第21話 魔法都市スモールメ⑩ あなぐらへ、監獄へ
魔法都市スモールメは、世界的に名の知られている魔法の最先端都市である。魔法を学ぶための最高の環境が整った教育機関、あらゆる魔法具が揃っているとされる店の数々、魔法によって発展した世界有数の技術、そして名だたる魔法師がスモールメから誕生しているという歴史。魔法師であれば必ず訪れるべき聖地である。
そんなスモールメであっても、都市の端から端まで漏れなく発展し、みな裕福で、最高の治安が維持されているわけでは決してない。訳ありの者や貧困に喘ぐもの、真っ当に生きることができない人間などはきらきらとした発展部から追いやられていき、やがて暗く寂れた地域に身を寄せていくのだ。価値のある物品を持っていれば強盗に襲われ、子供が一人で歩けば人攫いに囲まれる。スモールメの輝かしい名声に隠れた闇の部分である。魔法省が治安維持のために魔法師を派遣してはいるが、巡回などしたところで焼け石に水。まともな取り締まりは行われず、堂々と繰り広げられる悪行も悉く黙認されていった。
ところが最近は、治安が悪いとされている地域にて異様な空気が流れている。憲兵が何人もそこを訪れ、武装した魔法師が険しい顔で辺りを見回しながら路地裏を出入りし、憲兵に絡んだならず者たちが容赦なく拘束されて魔法省や監獄のある中心部へと連行されていった。
雰囲気が一変したきっかけは誰しもが理解していた。勇者一行の拘束命令。聖都より全世界に発信されたその拘束命令は例外なくスモールメにも届き、一気に物々しくなった。勇者一行の一人である大魔法師フィリア―ナがスモールメに帰ってきていると噂されていたさなかの出来事だったため、指名手配されているフィリア―ナはスモールメのどこかにおり、魔法省は彼女を拘束するためにスモールメ中に魔法師を派遣して血眼になって探しているのだ。
ある者はフィリア―ナ捜索に協力した。ある者は日々増えていく憲兵を疎ましく思い表立っての悪行を控えた。ある者は愚かにも憲兵にたてついたことで監獄行きとなった。気が付けば、辺り一帯の治安は段々と向上していったのである。
憲兵や魔法師の数が徐々に増えているのにも明確な理由があった。大魔法師フィリア―ナの膨大な魔力は完全に隠しきれるものではなく、微弱にではあるが近くにいる魔法師の魔力探知に引っかかるのだ。この地域のどこかにフィリア―ナはいる。そうして、彼女を追う人間たちが段々と集結しつつあるのである。
「おかしら」
魔法省所属の魔法師とは違う、真黒なローブに身を包んだ男。彼は、ネイラの酒場――現在は娘であるカイエが代わりに切り盛りしている――の傍にあるちょっとした段差に腰を掛けて煙草を吸っている人物に声をかけた。
「そろそろかもしれません。我々も準備をしなくては」
男は一度大きく煙を吸い込むと、ため息交じりに口から吐き出す。吐き出された煙は黒衣の男の方へ風に乗って流れていったが、黒衣の男は気にも留めない。
「最近やけに来訪者が多いと思ったが、VIPの居場所が特定できたのか?」
おかしらと呼ばれた男がそう尋ねると、黒衣の男はふん、と鼻を鳴らした。
「あてにならない魔力探知も、数が揃えばある程度役に立つもんですね。場所の絞り込みが捗っているようです」
「なんだ、まだ割り出せていないのか」
おかしらと呼ばれた男は興味を失くしたように肩をすくめると、すっかり短くなった煙草を地面に放って捨てた。捨てられた吸い殻からはまだ若干の煙が昇っている。
「火事になりますよ。この辺は何が落ちているかわからないですし、何かの拍子に建物に火が移ったらおかしらお気に入りの酒場も丸焦げです」
黒衣の男がため息を吐いて、目の前に建っている酒場に視線を向けた。まだ営業開始前なので扉は固く閉ざされており、魔法によって扉の前に表示されているアイコンには店が閉まっていることが示されている。
「そうなったら大変だな。ネイラも寝込んでいることだし、ここが燃えるのは耐えられん」
おかしらと呼ばれた男は苦笑を浮かべながら、右手の指を吸い殻の方へ向けた。すると、微かに昇っていた煙が何かに遮られるように上昇をやめ、透明の空間にいるかの如く煙が吸い殻のまわりを囲い始めた。小さな雲のように地面の上にまとまっている。
「相変わらず器用ですね。結界を張る技術はいまだ健在ということでしょうか」
吸い殻の回りに結界を張って煙をその中に閉じ込めたのだ。言葉で表すのは簡単だが、結界はそう容易に応用を利かせられるようなものではない。魔法師の中でも難関な分野であるとされ、習得は簡単ではない。スモールメでは都市の結界を管理するために専門の機関を設けており、そこに勤めている魔法師はスモールメの中でも一握りのエリートであるとされているほどだ。
「おかしらは元々、結界管理やってた優秀な魔法師ですからね。片手間でポイ捨ての処理なんかに結界を張れる人なんてそうそういませんよ」
「嫌味か? おれがなんで開いてもいない酒場の前で煙草をポイ捨てするような人間になっちまったのか知っているだろうに」
おかしらと呼ばれた男がじろりと黒衣の男を睨みつけると、彼はふんと鼻を鳴らした。
「おかしらだけの責任じゃないでしょう。やつらは功績よりも保身を選んだ血も涙もない人間だったというだけ。そのうち後悔しますって」
「別にスモールメの結界を管理していたのはおれだけじゃない。一人いなくなったくらいじゃどうともならんさ」
おかしらと呼ばれた男は自嘲気にそう言うと、のっそりと腰を上げた。
「まあ別に今の生活も悪いことばかりじゃない。てきとうに働いて夜に酒場で酔っぱらえればそれで充分だ」
「VIPをお迎えに行くやる気が出ましたか?」
「完了の目途が立ちそうな仕事なら早く済ませるに越したことはない。近くにいることが大体判明しているなら自分で探した方が早そうだしな」
男が足元の結界を解くと、溜まっていた煙がふわっと空中に溶けて消える。吸い殻の火もすでに消えていた。
「別に大魔法師サマに恨みがあるわけじゃねえが、酒場の周りをうろうろされると憲兵やほかの魔法師が湧いてきて気が滅入る。悪いがおれの楽しい酒盛りのためにさっさとご退散願うとしよう」
◇
「……保管場所の鍵だと? なんでユースさんがそんなものを持ってる」
背の高い草木に囲まれて薄暗い空間の中、レイランは目の前の男が突き出している手につままれている指輪のようなものを凝視しながら懐疑的な声色で尋ねた。
フィリア―ナも目を丸くしながら同じく指輪を見つめている。
「監獄関係の鍵は全て魔法省が管理していて持ち出すことは禁止されているはず……。なんで外から来たあんたが持ってるの?」
ユースはにっと悪戯っぽく笑うと、つまんでいる指輪を左右にふるふると振ってみせた。
「企業秘密です、と言いたいところではありますが、せっかく上辺だけでも信じていただけると言ってくださったのですから白状するとしましょう。――私はもともと魔法省で働いていた人間なのですよ」
「なんだと?」
予想だにしなかった返答を受けて、レイランが思わず声を上げた。
「私が監獄の事情についてやけに詳しいなと不思議に思ったのではないですか。その理由が実は元魔法省勤務であるとすれば納得できるでしょう?」
スモールメの技術に詳しく、監獄の構造についてもそこまで興味がある様子はなかった。おまけに封魔具の見た目を把握しており、ミラーファが見たのは目的の封魔具であるとすぐに断言していた。辻褄は合う。
「フィリア―ナさんの言う通り監獄の鍵は魔法省が管理していて、一般人はもちろん触れることもできません。しかし私は魔法省にいたので開錠具に接触する機会は何度もあったということです」
「でもそれじゃあ答えになってないですよね」
ふと口を挟んだのは、彼らの成り行きを見守っていたリミィナだ。
「ユースさんが元魔法省職員だったことはわかりました。それが理由で封魔具や開錠具に接触できる立場だったことも。でも、今ユースさんがそれを持ってここにいる理由はわかりません。あなたは私たちと一緒に非魔法師の列に並んで外からスモールメに入ったはず。であれば、あなたは何らかの理由で魔法省を去った後からずっとそれを持っていたことになりますよね。厳重に管理されているはずの開錠具を」
リミィナにそう言われ、ユースはふと思案する仕草をした。一度フィリア―ナをちらっと見ると、リミィナの方へ視線を向ける。
「当然の疑問かと思いますが、それを一から説明しているほど時間に猶予はありません。あなたがたは今スモールメの魔法師たちに着々と追い詰められている立場であることを忘れたわけではないでしょう。フィリア―ナさんが同じ場所に留まっていればいるほど魔力探知の精度は上がります。私がこの開錠具を所持しているという事実、それによって目的の封魔具が保管されている場所の結界を通過することができるという事実、それらがあるということで今は充分かと思いますが?」
リミィナがぐっと口をつぐみ、フィリア―ナも顔をしかめて周りを小さく見回す。まだ誰もすぐ近くにまで来ている気配はないが、あまり時間がないことには変わりない。フィリア―ナがこの広場で身を隠してからそろそろ一日が経過しようとしている。辺りの魔法師がフィリア―ナの魔力を強く検知して場所を特定してしまう可能性も低くなくなってきたのだ。
「根拠がなさすぎると言わざるを得ない。ユースさんが元魔法省勤務だったこと、その手につまんでいる指輪が監獄内の開錠具であること、それら全部が嘘である可能性すらある」
レイランがユースを睨みながらそう言うと、ユースは何を今更と肩をすくめた。
「私を信じることにしたのでしょう?」
レイランはふんと鼻を鳴らすと、「そう言われたら何も言い返せないな」と観念して首を振った。
「では方針は決まりましたね。彼女のためにも、行動を起こすのは早い方が良いでしょう」
ユースが満足そうに頷くと指輪を自身の指にはめ、パンと一度手を打った。
「私と――レルトシアさんで監獄に向かいます。リミィナさんとフィリア―ナさんはなるべく人目のつかない場所で逃げ延びていてください」
あくまでもレルトシアとしてレイランを扱い、ユースは行動を改めてまとめる。
「なるべく早く戻ってきてくれると助かるわ。魔法師にとって、スモールメに人目のつかない場所なんてほとんどないもの」
フィリア―ナが肩をすくめてそう口にすると、ユースは「そうだ」と思い出したようにはっとした。
「地下に潜るといいでしょう。水や魔力を通すための道や空間があちこちに広がっているのでそうそう袋小路には当たりませんし、魔力が通っている場所が多いので魔力探知の精度も落ちます。逃亡には向いていると思いますよ」
「わたしもそれは考えたけど、とっくに捜査網が広がっているんじゃないの? 犯罪者が下水道に逃げ込むなんてお決まりのパターンじゃない」
「お決まりのパターンになるくらい逃げきれる見込みがあるとも考えられるでしょう? それに、スモールメの下水道は簡単に万全な捜査網を敷くことができるほど単純な構造をしているわけではありません。私たちが戻ってくるまでの時間稼ぎくらいならば難しいことではないかと思います」
自信たっぷりにそう言われると、フィリア―ナは納得せざるを得ない形となる。
「幸いリミィナさんが精霊と意思疎通できるようなので、道に迷う心配も普通の人よりかは少ないでしょう」
ユースがちらりとリミィナを見ると、リミィナは黙ってこくりと頷いた。ユースはまだ知らないが、精霊だけではなく鼠のような小動物との意思疎通も可能なので、下水道で道に迷う心配は限りなくゼロに近いと言っていいだろう。その点、リミィナは自信を持っていた。
「罠であると疑うのであれば私の言うことは無視して地上を逃げ回っていただいても構いませんよ。地上の方がよっぽど魔法師たちに捕捉される危険性が高いと思いますがね」
「……わかったわよ。騙されたふりして素直に地下に逃げ込むとするわ」
フィリア―ナはリミィナを見て観念したようにそう言うと、リミィナも意を決したようにフィリア―ナに向かって頷いた。
「話がスムーズで助かります。広場から出たら私たちが入ってきたのとは反対側の道から出てください。道なりに進んでいくと、すでに廃業している触媒販売店が左手に見えるかと思いますので、建物の裏に回ってください。そこに地下へ潜れる入り口があるはずなので」
「ずいぶんと詳しいな。それも魔法省勤務の時代に取り入れた知識か?」
レイランが尋ねると、ユースは「まあね」と肯定した。
「かつて、お世辞にも健全とはいえない営業をしていた店でして、所謂裏ルートで仕入れた品を販売していた場所です。私が現役だった時に摘発対象となって潰れましたが、その裏ルートのパイプとなっていたのが先ほど言った入り口なのですよ」
そして、話はまとまった。リミィナとフィリア―ナはユースおすすめの裏ルートから地下に逃げ込み、レイランとユースは魔法省及び監獄のある区画に向かう。レイランが監獄にて封魔具を手に入れた後、フィリア―ナたちと合流して即座にスモールメを脱出する。ユースは魔法省に用事があるようだが、それについてはレイランたちには関係のない話だ。
「では、そろそろ行動開始といきましょうか」
「リミィナ、フィリを頼む。フィリ、無事に逃げ延びていてくれよ」
「――どうか無事で。フィリア―ナさんのことは私に任せて」
「あんたこそ無事に成功させてよね。わたしのために動いた結果何かあったとしたら後味が悪すぎるわ」
二組のうちどちらかでも失敗すれば、彼らは二度と顔を合わせることはなくなるだろう。最早後戻りすることもできず、互いを信じて各々の目的を達成する以外に未来が訪れることはない。
太陽は頂点を越えてすでに日の入りに向かって歩を進めている。次に太陽を拝めるのはおそらくスモールメを出た後になるだろう。もしくは二度と見ることなく絶望に飲み込まれているか、だ。
彼らは茂みの中から慎重に姿を露わにすると、無言のまま互いに頷きかける。それから、各役割を果たすための行動に移った。結界に囚われた魔法師を助け出すための作戦が今この時を以て開始されたのである。
◇
仮面を付けた男と、穏やかな微笑みを浮かべた紳士の二人組が足早に歩いている。途中で何度も魔法師とすれ違い、探るような視線を幾度となく向けられたものの、呼び止められるようなことはなかった。彼らはすぐ近くにいるであろう大物の指名手配犯をついに捕らえることができるかもしれないと躍起になっているところだろう。少し怪しいくらいの男二人に構っていられるほど暇ではないのかもしれない。
「やつらはだいぶ場所の見当をつけていたらしいな。聞いた話では精度に難ありとのことだったけど、魔力探知というのは人探しに結構便利な能力なんだな」
今にも広場に魔法師が押し寄せるのではないかというほど皆同じ方向に進んでいくのを見て、レイランが忌々しげに呟く。
「まあ精度に難ありというのは真っ当な評価ですよ、魔力探知が当たり前に備わっている魔法師にとってはね。本来ここまで場所が絞り込めるようなものではないですし、こっちの方向にいる気がする程度の感覚しか感じ取れません。それだけ彼女の魔力量が多いということなのでしょうな」
すれ違う魔法師たちを軽く一瞥しながらユースが小声でレイランに説明した。感じ取れる魔力が大きければ大きいほど、魔法師たちは確信を持ってそちらの方へ向かっていく。完全に囲まれてしまう前に場所を移動したのは正解だった。
「――まあそれもそのはずってやつです。スモールメは大魔法都市なので都市中に魔法が溢れ、大勢の魔法師が滞在もしくは生活しています。本当であれば雑多な魔力に紛れて個人の魔力をピックアップすることなんて困難極まりないはずなのですよ。ここまで居場所を割り出されてしまう彼女がどれだけ常識外れな魔法師なのか、あなたも今一度認識を改めてみるのが良いかもしれません」
咎めるように、あるいは煽るようにそう言われたレイランは不機嫌な表情を隠さないまま返事をしないでいると、彼の頭上から少女のくすりとした笑い声が聞こえた。
「まあ勇者サマになるような魔法師なんだからそのくらい規格外であっても不思議ではないわよね」
帝国の侵略に立ち向かうべく集った四人は、皆特別な才能を持っていた。レイラン自信、自分はそこまで優れた精霊術師であると自負しているわけではないものの、唯一無二の精霊術師であることは自覚している。
「絶大な力を持つ魔法師だからこそ、スモールメではその力を発揮できない。それどころか、都市で形成されている優れた対魔法師のシステムが大きく効果を発揮しているわけか」
あのフィリア―ナが諦めて逃げ回るしかない魔法師対策だ。犯罪を犯した魔法師がスモールメの外に逃げ出せないという話も頷ける。
「となると、過去に逃げ出したっていう犯罪者にはびっくりしただろうな、スモールメの住人は」
薬屋のメルベルの話を思い出しつつ、レイランがぽそっと呟く。
「まあ前代未聞の出来事だったでしょうね。まさか魔法師が封魔具で自分の魔力を封じ込めて結界を突破するなんて当時は考えてもみなかったでしょう。魔力を封じられるなんて、魔法師にとっては武器も服もなく放り出されるような不安感と嫌悪感を抱く事態ですから」
ユースが何故か愉快そうに口元をにやりと歪ませている。
「犯人は上司を殺した魔法省の職員だったと聞いた。魔法省勤務だったからこそ、封魔具を手に入れるのはそこまで難しいことではなかったと」
レイランが独り言のように言葉を繋ぐ。ミラーファは口を閉ざしたままレイランを見つめており、ユースは聞こえていないのかあえて反応していないのか、進行方向を見たまま目的の場所に向かって進み続けている。
「開錠具を持って保管場所に行き、封魔具を奪う。それを付けて魔力を封じた後は非魔法師のところから悠々とスモールメを脱出する。なるほど、そうすれば魔法師であっても結界に阻まれずにスモールメの外に出られるわけか」
ピースがはまったとばかりにレイランは頷くと、おもむろに足を止めた。ユースは少し先で立ち止まり、レイランの方へ向き直る。
「当然、開錠具も封魔具も持ったままスモールメを脱出している。外から訪れたはずの人間であったとしても、開錠具や封魔具を持っていることに不思議はない」
レイランがぎっと鋭い視線でユースを睨みつけた。
「あなただな? スモールメから逃げ出すことのできた犯罪者というのは」
ユースが歪んだ笑顔を浮かべている。
「仮にそうだとして、あなたに何か不都合が? スモールメの人間というわけでも犯罪を取り締まるような立場に身を置いているわけでもないでしょう」
レイランは黙って睨み続けていたが、やがてはっと乾いた笑いを吐き出した。
「おれも今は犯罪者みたいなものだからな。仮にでも手を組んでいるやつが実はスモールメに衝撃を与えた犯罪者だったとして、目的が果たせるのであれば何も問題ない。信用できないとか言うのも今更だしな」
ユースがふっと笑った。
「物分かりが良い方で助かります。では行きましょう」
ユースはそれ以上続けることなく再び歩き出した。レイランは「はあ」と深くため息をつく。
「スモールメから出ることのできた犯罪者なんて、今のあたしたちにとってはこれ以上ない人材だわ。ユースを利用してやろうと考えればいいのよ」
ミラーファがユースの背中を見つめながらそう言うと、レイランは小さく頷いた。
「別におれは正義に燃える英雄でもなければ悪を見過ごせない聖人でもない。仲間を助けるためなら封魔具を盗み出すのだって怪しい人間と手を組むのだって大した問題はないさ」
「もとはと言えば聖都が理不尽な言いがかりでレイランたちを追い詰めているのが悪いのよ。横暴に抗うためなら多少の悪事は許されるわ。それが人間の社会と心理でしょう?」
皮肉交じりに苦い表情で言ってみせたミラーファに、レイランがははっと笑い声をあげた。
「精霊は人間を俯瞰的に見るのが上手いらしい。悪政や理不尽な権力に対して暴力や犯罪で反抗することも、人間の歴史上では珍しくもなんともないしな」
そして、レイランはついてきているかの確認を一切せずに進み続けるユースを追って歩き始めた。
二度目の来訪。監獄の近くまでやってきたレイランは改めて建物や周辺をじっくりと観察していた。無機質な黒で覆われた建物、それを囲う高くそびえたった塀。唯一とみられる入り口には魔法師が二人立っており、一応警戒しているものの気は抜けているらしい様子が伺える。現に、レイランが確認しただけでも2回ほど間抜けな欠伸を披露していた。スモールメにおいて監獄が襲撃されることなど万が一にもないと考えているのだろう。たしかにかつて監獄から封魔具を盗み出して見せた男がいたようだが、それは襲撃ではなく泥棒だ。そんな泥棒も当時は魔法省職員だったようなので、警備の魔法師がすんなり通してしまったといっても仕方ない話ではある。
「さて、軽く流れを整理しましょうか」
ぽんと軽く手を打ち、ユースがのんびりと、しかし真面目な声色で話を切りだした。
「私は今、監獄に入るための封魔具と保管庫の開錠具を所持しています。それらがあれば作戦に滞りが生まれることはないでしょう。ああもちろん、途中で警備の人間に見つかって交戦になったりすればスムーズな遂行は不可能となります」
自身の持つ二つの指輪型の封魔具を取り出して見せながらユースが言う。
「ルートはあなたの相方が把握しているでしょうから問題ないと思いますが、おすすめとしては入り口から入ってすぐ右の道を入った先にある昇降機を使って階下まで降り、地下では過去の捜査ファイルを保管した書庫を突っ切る行き方です。職員は大抵正面真っすぐの大きな昇降機を使うのではなれにある昇降機は滅多に使いませんし、書庫は中が広いかつ通れる場所が複数あるので万が一の時に鉢合わせるリスクが減らせます。人の気配がした場合には身を隠せる場所も結構ありますし」
珍しく饒舌に語るユースにレイランは思わず苦笑を浮かべた。
「さすがは元魔法省職員といったところか。それがユースさんが実際に使ったルートなのか?」
ユースは片目を瞑って「さてどうでしょう」とはぐらかした。
「まあ実際確実とは言えません。ただ、監獄内で魔法師と接触することだけはやめておいた方が良いでしょうね。そもそも犯罪者が外に出られないようにする施設ですし、脱出の手段なぞすぐに封じられてしまいます」
レイランはこくりと頷いた。もっともなことを言われており、反論などない。
「幸い、あなたは精霊とコンタクトの取れる人間。魔法師のいないルートを教えてもらいながら進むことも可能なのでは? 世界のために戦えるほどの偉大な精霊術師であるならば、ね」
ユースの言葉にレイランは黙り込む。正体を見透かされているのはとうにわかっていたため、どこに動揺はない。しかし、身分を隠して行動しているさなかに自身の正体を知っている人間と行動を共にしているというのは穏やかな気持ちではいられない。正体を知っているという意味で言えばリミィナも同じ条件ではあるが、ユースは未だに正体や思惑が分かっていないぶん不気味さがある。怪しさ万点ではあるが今のところ素直に手助けをしてくれている。真の目的がわからない。
「――では作戦開始といきましょう。まずは見張り二人をどうにかしないといけません」
レイランが口を閉ざしている間にさっさと行動を開始しようとしているユースに、レイランは慌てて振る舞いを整えた。
「どうにかって。さすがに殺すのは勘弁願いたいが」
「何を甘いことを……と言いたい気持ちもありますが、さすがに今から騒ぎを起こすのは得策ではありません。各々一人ずつ対応することにしましょう」
監獄を警備しているだけの魔法師を殺めてしまうことにはさすがに抵抗のあったレイランにユースは肩をすくめるも、一対一での対処を提案してみせた。
「植物で拘束するのは得意技でしょう? 誰かに気付かれる前に声と動きを封じてください。もう一人の方はその光景に動揺するでしょうから、その間に私がすぐに気絶させてみせます」
「二人一気に拘束するんじゃだめなのか?」
「魔法師が着ている装備を拝借したいのですよ。監獄に入るのだったら関係者の装いをしていた方が目立たないでしょう。私はこの後魔法省に向かうので別行動になりますし、あなた一人の分だけで充分です」
レイランの拘束は植物が幾重にも巻き付いて完全に動きを封じるものであるため、衣服を奪う目的がある場合は適さない。それについてはレイランも納得できるため、文句はないと一度頷く。しかし、もっと肝心な部分で疑問がある。
「――なんでおれの精霊術のレパートリーを知ってる? ユースさんの前で披露した記憶はないが」
ユースのいる場所で「精霊術」と明言したのは初めてだが、とうにレイランの正体に気が付いているユースに疑念の様子も驚いた表情もない。代わりに「ははっ」と軽快な笑い声を発した。
「あなたは有名人の自覚が足りないらしい。世界を救った勇者一行の情報なぞ広く知られているに決まっているではないですか。……ただ、真実も嘘も入り混じっていますがね。例えば、勇者一行の一人レイランは植物を操る魔法師であると認識している人間が少なからず存在します」
レイランはミラーファの力を用いた精霊術を行使することがほとんどなので、使用する術には偏りがある。豊穣の精霊を自負するミラーファの力を利用しているとなれば、植物にまつわる術が多くなるのは当然のことだ。結果的に、勇者一行の一人レイランは植物系の力を行使する魔法師であると誤認している人間がいるらしい。一般的に見ても精霊術師の数は少なく、魔法師はそれなりの人数存在しているため、異能力を使う人間は魔法師であると真っ先に考えてしまうのも無理のない話ではある。
「私はきちんと知っていますがね。勇者一行の活躍はよく耳にしていましたから」
得意げに胸を張るユース。純粋に誇らしげにしているようにも見える彼の仕草に、レイランは訝し気な視線を向けながらも彼に対する警戒心が少しだけだが解けたのを自分でも感じた。理由はわからない。ユースの思惑も目的もはっきりとはしておらず、いつ裏切って聖都に身を売られるかわかったものではない。しかし、勇者一行のことを憎からず思っているように見えるのは本当なのかもしれないとは感じた。
「……まあ、そんな話をしているような状況ではありません。方針はお伝えした通り。無事に見張りを拘束して魔法師の装備を奪うことに成功したのを見届けた後、私は魔法省に向かいます。あなたはそのまま監獄で行動を開始してください」
「わかった。ユースさんが魔法省で何をしようとしているのか今更聞いたりはしない。とりあえずお互いの見当を祈っておくさ」
レイランが監獄を見据えながらそう言うと、ユースは片目を瞑ってそれに応えた。いよいよ、監獄侵入作戦の開始である。




