六十話 悪夢
「まずは、『──・ノークィエン』『──・アィネ・ギ・クラーハ』」
発音が明瞭でない魔法語を組み込み、『甘い夢』と『薄幸夢』をかける。美味しいお菓子は不思議な色合いになり、茨は化け物のように生きている。
『悪夢の日』は既存の魔法に悪夢の性質を持たせる魔法だ。魔法時から着想を得たため、恐怖を表現した奇奇怪怪な雰囲気となっている。
そして、肝心なのは、それぞれの魔法がどんな風に変わったか。
「『悪夢の日』の『甘い夢』は、魔法の神秘性を引き上げる。『薄幸夢』は相手の魔法から神秘性を引き下げる。つまり、戦う時に限って言えば、全体的な魔法の威力が格段に上がるってことだよ」
火力や効果の底上げ。元の魔法より単純な効果である。
「威力が上がるって、どれぐらい……?」
「まあ、『甘い夢』と『薄幸夢』を同時にかけるなら……ざっと、一つ星がギリギリ五つ星に届くかもってくらい?」
「……」
ミリアは言葉を失った。レイが言ったのは魔法使いの位の話だ。一番下の一つ星と、一番上の五つ星。それを同一にできるなど、理不尽にもほどがあると言いたくなる無茶苦茶さだ。
さすが『悪夢』という名を冠するだけある、恐怖でしかない魔法であった。
「あっ、ミリちゃんの矢にも効くから安心してね!」
「……うん、そこは心配してない」
手の上にある、蛍光色のカップケーキ。食べるのに抵抗を感じる見た目だが、魔法なので害はないはず。とっくに食した皆を見て、ミリアはパクリと一口かじった。
(……ちゃんと、美味しいんだ)
少し集中すると、魔力が澄み渡っていく気がした。なんとなく月を近くに感じたり、飛び交う星の精から歓迎を受けた気分になる。この感覚が、神秘性の高まりということだろうか。
ミリアが神秘を初めて体験していたら、急に月光に影がさす。魔法時に天候の変化は起こらない。何が月を遮ったのだろうかと見上げてみれば、巨大な死神が大鎌を振り上げているのが目に入った。
「でか! でっっか!!」
カナタが思ったことを感想に出す。そうやって唖然としている間に、大鎌は街へ振り下ろされようとしていた。
街にはまだたくさんの人がいる。いくら死者を生き返らせる可能性があれど、魂の数が増えれば、魂が行き場を見失うかもしれない。
ならば絶対に、あの大鎌は振り下ろさせてはいけない。
「適任は──」
「アイツ、良い的じゃねえか! っつーか、見下ろしてんじゃねえよ!」
レイが伝える前に、戦闘狂が飛び出した。
大鎌を持つ腕に、撃ち込まれる弾丸。小さな見た目とは裏腹に、陰の威力で死神の腕に巨大な穴ができる。腕を失った巨大な死神は、大鎌を振ることができなくなった。
「バカの支援ってのが癪だが……悪くねえ。次は胴に開けてやっから、大人しく下から見下げとけ!」
そう言い残して、キーは飛ぶ。
「下から見下げとけ……って、頭が地面にめり込んでるのか、ぶっ飛ばして落下中なのか。ミリちゃんはどっちだと思う?」
「真面目に考えるんですね……」
街中のバトルでなければ、キー単独で圧勝だっただろう。あの素早さに加えて超火力をもらったのだから。
ただ、あの魔力には死が込められているため、キーも迂闊に突っ込むことができない。それに、『死神』人形の魔法を解かなければ、あの巨体を消すことも不可能だ。
「じゃ、あたしたちはゾンビ殲滅作戦だ!」
「そうだね……一つ星が五つ星の魔法になるなら、北と南で別れても余裕ってこと?」
「そうだね。さっきと同じでカナちゃんとシリマは固定だから、ミリちゃんとイルジオニスタさんでもう一方を防ぐといいよ」
一騎当千を可能にする魔法なので、慎重になれば死の魔法に触れずに済むはずだ。
北に向かったミリアが試しに矢を射ってみると、一人倒すつもりだったのが十人ぐらい爆ぜていった。
爆発の範囲がとんでもなく広がったらしい。これにはミリアも負ける展望が見えず、謙遜することもできなかった。
「こりゃまた敵泣かせな魔法だ。数が強みだというのに全くといって意味をなしていない。即死も即死でないし、ただの壁……いや、スポンジと改名してあげる方がよっぽどためになる」
もともと五つ星のイルジオニスタも、魔法の使い心地に感想をこぼす。まだ死者の数は馬鹿にならないほど溢れているのだが、それを一掃できるほどに彼女の魔法は強くなった。
自分のものであるが、自分のものに思えない。呆気に取られながら、魔法を繰り出していくのだった。
「イルジオニスタさんはさすがだね。技巧が凝らされてるから伸び率が高いや」
感心と共に四人でも不足なしなことを確認して、レイは『死神』人形に向き直る。
相変わらず、黒い魔力が溢れ続けている。
それを無視して真紅の魔法語を解いていくのだが、あまり順調とは言えなかった。
「……解除の工程が多い。問題なのは魔法がこの場にないことか」
遠隔で使う魔法なら、その大元は魔女が握っている。つまり、レイは居場所も分からない魔女の魔法を、『死神』人形だけを頼りに遠隔で解かないといけない。もちろん、できないわけではないが、普段よりは時間がかかってしまう。
さらに、集中して解けない要因もあった。
後方、真横、真上を順に注視する。薄らとある生き物の魔力。
「黒幕だと思われる誰かかな。気づかれるようにするくせに、出てくるつもりはないの?」
試しに呼びかけるが反応はなし。絶対に見つからないと確信してるのか、煽るように現れては消える。
「……魔女ではないね。僕の人形にも居場所を隠すのに、こんな杜撰な仕掛け方はしない」
だったら、いったい誰なのか。
魔女以外にも事件に関わった人物がいるということだが、『死神』の記憶に魔女以外の人は映っていなかった。ということは、魔女が個人的に通じている何者か。
(事件の助力をした。……ああ、勘なのか知らないけど、呪いの時を思い出す。まさか、同一人物なんてことは……)
──ないよね?
そう言いたいところだが、仄かに揺れる魔力は似ている気がする。この混乱に乗じて何か仕掛けるつもりだろうか。とにかく放置はできない。
「カイヤ、追っかけてきて」
「承知いたしましたァ」
カイヤが糸を張っていき、隠れた魔力を糸伝いに炙り出す。危ないと感じたのか魔力は遠ざかっていき、カイヤは糸を張り続けて跡を逃さない。
「……なかなか隠れるのが上手ですねェ。まあ、魔力がある時点で敗北は必至ですが」
糸を操る本人は、紅茶を飲む余裕があるらしい。捕まるのも時間の問題だろう。
「その間に魔法を解かないと」
人形から魔女の魔法へ。意識と魔力を深く潜らせて、真紅の文字を手綱に解き進む。
「こんな厳重にかける魔法かなあ……やけにみんな秘密主義だよね」
なんだか今日は追跡してばかりである。鬼ごっこの鬼役になるとして、こうも逃げ隠れする人が多いと探すのも一苦労だ。
「……よし、やっとゴールだ」
紅い魔法語で描かれた呪文。さながら絡まった結び目のような羅列を、気付かれないように解く。
遠隔なのでぎこちなくなるが、これでも細心の注意を払っている。もどかしさに集中が途切れそうになるのを堪えて、やっと最後の節に到達した。
「『ウルタヤ・ロズ・ウレルハ』……これが魔法の根源だね」
訳すと、『意思を委ねた操り人形』。死の魔力を暴走させ、自滅へと追い込ませた暗示のことだ。
人形だと思い込んでるのも、意思を委ねているからだろう。抵抗すら忘れて魔女を信じてるのは、なんとも痛ましい。
(自由を奪うことは許されない。こんな非道はあってはならない)
念のため悪夢の『夢氷』で呪いの偽装を施してから、最後の一文字を消す。
ついでに魔女の居場所を特定しようとするが……やはり、記憶と同じように天地も方位も存在しなかった。
「場所が存在しないわけないし、かといって、別世界にいるような感じでもない。なら、考えられるのは……『扉』と『扉』の狭間」
無限に存在する『扉』の狭間は、場所という表現のできない空間だ。時も位置も何もかも存在せず、いくら解き明かしても謎そのものとしか言えない。
自我すらも失う、在ると無しが共にあるところ。それが、『扉』と『扉』の狭間の示すものだ。
普通なら一度入れば戻ってくるのは難しいが、禁忌にも手を出す魔女なら方法を編み出せるはず。逃げ場として申し分ない、絶好の安全圏ということだ。
「代償はあるんだろうけど。……きっと無事ではないよね」
自我拡散を起こすぐらいなので、身体的か精神的かに深い傷があるはずだ。そう長くは生きられない。そこで、レイはある事実に気づいた。
『死神』に魂を集めさせたのは、代償を補うためなのではないか、と。
そうすると、事件を強行した理由に納得がいく。
おそらく、魔女は動ける状態ではないのだ。
だから、禁忌を侵してまで作り上げた人形を、魂狩りのためだけに捨て駒にした。
「となると、まだ『死神』みたいな人はいる……? それだけの人形を作るのもタダじゃ済まないはずなのに……」
そうまでして『扉』に残る理由は疑問であるものの、大量の魂を欲する動機としては十分だ。
「それは後で考えてもいいとして……」
呪いが解いたことで、人間に戻った『死神』。治癒の魔法薬を飲ませ、アリスに天使の祈りで守ってもらう。じきに、あの巨大な死神も崩れていくはずだ。
しかし、ここで異変が起こった。
空を覆い尽くすような魔力の大渦。
弱っているはずの巨大な死神が、最後に死を爆散させようとしていた。
その魔力はパルティータを覆ってしまいそうなほどで、厄介極まりない手段であった。
「書き換えを……!」
間に合うだろうか。魔力なので他に止められる人がいない。
レイが『夢氷』で書き換えるものの、やはり、魔力の散る速度のほうが速い。
このまま被害が出てしまうのか。パルティータを覆い始める魔力に悔しさを滲ませる。
のちに黒いもやがなくなっていることに、レイは目を瞬かせた。
「……魔力から死が消えてる?」
散っていったのは死ではなく、ただの魔力の残滓。思わぬ事態の好転だ。いったい何が起きたのだろうか。
皆が戸惑っていると、劇場の方から仮面を被った紳士がやってきた。
「お客様、危ないところでしたね」
シィクレットのその一言で、彼のおかげで大事に至らずに済んだことを知った。
「ありがとう、シィクレットさん! けど、魔力の死を消すなんて、なかなかすごいことするね?」
「はは、それほどでもないですよ。……それより、『死神』はその子たちですよね?」
「ああ、うん。そうだよ」
いきなり『死神』について尋ねるシィクレット。そのまま『死神』の少女のもとへ来ると、無事を確かめるように頬に触れた。
「……無事なんだね、クリア……」
なぜ、知っているのか。
大事そうに名を呼び、わずかに微笑むと、『死神』に魔法をかけた。
『ロニー・イー・ラィタス』
「……ん……?」
「……?」
目覚めた二人は、ぼんやりと空を眺める。小さく手を握って開き、視界の端にある建物の屋根を認める。
やがて、クリアと呼ばれた少女は起き上がると、小首を傾げた。
その先で目の合ったシィクレットを見つめると、一気に覚醒したのか頭を抱え込んだ。
「あれ、お兄ちゃん……? 私、いったいどうしちゃってたの……?」
「ゆっくりでいいよ、クリア。まずは休むことが優先だ」
「うん……」
『死神』クリアは、そばにいる友人の姿にも気がつく。
「カース……! 大丈夫なの……?」
「クリア……ああ、そっか。魔女のせいで……」
名を呼ばれたカースは、自身の髪が灰色に戻っているのを確かめた。
魔女に命令によって死の魔法をかけられていたため、髪色がクリアと同じになっていた。カースの魔法も死の魔法を纏っており、魔法が『純真』へと変化していた。
これは人形だったからなんともなかった方法だが、生き物であったら即死してしまう。ついさっきまで死の魔法に触れていたと考えて、カースは少し身震いしたようだった。
「私、悪い子がいるからってひどいことばかりして……どうすればいいの……? 私も悪い子なの……?」
「それは違う。クリアは何も悪くないよ。全て魔女が暗示をかけたせいだから」
記憶が戻って来ているのか、錯乱しそうになるクリア。それを、落ち着かせるように、シィクレットは背中をさする。
その傍らで、一連の光景を目にしたレイたち。耳に飛び込んできた正体は、予想していないものであった。
「お兄ちゃんって……『死神』の兄がシィクレットさんだったの!? ……ああ、だから、過去の事件まで調べ尽くしてあったんだね」
意外な関係性だが、合点のいったレイ。妹にしてはだいぶ幼く見えるが、人形だったことで子供に引っ張られているのだろう。巻き込まれたと考えられるカースも、クリアと同い年ほどになっていた。
驚きと納得の声に、シィクレットが振り返る。
「そういうことで……いや、もういいかな」
続けようとした口調をやめて、彼は素の話し方に切り替えた。
「そういうことだよ。魔女はかなり慎重な人物だったから……こうして妹と話すのも四百年ぶりとなってしまったんだ」
安堵しつつも、罪悪感が滲む。四百年という間助けることができず、魔女に報いを受けさせることもできない。そのことが、自責の念を抱かしているのだ。
「……ここで謝ってしまってはいけない。クリアは必ず許すと言うだろうから」
友人と記憶を交換するクリアを眺め、シィクレットはそう一人ごちる。そして、二人の混乱が収まっていくと、彼はレイに声をかけた。
「どうやら尋ねたいことがあるようだね。それについては、全て答えるつもりでいるよ」
「そっか。なら、質問しようかな」
『死神』であるクリアと、その兄であるシィクレット。そして、クリアの魔法とパステルイエローの髪。
この情報がどこを指しているのか。それは、頭の隅にあった、ある二つ名であった。
「シィクレットさんは、『幸福の悪魔』なの?」
たった一つであり、それで全てが解る。
その率直な問いに対して、彼は青い瞳で静かにレイを見返した。




