第4話
『ようこそ 食の集落 ゴドライ』
カラフルな看板に記された表記を見て、レイランは首を傾げた。
「とても食べ物が豊富なようには見えないが」
草も生えていない乾いた道をしばらく歩いてきて、日が落ちるより少し前にゴドライに到着した彼らは、微かに明かりが灯る集落を前に立ち止まっていた。
「ゴーストタウンなんじゃ……」
ミラーファが訝しげな表情で呟く。奥に明かりが見えるものの、人の気配はなく、活気も感じない。レイランの故郷も森の中にある小さな村だったが、日が沈む前にここまで静まり返ることはなかった。
「見たところ誰もいないな。みんな家に籠ってるのか、はたまた本当に廃集落なのか」
大きな木の柵のような壁で囲まれているものの入り口は開放的で、外に対する警戒は薄いように思える。看板を見るに、食が豊富で ”来るもの拒まず” な集落らしい。集落とは言いつつ、規模的には昨日訪れた立寄所と同じような印象だ。ただし、雰囲気は似ても似つかないほど暗い。
「とりあえず入ってみて人がいないか探そうと思う。ミラーファはどうする?」
レイランが問いかけると、ミラーファは顎に手を添えるようにして考え込む。”精霊術師レイラン”であると看破されないよう、人間と精霊が仲良く行動を共にしている様子を見せないために人が多そうな場所では別行動を取ることを基本としているのだ。
「捜索が入っているような気配はないし、今回は一緒に行こうかな。むしろ、こんな不気味な雰囲気の場所にレイランを一人で放り込む方が心配」
眉をひそめて集落の入り口を見つめ、ミラーファが答えた。それを聞いたレイランは小さく頷き、背負っていた荷物袋を身体の前に回すと、立寄所で仕入れた仮面を取り出す。立寄所を出発した時は着用していたが、来る途中で外している。人が多く集まる場所以外は必要ないし、道中はどちらにせよ二人一緒に行動しているので変装する意味があまりないからだ。
「じゃあちょっくら入ってみるか。話が分かりそうな人が見つかったらサクッと聞いてみて、完全に廃集落だったら使えそうなものがないか探してみよう」
仮面を着用し、荷物袋を背負いなおすレイラン。横にいるミラーファが「そうね」と返答した。
入り口をくぐると、外観と変わらない寂しい集落が広がっていた。明かりの灯っていない木造建築が建ち並び、出歩いている住民は一人として見受けられない。何かの襲撃を受けて崩壊してしまったという様子ではなく、手入れがおこなわれなくなってから長い時間が経過したかのような廃れ方をしている。この集落は火を主な光源としているようで松明の類が道沿いに並んでいるが、最近使用されている形跡はない。まだ太陽が顔を覗かせているので視界には困らないが、完全に夜になってしまえば真っ暗になってしまうだろう。
「人の声どころか、動物の声もなし……誰かが生活しているようには見えん」
きょろきょろと周りを見ながら歩くレイランがため息をつきながら呟く。彼の歩く足音だけがザクザクと響き、雑音に紛れることもなく風に乗って消えていく。
レイランの隣で空中を滑るミラーファは「そうね」と同意し、彼と同様に辺りを見回す。
「精霊の気配もないわ。この様子だともう人間もいないんじゃないかしら」
活気のある場所や自然が豊かである場所など、人の念や気の流れが集まる場所には精霊が集まりやすい。精霊が近くにいないということは、少なくともそういった状態でない可能性が高い。見るからに寂れている辺りの光景を見れば尚更、ここで生活している者がいるとは考えられなかった。
「聖都のやつらが来てる感じもないな。ここを拠点にするのもアリか」
呑気なことを考えているレイランを見て、ミラーファは肩をすくめた。
「屋根や寝るところはあるにしても、食べるものはどうするのよ。それに、スモールメはともかく、ほかの街へのアクセスが悪すぎるわ」
歩いている途中で畑らしき場所を見かけたが、枯れ草が生えた平地となっており長いこと耕されていないようだった。また、家畜の類も見受けられない。「食の集落」と謳っているくらいなのだから、栄えていた頃は行商人の訪問もあったのだろうが、この様子だとしばらく訪問者もいまい。
「農業の心得はあるが、ここを一から耕し始めるのは厳しいな。第二の人生って言ってスローライフを始めるのもいいかと思ったけど」
「それも悪くないと思うよ。今あたしたちが指名手配されてる状態じゃなかったらね」
ミラーファは「はいはい」といった様子でレイランの言葉を流すと、彼らが進んでいる道の先に見える民家らしき建物を指さした。
「もうすぐ日が沈むわ。今日はあそこのおうちにお邪魔することにしましょう」
太陽の光がほとんど届かなくなり、はっきりと視界を確保できなくなってきた。相変わらず不気味なほど静かで、辺りを吹く冷たい風はだんだんと強くなってきている。先日大逃走の舞台となった森林を思わせた。
集落に入ってからは人どころか小動物の気配もない。ここにはもう誰もいないと二人は確信していた。そのため、目についた建物に勝手に入り込んで夜を明かそうと考えたのだ。
「そうしよう。死体とか転がってませんように……」
「縁起でもないこと言わないでよ」
祈るようなジェスチャーで手を擦り合わせながら向かうレイランに、ミラーファはため息をこぼした。
「――誰かいるか?」
レイランの声が部屋の奥に吸い込まれていく。しばらく待ってみるが、返事が返ってくる様子はない。
レイランたちが選んだ建物には鍵がかかっていなかった。部屋の明かりはついておらず、部外者が勝手に侵入してきたにもかかわらず反応はなにもない。この時点で、居住者がいる可能性は限りなく零に近くなったが、レイランは「入るぞ」と念のため一声放ってから慎重に中へ足を踏み入れる。
辺りを見回すと、埃をかぶっているものの意外にも立派な家具が揃っていた。床には絨毯がひかれ、大きな机がずっしりと構えられている。その上には蝋台が置かれており、燃え尽きた蠟燭が処理されずに残っていた。この集落の中では裕福な人物、あるいは長に該当するような立場の人物が住む家だったのかもしれない。
「明かり点ける?」
外から差し込む光がほとんど途絶えた頃にミラーファが尋ねると、レイランは一度軽く頷き、自身の右手の人差し指を天井に向ける。そして小さく円を描くようにくるっと指を動かすと、ぽうっと柔らかな光が出現した。ミラーファの力を利用した精霊術である。
「誰もいないとは思うが、一応全部の部屋を調べとくか。地下室とか屋根裏とかあったらそこもだな。どこかのお尋ね者が潜んでいるかもしれないし」
自分たちもねとは突っ込まず「そうね」と軽く流したミラーファは、部屋の奥で半開きになっている扉を見つけた。
「ここ、違う部屋に繋がっていそうよ」
この部屋から行けそうな場所は、彼らが入ってきた外に繋がる玄関と、ミラーファが発見した扉だけのようだ。絨毯の下に隠し扉がある可能性もあるが、物が倒れずに並んでいる大きな机が乗っていることを鑑みると、他の部外者が地下室に侵入しているとは考えにくい。確認の優先度でいえば半開きになっている扉の先の方が高いだろう。
「一応警戒しておいた方が良いわ」
扉の取っ手に手をかけたレイランに一声かけ、ミラーファが彼のすぐそばに寄る。二人は顔を見合わせて一度頷くと、ゆっくりと扉を開ける。そして、精霊術で出現させている光源をふわっと部屋の中に滑らせた。
扉の先は寝室のようだ。ベッドが二つ置かれ、背の低いラックがベッドの脇に立っている。壁には窓が設置されており、外からの薄い光が差し込んでいるため、先日通過した洞窟のような暗闇とはなっていない。精霊術の光が照らしていることに加え暗闇にレイランの目が慣れてきたこともあり、部屋の様子が徐々に鮮明になっていく。注意深く部屋を観察していたレイランの目は、床に目を落としたところでふと止まった。
「どうかした?」
動きを止めたレイランに気付き、ミラーファが声をかける。
「いや……気のせいかもしれないけど、誰かが出入りしている気がするんだよね」
明らかな足跡が残っているわけでもないし、建物の外から最近持ち込まれたようなものが落ちているわけでもない。ただ、集落に到着してからただの一人も人間を見ていないなか、微かに感じた生の気配が違和感としてレイランの勘に引っかかったのだ。
それを聞いたミラーファは一瞬眉をひそめた後、先程よりも強い警戒態勢をとった。精霊の気配がない今、レイランの方が人の気配には敏感である。素直にレイランの感覚を信じての行動だ。
この部屋からさらに続いているような扉は見当たらない。とすれば、ベッドの上か下、奥にあるクローゼットと思われる大きな扉の中か。
「そこのクローゼットと入り口の警戒を頼めるか? おれはベッドを確かめる」
ミラーファは頷き、そちらに視線を移す。それを視界の端で確認したレイランは、ゆっくりとベッドに向かって進み始めた。近づいてみて気付いたが、誰もいないと思っていたベッドの上が盛り上がっている。毛布がかぶさっているのでわからないが、何かが置かれている、あるいは誰かが横たわっていてもおかしくない大きさだ。
もし人間だった場合、堂々と家の中を物色していた彼らを放置して寝ていることになる。すでに息を引き取っているか、あるいはレイランが近づくのを待って襲い掛かろうと潜んでいるか。少なくとも、実は全然元気だった集落の住民である可能性はほぼないだろう。
「……ベッドに誰かいるかもしれん。この際、死体が出てくる方が助かるが、襲撃者の待ち伏せという可能性も捨てきれない」
ベッドを睨み、拳を軽く握り直してからレイランがつぶやく。精霊術師であるレイランは剣や盾が必要ないため、身を守るための武器や防具などは持ち合わせていない。精霊術があるとはいえ、装備で言えば丸腰に等しいのだ。ミラーファという特殊な存在がいるレイランはいつでも精霊術が発動できるのでまだマシというものだが、精霊の力に依存する精霊術師は本来、奇襲に対する有効な対抗手段を持っていない。
そういった弱点があることを理解しているミラーファは、レイランの懸念を聞いて彼のもとへ寄った。何か攻撃を仕掛けられた時に備え、力を行使する準備を整える。
「この環境だと、あたしの力じゃ障壁を作れない。何かあった時は家の壁を壊しちゃうかもしれないけど問題ないかしら」
ミラーファは防御に特化した能力を持つ精霊ではない。今、レイランに何者かが襲い掛かってきたとしたら、彼を攻撃から守る術は少ないため相手よりもさらに強力な力で攻撃を弾き返すしかない。
「いたしかたない。命を落とすくらいなら怒られて弁償する方がマシだ」
小さく笑ってミラーファの言葉を肯定すると、レイランはベッドに掛かっている毛布の端を掴み、身体の重心を落とした。「1、2,3」で取り払うことをミラーファに目配せして伝えると、再びベッドの方へ視線を戻す。
小さく頷くような形で「1、2――」とタイミングを取ると「3」の瞬間に勢いよく毛布を剥ぎ取り、精霊術が発動できるように手を翳した。剥ぎ取られた毛布は宙を舞い、今まで覆いかぶさっていたものが露わとなる。
レイランは声が出そうになったのを咄嗟に抑え込み、ベッドの上を凝視した。こちらを攻撃しようと待ち構えている敵はおらず、老いた男性が静かに横たわっていたのだ。目を閉じ、微動だにしない目の前の男性は、レイランたちに気付かず眠り続けていたのか、それとも――
「……少しだけど息があるわ。でも意識はなし。だいぶ衰弱した状態よ」
ミラーファが男性の顔の近くに耳を寄せ、今にも消えそうな息遣いを感じ取った。死体が出てくる可能性も考えていたレイランは、その想定が的中しなかったことがわかって安堵する。
「生きている人間がいたのか。ひょっとして外に出てないだけで、みんな家に籠っているだけなのか?」
「その可能性もある……し、人が寝ている家に勝手に入り込んで物色していたことが確定したわ、あたしたち」
人がいない空き家なら少しのあいだ滞在させてもらおうと思い侵入していたが、生きている人間がまだ住んでいるとなると話は変わってくる。指名手配されている現状においては最早些細な罪なのかもしれないが、だからといって褒められた行為ではない。ましてや、過去に勇者と称えられた男の行動とあってはなおさら情けないというものだ。
「意識がないのならこのままそっと出ていこうか。何か盗んだわけでもないし、今なら何もなかったことにして済むんじゃないかね」
「そうね――ただ、この人このままだと死んじゃうと思うけど放っておいていいのかしら」
ミラーファがちらっと、ベッドに横たわる男性に視線を向けて尋ねる。精霊は基本的に人間の生死には無関心なので、あくまで「一応聞くけど」程度の質問でしかない。ミラーファはレイランと行動を共にする例外的な精霊なので彼のことは大切に思っているが、そのほかの人間に対する興味については他の精霊と大差ない。
「おれらにできることなんて何もないだろう。集落の様子を見るに水と食料不足による飢えが原因なんだろうが、分けてやれるだけの手持ちも義理もない」
いやまあ、勝手に住居に侵入してしまっているので義理については少しあるのかもしれない。だとしても、飢えた集落にふるまえるほどの食料も飲み物も持ち合わせていないし、レイランは逃亡中の身なのだ。縁のない集落の危機を救える余裕などそもそもない。
「あら、レイランも意外と冷めてるんだね。世界の脅威に立ち向かった勇者とは思えない判断だわ」
意地悪く微笑みながらレイランを見るミラーファは、意外といった表情だ。
「そう責めるなよ。今と前じゃあ状況が違うだろう」
苦虫を嚙み潰したような顔でレイランが返答する。
「ミラーファこそ、この老人が心配か? 精霊は人間に対して無頓着だと思っていたが」
「少なくない時間を人間と一緒に過ごしてきたことで”情”なんてものが芽生えたのかしら。勇者一行と一緒だったとなればなおさらね」
本心とも冗談ともつかないテンションでミラーファが言う。老人を助けたいという思いは実際持っていないのだろうが、「このまま放置していいのか」と僅かに引っ掛かりを感じているといったところか。
精霊は人間の強い願いや念が集まる場所で生まれる存在だ。前例はないが、人間と共に日々を過ごす精霊が人間の感情に影響される可能性も否定はできない。
「ただ、この衰弱した老人の面倒を見てやれるほどの余裕は本当にない。ちょっと水や栄養を与えるだけじゃあ一時しのぎにしかならんだろうし、まずは飢えに飢えているこの集落を何とかしないと――」
そこまで言って、レイランは何かに気付いたような表情で言葉を切った。それから、ため息を一つつくと、腕を前で組んでミラーファの方に身体ごと向き直った。
「……飢えた集落に恵みをもたらす、か。とんでもないことを言っているわけだが、ミラーファの力があればあるいは」
それを聞いたミラーファがふっとほほ笑む。
「まあ、あたしはそんな願いから生まれた精霊だからね。レイランがこの集落に手を貸すって決めるのなら協力してもいいわ」
レイランも別に、この状況を放っておくことを善と考えているわけではない。一晩屋根の下を借りようとした手前、集落が抱えているだろう問題を解決するために力を貸したいという気持ちは少なからず持っている。
とはいえ、実際のところ集落の飢饉を救う理由は彼らにはない。そもそもここの老人以外に集落の人間が残っているかどうかも確認していないし、少し寄り道しただけの二人が精霊の力で飢饉を解決することが正しい選択なのかもわからない。
どうしたものかとレイランが考えあぐねていたところだった。
「――今の話、本当……?」
か細い少女の声が部屋に響いた。レイランはぎょっとして声が聞こえた方向へ振り返り、ミラーファも咄嗟に警戒の態勢をとる。
「誰だ」
低い声でレイランが問う。侵入しているのはレイランたちの方なので、傍から見れば「どの面が」と突っ込まれる質問だったが、そのようなことなど気にしていられない。
この家屋に潜伏者がいないかどうかは警戒していたはずだが、思い返せば、声が聞こえてきたクローゼットの中はまだ確認していなかった。クローゼットの扉が開いており、奥は暗闇で声の主が何者なのかを視認することはできない。
「この集落を助けてほしいの」
少女と思しき声が力なく発したのは、レイランの問いに対する返答ではなく、藁にも縋るといった様子の懇願であった。