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紅き耳環の祈り人  作者: 叶 玄
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第15話 魔法都市スモールメ④ 薬草、酒場 そして追われる少女

 レイランたちが通された部屋は少し広めの部屋だった。ベッドとデスクが置いてあり、下にはお洒落なカーペットがひかれている。一言で言うのであれば、書斎といったところか。


 「すみません、埃っぽくて。すぐに掃除するので待っててください」


 カイエの言う通り、しばらく使われていなかったというこの部屋は少し埃っぽい。しかし、滞在場所として提供してくれる善意も相まってまったく不快感はないし、何より突然この部屋を使わせてしまうこととなったレイランたちに文句を言う資格は微塵もない。


 「いえ、急に部屋を貸していただくことになったわけですから感謝してもしきれません。このままでも全く気にならないのでお気遣いなく。それに、カイエさんはお店の準備があるのでは?」


 にこりと笑って、掃除に取り掛かろうとするカイエをレイランが制止すると、リミィナも「そうだよ」と同調した。


 「薬草のこともやらないといけないし。カイエさん、この家に植木鉢はある?」


 レイランとリミィナにそう言われたカイエは手入れをしていない部屋を客人に使わせることに抵抗がある様子で「ですが……」と反論しかけたが、そもそもレイランたちを家に招いたのが薬草の件を解決するためだったことを考え、今最優先でやるべきことを認識する。


 「そうですね。植木鉢になるような物を探してきます」


 急いで部屋から出ていったカイエを見送ると、レイランは辺りを見回した。


 「書斎か何かか? カイエさんの父親だろうか」


 そう呟くと、部屋の奥の窓際に足を組んで座るような姿勢で浮いていたミラーファが肩をすくめた。


 「一応忠告しておくけど、彼女に父親はどこにいるとか間違っても聞かないことね。仮にこの部屋が彼女の父親のものだったとしたら、しばらく使われずに埃っぽいという状態が何を意味しているかなんて簡単に察しがつくわ」


 部屋にあるベッドやデスク、それにデスクや棚に置かれている物たちは、掃除を怠って埃をかぶっているというよりかは、”当時”をそのまま残しておいている、という雰囲気を感じた。良くて長期出張や旅の途中、悪くて行方不明、あるいはすでにこの世には……といったところだ。わざわざそのような話題をカイエに振ることに意味はない。


 「そこまでデリカシーがないつもりはないが、ミラーファがおれを『またやらかさないようにね』とでも言いたげな目で睨んでいる気がするので注意しておこう」


 ゴドライでリミィナを落ち込ませてしまったことや、さきほど酒の話題でリミィナの辛い過去を聞いてしまったことを思い出して、バツの悪そうな顔になるレイラン。悪気はなかったものの、前科はありそうだ。

 「睨んでないわよ」と言い返したミラーファがレイランの横まで滑ってくる。


 「それで、レイランさんとミラーファさんの力で薬草のこと何とかなりそう? ごめんなさい、全然相談もしないまま、あの時カイエさんを呼び止めてしまって」


 リミィナが心配そうな表情でレイランとミラーファに尋ねた。「あの時」とは、去ろうとするカイエを咄嗟に「待って」と言って呼び止めた時のことだ。あのまま別れるにはカイエがあまりにも不憫だと感じてしまってつい声をかけたリミィナだが、呼び止めた時点では何とかできると確信していたわけではなかった。ミラーファとレイランが希望のある提案をしてくれたおかげでひとまず安堵したものの、勝手に動いてしまったことは少し後悔していた。


 「あたしは大地の恵みを願う祈りで生まれた精霊なの。レイランがいれば何とかなるわよ」


 得意げな顔でそう言って見せたミラーファに対して、リミィナは安心したように口をほころばせた。そして、ずっと気になっていたことを思い出して「そういえば」と切り出した。


 「ミラーファさんは豊穣とか大地の恵みの願いによって生まれたって言っているけど、本当にただの精霊なの? 私は精霊について詳しいわけではないけど、人間とずっと一緒にいる精霊って他にはいないんでしょう? レイランさんとミラーファさんがどうやって出会ったのかだって……」


 気になっていたことを次々に尋ねてしまったリミィナだが、ふと我に返ると慌てて手で口を押えてしゅんとなる。


 「詮索しないってゴドライで約束したよね。無遠慮でごめんなさい」


 ミラーファとレイランが目を合わせると、二人でくすっと笑いあった。そして、ミラーファがリミィナの顔の前にずいっと近づく。


 「リミィナはレイランを助けてくれる頼もしい子。賢くて度胸があって周りに気遣いができる優しい子でもあるわ。そんなあなたはあたしのお気に入り」


 唐突に褒められて驚きつつもつい照れるリミィナに、ミラーファはにこりと笑いかけた。


 「レイランもあなたを見込んで一緒に行動してくれるように頼んだでしょう。――リミィナはもうあたしたちの仲間の一員なのよ」


 レイランもうんうんと頷いている。


 「だから、あたしのこともレイランのことも何でも聞いてもらって構わないわ。まあ、あたしはともかくレイランはもしかしたら話したくないことがいくつもあるでしょうけど、基本的には話してくれると思う。無遠慮なんてことはないわ」


 リミィナは感動しているのか今にも涙ぐんでしまいそうな表情をしているが、ここでミラーファが「ただし」と言って人差し指を自身の唇の前に立てた。


 「今度、時間のある時にゆっくりとね。今は他の人間もいるしやるべきこともあるわ」


 その直後、部屋の外の廊下から近づいてくる足音が聞こえてきた。リミィナは目元を軽く拭った後に「ありがとう」と言って微笑んだ。


 「待たせてしまってすみません。少し大きいですが鉢を見つけました」


 カイエが部屋に入ってくる。身体の前には、レイランたちが出会ったときに持っていたものよりも少し大きい植木鉢を抱えていた。


 「ああ、ありがとうございます。それでは早速やってみましょうか」


 レイランは再びキャラクターを入れ直し、拾った土を入れた袋を手に取った。カイエが植木鉢を地面に置くと、その中に丁寧に土を入れていく。


 「薬草はどうすればいいですか」


 カイエが拾った無事な薬草を手に問いかけるが、レイランはかぶりを振って応じる。


 「いえ、まだ元気な根が残っているでしょうから大丈夫です。燃えなかった無事な薬草はまだ大事に持っておいてください」


 土を入れ終わったレイランが「よし」と言って、一度深呼吸をした。カイエはまだ何が起こるかわからないため不思議そうな表情でレイランを見つめている。レイランの精霊術を見たことがあるはずのリミィナは、緊張した面持ちで祈るように胸の前で指を組んでいる。


 「また祈り人とやらの力が世間に広まってしまうわね」


 ミラーファが冗談めいた口調でそう言うと、レイランはふっと笑った。そして、両手を植木鉢の前にかざす。レイランの両手が光り始め、植木鉢の回りで見えない何らかの力が作用し始めた。直後、土の中から複数の芽が顔を出し、みるみるうちに成長していく。


 「何が……起こっているの……」


 目を大きく見開いたカイエが思わず声を漏らす。ゴドライにて奇跡のようなこの力を目の当たりにした際に彼女と同じような反応をしたリミィナは、驚くのも無理はないという表情で苦笑するも、やはりレイランの力に圧倒されて息を呑む。

 気付けば立派に育った薬草が植木鉢いっぱいに広がっていた。カイエがはじめに持っていた時よりも多いようにも見える。


 「成功してよかったです。これだけあれば薬として充分でしょうか」


 術の行使を終えたレイランがカイエに視線を向けて声をかけると、呆然としていたカイエがはっと我に返る。


 「だ、大丈夫だと思います」


 すっかり元気に育った薬草を凝視しながら、カイエは震える声で返事をした。


 「信じられません……まだ生きていた根から一瞬で植物を成長させるなんて。こんな魔法、見たことも聞いたことも……」


 一般的に精霊術を目にする機会は少ない。そのためまだカイエは何か凄い魔法が使われたのだと思っているようだが、このままではいずれ精霊術を使ったのではと悟られてしまうと考えたレイランは、すっとカイエの前に歩み寄り、にっと笑いかけた。


 「では、お母様のために薬草をすり潰すとしましょう。酒場の開店時間も迫っているでしょうから、お手伝いしますよ」




 薬草は細かく粉末状にして、水と一緒にそのまま飲ませるのだという。煎じて茶のようにするのかとレイランは思っていたが、今回の薬草についてはそのままの状態でないと効果が大幅に落ちてしまうらしい。薬師から処方の仕方を聞いたというカイエに従わない理由などあるはずがないので、レイランたちはできるだけ飲み込む際の負担が減るように細かく潰した薬草を紙の上に盛り、水の入ったコップを別で用意した。


 「この部屋です」


 潰した薬草と水の入ったコップを持ったレイランたちは、とある部屋の扉の前までやってきた。カイエが数回ノックして「お母さん、入るね」と一声かけた後、その扉を開ける。

 部屋の中は清潔感溢れると言えるくらい綺麗に整理されていた。病人がいるのだから当然と言えば当然だが、先ほどまでのレイランたちにあてがわれた部屋と比較すると余計に綺麗さが際立つ。とはいえ、レイランたちはあの書斎のような部屋について不満を感じている点は本当にないので文句はない。


 「……カイエ」


 三人が部屋に入ると、奥からか細い女性の声が聞こえてきた。部外者がお邪魔していることにはまだ気づいていない様子である。


 「お母さん、調子はどう?」


 心配そうに母を気遣うカイエに対し、カイエの母はベッドの上に横たわったまま「大丈夫」と一言返事を返した。


 「やっと薬が手に入ったの。持ってきたから飲んで」


 薬草を擦り潰したものとコップをレイランから受け取ったカイエが母親の寝ているベッドへ近づいていくと、カイエの母はゆっくりと時間をかけて身体を起こした。


 「薬……? お医者様は治す方法がないと言っていたけれど」


 今にも消えてしまいそうな小さな声で言葉を発する。「大丈夫」とは言っているものの身体の状態はだいぶ悪いと思われた。


 「お母さんの病気にも効果があるかもしれないっていう薬草の話を聞いたの。メルベルさんにお願いしてようやく取り寄せてもらえたんだよ」


 メルベルさんというのは、少し前にカイエが話していた知り合いの薬師のことだろうとレイランは自分の中で名前と人物を一致させる。

 カイエが母親に薬を渡すと、カイエの母は戸惑いながらも震える手でそれを受取り、ゆっくりと口の中に流し込んでいく。飲み込む力が弱くなっているためかすぐに咽てしまうが、カイエが慌てて水を飲ませて、半ば強制的に吐き出さないように飲み込ませた。強引にも見えるが、効力を考えると少しでも体内に入る薬の量が減ってしまうのは良くない。たくさん飲めばいいというものではもちろんないため、少し多めに作っておくなどということはしていない。


 「……どう?」


 カイエが緊張した声で母親に問いかけたので、レイランが思わず横から言葉を挟む。


 「そんな一瞬で効果が出るようなものではありませんよ。落ち着いて」


 それを聞いたカイエがはっとした表情になり、「そ、そうですよね」と俯いた。同時に、カイエの母がレイランたちの方へ視線を向ける。


 「これは……すみません、いることに気付かず。いろいろな感覚が鈍ってしまっているようでして……こんな状態で失礼します」


 たしかに、カイエの母の焦点は微妙に定まっていない。カイエの母がどのような病気で苦しんでいるのかレイランは理解できていないが、かなりの重い病気であろうことは一目でわかる。治癒魔法師という病気の専門家がどこに生えているかもわからない薬草に希望を見出し、カイエが必死になってその薬草を手に入れようと動くような病気だ。このままの状態が続けばいずれは命の危険さえも迎えてしまうのかもしれない。


 「いえ、こちらが勝手にお邪魔しているのでお気になさらず。旅人のレルトシア、こちらはリミィナと申します。カイエさんにはお世話になってます」


 レイランが頭を下げ、続けて隣のリミィナも頭を下げる。


 「怪しい者ではない……とは言えない格好をしていますが、もちろん害を加えるような真似はしません」


 余計なことを言わないの、とレイランの耳に声が届いた。この部屋の中に姿は現していないものの、ミラーファも一連の出来事をどこかからか見ているらしい。


 「レルトシアさんとリミィナさんは私をたくさん助けてくれた恩人なの。良い人たちだから心配いらないよ」


 口をほころばせてカイエが補足すると、カイエの母は「そうでしたか」と弱々しく笑みを浮かべた。


 「子供を守るのは親の役目だというのに、何もできずにごめんね。そして、娘を助けていただいたようで、感謝します」


 謝られたカイエが悲しい顔で首を横に振る。病気で動けないのだから、カイエの母が悪いなんてことはない。


 「聞きたい話などたくさんあるでしょうが、今は身体を休めることだけを考えてください。今飲んだ薬草は大変効果があるものらしいので、快調に向かう可能性は大いにあると思いますよ」


 レイランが優しい声色でそう言うと、カイエの母は「そうですね」と一言答えた。


 「お礼をしようにもおもてなしをしようにも、申し訳ありませんがこの身体では何もできません。もしも体調が良くなってきたら、その時改めてご挨拶させていただきます」


 そして、カイエの母はゆっくりと身体を倒し、ベッドの上で再び横になった。目を閉じ、眠る前に「すみませんが、カイエのことをよろしくお願いします」と一言だけ発すると、すぐに穏やかな寝息へと変わる。


 「無事に回復するでしょうか……」


 カイエが不安げにそう零すと、リミィナがカイエに近づいて彼女の手を取った。


 「治癒魔法師の人も薬屋の人も一目置いている薬草なのでしょう。きっといい方向に向かうはずだよ」


 励まされたカイエは小さく頷くと、「そうですね」と不安を振り払うように微笑みを浮かべた。


 「さて、私はお店を開けなくてはならないので準備に向かいます。お二人は開店の時間になったら是非お店に来てください。席は空けておくので」


 「いえ、私たちも手伝いますよ。ただで泊めていただくわけにはいかないですからね」


 レイランが恐縮してそう言うと、カイエはふるふると首を振った。


 「私を危ない場面から助けていただいただけでなく、薬草のことも何とかしていただいたじゃないですか。旅の疲れもあるでしょうからゆっくりしていてください」


 そして、カイエは部屋から出ていってしまった。


 「まあ、ここは厚意に甘えることにしようよ。今後のことも話し合わないといけないでしょう」


 リミィナがレイランにそう言ったとほとんど同時のタイミングで、ミラーファがレイランの背後からふわっと姿を現した。


 「勝手のわからない人間が手伝ったって余計な手間を増やすだけよ。リミィナの言う通り、フィリとどうやって会うかの方針を決めた方がいいわ」


 二人に言われ、レイランは「わかったよ」と肩をすくめた。スモールメに来たのは一刻も早くフィリア―ナの無事を確認するためなのだし、彼女らの意見に異論はない。レイランたちはカイエの母を起こさないように静かに部屋を出ると、音を立てないように扉を閉めた。

 書斎のような部屋に戻ってくると、レイランは椅子、リミィナはベッドに腰を掛けて今後の話し合いをおこなった。ミラーファは彼らの間の空間に座るような姿勢のまま浮かんでいる。


 「スモールメについてだけど、おれは土地感もなければ知り合いもいない。聞いた話によれば現在進行形で魔法師たちがフィリの捜索に動いているらしいから、フィリはまだ捕まっていないと思われる――が、スモールメの魔法師が見つけられないほどの隠密行動を続けている彼女をおれたちが見つけるのはさすがに厳しいと言わざるを得ない」


 スモールメは広大で、全域を隈なく確認するのは現実的ではない。一度もスモールメを訪れたことのないレイランやリミィナにフィリがいそうな場所の見当などつくはずもなく、また無闇に動き回るとレイランの正体がばれてしまう可能性もある。


 「とりあえずあとで酒場に行ったときにそれとなく話を聞くつもりではあるけど、明日からどうやって行動しようか」


 レイランが問いかけると、先に口を開いたのはミラーファだ。


 「あたしも探してみるわ。人間の足で探し回るよりは早くいろいろな場所を見てこられるだろうし。でも、あまり離れるとレイランに何かあった時に気付けなくなる可能性もあるから、そうあちこちまで行けるわけではないわね」


 ミラーファにとって、最優先となるのはあくまでもレイランの身の安全だ。リミィナもいるとはいえ、全く知らない土地で指名手配中の人間を置き去りにして遠くへ離れることは気が引けてしまう。


 「ほかの精霊に手伝ってもらうことはできないの?」


 リミィナがおずおずと手を上げて質問を挟むと、レイランは難しい顔になって顎に手を添える。


 「ミラーファといると感覚が麻痺すると思うけど、本来精霊というのは気まぐれというか、基本的に人間界の事情に関心を持たないんだ。精霊術師が精霊術を使うときも精霊とコミュニケーションを取って協力してもらう必要があるから、精霊の協力を得られないと精霊術は使えないしね。その不確定要素が精霊術師の最大の弱点とも言われている」


 リミィナがミラーファの方に視線を向けると、彼女はくすっと笑った。レイランは続ける。


 「何が言いたいかというと、精霊が人探しなんてものに協力してくれる可能性は限りなくゼロに近いということだ。万が一手を貸してくれる精霊がいたとしても数は少ないだろうし、それで大幅に探す効率が上がるわけでもない。精霊術師の一意見として言わせてもらうなら、あまり期待できる作戦ではないかな」


 提案してくれたのにごめんね、とレイランが謝ると、リミィナはぶんぶんと頭を横に振った。それから、彼女は再び小さく手を上げる。今度は明確な自分の意見を持った挙手だ。


 「私の特技なら少し力になれるかも」


 「特技?」


 レイランは首を傾げた。リミィナはこくりと頷く。


 「私、実は動物と簡単な意思疎通ができるの。幸い……と言っていいかはわからないけど、この辺の地域はあまり治安も良くなくて鼠とか結構見かけたから、お願いしてみようかなって思ってる」


 レイランが目を見開いて驚いた。仮面越しなのでわからないが、それでも驚愕した表情なのは一目見てわかる。


 「あなたって本当に凄いわね」


 ミラーファも驚きを隠せず、珍しく純粋な感嘆を漏らす。リミィナは照れながらもまっすぐな視線でレイランを見据えた。


 「今までも動物たちに助けてもらったことが何回もあった。今回もきっと助けてくれるはずだよ」


 レイランは驚きの表情を崩せないまま、「あ、ああ」と頷いた。


 「じゃあ、リミィナにお願いするよ。本当に助かる、ありがとう」


 リミィナは心なしか得意げな表情になって「任せて」と笑った。その表情はミラーファの影響かもしれないな、とレイランはミラーファの得意げな笑顔を思い浮かべながら心の中で苦笑した。





 「よく来ていただきました。開店時間になっても来なかったので寝てしまったのかと。起こすのは忍びないので呼びにいけませんでした、すみません」


 レイランとリミィナが酒場に赴くと、満面の笑みを浮かべたカイエが出迎えた。酒場の従業員の恰好なのかエプロンをさげており、右脇にはトレーを抱えている。


 「申し訳ない。今後の方針を話し合っていたらこんな時間になってしまいました。まだ席は空いていますか」


 レイランが頭を下げると、カイエが「いえいえ」と手を振った。


 「もちろん空いてます。お二人のために先約ありにしておきましたから」


 どうぞ、と迎え入れられ、レイランとリミィナは中に入る。遅くなったとは言っても開店してから何時間と経ったわけではなかったが、酒場はすでに活気に満ち溢れていた。周辺は治安が良いとはいえない地域であるものの、見るからに柄の悪そうな人間は見受けられない。カイエやカイエの母の人格が為せる集客なのかもしれない。

 案内された席はカウンターを正面に見た右側の壁際にあった。樽のような形のテーブルがどっしりと構えられており、椅子らしきものは見当たらない。立ち食いスタイルのようだ。


 「お酒は飲めますか? アルコールの入っていない飲み物もあるので遠慮せずに言ってください」


 カイエが注文を取るためにレイランたちに問いかける。レイランは麦とホップが使われた酒を注文した後、リミィナに視線を送る。


 「リミィナはどうする」


 「私も久しぶりにお酒飲む。果実酒がいいな」


 リミィナが内心わくわくといった態度で希望を伝えると、カイエはにこりと笑顔を浮かべてカウンターの方へ向かっていった。彼女の背中を何気なく目で追っていたリミィナが「あ」と声を出した。


 「カウンターのところにミラーファさんがいる」


 それを聞いたレイランもカウンターの方へ目を向ける。確かに、カウンターに腰掛けるような形で佇んでいるミラーファが酒場を見回していた。二人の視線に気付くと、ミラーファはくすっと笑ってレイランたちの方へ空中を滑るように近づいた。


 「カウンターに座るのはマナーが悪いな。どうしたんだ」


 軽く冗談を挟み、ミラーファに問いかけるレイラン。ミラーファは微笑んだまま肩をすくめた。


 「そんなマナー、精霊界にはないわ。この場にあたしと目が合うような人間がいないか確認していたのよ」


 「――確かにあんな目立つところを陣取っていたらさすがに人目を引くだろうな。"視える"やつがいれば」


 「でしょう。結果的にこの場にそんな人間はいなかった。だからこうして堂々とあなたたちに話しかけに来たってわけ」


 仮にこの場でミラーファと会話したとしても、レイランとリミィナが二人で会話しているように周りからは見えるだろう。以前であればそんな確認をしなくても問題なかったが、レイランとミラーファが一緒に歓談している様子を見た何者かが、ふとレイランの正体に気付いてしまうかもしれない。現状どの場所でも素性が明かされるのは好ましい展開とは言えないが、スモールメに滞在している間は特に正体が知られてはいけない。フィリア―ナと合流する前にレイランがスモールメにいるとばれてしまえば、レイランも捜索などしている場合ではなくなるからだ。


 「お待たせしました」


 ミラーファの真横にカイエがやってきた。両手にそれぞれ一つずつジョッキを持っている。ミラーファに気付くわけはなく、ほぼ密着状態ともいえるほどの距離にいるにもかかわらずカイエは見向きもしない。精霊と人間は触れ合うことすらできないため、ぶつかることもない。


 「ありがとうございます」


 レイランたちは礼を言うと、二人でジョッキを乾杯した後に一口目を喉に流し込む。レイランの酒は一度でジョッキの半分ほど量を減らし、リミィナの方は酒の嵩を少しだけ下げた。


 「レルトシアさんは食事の時も仮面を外さないんですね」


 ふと気になったという様子でカイエが尋ねると、レイランではなくリミィナが「実は……」と検問の際に語ったことと同じ内容を説明して聞かせた。食い違いが発生すると面倒であるため、レイランは黙ったまま何度か相槌を打つだけに留める。リミィナの説明を聞いたカイエは申し訳なさそうな表情になった。


 「すみません、そのような事情があるなんて知らずに聞いてしまって」


 「いえ、いいんです。誰が見たって怪しいのは確かですからね」


 飄々と言うレイランに、ジトっとした視線を向けるミラーファ。それを気にすることもなく、レイランは辺りを見回した。スモールメのなかでは栄えていない方に属するであろう地域のはずだが、結構な賑わいを見せている。皆、楽しそうに会話をし、酒や食事を楽しんでいる。手伝ってくれる常連客がいるとは言っていたが、それでもこの店を娘一人が回すのは大変だろうと思われた。


 「カイエ!」


 すると、店にいるうちの一つの団体がカイエの名を呼んだ。親し気な声色から察するに、常連の団体の一つだろう。返事をしたカイエはレイランたちにぺこりと頭を下げると、呼ばれた方に小走りで向かっていった。


 「忙しそうだね」


 カイエの背中を見ながらリミィナが呟く。レイランは「そうだな」と頷いた。


 「あんたたち、見ない顔だな。この店の酒は美味いだろう」


 突然、レイランは何者かに肩を組まれた。ぎょっとしてレイランが振り返ると、顔を真っ赤にした男が酒の入ったジョッキを片手にレイランたちに絡みに来ていた。大柄で強面という印象を受けるが悪い人間ではなさそうだ。


 「ええ。カイエさんとは知り合ったばかりなのですが、親切にしていただいてこうしてご招待していただきました」


 害意がなかったとしても酔っ払いに絡まれるというのは決して良い気持ちではなく、思わず眉間に皴を寄せながらも笑顔を作ってレイランが対応する。


 「へえ。知り合ったばかりにしてはずいぶんと仲が良さそうに見えたが」


 「優しい方なのでしょうね。初めてのスモールメで戸惑っていた私たちに手を差し伸べてくれた親切な方です」


 「あんたら、旅行客かなんかかい。なんだって繁華街じゃなくてこんな治安の悪い場所にいるんだ」


 リミィナはちびちびと果実酒を飲み続けている。どんどんと話しかけてくる面倒な酔っ払いとの会話は極力避けたいらしい。ミラーファはにまにまと楽しそうな笑みを浮かべてレイランと酔っぱらった男の会話を聞いていた。ここは自分が一人で対応するしか道がないらしい、とレイランは密かにため息をついた。


 「治安が悪いと言えば、スモールメでは何か大きな事件でも起こっているのですか。都市に入るのに随分と時間がかかってしまったのですが」


 多少強引だが、レイランが話題を変えた。酔いが回って口が軽くなっているであろうスモールメの住人だ。スモールメの現状やフィリア―ナの件について何か有力な情報が聞き出せるかもしれないと思い、レイランはさりげなく情報収集に移る。


 「なんだ、知らんのか。今は世界中で有名な話だろう、勇者一行が指名手配されているって」


 片眉を大げさに上げながらそう言う男に、レイランは顎に手を添えてあたかも今思い出しているという様子を装って口を開く。


 「ああ、確か勇者一行のうちの一人、大魔法師フィリア―ナがスモールメ出身の方なのでしたっけ」


 男は大きく頷いた後に、ぐいっと自分の酒を豪快に喉へと流し込んだ。「ぷは」と大きく息を吐くと、レイランたちのテーブルにどかっと肘をついた。しばらくレイランたちの卓から動くつもりはなさそうだ。


 「可愛らしい娘っ子なんだが魔法の技術はスモールメのなかでも群を抜いていてな。フィリア―ナが小さい頃からスモールメでは有名人だったのさ」


 「さすがは勇者のうちの一人、といったところですね。そんな大魔法師フィリア―ナが、今ではお尋ね者として世界中から狙われていると」


 「その通りさ。スモールメから逃げ出す前に結界が張り直されたから、今もまだ都市の中にいるって話だ」


 「おや、まだ捕まってはいないのですか。都市の外に出られないのであれば見つかるのも時間の問題でしょうに」


 すでに捕まっていたとしたら困るが、あくまで部外者の立場を装って、意外だという表情でレイランが尋ねると、男は「本当だよ」とため息をついた。


 「フィリア―ナが逃げ続けているせいでそこら中に憲兵の魔法師がうろついている。別にやましいことはないが憲兵があちこちにいるんじゃあどうしても息苦しいだろ。早く捕まってほしいもんだ」


 「……」


 レイランは僅かに苛立ちを覚えて黙り込んだ。仮面のおかげでばれないだろうが、眉間に皴が寄っているのが自分でもわかった。しかし、フィリア―ナが早く捕まってほしいというのはスモールメに住んでいる人間からすれば当たり前の考えだろう。ここで文句を言うのは違うし、フィリア―ナの関係者であると露呈しかねない。


 「なんで大魔法師フィリア―ナさんは捕まらないんだろう。魔法師は魔力探知でどこにいるかわかるって聞いたことがあるけど」


 レイランの心中を察してか、リミィナが口を挟んできた。男は急に会話に混ざってきたリミィナに少し驚きつつも、にっと笑って彼女の質問に答えた。


 「良く知ってるな嬢ちゃん。だが、魔力探知ってのはあくまで雰囲気とか気配みたいなものなんだ。正確な場所は結局のところわからず、この辺にいるっていうのが感じ取れるだけなのさ」


 精霊術師が精霊を察知できるように、魔法師には魔法師の持つ魔力を感じ取る特技のようなものがあるらしい。ただしそれは正確なものではなく、あくまでなんとなくという感じのようだ。そうでなければ、スモールメの魔法使いたちは皆、レイランが魔法師ではないのに異能の力、つまり精霊術を行使しているとすぐに見抜けなくてはおかしい。現にカイエは、レイランの力は魔法によるものだと勘違いしている。

 特に魔力の探知に優れている魔法師が、魔力探知をもとに人を探す憲兵の一員になれるのであろう。


 「……では、未だにフィリア―ナは捕まっていないし、結局どこに潜伏しているかも憲兵側は把握しきれていない、ということですか」


 レイランが男から知ることのできた現在の情報をまとめると、「そういうこった」と男が再び大きく頷いた。


 「ほら、噂をすればなんとやら。窓の外を見てみな」


 男が親指で酒場の入り口の方を雑に指で指す。扉は閉ざされているものの、窓越しに外の様子が見えるようになっているが、ローブのようなものを羽織った集団が険しい顔をしながら歩いているのがレイランたちの目に入った。


 「こんな治安の悪いところを探させられて機嫌が悪い魔法師がいるだろう。きっと冴えない魔力探知でこの近くに大魔法師様がいると察知したのさ」


 捜索隊と思しき魔法師たちは周囲をきょろきょろと見回しながら、確かに不機嫌そうな表情で仲間同士何かを話している。


 「――案外近くにいるのかもしれないね」


 含みのある口調でリミィナがそう言うと、男は「かもな」と聞き流して豪快にジョッキの中の酒を飲み干した。そして、新しい酒を貰いにカイエの方へ近づいていく。


 「……」


 レイランは離れていく男には一瞥もくれず、窓の外をじっと鋭い視線で眺め続けていた。





 日が落ちたことですっかりと暗くなった。表の道は魔法による照明で明るく照らされているが、今いる路地裏はほとんど周りが見えないほど暗闇に包まれている。

 数日動き続けたことで息は上がっており、何も口にできていないため体力がすでに底を尽きかけていることを嫌でも感じ取っていた。少し前に物陰に腰を下ろして休息を図っていたところ、憲兵の魔法師と思われる声が聞こえたので慌てて場所を移動している。一般的な魔法師の持つ魔力であればここまで正確な魔力探知はされないはずだが、なにぶん自分の持つ魔力は誇張なく桁外れだ。完璧に自分の場所を特定されるには至らないものの、居場所を検知されるのが早い。そのせいで満足な休憩も今後の作戦決定も叶わないのだ。


 「そういや、今日は見慣れない客がいたな。カイエと仲が良さそうにしていたが」


 「あの仮面を付けた謎の兄ちゃんと美人な嬢ちゃんだろ。一緒に旅をしてる最中で、二人の歳もそんなに変わらなそうだって言ってた気がするな。カップルで仲良く観光にでも来たんじゃねえの」


 「それが、なんか故郷の風習のせいで訳アリの旅の途中だって話だぜ。仲良く観光どころか過酷な試練だろ」


 「それは大変だな。悪い奴らには見えなかったし、よくわからんが良い方向に向かえると良いな」


 酔っぱらった様子の男たちの会話がどこかからか耳に入ってくる。馴染みの酒場に見慣れない客が来ていて大変なバックグラウンドを持っていそうだという話のようだ。今まさに過酷な逃亡中の自分にとってはどうでもいい話題である。無意識に顔を隠すように服の襟元をつまんで口元を隠し、声が聞こえた方角と反対方向へ足早に向かう。


 「……?」


 暗い路地裏をひっそりと進んでいると、今まで通ってきた道と比べて違和感のある場所に辿り着いた。今いる場所を曲がると突き当りにぶつかるようだが、突き当りの方に大きな緑色の何かが見える。追っ手がまだすぐ近くにいないことを確認し、そちらの方へ進んでいく。土や草、花のようなものが所々に落ちており、それが入っていたと思われる植木鉢か何かの破片が少しだけだが散らばっている。辺りは治安が良いとは言えない地域だ、このような残骸はさして珍しいものでもない。しかし、最も目を引くのはさらにその先にある緑色の物体だ。


 「これって……」


 思わず声が出てしまい。咄嗟に自らの両手で口を塞ぐ。声を聴かれてしまうほど近い場所に誰かがいないことは確認済みだが、それでも今はかなり敏感になっている。

 緑の物体の正体は植物だった。道端から生えているその植物は人間を飲み込めるほど大きく成長しており、中にはまさに人間がいたような大きな空洞があった。人間を獲物にするような危険な植物がこんなところに生えているという可能性もゼロではないが、人間を養分にするために飲み込んだというよりは、巻き付いて拘束していた形跡というように見えた。普通ならそんな予想などすぐに出てくるものではないが、過去に何度かそういった光景を見てきた立場としては、少し心当たりがある。

 自然現象ではなく人の手によるもの。そしてこんな芸当ができる魔法に心当たりはない。それでもこんなことをやってのけてしまう人間が一人だけ思い当たる。魔法師にはできない芸当だとしても、優秀な精霊術師である彼による結果だとすれば納得できる。

 自分と同じ追われる身であるはずの彼がスモールメに来ているとは思っていなかった。しかしながら、絶望に支配されかけていた自分にとって、その瞳に希望の光を再び宿すのに充分すぎる景色だった。


 「レイラン……もしかしてスモールメに来てるの?」


 世界を救い、その後指名手配されて故郷の中を何日も逃げ続けていた勇者一行のうちの一人。大魔法師フィリア―ナは目を大きく見開き、震える小さな声でそう呟いた。

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