二話 人気者の魔法使い
──《孤高の狩人》。略称、《ソルウェナ》。
それは、知らぬ間にあてがわれた自身の別名だった。
略された《ソルウェナ》の方が知られるほどにこの名は広まり、気づいたら噂のみで有名になっていた。外見の特徴は紫の瞳と弓の杖。誰とも組まず弓矢を使うことからこの名が付いたらしい。
圧倒的な弓捌きと目の良さで、気づかれずに敵を討つことが得意。採集の際も素材が殆ど傷つかない。失敗したことはなく、有名で人気。スカウトもよく来る、誰もが羨む成功者。
だけど、成功した実績が増えるほど、重圧だけが増していく。
有名で人気で天才と呼ばれる自分が憎くなる。
そんな少女自身を知る者は、今では誰一人いなくなっていた。
◇◆◇
ヒュッ、と木と石でできた矢が風を切る。心を無にして愚直に努力した、自分だけの音。この音、この一瞬が軋んだ心を癒し、欠点だらけの自分を救い上げてくれる。どんなに嫌なことでも、この時だけは忘れていられる。だから、弓矢だけは好き。
アメジストの瞳で前を見据え、《ソルウェナ》は再び弓を引く。ぴん、と背筋を伸ばし、胸を張って、精一杯引き伸ばしたところで、パッ、と離す。
迷いない慣れた手つきと洗練された所作。
矢は当然のごとく木の中心を射抜き、心地よい音を響かせた。
一連の動作を終え、集中の途切れた《ソルウェナ》はため息をつく。忘れていた現実を思い出し、鬱々とした気分が戻ってきた。
ここは先日採集に行った、『ハルフの森』。
あの日は《ソルウェナ》にとって、いい日とはとても言えなかった。投影書に映像が流れたせいで顔が知られ、前よりも声をかけられる回数が増えたからだ。ただでさえ目立ちたくないのに、どこへ行っても何かしらの反応がある。紫の瞳が目を引くのもあって、最近では外に出るのも億劫だ。
何度もマイナスな思考になる頭を軽くふり、《ソルウェナ》は再び弓を構える。矢を手に取って弓の弦を引っ張った、その時。
「あ! もしかして、《ソルウェナ》さん?!」
「わ、ホンモノだ!」
びくりと身体が震えた。振り返った先では、魔女帽子をかぶった二人の少女がこちらにに向かって来ていた。
「あの、《ソルウェナ》さんですよね? ちょっといいですか?」
純粋な憧れの目で、声をかけられる。二人とも初心者から上がったばかりのようで、《ソルウェナ》のファンのようだった。この森には、おそらく採集に来ていたのだろう。『ハルフの森』は比較的安全なことが人気の場所だから。
普通のことで、偶然会ったことも運が良かっただけ。
けど、こう思わずにはいられなかった。
──何でここに来てるのか。
──追って来たんじゃないか。
いくら何でも、そこまでする人はいない。そんなことはない、と頭では否定する。でも、それでも、追い詰められた思考の《ソルウェナ》は、疑うことを止められなかった。
「……何ですか?」
少し間をあけて応えた《ソルウェナ》の声には少しのトゲが滲む。幸い二人とも気付いていないようで、嬉しそうに喋り出す。
「えっと、私たち《ソルウェナ》さんに憧れてて……あ、サイン、お願いできますか!? あ、あと、矢の魔法ってどうやってるんですか? 何回見てもありえないくらい凄くて、気になってて……」
「《ソルウェナ》さん、声も綺麗! 目も本当に紫だ! あの、矢の魔法の実演って、できたりしますか?」
目の前で《ソルウェナ》に憧れていると話す二人の魔法使い。この一週間に何度もあったシチュエーションで、サインや握手にはある程度答えてもいいと思っているし、憧れという気持ちを踏み躙ったりはしない。
でも、誰であったとしても絶対に矢の魔法について聞いてくる。《ソルウェナ》にとって一番聞いて欲しくない、矢の魔法についてを。
「矢の魔法については答えられません。実演も無理です」
「え、無理、ですか……? あの、一回だけもダメですか……?」
「ごめんなさい」
取りつく島もない返答を残し、《ソルウェナ》は逃げるようにその場を去る。後ろから戸惑うような声が聞こえるが、それを無視して駆け出した。
森の深くまで入り少し暗くなって来たところで、ピタリと止まる。どくん、どくん、と心臓から嫌な音が響くのが聞こえる。唇を噛み締め、衝動を堪える。けど、何か、無性に耐えられなくなって、思わず本音を口にした。
「実演なんて無理に決まってる……魔法の使えない落ちこぼれなのに……」
最大の秘密と自信のなさを吐露する。誰かに聞かれたら、今の自分は全て壊れてしまうことを知っている。だから、人っ子一人いない森の奥で弱音を吐き出した。誰も聞いていないはずだから。
「あ、やっぱり?」
「………………?!」
ふいに背後から聞こえた他人の声に、反射的に飛び退く。慌てて声の方向を見れば、ブカブカの黒いローブを羽織った少年が宙に浮いてこちらを見ていた。何かを考えながら、じーっと《ソルウェナ》を観察している少年の瞳は、銀色に光の角度で虹色が煌めく不思議な色合い。脳内が真っ白になった《ソルウェナ》は、その不思議な瞳を漠然と不思議と考えることしかできなかった。
「うん、だよね。あれは魔法じゃない。さすがにありえないし。何で誰も気づかないのかは不思議だけどね。……ってことは、あの矢ってもしかして自分で射ってるの?」
「え……え、ちょ、ちょっと待って!!」
顎に手を当ててブツブツ何かを言い出す少年。《ソルウェナ》は情報量の多さにタンマをかけたかった。
まず、誰にも知られたくなかったことが知られた。というか、知られていたということも信じられない。さらに、その少年が異質すぎた。宙を浮くなんてそうそう出来ることではないし、おまけにものすごく顔がいい。そんな少年が森の深くにいて、自分の矢のカラクリに気付いてる。
《ソルウェナ》は目の前で、自分について喋り続ける少年に最大限の警戒を向ける。
「でも、まさか噂の《ソルウェナ》が魔法使いじゃなくて、実は凄腕の弓士なんて、誰も想像できないよね」
「あああ、あの、一回黙って……! お願いだから、黙ってください!」
懇願して少年の言葉を遮る。
危ない。非常に危ない。人がいないのは分かっているが、こんな平然と口にされると思わなかった。
肩で息をして睨みつける《ソルウェナ》を、少年はキョトンとした顔で見る。そして、少し考えると、ああ、と納得した様子を見せた。
「もしかして、知られたくなかった感じ?」
「そ、そう……です……」
またもや平然と言われて、《ソルウェナ》は精神がすり減った気がした。
もうこれ以上は関わってはいけない。自分の弱点が暴露されていくだけだ。そもそもこの少年は何故ここにいるのだろうか。弱点を知ったということは、脅されるかもしれない。警戒しながら少年に尋ねる。
「……あの、何なんですか、いきなり。何でここにいるんですか」
「え、いや、普通に採集しようかと思ってたら、きみがここに来たんだけど」
「本当にそうですか? 偶然会うような場所じゃないと思うんですけど。何が目的ですか?」
「え、もしかして、疑われてる?! いや、ホントに偶然だって! それに、魔法が使えないことに偏見持ってないし」
「…………」
黙って冷めた目でこっちを見てくる《ソルウェナ》に、心外そうに少年はため息を吐いた。魔法が得意で森の奥まで採集に行けるだけなのに、さすがに疑いすぎだと思う。
「あー、うん。じゃあさ。ぼくが、偏見を持ってなくて脅しもしないってことが分かれば、信じてくれる?」
困ったようにそう提案する少年。
「……どうするんですか?」
質問に質問で返した《ソルウェナ》は、どうしたら諦めてくれるか、を考えていた。この少年が本当に偶然居合わせたとしても、関わりたくないことは変わらない。
「じゃあ、手っ取り早く、ぼくの魔法を紹介しようかな。実は、ぼくもきみに少しだけ似てるんだ」
「……?」
にこり、と人好きする笑みを浮かべ、少年は《ソルウェナ》に手を見せる。その手の中には淡い虹色の光がくるくると回っていて、やがて雲をかたどると、ぽんっ、と可愛らしい音を立てて弾けた。
雲が消えた後、その手に乗っていたのは、小さな弓矢の模型。
「これ、本物に見えるでしょ? まぁ、魔法でできた幻なんだけど。ぼくの魔法は、こうやって物を出せたり、いろんな付与ができるんだけど、攻撃手段がないんだ」
「……」
それが何を表しているか、よく分からない。意味を図りかねている《ソルウェナ》を置いて、少年はこの後の予定を決めた。
「今から一緒に採集に行こう! 魔法を見せてあげる」
「か、勝手に決めないでくだ──」
抗議の声は届くことなく、《ソルウェナ》は森の奥へと手を引かれていった。
◇◆◇
空が見にくくなるぐらいに木が増えた。《ソルウェナ》は不服ながらも少年についていく。ここで、この手を離して困るのは自分なのだ。ほどほどに付き合って、この少年の真意が分かったらすぐに帰るつもりだ。
「お、いたね。ぼくらにピッタリな魔獣」
今見える範囲で一番遠いところを指差し、満足そうに言う少年。こんな森の奥にいる魔獣はどんな魔獣だろうか。その指先をたどった《ソルウェナ》は、甘く考えていたことを後悔した。
「あ、あの、本当にアレを倒すつもり、ですか……?」
「うん、もちろん」
「…………」
いくら話題性があって天才と囃される《ソルウェナ》でも、森の奥まで入ったことない。だから、何がいるのかも知らないし、想像もしていなかった。
ただ、今一つ分かったことがある。この少年についてきたことは間違いだったということを。
「えーっと、あれって、フロートゥスだっけ。風で巻き上げた葉っぱで攻撃してくる」
何もおかしくないように、少年は魔獣の考察だけを呑気にしている。
冗談じゃない。それが今の《ソルウェナ》の心情だった。アレは、自分の弓の技術でどうにかなるものではない。魔獣の知識はあまりないが、うろ覚えの記憶では、経験の多い魔法使いが数人がかりで倒す魔獣だ。人数が少ない時点で不可能に近い。
それに、少年も攻撃手段がないと先ほど言っていた。少年の魔法がどういうものかは知らないが、それでも倒せる気がしない。ものすごく逃げ出したいが、ここで逃げ出せば倒す気でいるこの少年を見殺しにするようなものだ。
倒せるのが当たり前だというように、楽しそうに魔獣に近づく少年。
観念した《ソルウェナ》は、震える手で矢の準備をする。
「うんうん、この距離なら問題ないかな? じゃ、ここで矢を射ってもらうね」
「……」
「あっと、その前に、ぼくの魔法! 大丈夫、これがあれば絶対に倒せるから」
少年は自信満々にそう言って、先ほど見た虹色の光を手に集め、《ソルウェナ》の手に乗せる。訝しげに渡された光を見ている《ソルウェナ》に、少年は口を指さした。
「それ、食べてみて。今日はストロベリーキャンディなんだ」
「…………」
《ソルウェナ》は一瞬この少年が何を言っているのか分からなかった。この状況で、なぜ菓子を勧められているのだろう。
「……何ですか、コレ」
不信気味に少年の方に目を向ける。その分かりやすい警戒に、少年は苦笑して説明した。
「えっと、見た目と味はストロベリーキャンディの魔法だよ。効果は付与。ま、とりあえず騙されたと思って食べてみてよ。害はないって誓うから」
改めて手にある淡い虹色の光を確認する。見た目は美味しそうに見える。けど、魔法を食べるなんてやったことがない。水の魔法を飲み水代わりにすることはあるが、それは例外だ。
体験したことがないことに少しためらっていた《ソルウェナ》だったが、目の前の少年が無意味なことをしていると言うには、この状況についての説得力が欠けていた。
少しだけ。少しだけこの少年を信じてみよう。
意を決して、《ソルウェナ》は虹色の光を飲み込んだ。
「…………!!」
その直後、《ソルウェナ》の目に映る世界は、劇的に変化した。
視界が開け、暗い森に光がさした。今までにないぐらいの自信が溢れ、力が湧いてくる。あれほど恐かった目線上の魔獣も、倒せる道筋が何十にもわたって見出せた。失敗するという考えも全く浮かんでこなくて、別人になったのではないかと思えてくる。
驚いている《ソルウェナ》に、少年は得意げに説明を始めた。
「どう? すごいでしょ。この魔法は、食べた人の才能を一時的に飛躍してくれるんだ。その才能は人によって違うから、一番優れているところがさらに強化される。つまり、君なら弓に関する能力。あの魔獣くらいは、軽く倒せると思うよ」
あの魔獣を軽く倒す。
この魔法を体感していなかったら、鼻で笑っていたかもしれない、突拍子もない発言。だが、今はそれが実現できると確信できる。それどころか、倒せないのがありえないとも思っている。
背筋を伸ばして、弓を構える。
まっすぐ見据え、弓を引く。
いつもより軽い身体で、いつものように無駄のない動きを。魔獣を目視できる最長距離だが、そんなことは関係ない。
一撃で仕留める覚悟で、《ソルウェナ》は矢を放った。
──ヒュッ
聞き慣れた矢の音がいつもより鋭さを持って、空を走る。何も気づいていない魔獣。矢が刺さるまで避ける動作もなく、いとも簡単に致命傷を負った。
「へぇ、やっぱすごいね! この距離で命中させられるのは、《ソルウェナ》であってこそだね。魔法でも結構厳しいと思うし」
感心しながら、それでも当然のように結果を認める少年。さっきまでだったら、呆れてため息でもついていただろう《ソルウェナ》は、放心状態でそれどころではなかった。
あり得ない、あり得ない。
まだ、矢を放つ時に感じた言いようのない高揚感の余韻が、手の感覚にハッキリ残っている。自分なんかじゃなく、誰か遠い昔の偉大な英雄が乗り移ったような、そんな感覚が。
少年は才能の飛躍というが、弓一つを極めてきた《ソルウェナ》にはわかる。これは、単なる才能の飛躍ではない。才能はもちろん、経験や知見、精神までもが、はるかに自分を上回っている。
それに、あれほどの魔獣を一撃で倒せることが、まず不可能だ。才能だけで、木と石でできた矢は変わらないはずだから。
「…………あの魔法は、何ですか?」
「うん? いや、さっき言ったけど、一時的に才能を飛躍する魔法だよ」
「……違いますよね」
「……どうして、そう思うの?」
少年は《ソルウェナ》を試すように、少しだけ目を細める。それに臆さず、《ソルウェナ》は答えを述べた。
「才能だけなら、威力自体は変わらないはずです」
「……あはは、バレちゃったか。なかなか鋭いね。正確には、才能と運、かな。運っていうのは、致命傷を突けたりする確率的な幸運のこと。つまり、一撃で倒せる可能性が高くなって、それに乗じて矢の威力が上がったってこと」
「……!! え、それって、かなりすごいことじゃないですか……?」
「そりゃ、すごいよ。魔法に関しては自分でも才能があると思ってるし。けど、さっきも言った通りぼくには攻撃手段がないんだ。だから、そっちの方が目立って、受け入れられないみたい」
仕方ないよね、と肩をすくめる少年。その既に割り切って何でもないような姿は、魔法が使えないことに囚われていた《ソルウェナ》には新鮮だった。
それに、『魔法が使えない人気者』と『理解されない天才魔法使い』。
さっき少年が似ていると言った理由が分かった。
確かに自分たちは似ている。
理解することができる。
「よし! これで素材は全部かな。それじゃ、帰ろっか。詳しい話は素材を売ってからにしよう」
精密な魔法で、いつのまにか素材を取りおえた少年。
《ソルウェナ》は少年を疑うことを諦めた。




