第3話
立寄所は賑やかな商店街のような場所だった。「ようこそ」と書かれたゲートをくぐった先には屋台や小屋が並び、そこに多種多様な旅人たちが訪れている。集落とまではいかないが、一言で休息場というには規模が大きい。
「老夫婦が経営してるって話だけど、こんなに賑やかな場所だったなんて。もしかして地主か何かかしら」
立寄所より少し離れた場所からゲートの先を覗き、目を丸くするミラーファ。現在、レイランが物資調達および情報収集のために立ち入っているため、彼が精霊術師だと勘づかれないようにミラーファは外で留守番中だ。しばらく近くを散策していたが、いつまでも音沙汰がないのでゲート近くまで戻ってきていた。
レイランが中に入ってからすでに2時間ほど経過している。村から脱出する際に持ち出せたお金はそこまで多くないため、買い物にそこまで時間がかかるとは思えない。情報収集が捗っているのか、あるいは何かトラブルに巻き込まれたか。ただ、今のところ騒動が発生した様子はないし、精霊術が発動された形跡もない。
(……遅い。どこで油を売っているのかしら)
眉間にしわを寄せて頬を膨らませるミラーファ。指名手配となった現在、人が多く集まる場所に何時間も滞在するのはリスクが高い。レイランもそれは充分に理解しているはずなのに、何の連絡も無しに長居するとはどういうことか。
まさか、抵抗する間もなく誘拐されたとか? そんな悪い想像が頭をよぎり始めた頃、ゲートからいそいそと出てくる人影を不安に揺らぐミラーファの瞳が捉えた。見覚えのない小綺麗なローブに身を包んでいるが、ミラーファに気付いて微笑みを浮かべたのは紛れもなくレイランだ。
「何してたのよ。さすがに心配したわ」
安堵の表情を浮かべつつも不機嫌さを隠せないミラーファに、レイランは申し訳なさそうな顔で「すまん」と声をかけた。
「一通りの買い物が終わった後に酒場で情報収集してたんだが……村を逃げ出してから何も食べてなかったからついな。旅人が集まる場所なだけあって、情報と美味い飯が揃っていた。」
自らの腹をさすりながらそう話すレイランに、ミラーファは目を丸くしてため息を吐いた。
「呆れた。心配しているあたしを差し置いて呑気に酒場で飲み食いしていたなんて。指名手配されている自覚はないのかしら」
「顔が晒されないようにフードを深くかぶっていた。誰かに目をつけられた様子も尾行された様子もなし。誰にもばれてないさ」
「何の音沙汰もなかったらどうなってるかわからないでしょ。せめて無事連絡くらいはしてほしかったものだわ」
不特定多数の視線にさらされる酒場で滞在していたことには不満を感じつつも、しばらく何も口にしていないレイランのことを鑑みると強く非難することはできない。精霊であるミラーファは水や食料などによる栄養補給が必要ないが、レイランをはじめ人間はそうもいかない。酒場を訪れたのが情報収集の一環ともなれば、なおさら責めるわけにもいくまい。
「悪かったって」と再度謝るレイランを「まったく」とため息交じりに許すと、ミラーファは一目見たときから気になっていた見慣れないローブを話題に出す。
「ところで、それは戦利品?」
立寄所に入る前に纏っていた汚れたマントとは比べ物にならないほどの純白が太陽光を反射し、わずかに眩しくさえある。上質な生地を使用したそのローブは、祈りを捧げる神官のような清らかを感じた。かなりの値段だったに違いない。
「このローブか? これはなかなかの値段だったが奮発したぞ。綺麗でかなり見栄えが良い」
良い買い物をしたと得意げなレイランは、腕を広げてその場で一周まわる。くるぶし辺りまであるローブがふわりと宙を舞った。
「それは結構なことだけど……前着てた汚らしい方はどうしたの」
ミラーファの辛辣な物言いに、レイランはまわるのをぴたりと止めて思わず苦笑いする。
「汚らしいって言うなよ。うちで仕事する時にいつも着てた作業着みたいなものだったんだぞ。荷物になるから苦渋の決断で捨てたけどな」
「村にいた時に畑仕事とか家畜の世話とかで使ってたやつでしょ。思い入れがあるのはわかるけど、お世辞にも清潔とは言えないわ」
「……もう捨てたんだから古い方の話はいいじゃないか。それより立寄所での戦果を聞いてくれよ」
しっしっと手で払うような仕草でミラーファの追撃を遮ると、身体の前を覆っているボタン式のローブを開いた。
ローブの中に着ている服は村から出てきた時と同じものだ。ローブと食事にお金を費やしたことで、それ以外の衣服に回す余裕がなくなったのだろう。
また、ローブで隠れていて見えなかったが、リュックよりやや小さいサイズの荷物袋を肩にかけて背負っていた。ミラーファには見覚えがなかったので、立寄所で仕入れたものだろう。残ったお金や小物類が入っているとみられる。
「買ったものと言えば、このローブと袋、あとは小物が何個かだな」
レイランが荷物袋の口を開いて、中に手を入れる。取り出したのは――
「それは……仮面かしら」
ミラーファが訝しげに見つめる先には、顔の上半分が隠れるようなサイズの真っ白い仮面。レイランは「そうだ」と肯定しつつ、正直お洒落さよりも怪しさの方が勝っているそれを自分の顔にはめた。
「立寄所で”精霊術師レイラン”のことをそれとなく聞いてみたが、やっぱり他3人と比べて顔はあまり知られていなかった。それなら逆に、顔さえ隠してしまえばばれる心配もほとんどないと思ってな……」
自分で発してしまった悲しい事実に一瞬ショックを受け、すぐに立ち直る。
「だがそれでも、光栄なことに存在は広く知られているようだ。そして、さすが旅人は耳が早いというか、勇者拘束の命が世界中に出されていることを知らないやつはあそこにはいなかった」
小さな辺境の村であるレイランの故郷にも届いているのだ。様々な街を巡っている旅人たちが知らないはずはない。
「いかに顔の認知度が低いとはいえ、知見の広い旅人のなかにはレイランの人相を覚えている人も少なからず存在する――念には念をってことね」
「……いちいち嫌味を挟むな」
にやりと笑い「なるほど」といった表情で頷くミラーファに、レイランは仮面越しでもわかるほど不機嫌そうな目をじろりと向ける。
「まあその仮面をつけてることによって逆に目立つ可能性もあるけど……」
そう言いつつ、仮面をつけたレイランの顔周りを観察していたミラーファの視線は、彼の耳を捉えたところで止まった。
「あれ、その耳輪って村にいた時につけてたものよね。逃げ出すときには身に着けていなかった気がするけど」
太陽を模した紅い玉に、雨を表す雫型の宝石が垂れているその耳輪は、レイランの故郷で伝わる豊穣祈願の装飾品である。まだ幼い頃、豊穣の神が祀られているとされる村内の社に足繁く通っていたレイランに村の神父が与えたもので、それからほとんど肌身離さずつけていた。ただし、勇者として魔王討伐の旅に出た時は、万が一旅先で命を落とした際に耳輪が失われてしまうことを恐れて村に置いて行っている。
「聖都から帰った後にいろいろと落ち着いたらつけようと思ってたんだけど、その前に拘束部隊が来ちゃったからな。逃げる時に無意識に持ち出してたみたいで、ポケットに入ってたことにはさっき気付いたんだ」
「気付かないまま落としてなくてよかった」と安堵の表情を浮かべつつ、耳輪を指で触りながらそう言ったレイランに、ミラーファは優しい眼差しを送った。
「そうだったんだ。ずっと大事にしていたものね」
懐かしそうな表情を浮かべ、レイランは微笑む。
「だいぶ思い入れがあるからな。魔王討伐の時はつけて行かなかったから、こうしてつけるのは久しぶりだ」
「……もし死んじゃったらってことを考えて村に残していたんだったわね。そんなことにはさせないってあたしは言い続けていたけど」
魔王討伐の旅の直前、耳輪をつけていくか外していくかについて二人で揉めたことがある。最悪な事態にならないように守り抜くからと言い張るミラーファに、絶対に無事に帰ってこれる確証はないのだから耳輪は安全なところに置いておきたいと主張するレイラン。
彼の知る限り、ミラーファを見ることのできる人物は村にいなかったので、周りからはレイランは何もない空間に向かって強い口調で独り言を言っているように見えていただろう。
この口論は最終的に、本人の意見を尊重するとしてレイランの主張が通った。ただ、ミラーファとしては耳輪を置いていくということではなく、自身が死亡したらという仮定をレイランが真っ先に提示したことが気に入らなかったようで、その点については彼女に謝罪している。
「――耳輪をつけているってことは、捕まる気はないのよね」
そのような過去があったからこそ、返ってくる言葉を確信しつつミラーファは満足げな表情でレイランに問いかけた。
「当然だとも。自分で死地に飛び込む魔王討伐に比べたら、見つからないように逃げ回っている方が全然マシというものさ」
そんな彼女の言葉を受けて、レイランは小さく笑って応える。彼の表情に焦りや絶望の色はなく、決して強がりで言っているわけではない様子がうかがえた。顔の半分は仮面に隠れていて見えていないが。
「空腹も満たされて、物資調達も情報収集もひとまず完了、怪しいアイテムで変装する準備も整った……これからどこに向かうつもり?」
レイランの頼もしい返答を聞いたミラーファが、嬉しそうな顔で今後の予定を尋ねる。まずフィリア―ナの様子を確かめに行くという方針がすでに決まっていることを忘れていたわけではない。話をスムーズに進めるための定型的な問いを投げかけただけだ。
「立寄所で聞いてみたんだが、スモールメまではここから歩いて3日ほどかかるらしい。途中に集落があるから泊まれるか聞いてみるといいってさ」
背負っていた荷物袋から、立寄所で受け取ったと思われる地図を引っ張り出して広げると、「スモールメ」と表記されているところを指差した。フィリア―ナの故郷である魔法都市だ。
立寄所は地図に載っていなかったものの、湖の位置と周囲の道の方向から現在地を割り出すと、両場所を結ぶ道中に「ゴドライ」と記された場所を見つけた。ここがその集落なのだろう。
「洞窟を通ってきたからどこへ抜けたのかわからなかったけど、スモールメに近づく方向に来れていたのね。運が良かったわ」
本来レイランの故郷からスモールメへは、道沿いに歩くと7日ほどかかる。あと3日もあれば到着できるという地点までほぼ1日で来れたということは、洞窟通過により大幅なショートカットに成功したようだ。灯り等の整備もなく、精霊の導きがなければ抜けるのは困難だった。誰にも知られていない”裏道”といったところか。
「馬車の控えが今近くにいないらしいから歩くしかない。このゴドライってところまでは1日くらいで行けるみたいだから、そう辛いことでもないさ」
とはいっても、精霊にとっては大した距離ではない。「ミラーファにとっちゃ別に大変じゃないか」と、レイランが片目をつぶりながら言うと、彼女は「まあね」と小さく肯定した。
「集落の人にも話を聞きたいし、夜になる前に到着したいところだが――勇者捜索に積極的だったら長居はできないな。集落とはいえ気は抜けない」
最も情報収集が捗るのは多くの旅人が集う場所であり、代表的なのはやはり酒場だ。そして、酒場が繁盛する時間帯は夕方から夜にかけて。長居したくない現在の状況では、ちょうどその時間帯に到着し、早々に撤退するのが最も効率の良い動きだといえる。
地図と周辺を見て再度方向を確認すると、レイランは荷物袋に地図を折り畳んで仕舞った。
「さて、向かいますか」
荷物袋を背負いなおすと、仮面を付けたままのレイランが目的地に向かって歩き出す。ミラーファも空中を滑るように、彼の後ろに続いた。
=====
カサカサと枝を揺らす音が聞こえ、少女は木の上を見上げる。
「――そっか」
ぽつりと声を漏らすと、頭上で顔をのぞかせていた小動物はどこかへいなくなってしまった。少女はしばらく立ち尽くしていたが、とぼとぼとその場を離れる。
「このままじゃ……」
悲痛な面持ちの彼女は重い足取りのまま、活気のなくなってしまった集落への帰路についた。