俺たちで服を脱がせるから、嬢ちゃんはちょっと離れてくれ。医者の爺さんはもう呼びに行かせているから、じきに着く」
隊長のレナルドがゆっくりと言った。
自分はクロードの背中にしがみつくようにしていたのだ。
これでは周りも手伝えない。
背中から離れ、彼の手を握りながら必死で解毒魔法をかけ続ける。
地面に敷かれたマントの上で、騎士たちが手際よくクロードの服を切って脱がせていく。
痩せた背中が露出したところで、旅に同行の医者が到着した。
たまに話をすると飴などくれる初老の医者は、長い眉毛の下で普段は温和そうな眼を鋭くして傷を診る。
「幸いに骨や大きな神経は外れている。だが……鏃に複雑な返しがついていて、無理に抜くと周りがズタズタになってしまうな」
持ってきた四角い鞄の口を開き、小さく鋭利な刃物を出しながら、医者は続ける。
「複雑な傷は、治癒魔法でも治せないだろう? 周辺ごと矢を取り除く。血は多く出るだろうが、命に関わるようなものじゃない。まずいのは傷より毒だ。聖女様は、まずは体の中の毒を全て消してくれ」
喋りながらも無駄のない手つきで刃を入れ、あっという間に周りの肉ごと矢を取り去った。
麻酔もなかったが、クロードは多少苦しそうに息を吐くだけだった。
医者が出血する切除跡を布で抑える。
ルシルは全力で解毒魔法を流し、残った毒を中和する。
やがてクロードの顔がいつもの色を取り戻した。
そうして次に治癒魔法で切除の傷を癒やす。
痛々しかった傷跡が塞がると、ようやくそこで、久しぶりに空気を吸ったような気がした。
――だけれど、医者の顔は険しいままだった。
「脈が弱まっている。このままだとまずいな……」
「そんな、毒は全て消えたはずです!」
「……すでに内蔵が弱ってしまっている。できることは全てした。後はこの青年の体力と気力次第だろう」
医者が静かに告げる。
絶望を通り越し、強い怒りが生まれた。その矛先は自身に向いている。
不用心に護衛を離し、初対面の相手に近づいて襲われた挙げ句、守ってくれた人が苦しんでいる。
前の世で愛し、愛してくれた人が、死の淵を彷徨っている。
クロードを転がして頭を持ち上げ、膝に乗せた。
懐から水筒を取り出す。中身は女神像の瓶から湧いた神酒だ。
飲み口を当て傾けてみるけれど、クロードは吐き出してしまう。
迷いなく神酒を含み、口移しで飲ませた。
ごくり、とクロードの喉が動く。
彼の身体が一度ビクリと跳ねたが、それでもまだ息は浅い。
握った拳を振り上げた。
医者がギョッとした顔をする。
『起きなさいっ、エリクッ!』
そうして前世の言葉でかつての夫の名を呼びながら、心臓のあたりを全力で叩く。
クロードが半分閉じていた目をかっと見開いた。
がばりと上体を起こし、しばらく苦しそうに咳き込んでから、恨めしそうにこちらを見る。
『やっぱりお前はリーゼだ。ひどいじゃないか、知らないふりをするなんて』
『ごめんね。その、事情があって……』
突然、知らない言葉で話しだした二人を、周りの医者や騎士たちは怪訝な顔で見ていた。