七十一話 良くも悪くも壁だった
向こう側で激しく魔法が交差するのを感じる。
一人はよく知る炎の魔法で、もう一人は研ぎ澄まされた水の魔法。
前者が不利なのは遠くから知ることができたが、レイたちはしばらく辿り着けそうにない。
──だって、目の前に物理的な壁があるのだから。
「壁が一つ、壁が二つ、壁が三つ、壁が四つ……そして、また壁があり、壁などもあって……」
「れ、レイ様、落ち着いてください! もう少し早く消してみせますから!」
「いやいや、どうせ壁しかないんだからね。どうせ一生カナちゃんのとこまで行けないんだ……あっ、シリマは悪くないからね。壁なんてものがあるのが悪いんだからね」
「……? 壁が悪いの……?」
それを言うなら、仕掛けたシスイが悪いのではないか。そうミリアは首を傾げる。
当然の疑問だが、今はそこが重要なのではない。とにかく、この壁のせいでカナタを助けに行けないのだ。
「無駄に頑丈で魔法を通しにくい壁をくれて、どうもありがとうだよね! 研究するにはもってこいの素材だし、売りに出してくれれば喜んで買ったよ! けどね、今は押し売りしないでください! もう壁は見たくないので!」
「……誰に言ってるの?」
独特な文句を吐き出しながら、『悪夢』の効果を即興で引き上げる。
と言っても、もともと極限まで神秘を高めるよう作ったので、改良らしい改良はできていない。
とりあえず、『魔法の効果を引き上げる』から『魔法の威力を引き上げる』に微調整しているだけだ。
「こんな地味に強化しても意味ないけど。なんか魔法薬か雑貨で良いものないかな……」
ガサゴソと半分家に乗り込んで漁ってみる。
ただ、最近はミリアの魔導具作りしか考えておらず、使えそうなものは軒並み在庫切れであった。
「毎度毎度の準備不足……今に始まったことじゃないけど」
壁の破壊に頼れるのはシリマだけなので、頼りにさせてもらおう。
そして、できてしまった空白の時間。付与をかける以外にやることが何もない。
レイが時間を持て余していた、ちょうどその時だった。
「……新手かな?」
精度の高い魔力の塊が飛んできた。
その軌道に誰もいないことを横目に、レイはくるりと空中で回避する。
「危ないなあ……」
魔法にしては緻密過ぎる、螺旋の流水。
行き場を失ったそれは、灰色の壁にぶつかり、ネジのように壁を抉った。
避けていなければ、ひとたまりもない。密度の高さが恐ろしい魔力塊であった。
「援軍にしては来るのが遅いんだね?」
攻撃の正体は、魔法ではなく魔術。
水が飛んできた方向に声をかければ、ローブの魔術師集団と見知った研究員が姿を現した。
「……本当に、君たちだったんだ」
研究員は魔術師と同じローブを羽織るも、その下にはフラハティ研究所の紋章が顔を覗かせている。
この目を丸くしている人は、アイヴィーに振り回されていた、あの研究員だった。
「ああ……トリュフォーさん。こっちに戻ってきたんだね。てっきり『パルフェの果樹園』にいるかと思ったよ」
「……」
先ほどまで果樹園にいたことは、キーの連絡のおかげで知っている。
暗にお見通しだという風に伝えてみると、なぜだか悔しそうにトリュフォーは押し黙った。
「トリュフォーさんは魔術師の引率をしてるの? あっ、研究所以外から集まった魔術師だからか」
「……」
沈黙ののち、睨まれる。これ以上会話をする気はなさそうだ。
代わりに、黒いローブの集団が呪文を唱え始める。ぼそぼそと聞き取りにくいものの、単語から予想する。
無作為で、無差別な、火の魔術。
つまり、ここら一帯をまとめて破壊したいようだ。
「いや、危険だね!? このままじゃ、フラハティ研究所だって巻き添えくらうよ!」
それが狙いなのだろうが、自分たちの身の安全は考えているのだろうか。
そもそも研究していたものを回収しなければ、魔術師たちにとって本末転倒だ。
「この規模だったら、取るに足らないってこと? それもひどいね」
「どうするの……?」
ミリアが不安そうにする。魔物の相手で手一杯なため、魔術師にまで意識を向けられないからだろう。
だが、安心して欲しい。魔物を相手するのが難しくとも、人であればレイも攻めに転じられる。
「ちょっとトラウマになるかもしれないけど」
せっかくの『悪夢』の時間。
もし今の瞬間に夢を見るならば、もちろん『悪夢』が脳内に再生されるだろう。
『──・ミュトゥカ・ミュイタス』
夢を見させる、『夢想家の檻』。闇色の鳥籠が、魔術師たちを囲っていく。
一人一人が閉じ込められていく中、魔術師たちは手を伸ばしたり、魔術を使って鳥籠を壊そうとする。
だが、それでは夢の鳥籠は振り払えない。
やがて、彼らの挙動は徐々におかしくなっていった。
──黒く、おぞましい、何かが、這い寄る。
輪郭のはっきりしない。
見るだけで吐き気がして、上下が反転して、全身に激痛が走る。
息が吸えない。吸っている気がしない。
とうに鼓動は止まっているからか。
刃物で喉元を掻っ切られる方が救われる。
だが、何故だか隣に居座っている。
アレはいったい、なんなのか。
そうやって目を逸らさなかったのが悪かった。
目が──
目が、合ってしまった。
意識が崩壊しそう。
そのまま、あの化け物は近づいてきて──
「……っ?!」
「ヒっ……!!」
「……かはっ……はあ……はあ……」
震え出したり、座り込んだり、喉を押さえたり。
相当に怖かったのか、涙を流して苦痛の叫びを上げるものもいた。
「ここで……何をしていた? アレに食われたのは……?」
「魔術……魔術のためだけに……生贄を……私を、捧ぐ……?」
うわごとのように呟くのは、己を問うものばかり。
自己喪失を催すほどに、悪夢へ引き込まれているようだった。
「おお……こんな怖がってるのは初めて見た……」
「……。かわいそう…………」
「ミリちゃんはどっちの味方かな?!」
ここまでしなくても、とジト目をされる。
だが、仕方ないだろう。人によって最悪な記憶は違うため、さじ加減はレイにもできないのだ。
つまり、それだけ魔術師たちには酷い記憶があるということ。
「そういうことなら、仕方ないけど……」
「うん、仕方ないんですよ」
こんな異常なほどの反応をしているのなら、呪いの研究が影響しているのだろう。『黒い』、『おぞましい』などの単語からして、呪いそのものが夢に現れているのかもしれない。
「良心は少し痛むけど、それ相応のこともしてるし……」
「でも、このままにするのは良くない気がする」
「……それは、そうだね。じゃあ、カイヤかキーが戻ってきたら正気に戻すよ」
それまでは頑張って苦しんでもらわないといけない。魔術で暴れられたら、大惨事になるかもしれないから。
「……様、どうか……御慈悲を……」
「あ……全員、気を失ってる……」
ミリアが憐れみを込めて、魔術師たちを横目にする。案外、気絶するのが早かった。
「これなら放っておいてもいいや」
『夢想家の檻』から魔術師を解放し、代わりに『薄幸夢』をかけておく。目覚めて攻撃をされないための防衛だ。
レイが茨で魔術師の周りを覆っていると、ミリアがふと純粋な疑問を口にした。
「『悪夢』の時の『薄幸夢』は、魔法の効果を大幅に下げるんですよね? なら、悪夢を見せなくてもどうにかできたんじゃ……」
確かに、できないこともない。なんたって、ほとんどの魔法を小石程度にできるのだから。
ただ、それでも何があるか分からない。物理的にぶつかってこられたら対処しようがないし、小石程度でも数で押されたら万が一のこともある。少しやり過ぎぐらいの方が、丁度いいだろう。
そうやって考えを伝えたのだが、問答無用での失神にミリアは賛成できずにいるようだ。
「……ちゃんと、正気に戻してあげてね」
複雑な表情でに見返された。
悪夢で失神する光景を見れば、引いてしまうのは当然だ。
レイにとっても初めてだったため、加減の仕方については考慮しないといけない。
「拘束したらちゃんと戻すからね。……それより、魔術師にお休みしてもらってる間に、どれぐらい壁を削れたんだろ」
この壁の先を探ってみる。
果たして、永遠に続く巨大な壁に終わりはあるのだろうか。
「…………十枚。あと十枚、か」
終わりは見えたが、まだ多い。
カナタの従兄はレイたちに、よほど近づいて欲しくないらしい。どうせ阻むのなら、壁以外に芸があればいいのに。
再び見飽きて暇になったレイ。魔術師たちを縄でぐるぐると巻きながら、何か進展はないだろうかと辺りを見回す。
「……ん?」
退屈だと考えていたら、ローブのポケットから魔力の気配を感じた。
普段ポケットには紋章しか入れていないので、連絡が入ったのかと取り出そうとする。
だが、手を入れたところで、紋章ではないことに気づいた。
「紋章以外だと何入れてたっけ」
魔力を帯びていたのは、その隣にある先の尖った何か。
それを掴んで出してみると、思わぬところから連絡が入っていた。
「これって……ヴィヴリオさんの牙?」
赤く光を放つ、一欠片の牙。
中継するためにもらったものだが、ヴィヴリオの方から連絡してくるとは思っていなかった。
さっそく魔力を流して応答する。
「えっと、これで声が通ってるんだよね。聞こえる? ヴィヴリオさん」
《遅い。何秒待たせる気だ》
「いや、何秒って……」
わりと理不尽である。初めて会話するのだから仕方ないだろう。
「とりあえず、聞こえてるなら良かったよ。それで、何か手掛かりが? 鍵についてだよね?」
《ああそうだよ。暇でオマエ達のいるところを読んでたら、偶然見つけた》
『杖』の鍵の手がかり。
レイたちのいる場所となると、まさか、フラハティ研究所の中にあるということだろうか。
《そうそう。考えている通りだよ、現役魔導師クン。今は地下にいるみたいだが……ああ、そこの先だね。オマエ達が目指してるところにある》
「え、カナちゃんとシスイさんの方……?」
《その内の片方が持ってるらしい。まあ、必然的に後者の方だろうケド》
つまり、カナタの従兄が鍵を持っている。こんな偶然があっても良いのだろうか。
《ちなみに鍵は不完全で、鍵の一つとして成り立っていない。片割れだかなんだかがどっかにある》
「二対ってことか……」
《これ以上は分からんから、あとは自分でどうにかするんだね》
「あ、うん。ありがとう、ヴィヴリオさん」
牙から赤が消えて、ただの白磁の色へと戻る。
言いたいことだけ言って会話を強制終了された。まだ知りたいことがあったのだが、相変わらず親切心に欠ける人である。
「まあ、質問しなくても十分な話だったけど」
交わした言葉はわずかだが、その内容はとんでもないものだ。
「まさか、シスイさんが持ってるなんて……」
本人は知っているのだろうか。所持しているものが『杖』の鍵だということを。
「……知ってる可能性は低い。きっと持ってるのも故郷の家宝だって理由のはず」
つまり、ネイラにあった『杖』の鍵ということだ。
カナタが『杖』について知らなかったのを見るに、おそらくネイラには『杖』の話が伝わっていない。シスイも『杖』の鍵に気づいていないと考えるのが妥当だろう。
「……? 待って、それだとおかしい。ぼくはシスイさんの本体を捉えたはず。なんで鍵が反応しなかった?」
クリアマーレの銀の鍵は無反応。さらに、懐などにも何も入ってなかった。
「そういえば、所持品が何もなかった。気に留めてなかったけど、よく考えたら変だ。魔力もない伽藍堂で、本体から分身に移すことができる……本体が本体ではない……。
まさか、本体と分身に区別がない?」
これが、カイヤに捕まっても無抵抗だった理由。
そう考えれば、何も持っていなかったことにも説明がつく。
おそらく、魔力を自由に分身へ移すことができ、本体が殺されたとしても分身で生きられるのだ。
となると、パルティータでレイを挑発したのも、わざと捕まるためだったのか。レイたちが本体を殺さないことを知ってか知らずか、何か利点を見出したらしい。
「じゃあ、なんで捕まる必要があったんだろう。なおさら分からないけど、もしかしたら……」
まだ確定はしないが、意外と相手は敵ではないかもしれない。
「……いや、呪いを研究してるし、カナちゃんを追い込んでる時点でダメだよね。敵じゃないっていうのは語弊があるか」
ひとまず、答え合わせは壁を越えてからだ。
相変わらず頑丈すぎて腹の立つ壁。だが、壁消しに時間を潰されたおかげで、鍵の話を聞けたとも言える。
レイは壁に少々の感謝をしつつ、素早く丁重に消すようシリマに無茶振りをするのであった。




