■プロローグ
幼いころ、父方の祖父母が暮らすイギリスへ家族旅行に行ったときのことを、すみれは今でも鮮明に覚えている。まるで絵本に出てくるようなかわいらしい家と、そこから人懐っこい大きな犬が目をキラキラさせながら走ってすみれたちを出迎えてくれた。
その犬に負けず劣らずの勢いですみれをぎゅっとハグしてくれたのは、青い瞳のグランマだった。そのかたわらには、目尻を下げて『待っていたよ』と微笑むグランパの潤んだ黒い瞳あって、幼いながら、すみれに鮮烈な印象を与えた。
――初めて会う祖父母は、ハーフの父のルーツそのものだった。
そして、なにより驚いたのが、その広い庭だ。
郊外に建つ祖父母の家は、その敷地のほぼすべてが緑で溢れていた。
日本では見たことのない木もあれば、くねくねと曲がりくねった小径の両側には、咲きこぼれんばかりに色とりどりの花が植えられていて、ところどころにあるベンチに腰掛ければ、花の間から何体ものガーデン人形がひょっこりと顔を出す。
「ひみつの花園みたい!」
歓声を上げるすみれに目尻のしわを深くすると、グランマは片言の日本語で言う。
「そうヨ。ここは、おばあちゃんのひみつの花園ヨ。スミレにもそう見える?」
すみれは、その言葉に迷わず返す。
「うん! だって、本当にそうなんだもん」
あとから教えてもらったのだけれど、グランマ自慢のひみつの花園は、いわゆるイングリッシュガーデンという英国式の庭だった。あるがままの自然を愛し、慈しみ敬い、共に生きる――グランマはきっと、それを〝ひみつの花園〟だと言ってくれたすみれが嬉しかったのだろう。すみれのためにたくさん練習してくれた日本語で庭を案内してくれたグランマは終始楽しそうで、すみれの中に幸せな記憶として今も色鮮やかに刻まれている。
その精神は古来から四季折々の自然を畏れ敬い愛し、共存してきた日本の風土とよく似ているとすみれは思う。国も文化も、髪や肌や目の色が違っても、美しいものを美しいと思う心や自然を愛する心は、誰もがみんな共通して持っている。
つまり、自然の前では国境なんてなく、人は人でしかないのだと。