弟の友人・ライナス
ライナスはルイーズがずっと好きだった。
幼い頃から交流自体は何度かあったけれど、多分好きになったのは12の時。デビュタント用の白いドレス姿を見て。
それはルイーズの母親と友人だった母と共に、フレッドも連れて5人で出掛けた街の記憶。
それまでは面倒見がいいただの『お姉さん』。タウンハウスが並びの、友人の姉でしかない。
自分にもお姉さんぶって注意したり世話を焼いたりするルイーズに、ライナスは『お節介ブス』などの子供らしい暴言を吐き、怒鳴られたりもしている。
その頃のルイーズはライナスにとって、性別が女の年上の子供に過ぎなかった。
元々タウンハウスを使うのは社交シーズンの夏だけで頻繁に会う訳では無いが、学園に入学したルイーズとは更に会わなくなった。
長期休暇で一時的にタウンハウスに戻ってきたルイーズ。久しぶりに見た彼女は、『女の人』になっていた。
それを強く感じたのが、白いドレス姿の彼女。
流石にもう、照れから暴言を吐くほど子供ではなかったが、まだ少年のライナスはそこから上手くルイーズと喋れなくなった。
次の記憶はふたりの両親の葬式の時の、黒いワンピース姿の彼女。
白いドレスを身にまとい風に揺れる花のようにはにかんでいたルイーズは、それが遠い昔に感じる程大人びた顔をして立っており、ライナスは後悔した。
不謹慎だと思いつつも、それを綺麗だ、と感じてしまって。
(……『綺麗だ』って、言っとけば良かった。 街に出た時に)
それでもそれは、なにもなければ少し胸の痛い淡い初恋の記憶に過ぎず……いずれ時と共に思い出に変わるモノだったのだろう。
それが思い出にならなかったのは、フレッドがルイーズを連れて家を出たと知ったから。
「──フレッド?」
ルイーズが学園を辞めたことは聞いていたが、フレッドと騎士科で出会ったライナスは驚いた。
「どうして? お前……」
「ああ、家を出た。 騎士になりたくてさ! 今姉さんと暮らしてる」
明るくそう言うフレッドに、敢えて事情は聞かなかった。
それでもなにかと世話を焼いたのは、勿論ルイーズが気になったから。
『気になった』というのは下心というよりももっと純粋な気持ちであり、それ故に発生する罪悪感だった。
黒いワンピース姿のどこか決意に満ちた横顔……それに胸をときめかせてしまったこと。
白いドレスをルイーズが着ることはなく、時折遠目から目で追う今の彼女はひっつめ髪に地味な化粧と服で、目立たない。
それを、どこか嬉しいと思っていること。
自分に嫌悪しながらも、気持ちが止められず、更に嫌悪する。当初この気持ちをライナスは持て余していた。
彼女の大事な弟を気に掛け、世話を焼くことで少し赦される気がしたのだ。
最初はルイーズへの気持ちからだったが、世話を焼いているうちにフレッドは大事な友人となった。
弟の為に働く彼女の姿。
姉の為に頑張る友人の姿。
ライナスは今まで以上にルイーズという女性を好きになり、成長著しいフレッドがいることで恋心を努力に変えることができるようになっていた。
恋の自覚と共に自身への嫌悪もなくなっていたが、それを表に出す気はなかった。
姉を支えにしているフレッドの……そして弟を支えにしているルイーズの気持ちを考えれば、ライナスだって『学生のうちの恋愛なんて浮ついた感情』で彼女を煩わせたくはない。
友人らとの巫山戯た恋愛話で、冗談めかして逃げ道を作りつつ盛り上がるぐらいがちょうど良かった。
そして『弟の友人』という立場は心地よく、それなりにオイシイ。
彼女に近付く輩を牽制し、時には排除した。
物理的だったり、裏で動いたりという経験は、きっと今後の役にも立つと思う。(※清々しい表情で)
二年目のある日から、ルイーズの手弁当にも毎日ありつけるようになった。
それはお世辞にも『美味い』と言えるものではなかったが、味も見た目も少しずつ上達し、時には感想で述べたことを取り入れてくれている。
その繋がっている感じが嬉しくて、ライナスは昼食代と引き換えに嬉々として受け取っていた。
卒業間近になると、もう普通に美味しくて……『早く卒業して一人前になり、想いを告げたい』と思っていた気持ちが少し揺らいでしまったのは、彼だけの秘密である。
卒業してもライナスが変わらなかったのは、概ねフレッドの想像通りだが、少しだけ違う。
家が裕福なライナスは、フレッドと違い給金の減りが少ない。
結婚だけを『責任』というなら、正騎士となった20で既に想いを告げても良かったが、フレッドのことが気掛かりだった。
切磋琢磨してきた彼からまだ正騎士なったばかりのこのタイミングで、支えとなっていた姉を奪うような真似はできない。
だが──別に『結婚を前提としたお付き合い』ならいいんじゃないか、くらいの気持ちはあった。
大体にして、ルイーズは23(当時)。
めぼしい男は排除したが、彼女自身が婚活などし出すのが怖い。そんなことにならないうちに、さっさと公的なマーキングをしたいところ。
物理的には邪魔が入るかもしれないが、お預けには慣れている。……もう慣れた。
しかし、ルイーズは鈍感だった。
そして、ライナスは不器用だった。
(つーかそもそも、意識すらされてないしな……)
ライナスは特に奥手でもないが、ルイーズ相手だと『弟の友人で貴族子息』というのが邪魔して上手くいかなかった。
線引きが強過ぎて、褒めても誘っても躱されてしまう。学生時代についた『チャラい』というイメージもよろしくないようで、加えて盤石な『弟の友人』ポジ。彼の想像通り、意識すらされていないのである。
ふたりきりになろうにも、家事があるルイーズは誘いに乗らず、家にいけるのはフレッドがいるときだけだ。
学生のうちは構わなかった『弟の友人』ポジが憎いが、こうなると今更どうしようもない。
それまで頑なにフレッドに頼らなかったライナスだったが、とうとう今年、彼の23の誕生日近くに「ふたりきりにさせてくれ」と頼み込んだ。
「ルイーズさんに告白する……いいな?」
「あっそ。 りょーかい」
神妙に告げたと言うのに返答はそれ。
ライナスにしてみれば、フレッドがアッサリ受けたのは意外だった。
どうでもいいような特に急ぎでない仕事をルイーズが任されたのも、ライナスの小細工である。
家に帰られたらもうどうにもならない。
あの日別にライナスは学園担当ではなかった。仕事を終わらせた後、急いで学園のルイーズの元へと駆け付ける必要があった彼は、その時間稼ぎに予めフレッドのワインと似たような手段で事務方に『お願い』をしておいたのだ。
ルイーズが倒れたのは全くの想定外で、どうしたもんかと思った。
時間が早かったから、フレッドがまだいるとみて、家に運ぶ選択をしたのが運良く正解だった。
そうでなかったら……まあ、それもまた違う幸運があったのかもしれないな、などと思いつつ……その考えは捨てておく。
昨夜だってなにかしようと思えばできたが、今度誠意と愛情を見せるのは、弟のフレッドにではなく、彼女自身。
これからがスタートであって、ゴールではないのだ。
勿論お付き合いできても結婚できてもそれがゴールではないが、それでもひとつのゴールとして……またスタートとして、ライナスは早く見たかった。
見ることの出来なかった……試着ではない、彼女の白いドレス姿を。
それを着てはにかむルイーズを。
(デビュタント用ドレスじゃないけど、『俺の妻として』、というならデビュタントだ。 なら、ウエディングドレスだっていいだろ? ……とか、クサすぎかよ。 いや、プロポーズはクサいくらいがいいか。 記念になるし)
あの時伝えられなかった分も沢山『綺麗だ』と伝えたくて──
──と、まあ。
かなり先走っているものの、現実はこれから。
プロポーズには早過ぎる。まだ初めての誕生日デートだ。
なのに、そんなことを考えながら歩いているライナスを『脳内お花畑』と笑うなら笑えばいい。
本当に『脳内がお花畑で春爛漫』の彼ならおそらく、惚気けるだけに違いなのだから。ばくはつしろ。
彼女を迎えに行く自分の足も、先走った脳内に引き摺られ小走りになっていたことに気付き、ライナスは気を引き締める。
ようやく意識して貰えたことに完全に浮き足立っていた自覚から、アパートメントの入口で少し立ち止まった。
予約したのは、カジュアルで気負わない、小洒落た雰囲気のいい店。そこに合わせて購入した、新しい中折れ帽のつばを意味なく直す。
スマート且つ紳士的にカッコつけるべく、心構えも入念に迎えに行ったライナスだったが。
「……!」
「お、お迎えありがとうございます……」
恥じらいながら出てきたルイーズの、小花柄のワンピース姿。
白いドレス云々と共に語彙も吹っ飛んだライナスがルイーズに『綺麗だ』と言えたのは、ぎこちないエスコートで歩き始めた少しあとのこと。