八十二話 窮地の逃げ場
重い棚がずらされ、雑にドアは開いた。
切先はそのまま、姿のない何かは立ち止まる。
辺りを見渡しているのだろうか。
反応が窺えず、不安が確信を追い越そうとする。
刃物が一歩分だけ進んだ。
布を擦らせながら、一歩、また一歩と彷徨う。
中央にまで近づいている。息を殺せば、時がゆっくり流れるようだ。
そして、停止した仕掛けの箇所。
違和感でもあったのか。いざとなれば飛び出そうと決意を固め、わずかに振り上げられた剣を直視。
「……」
「……!」
そのまま、遠ざかっていく剣。
ドアへ向かう、布擦れの音。
開いたドアを越えて行き、バタンとドアは閉められた。
しばらく警戒しつつ、訪れる静寂。
十秒が経過しても戻ってこないと知り、皆で顔を見合わせて盛大な息を吐いた。
「はあああ………………き、緊張したあ……!」
「本当にね……もう二度と体験しなくていいことを体験したよ……」
生きた心地がしない、とは、こういうことを言うのだろう。
脱力感を大いに感じながら、隠れていた壁の裏側を出る。
狭いところだったが、部屋からは完全に死角になるよう作られていた。覗き込まれない限りは、ここに隠れる場所があるなんて思わないだろう。
「でも、ギリギリだったよね……少しでも遅かったら間に合わなかったかも……」
「そうだね……」
最後にカナタが隠れると、間髪入れず魔物が入ってきていた。
いくら完璧な隠れ場だとしても、バレてしまっては意味がない。
魔物がこちらまで来て止まった時は、息が詰まって仕方なかった。
「それで、これからさっきのドアに戻らないといけないんだけど……」
まだ魔物がいるかもしれないので、極力ドアには行きたくない。だが、いつまでもここにいる訳にもいかない。
どうするべきかと悩んでいたら、三つ星魔法使いが助言をくれた。
「あの……私、何回か遭遇してるんだけど、一回来たらしばらく来ないはず。……たぶん」
これは専用のルールでもありそうだ。
しばらく来ないのなら、今のうちに部屋の鍵を全てかけてしまおう。
「きみも手伝ってくれる?」
「う、うん」
残る部屋は三つ。ちょうどカードの部屋なので、手早く突破していきたい。
罠を用意して、鎧の魔物を無力化。
皆が作業に慣れ始めたところで、先ほどの透明な魔物についてレイは考え始める。
「あの魔物……透明だったけど、布の擦れる音がした。つまり、見えないだけで魔物はいたりするのかな?」
「魔力は使えねえよな? できるのか?」
素早く終わらせるために、レイの近くの鎧を相手取るキー。
廊下まで鎧を踏み越えながら、拾った呟きに疑問を投げかける。
「魔物だけど、呪いの産物だし……ここの脱出方法からして、魔物は色の影響を受けているのかも」
「そういうもんか……だったら、槍で倒せるってことか?」
「透明なだけなら、あり得なくもない。刃物で恐怖心を煽って、姿のない化け物ってハッタリを通してるだけかもね」
口にするだけなら如何にも簡単そうだが、果たしてあの魔物に近づけるかどうか。さらに、本当に姿がない可能性も考えると、実際に試すのは良い判断とはいえない。
この憶測を憶測のままにして、順調にカードを集めていく。
廊下の先の格子が上がれば、また部屋が五つ並んでいた。
ここの反対側の廊下にも五つの部屋があったので、この建物は長方形の形をしているのだろう。五つの部屋は長方形の短い辺、一番長い廊下は長い辺だったということだ。
「部屋も外側にあるし、仕掛けは中央に続いてるのかな?」
「作動する音も廊下からだしね……」
要領を得た謎解き要素に、余裕のあるレイたち。
あの魔物さえ避けれれば、鍵はすぐにかけられそうだ。
「今回のカード部屋は赤と灰。こちら側が魔術のイメージだったら、答えはもう出てるね」
例外がなければ、赤が『腐敗』、灰が『隠匿』。
手っ取り早くカードを取ってみたら、赤が『瘴気』、灰が『禁忌』と描かれていた。
魔法のイメージとは違うので、当たりである。
「『隠匿』のカードは、その名の通り隠れる場所が増えた。やっぱり色の意味を覚えていれば、脱出できる仕様になってるんだ」
「……でも、それだと変ですよね? 魔法のイメージは分かるけど、魔術のイメージなんて普通は知らない……」
「…………脱出はできるけど、脱出させる気はなかった。こうなる事態を生み出した原因がいるんだから、そうだったとしても辻褄は合う」
要は、魔術師や呪いの意志が反映されたのだ。
魔法時の異変に直接関係はなくとも、混ざり混ざった中で呪いや脱出不可能の性質が付け加えられた。
それが、魔法時の異変に異常が生じた理由である。
「で、ここに部屋があるってことは、そろそろ魔物が来る頃ってことだ」
「今のうちに隠れないとね……」
『隠匿』は部屋が二分割されて、奥の方が灰色に染まっている。
入ってみると、外からは人の姿が隠れるようになっていた。
先ほどより広いし視野が確保されているので、ハラハラドキドキしなくて済みそうである。
「ここの格子の先は?」
「部屋が三つあったよ。最初の部屋みたいな感じ」
「ってことは、行き止まりになってるってことか……ありがとう、カナちゃん」
これから先の展開は読めないが、ここまでの長さと範囲からして終わりは近いだろう。
魔法が使えずともなんとかなると知れたのは大きい。
このまま知識で乗り切ることができれば良いが……。
「あっ……しー! 入ってくるよ!」
カナタが唇に人差し指を当てて、魔物が来たことを知らせる。こちらからはドアが見えるので、少々落ち着かない気分だ。
ドアノブが下がり、先頭に剣の切先が覗く。次にナイフがキラリと反射して、あの布擦れ音が再び。
横向きから斜め、真ん前、斜めを向いて、また横向き。
辺りを見回して、しばらくすると、中まで入って来ずにドアはパタンと閉められた。
「見つかってないと追ってこない……」
「そういう風にできてるんだろうね。魔導具みたいな規則正しさがある」
魔術師が魔物を使って生み出したのだから、それは設計図や研究の道筋によって作られている。
だから、機械的に綺麗な魔物へと変化した。それ相応な不自然さも兼ね備えているのだ。
魔法好きとすれば自然になる方法を論じたいところだが、今はこの不自然さに助けられている。
そっとドアを開けて、左右を確認。安全だと判断できたら、謎解きへ向かう。
今回は、魔術式や魔術陣の間違い探しと、魔導具の組み立てが出題された。
魔術の方はレイが素早く解いて、魔導具の方はミリアが活躍してくれた。
そして、いよいよ最後の格子が開かれる。
長方形の底辺。始めと同じ、三つの部屋があるところ。
三つずつという配分からして、おそらく出口が間に挟んであるはずだ。
オレンジのカードがある部屋を後にして、それ以外の部屋を二手に分かれて解く。
「こっちは石の彫刻で、そっちは?」
「えっと……羅針盤と、床に描かれた時計……? その上に針が三つ……」
「ああ、それはまじないの方角と時間だね。今はどうなってるの?」
「北東の三時三十八分……を指しています」
三時三十八分に北東を向くまじないと言えば、アレだ。
瞬時に思いついたレイは、後をアリスに託すことにした。
「アリス、分かるよね?」
「はい。『尋ね人のまじない』です」
おそらく、まじないの正しい手順が守れれば良い。実際に魔力を使って行うわけではないので、天使のアリスが代わっても問題はない。
石にする彫刻は、経験有りのキーに代行してもらった。なかなかに丁寧な仕事ぶりなので、実用的な仕上がりだ。
「これは……魔法陣で良いのか?」
「ううん。魔術で使う方だから、魔術陣って名称になる」
何が違うんだよ、という目で見返された。
確かに、円形で文字があって線がたくさん引かれている、というだけなら魔法陣と魔術陣に違いはない。
ただ、その内容は大きく異なっているのだ。
「見た目は似てるけど、精霊や魔法系と一切関わりがないのが特徴。魔法陣とは全く別物ってことになるね」
「ほー…………」
「……うん。絶対わかってないでしょ」
「ああ」
考えるより感覚で捉えるのがキーである。ミリアならまだしも、実践しか興味ない人に言っても仕方ない。わざわざ教える方が労力だと、レイは口を閉ざした。
アリスも無事にまじないを終えたので、残るは最後の部屋のみ。
オレンジの部屋にある『拘束』のカードを取って、こちらに鎧を招き入れる。
ちなみに魔術のイメージは『掌握』。魔力を失う呪いを示唆しているのか、不吉な印象を含んでいた。
「この鎧、最初の時からだんだん増えてってたね? もう罠だけじゃ足りないし!」
カナタの言う通り、鎧の数は少数精鋭から軍団までに膨れ上がっている。
ここまでの数となると普通は手に負えない。
なので、アリスに手伝ってもらい部屋を調べてみると、カードの展示台をどかしたところに鎖があった。
『拘束』のカードを表す、お助け品。いつの間にかアイテムが追加されていたらしい。ピンチになっていなかったので、ずっと気づかずに来てしまった。
「もっと楽だったかもね……」
「でも、その分余裕があったってことになる、から……」
「まあ、そうなんだけど」
カナタがぐるぐると鎧を集め、鎖でひとまとめにする。
糸を使った方法と同じなので、そう手こずらずに拘束することができた。
鎧をスルーして、ドアの外へ。いよいよ全ての鍵をかけ終えた。
「何が起こるかな?」
ドアの反対側。つまり、建物の中央の方からする作動音に耳を澄まし、それが止まるのをじっと待つ。
そして、訪れた変化。
目の前の壁の一部が開けて、新しい道が現れる。この先は真っ直ぐなので、建物の反対側に続いているようだ。
壁が開き切るのを待って、新たな廊下に足を踏み入れる。
辺りを見渡しながら進めば、右側には部屋すらないただの壁が続いていた。
「……な、なんで…………で、出られます、よね……?」
一般的な構造であれば、出口にあたる部分だ。
ここにあると思い込んでいたため、サリーは震える声で確かめた。
「たぶん、大丈夫だよ! でないと、ここまでの仕掛けを作った意味がない!」
「作ったのは、異変だけどな……」
「……だ、大丈夫なはずだから!」
普段と違い過ぎて、レイも確信は持てない。条件を満たせば開くはずだが、出口がないのは不気味であった。
そんな壁の覆う廊下を、ちょうど真ん中まで歩く。右側は変わらず何もないが、左側には変化があった。
「これはまた、おあつらえの窪みだねえ」
「本当だ。数は五つだけど……」
縦長で四角い、平らな窪み。これに何を嵌めるのかは一目瞭然だ。
五つの窪みに魔術のカードを嵌め込んでもらう。
反対側にできた通路にも同じ窪みがあったので、魔法のカードを部屋順に並べた。
そうして待つこと数十秒。
またまた何かが作動する音がしたかと思えば、窪みのあった壁が引き上げられ、中央に続く道がようやく開かれた。
どこよりも広く大きい、立派な廊下。きっとあの魔物が待ち受けている。
「このまま行くと危ないよね。どうしたらいいか……」
手元にあるのは槍だけ。鎧の魔物も押し寄せてくるなら、これだけでは足りない。どこかに巨大な仕掛け、もしくは、魔力を取り戻す何かがあるはずだ。
ひとまず部屋や廊下を一巡してみたが、鍵はかかったままで、廊下自体には怪しいところはない。
やはり、中央へ続く道に隠されているのだ。
「点在する鎧と絵画。タイルの床と、ところどころの照明。テーブルに、花瓶、細かい絵柄の壁紙……どこを見ても怪しい。謎解きだけならまだしも、探す作業が入るのも大変だね」
「また手分けをして探す……?」
「それしかないよね」
そろそろ脱出……もとい、解呪を先んじて行いたい。でないと、魔物に対抗する術がないからだ。
そうして再び散り散りになろうとしたら、今までだんまりだった三つ星魔法使いが声をあげた。
「あ、あの……! わたし、もしかしたら力になれる、かも……」
控えめだが、自信のありそうな眼差し。
少し震えていそうだが、やっと出番が来たという風であった。
「力になれるって?」
「わ、わたしの今日は、良いことが起こる日なんです……! だから、たぶん見つけられる、と思う……」
「……うん、ちょっと落ち着こっか」
自信がありそうというのは撤回だ。この慌てっぷりと筋道を立てない話は、ちっとも平然としていない。
深呼吸をしてクールダウン。今度こそ落ち着きを取り戻した三つ星魔法使いは、改めて話を切り出した。
「えっと、さっきの良いことが起こる日っていうのは、わたしの魔法系が祝の魔法系だから……で、今日はわたしの誕生日。なので、魔力が使えなくても、たぶん、良いことが起こる……んです」
「へえ……祝の魔法系か……」
確かに、聞いたことがある。記念日や祝日などにまつわる魔法のことを。
魔力がなくても祝福を授かるという、天使にも似通った魔法だと記録されていた気がする。
「それって、もう何か感じてたりするの?」
「う、うん……そこのテーブルの後ろと鎧から……」
暗くてよく見えないので、アリスに照らしてもらう。
すると、テーブルの後ろには小さな突起が、鎧からは魔法陣の描かれた紙が、それぞれ見つかった。
「本当にあった!」
すごいすごい、とカナタが三つ星魔法使いを褒め称える。
魔力を使っていないのに、精霊が助けてくれている。とても貴重な魔法の持ち主らしい。
「よ、よかった……」
「ねね、あたしカナタ! 名前なんていうの?」
「あ……サリー、です」
「サリーちゃん! さっきの魔法って魔力使ってないの?!」
「え、えっと……」
ぐいぐいと迫るカナタと、一歩ずつ後退る三つ星魔法使いサリー。
しきりに目を左右に動かし、おろおろとしている。
徐々に耐えられなくなってくると、魔女帽子で顔を覆ってしゃがみ込んでしまった。
「あれ? サリーちゃん?」
「カナちゃん、もうやめたげてね……」
シャイな子には適切な距離感を持たなければならない。
サリーが余裕を取り戻すまで、見つけた魔法陣などの調査をすることにした。




