六十七話 パルフェの果樹園
「うぅん……特段変わってるわけでもない。魔法でもないし、紛れもなく本人だった」
翌日。実習の待ち合わせ時間に『扉』前で唸るレイ。首を傾けたままひっくり返って浮く様子は、少々……いや、わりと変な人であった。『扉』を通る人に横目の注目を集めており、そばではミリアとカナタがなんとも言えない表情で目を瞬かせている。
「おい、ひっくり返るならどっか行け。俺らの居心地が悪いだろうが」
ストレートに注意するのは、今さっき到着したキーだ。逆さまに広がったブカブカローブを引っ張り、無理やりレイを正常な位置に戻そうとする。
「ちょ、やめてください、キーさん! ローブがよれる! のばすな危険!」
慌てて頭を上に持ってくる。多少は変だったかもしれないが、手荒い矯正はしないでいただきたい。
「あのね、キー。これは引っ張ったらダメなんだよ! 何回も忠告してるんだけど?」
「だったら、最初から直れよ。ってか、そんな大事なもん普通に着てくんな」
「いやいや、大事だから着るんだよ! まあ、別に魔法で補強してるから大丈夫なんだけど」
「忠告の意味ねえな……」
今度は逆さにならず、顎に手を当てる。レイがこんなに悩んでいる理由は、とある未知の魔法のせいであった。
昨日、シスイの本体を再び調べたが、やはり、ただの生身の人間だった。魔法で作られたような痕跡はなく、魔力もすっからかんの状態。試しにナイフで指を切ってみたりしたが、なんの変哲もない赤い血が出てくるだけだった。
本体であるなら問題はない。ただ、それが安心なのかは別なのだが。
「まさか、本体と同じ分身が作れたりする? 見分けつきませんってぐらいだったら、魔法で作ったとか関係ないし……」
ああでもない、こうでもない。そうやってうだうだ呟いていたら、間延びした話し口に喋りかけられた。
「後輩たちよ、おはよー。今日も今日とて、ヴィーちゃんと一緒に採集がんばるんだぞー」
「……あ、ヴィーちゃん先輩、おはよう。今日はどこ行くの?」
「今日はだねー……どこだっけ。トリュフォー君わかるー?」
初っ端から先輩らしくない、安定のアイヴィーだった。
それに慣れているトリュフォーはというと、全く動じることなく採集地の名を答える。
「今日は研究所の隣にある『パルフェの果樹園』で、『ラスベリー』と『ウィニュムティス』を採集します」
『パルフェの果樹園』とは、季節に合わせて様々な果物が実る採集地だ。
なぜ果樹園が研究所の隣にあるのか。
それは、研究所を支援していたカプトウィーテの貴族が、相当な美食家だったからだ。
季節ごとに色々な果物を楽しみたいと、支援する交換条件に果樹園を作らせたらしい。おかげで、フラハティ研究所も魔法薬研究がしやすくなり、ウィンウィンの関係で落ち着いたようだ。
「気に入った果物を全部植えたから、カラフルな上に新種も増えてるらしいね。今は魔法時だから、なおさら入り混じってそうだなあ」
「その状態で、ちゃんと維持できてるの?」
果樹園だとしても種類ごとに区別するだろう。それが渾然一体になっているのを想像して、ミリアは畑として機能しているのか疑った。
「逆に維持できないと支援してもらえないからね。必死に管理したんじゃないかな」
「今は魔導具でやってるけどねー。懐事情に余裕があるしー」
話を聞いていたアイヴィーが、果樹園の現状を教えてくれた。魔導具で管理しているなら安心だ。魔法時の今でも混沌化はしていないだろう。
『パルフェの果樹園』行きの『扉』から、彩り豊かな農園へと到着する。ただ、明るく瑞々しいイメージはあるものの、やはり、魔法時。透明で中身が液体だったり、自然にあるものなのに装飾があったりと、現実離れした果物が出迎えてくれた。
「あの中身が液体なのは『レメディペア』だよ。こないだホイップの店で出されたケーキの」
「あっ……あれ、美味しかったですよね。フルーティーな優しい甘さがクリームによく合ってた……」
双子とハピエストを引き合わせた時のことだが、ホイップから試作品とともに魔法時限定のお菓子も頂いた。あの素晴らしい味を食べたくなって、実習中だとミリアは首を振った。
「で、採るのは『ラスベリー』と『ウィニュムティス』。『ラスベリー』は真っ赤な星の形をしてて、『ウィニュムティス』はワイン漬けの葡萄だね」
もちろん、これらも魔法時らしく特別な効能を持っている。
『ラスベリー』は食べると怒りっぽくなるが、適量を調合すれば精神が強くなる。魔法の試験や重要な発表、好きな人への告白などに重宝される果物だ。
そして、『ウィニュムティス』は生命力を高める効果があるが、ワイン……つまり、お酒の類なので酔ってしまう。その度合いはというと、一粒でほろ酔い、二粒で酩酊、三粒で泥酔である。
「ラズベリー、『ラスベリー』……? え、『ラスベリー』って、まんまラズベリーじゃん」
たった一文字。それも、発音が微妙に違うだけの果物に対して指摘したカナタ。
『ラスベリー』は魔法時のラズベリーなので、あながち間違いでもない指摘である。
「そうだねえ……名付けた人にユーモアがあったんだよ」
「でも、紛らわしいって! もし魔法会の試験で出たら、イジワル以外の何ものでもないし!」
と主張するカナタだが、ラズベリーが果物だと認識していれば間違えないだろう。あくまで『ラスベリー』は魔法素材である。
「あ、でも、魔法時のラズベリーってことは味も違うんだよね? ちょっとぐらいなら味見してもいい?」
「いいけど…………あった! 絶対、この魔法薬を飲んでからにしてね。じゃないと、味を感じる前に怒りが収まらなくなるから」
魔法薬の小瓶を渡し、しっかり注意しておく。
この薄い青の魔法薬は鎮静の効果があるため、あらゆる効果を抑えるのに欠かせないものだ。
「了解でっす! ミリちゃんも一緒に食べよ!」
「うん。効果がないなら、食べてみたいかも」
さっそくカナタたちは、『ラスベリー』を見つけに果樹園へ入っていった。
「じゃ、僕はトリュフォー君と『ウィニュムティス』を探しに行くよー。あと……」
ちょいちょいと手招きするアイヴィー。なんだろうとレイが耳を寄せると、ひそひそ声で頼み事を付け足した。
「なんかー、モラン君が疑心暗鬼を発動しまして……『蜜月林檎』を狙うトリュフォー君を不審がってるんですよー。だから、僕がトリュフォー君を見張っとくから、君たちには『蜜月林檎』をお願いするよー」
「……! 了解」
アイヴィーたちと別れ、残りは自分とキーだけになった。
そして、何も聞かずにいたキーが、魔導師の紋章での会話に切り替えた。
《で、『蜜月林檎』とやらはなんだ》
《えーっと……見た目は黄金色の蜜がけ林檎なんだけど、ただの林檎って思ってると大変なことになるんだよね……》
名前だけで判断してはならないと、レイはあらかじめ警鐘を鳴らしておく。
『蜜月林檎』とは、一度齧れば病みつきになる林檎のことである。その味はとろけるほどに甘く、どんな甘味よりも美味に感じる。そんな夢のような素材が『蜜月林檎』なのだが、それは自然ながら秀逸な罠であった。
《実は『蜜月林檎』って、食べ続けると重度に依存していく上に、その度に蓄積する毒のせいで死に至る危険があるんだ。適量でも依存する可能性が拭えなくて、今では無断で売ったり使ったりはできないんだよね》
《依存と来たか……だが、食べて死ぬなら食べさせなきゃ良いだろ》
《そうできたら良いけど、簡単じゃないんだ。まず一度食べたら食べ続けないと禁断症状で廃人になっちゃうし、食べるなって注意しても見つけた時点で引き寄せられる。『蜜月林檎』自体をなくした方がいいって声もあるけど、そもそも魔法時の素材はランダムで自生するから不可能なんだよね……》
さらに、『蜜月林檎』を使った魔法や薬が優秀過ぎるのも問題だ。この『蜜月林檎』だが、きちんと用法を守れば、強い再生と浄化の効果のみ現れるのだ。
その活用方法は幅広く、永遠に消耗しない魔法薬や、悪い効果のみを打ち消す作用、嘘を見破る効果や、強力な治癒にも代用できる。
これほどの使い道があると、魔法使いはこぞって『蜜月林檎』を探そうとする。それが、依存への第一歩となってしまうのだ。
《こういう大きな研究所ならまだしも、個人や違法な研究所だと規制もしづらい。……まあ、依存すると明らかに変人になるし、見つけやすいことだけは幸いだけどね》
《依存した方はとんだ恥晒しだな……》
《正気に戻って恥を自覚できればいいけど。『蜜月林檎』については、だいたいわかった?》
《とりあえず、やべえもんだってことは分かったわ》
さて、素材についてのおさらいは済ませたので、あとは林檎という林檎を刈り尽くすだけだ。
果樹園の右側と左側で分担し、千差万別な実の中から黄金の蜜を見分けていく。
《……そういえば、キーが盗んだ研究のリストも散々だったなあ。理想論でようやく実現可能な使用方法もあったし……》
まだ紋章での会話は続けている。というより、レイが切っていないだけだが。
《理想論で実現ってなんだよ。不可能ってことで良いのか?》
《ぼくの魔法の中ならできる》
《……つまり、不可能なんだな》
トリュフォーを監視していたキーが一仕事してくれた。
メモにリストアップされていたものは、『蜜月林檎』のように危険性のある素材ばかり。その使い道も暴論でできた滅茶苦茶なアイデアなので、机上の空論もいいところであった。
《あれで研究は順調なのかが……って、まさか、あれを本当に試してる?! だったら、相当頭が狂ってないとできないよ?!》
《うるせえ! 急に叫ぶな!》
《あ、ごめんごめん。ちょっと正気の沙汰じゃないのがすごいなあって……》
ちなみに、メモを無くしたトリュフォーは、集めるものが分からず採集を断念したらしい。目的を阻むことができて良かった。
《……けど、まともな素材と方法もなくはなかったんだよね。このまま素材を把握すれば、シスイさん達が何をしたいか分かるかもしれない》
《じゃ、今日も盗むか?》
《いや、それはダメ。二回連続はさすがに違和感あるでしょ。昨日の今日だと探すものも変わってないと思うし》
キーなら盗み見てから戻すこともできるので、覚えてくるか写してくるかで十分だ。
《覚える方は、俺には無理だな。写してくるか》
もちろん、手書きで写すのではない。魔法学校で習った複写の魔法である。キーがうろ覚えでないか心配だったが、聞いてこない辺り案外覚えているようだ。やはり、キーはやればできるタイプである。
しばらく艶やかな実を眺め続けて、その色合いに慣れてきた。キーはとっくに一個見つけたらしいが、レイはなかなか巡り会えずにいる。
《いっつも思うけど、なんでキーはそんな早いのさ!?》
《それは、あれだ。日頃の行いが……》
《うん、それは絶対ない。陰で探す方が早いからだって!》
探す範囲を広げて猛スピードで林檎を探す。早く見つけないと、キーが先に二個目を見つけてしまう。それは悔しいので、なんとしてでも見つけ出さねばならない。
《黄金……黄金……黄金…………あった! あったから、競争は廃止!》
《そもそも競争してねえよ》
見た目は物凄く美味しそうな蜜林檎。だが、どんなに蜜が甘そうでも口に含んではいけない。
レイはアリスのお菓子を思い出して、舐めたい気持ちを我慢する。正直、レイなら『夢氷』で書き換えれば依存しないのだが、本人にはその考えが欠落していた模様。後日、もったいないことをした、と後悔するのであった。
それからレイとキーは、それぞれ二個と三個の『蜜月林檎』を収穫した。いくら果樹園でも、これだけ採集すれば『蜜月林檎』は残っていないだろう。
入り口付近に戻り、先に待っていたキーに声をかける。そのまま直接会話をするが、先ほどから感じる微かな魔力に、レイは我慢できず愚痴をこぼした。
《さすがにしつこ過ぎない!? ぼくらが採集してから……いや、正確には一週間前からか。ずっと妨害してるのに諦めが悪い!》
《ここまで来ると、もはや執念だな》
お気づきのように、レイたちは頑なに紋章で会話しているのだが、これは何者か……否、シスイによる盗聴が原因である。
これでも実習一週目までの堂々とした監視よりマシだが、妨害して出方を見てみたところ、今日は盗聴に切り替えてきたのだ。
しかも、妨害された意趣返しなのか、自身の魔法も織り交ぜて盗聴してきている。そのため、妨害どころか魔力を捉えるのも一苦労。仕方なく、レイは紋章の会話に切り替えたのだ。
《この前みたいな分身はいないし、監視されないのはいいけども》
それでも盗聴されて嬉しいわけがない。おかげで『蜜月林檎』について大っぴらに話せなかった。
《ヴィーちゃん先輩が小声で話してくれて良かった。もしトリュフォーさんを警戒してるって分かったら、モランさんにも飛び火してただろうし》
《消されてもおかしくないからな。あいつらがどこまで倫理観を持ってるか知らんが》
過去にも違法な研究所では、秘密を知った者を平然と排除していた。ここの研究者たちがどういうつもりなのかは知らないが、極力知らない方が安全である。
まだミリアたちが帰ってこないので、レイは盗聴しているものを排除しようとする。
《はあ……魔力を隠すのが本当に上手い。それのために作られた魔法だから仕方ないけどさあ……厄介な上に面倒くさい……》
今にも見失いそうな魔力に、レイはため息をつく。守ってもすり抜ける魔法なので、直接遮断するしかない。
『夢氷』の花をいくつも並べ、『声は聞こえない』ことにしていく。辺りはパステルカラーに包まれ美しい光景となっているが、本人は嫌々書き換えているので雰囲気は台無しである。
《悪質な魔力よ早く立ち去れ! さもないと、盗み聞きの罪で捕まるから、心しておくように!》
《おい、やめろ。羞恥心で聞いてらんねえ》
完全な作業に飽き飽きして茶番劇も始めてしまう。そんなレイに朗報が映った。
遠目に見える、発色の良い赤。
緑の狭間でチラチラ揺れるその色は、誰かが帰ってきたという報せであった。




