八十五話 危機感は夢の中
建物から放り出され、夜の永刻らしき荒涼とした地に立った。
当然、魔力は使える。
ようやく手足を操れるようになったレイは、自由になった身を確かめ宙返りを一つした。
「ああ、やっと解放された! もう二度と体験したくないゲームだね!」
身動きの取れない状態に、わりと怒りを覚えていたレイ。崩れかけの建物を眺め、あえて明るく見送った。
「解放されたのはいいが……ここはどこだよ」
力仕事をこなしてくれたキーが、肩を回しながら辺りを見渡す。
これは、また何もないところだ。
遠くまで木すら見当たらないので、当然、生き物はいない。ラストロからロストンまでの道のりに似ている、黒い更地であった。
「どこだろうね? ……アリス、今は何時?」
「四時前です」
「つまり、夕方。なら、ここは夜の永刻ってわけだ」
永刻自体、限られているので、場所を推測することは難しくない。
永刻で更地があるところといえば、と地図を頭に思い描いていく。
「エルメラディにはないし、クリアマーレ側も永刻はない。近いのはサフアだけど、岩石地帯ってことでもない。それ以外に条件が当てはまるところは……」
現在地は、把握した。きっと東の方で、魔女の森を超えたあたりの別大陸である。
ただ、この場所は、まずかった。
長居しては、いけない場所であった。
「……まずい……ここは、ダメだ!」
「どうしたの、レイくん?!」
せっかく脱出を喜んでいたというのに、魔物に遭遇した以上の慌てっぷり。敵がいるのかな、とカナタは右左を確認していた。
それは違う。それよりも、大変なことなのだ。
「『アーレ・ミ・オーティ』!」
「魔法……?」
レイは緊急で夢の魔法を呼び起こす。
『夢想する世界』は夢の中に入れ込む魔法だ。
この魔法は『童話の国』や『星屑の庭』を展開した時に使った呪文だが、外に現す『白昼夢』の呪文をなくせば、夢の世界のみが残る。
つまり、原型となる夢の世界に入ることができる。
空中に七色の空間が現れると、蝶がリボンを引き連れる。
そのまま、蝶とリボンはカーテンに姿を変えると、ミリア達をさらって虹色の中へ問答無用で飛び込んだ。
「どこ?! レイくん、何してるの?!」
「説明は後で、ね……!」
夢へ入ることを了承しなければ弾き出されるが、幸い皆、拒まずにいてくれた。
丁寧に宙に放されて、行き先不明な流れに乗る。
ぼんやりとしたカラフルな光を背景に、カーテンは再び蝶になって溶けるように消えていった。
「上と下が逆さま! 前か後ろかわかんない!」
「浮いてる……? 進んでる、のかな……」
初めて体験する夢の中。
静かに体感するミリアとキーは問題ないが、早くに順応してしまった約一名がどんどん先へ行ってしまう。
「先に注意すべきだった……」
はしゃぐカナタがどこかに行ってしまいそうなので、レイはちょいちょいと居場所を固定しておく。
「わ、動けなくなった!」
「あんまり離れないでね。見失ったら探すの大変だし」
「見失うとどうなるの?」
「夢の中で迷子になる。端的に言えば、夢から抜け出せなくなる」
「え……怖っ!」
レイの魔法なので、本当に閉じ込められるわけではない。見つけるまでは夢の中で過ごしてもらうことになるが。
皆が一ヶ所にいることを確認してから、この場所に侵入者がいないかを探す。
まだ猶予はあったので、よっぽど大丈夫なはずだ。
(あっちにも魔力は残ってないはずだし……)
遠ざかる黒い地に、追ってくる影はなかった。
あちらも同時に気づいたとすれば、きっと今頃いないことを知っただろう。
「…………もう時間的に十分。逃げれたはず」
ふう、と息を吐く。
夢の行き先を付け加えて、緊張を解いた。
どうせエルメラディから離れてしまっているので、せっかくなら皆を家に招待しよう。
「アリス、お茶は用意できたり……?」
「今日はタルトを用意していますよ」
「さすが、アリス!」
夢の魔法は夢と繋がり、やがて、見慣れた自宅の研究室にたどり着いた。
少し紙が散らかっているものの、別の部屋へと案内するので平気である。
少し遅ればせながら、レイは皆に我が家を紹介した。
「突然飛ばしたから驚いたと思うけど、ここはぼくの家だから安心して。ちなみに今いるのは、ぼくの研究室」
「レイくんの家?!」
「あ、広いって噂の……お邪魔します」
落ち着いたら説明すると伝えて、散らかった部屋から出る。
物珍しそうに見渡すミリアたちを連れて、綺麗に整えられた応接間へ。
「レイくんの家って、他の家とは違う雰囲気……普通の大きなお屋敷って感じもするけど、少し独特……?」
「ちょっと違うかもね。ぼくのオリジナルな部分があるから」
この家は夢の魔法の中にあるので、家のデザインは全て自分好みである。
基本的な造りは家と研究所と組み合わせたものだが、細部はレイが気が向いた時に直しているのだ。
ちなみに、これが本来の正しい夢の使い方だったりする。
「ぜひ適当に座って。全然くつろいでくれていいから」
「はーい! ……あ、なんか良さげな椅子!」
あまり馴染みのない家具に、カナタが目新しい様子であちこち眺める。
反対に、ミリアは細部まで手入れが行き届いていることに驚いていた。魔法とアリスのおかげだよ、と教えると、納得して頷いた。
ひとしきり部屋を見てもらったところで、まずは脱出した時の話をすることにした。
こちらが脱出までのタイムリミットがあったとミリアに話すと、どうやら状況を知らずにいたことが判明した。
「じゃあ、さらわれた人達を助けるのもやってない?」
「う、うん。私はサリーちゃんと迷ってただけだから……」
途中で魔物が追いかけてきて、絶対絶命の寸前まで来た。
そんな話をするミリア。申し訳なさに埋め尽くされていたが、その後、レイにとってとんでもない話が飛び込んできた。
「もうすぐで刺されるかもって思った時に、助けてくれた人がいたんです。……あ、助けてくれた、というより、その人が魔物を倒したところに私がいたのかな……?」
「は? 魔物を、倒した?」
「えっと、黒一色で……紅と緑の眼をした人が、剣で切り刻んでいたんです」
「……ん? 今なんて?」
「……? 黒一色で、紅と緑の眼をした人が、剣で切り刻んでいたんです」
「……」
無言で、目を閉じる。
なぜ、こうも先行き不安なことが起こるのだろうか。
平穏な日々をくれ、とグレータのところへ頼みに行きたくなった。
「会っちゃったんだね。あれに」
「え……?」
「……いや、知らなくていいや。というより、知らない方が身のため」
「え……え……?」
意味深長な言い方になってしまったものの、それが誇張でもなんでもないことも事実。
この話は早めに忘れ去ってしまった方がいい。
「これだけは言っておくよ。さっき急いで帰ったのは、気付かれたくない相手の魔力があったから。……あの場所がラトムーンだって、早めに知れたのが幸い」
「ラトムーン……?」
聞いたことはあるけど、知らない。
どこだったか、と首を傾げるミリアに、誰でも知っている範囲の知識を流す。
「地図を見れば分かると思うけど、エルメラディをずっと東に進んだところにある国だよ。まあ、国というより、そういう地名って言った方がしっくり来るけど」
「そうなんだ……?」
あまり詳細は教えたくないレイ。さらに尋ねられるのは避けたいところ。
適当に話を切り上げようとしたら、タイミングよくアリスがタルトを持ってきてくれた。
「あっ、みんなお腹空いてるよね? アリスの作ったタルトがあるんだ」
「アリスちゃんのタルト!?」
前にチーズケーキを食べた以来の手作りお菓子に、カナタが目を爛々に輝かせて食いついた。
「レモンタルトです。サウェニの紅茶と一緒に楽しんでくださいね」
酸味もありながら甘さのあるタルトに、主張し過ぎない飲みやすい紅茶。ちなみにサウェニの紅茶というのは、海を跨いだ別大陸から取り寄せた珍しい紅茶だ。
ルヴィンが原産地なのだが、今ではルヴィン産が途絶えてしまっている。そのため、今ではなかなかお目にかかることがない。
「だから、知らない名前だったんですね」
知らない紅茶の話題に、上手く意識を逸らすことができた。
レモンタルトとの相性に感動しつつ、ハプニングを忘れるように談笑するレイたちであった。
◇◆◇
夕方にもかかわらず、青く美しい満月が更地を照らす、ラトムーン。
そこに建っていた黒い館は闇の中に消え果てて、残された人々は唖然とその光景を眺めていた。
窮地に陥った己が助かったこと。
剣を突きつけられ、殺されると覚悟しながら捕まったこと。
恐ろしい魔物を前に、無力のまま逃げ回ったこと。
それらを順に回想していき、ようやく命が助かったと認識する。
力の入らない足をへたらせて、大きく息を吐きながら、あるいは泣き出しながら、脱出できた喜びを大いに実感した。
それから、しばらくして。
気を取り直した異変の被害者たちは、エルメラディに戻るべく皆で東へ向かおうと話し合っていた。
幸い五つ星魔法使いも何人かいたので、帰路に困ることはないだろう。
危機を乗り越えた仲間どうし、打ち解け合って更地を辿る。
歩み始めたベテラン魔法使いたちに、ついて行きたい。
力の入らない足を引きずって跡を追おうとするのは、三つ星魔法使いサリー。
最後に一緒にいた紫色の魔法使いを探していたが、そろそろ最後尾につかないと取り残されてしまう。
黒い館を一目見て、その場を立ち去る。
その駆け出そうとした足が、地に着く前。
なぜか自分より後ろから声がして、思わず立ち止まってしまった。
「この魔力。間違い、ない。……まさか、君がここにいたなんて」
なんとなく、振り返ってはいけない気はした。
だって、ここにいた魔法使いは自分で最後のはずだったから。
けど、考えるよりも先に後ろを向いてしまった。
黒い外套の影が、目に映る。
夜に紛れるように立っていて、ここにいるべき人だと瞬時に認めた。
そこに、垣間見た、狂気。
片方ずつ色の違う目が見開かれる。
笑う、よりも、嗤う。
とても嬉しそうに、昂ったように、嗤っていた。
「せっかくなら顔を出してくれてもいいのに、つれないな。僕のことがそんなに……ふふ、嫌われてるのも悪くはない……」
なんだか背を撫でるような声。
これは誰に向けた言葉なのだろうか。
「でも、今回は僕が救けた。……暇で入っただけなのに、良い日になったよ」
ただの独り言だ。こちらに話しかけているわけではない。
それでも、異様さが際立って、見てはいけないものを見てしまった感じがする。
サリーは視線を逸らして、立ち去った。
気付かれているかは分からないが、少なくとも早々に立ち去るのが正解だと判る。
「そういえば、今はエルメラディにずっといるんだっけ。……僕も、遊びに行こうかな?」
最後の方は全力で駆け出した。ひとえに恐ろしさが、そうさせた。
魔法使い達のいる最後尾まで来る。
肩で呼吸をするサリーに、周りの人は不思議そうにした。
いつもなら羞恥心でその場を離れるところ、今は人がいてくれることに感謝していた。
(あ、あの人、何だったんだろ……怖い、っていうか……関わっちゃいけない感じの………………め、目、つけられて、ないよね……?)
ここは隠れるところもないから、勘弁して欲しい。
もう館から脱出したのだから、そろそろ何事もなくても良いはずだ。
しばらくサリーは前だけを向いて、ビクビクしながら更地を歩いて行く。
エルメラディにつくまで、絶対に後ろを振り向くことはないのであった。
◇◆◇
「へぇ……あの子、弱くないんだ」
月明かりに照らされる中、少女が去った方を見つめる紅い瞳。
暗がりの中でも輝く真紅は、囚えられなかったと意外そうに瞬いた。
「なら、どうでもいい」
ふと興味を失って、再び歓喜にのめり込む。
いつもなら残念だと伝えに行く出来事だが、それもどうでも良くなってしまう。
だって、今日は久しぶりに会えたから。
たった一人の、最大の理解者に。
「また逃げられるといけないし、大人しくすれば赦されるよね?」
彼らに留守を任せられたら、会いに行こう。
その日を楽しみに、黒い人物は更地を立ち去った。
何事もなく、何もせず。
少女に『救済』という枷を嵌めずに、その場を後にした。
これは誕生日だったサリーの知らない、おそらく人生最大の幸運である。




