弟・フレッド
翌日、ライナスを待っていたのはフレッドのこの科白だった。
「つーか何アレ?! 開けてんじゃねーよ、誕生日プレゼントをよぉ!!」
フレッドへの誕生日プレゼントと言ったワインは、本当にフレッドへの物だった。フレッドが指定したのだから間違いない。
誕生日プレゼントと言うより実際は、賄賂。
『友達以上恋人未満』のフレッドの友人は、毎年彼が姉と誕生日を祝うことを知っている。
たったひとりの家族を押し退けてまで、誕生日その日に拘るような娘ではないので、約束を取り付けたのはフレッドの方である──ライナスに頼まれて。
まあ、フレッドの方も生活が安定し貯金も貯まったので、もうそろそろ彼女に『君が特別!』感を出したかったから別にいいのだけれど。
「むしろ文句を言うべきは……お前に恋人ができないせいで我慢させられていたこの俺。 このシスコンが!」
「えぇ……? とんだ風評被害!」
「困惑した顔すんな、事実だ事実。 で、どうなんだそっちは」
「あ、聞きたい? 聞きたい??」
「いやいいわかった」
「聞いてよ!!」
ライナスは確かに我慢をしていた。
フレッドがシスコンというか、ルイーズがブラコンというかは兎も角、ふたりは互いに唯一無二の家族。
軽口を叩いてはいるが、実際のところそれは重く……自分の気持ちだけを先行させるに至らなかった。
ライナスだけではない。
それはフレッドも同じで、今まで彼が女性とちゃんとしたお付き合いに至れなかったのは『姉を優先させても許してくれる相手でなければ』と考えていたため。
そしてそれを理解し自分も姉の関係を大事にしてくれたライナスだからこそ、大切な姉を任せられたのだ。
彼は姉に酷いことをしない、という信頼があったから。
10年前、両親が亡くなったあと。
ルイーズを巻き込み、我を通したようなかたちで家を出たフレッドだが、本当は別に騎士になりたかったわけでもなかった。
ただ、姉をあの家に置いておく訳にはいかなかったのだ。
姉は気付いていないが、叔父はルイーズを邪な目で見ていたことに、フレッドは気付いていた。
家に残して寮に入れば、いつ毒牙にかかるかわからない。成人していない自分は貴族籍を抜くことはできず、『いずれ家をフレッドに継がせる』などと持ち掛けて身体を差し出させようとすることも考えられた。
用意された家に入らなかったのも、不在中の叔父の来襲を危惧してのこと。
先にルイーズだけ貴族籍を抜かせたのも、不本意な婚姻から姉を守るため。
手に入れられないとわかった途端、売り払うように碌でもない相手とのルイーズの婚姻を決めるかもしれない……そう考えたフレッドは、姉を言いくるめて成人と共に籍を抜かせた。
両親の喪が明けるよりもルイーズが16になる方が早かったのも幸いした。
我が強いのは事実だが、そう見える言動も含め、全てフレッドが調べ、考え、動いた結果。
叔父が一番の危険だっただけで、市井で姉が働くのを危険と思わなかったわけではない。
それでもまだ13の彼の選べる選択肢の中で、できるだけ最適解に近いものを選んだつもりだ。
ルイーズが学園で働くことになったのは彼女の力だが、フレッドはそれにかなり安堵した。
貴族の子女も多く通う学園の警備は厳しく、生徒だけでなく女性の関係者も多い。
地味な服装で地味な化粧をしているルイーズは目立たなかった。所作はしっかりしているので、悪目立ちすることもない。
もともとルイーズは突出して美人でもないが、それは美容に気を遣う貴族女性内での話。
フレッドに身内的な欲目があるにせよ、買い物程度なら兎も角、街で働けば当然目立つだろう。
「──フレッド?」
「やあ、ライナス。 久々」
ライナスとの再会は、学園の入学式。
ライナスとは確かに友人だが、所詮はタウンハウスが並びで母親同士が友人という程度の子供同士の付き合いに過ぎない。
両親の不幸がなければ、嫡男だったはずの彼は騎士科に進んでおらず、ライナスとの交流は自然と減っていただろう。
結局のところバークス家にしたら他家の事情。次男で家を出るまだ13のライナスに詳しく聞かせる理由もなく、彼はほぼ何も知らなかった。
実際、フレッドと騎士科で出会ったライナスは驚いていた。
「どうして? お前……」
「ああ、家を出た。 騎士になりたくてさ! 今姉さんと暮らしてる」
「ふ~ん……」
明るくそう言うフレッドだったが、ライナスは漠然と複雑な事情を感じていた。
今やそれなりにしっかりした体躯となったフレッドだが、当時はもっと細身で。明るくややお調子者ではあったが、その印象の主だった部分は達者な口。『騎士になりたい』だなんて、活発なタイプではなかった。
「まあいい、お前がいて安心したよ。 ……これで実技でビリになる心配をしなくてすむ」
「馬鹿言え、ちょっとデカいと思っていい気になるなよ? 俺は育ち盛りだからな!」
事情そのものについては何も知らずとも、フレッドがいずれ家を継ぐのならば騎士科で会うことはないのはわかる。
ライナスは察したが、敢えて事情は聞かなかった。
そのくせなにかと世話を焼いてくれたライナスとは、そこでようやく真の友人となった。
学園生活が始まり、彼がルイーズを気にしていることは徐々にわかったものの、取り持つ気などフレッドにはサラサラなかった。
ライナスは特別美形ではないが高身長でキリッとしている。言わば『雰囲気イケメン』の彼は、それなりにモテた。
フレッドにしてみれば姉に気があるのも含め、警戒して然るべき男だ。
ライナスはフレッドが目を離した隙に姉に近付き、親しげに雑務の手伝いなどをする。
それを見た女子生徒から危うくルイーズがやっかみを買いそうになったところを、ライナスが慌てて女子にフォローを入れた。
その場はそれで事なきを得たのだが、そのせいで『チャラい奴』というイメージが彼についてしまい、ライナスは浮ついた女の子から余計にモテることになった。
そして結果的にルイーズからも『チャラい奴』と思われてしまい項垂れるライナスを、フレッドは優しい瞳で励ましたりした。(※嫌がらせ)
「ふっ──悪いが、学生のうちの恋愛なんて浮ついたモノに大事な姉を巻き込むつもりはないぜ!」
「馬鹿、当然だろ。 俺だってそんなつもりはない」
「……!」
「くそ、その結果がコレだ。 笑えよ」
「はっはっは、ざまぁ」
「本当に笑うなよ!」
なんだかんだ姉に近付いても軽口程度に『綺麗だ』とか『可愛い』とか言うに留めるだけのライナス。
そのくせ割とそんな自分に凹む。
明らかに気があるくせに、自ら本気なのを示さないようにしているのは、同意したのを真面目に受け取るなら『まだ学生だから』。
フレッドに仲を取り持つことを頼んだりもしせず、ふたりに迷惑を掛けない程度にしかアプローチしない彼には、それなりに好感は抱いていた。
(……ま、ライナスは『弟の友人』としてなら近付かせてやってもいいかな~)
実際ライナスはとてもいい友人で、女性関係も含め実は非常に真面目だ。
友人として近付くならば、弟の学園生活を心配している姉も安心だろう。
(姉さんへの気持ちは単なる初恋の云々的なモノかもしれないし、変な男への牽制にもなるしな!)
フレッドはライナスの気持ちをその程度に考えていた。
ライナスの気持ちが『割と本気だ』と気付くのは、学生時代二年目のある日。
肩身の狭い思いをさせていたのでは、とルイーズが振り返って感じたように、フレッドは昼食時辛い思いをしていた。
ぶっちゃけ、ルイーズの弁当は不味かった。
食べられない程ではないが、10人中10人が『美味しくない』と答えるくらい。
だがそれはまだいい。
たまに当たりもあるし、徐々にだがマシにはなっている。演習で作った食事やレーションを思えば大差はない。
問題はそこではないのだ。
味よりもなによりも問題なのは……量が足りないこと。
騎士科に入ってすぐは良かった。
厳しい鍛錬に慣れていないフレッドの胃は、昼食を受け付けなかったから。
二年目にもなると流石に身体は慣れただけに、昼食が少ないのがキツい。
ルイーズが倹約をしているのは弟のため。
単純に成長期男子の食欲を理解していないに過ぎない姉に、『少ない』と訴えれば量は増やして貰えるだろう。
しかし……食堂で食べた方が量とバランス的に良く(味は言わずもがな)、そこをふまえると作るより安い。姉も作らなくてすむ。
労力とコストパフォーマンスを考えれば『作らなくていいからお金をください』と頼む一択なのだが、どんな言葉で言ってもおそらく姉は『余計なことをした』と感じて傷付くのだろうと思うと、どうしても言えずにいた。
(やっぱり、『量を増やして』って頼むかな~。 でも結果、出費だけが増えるし……)
そして正直に言うと、肉が食いたい。
身体の変化と共に、フレッドの好みも変化していた。多分、味覚の変化というより身体が栄養素を欲しているのだ。
今、水をガブ飲みしつつ弁当を食べることでなんとか腹を持たせているフレッド。
この国は優れた浄化装置の開発に成功しており海水も飲水に変えられる為、水には困らない環境。
それだけが救い。まさに、命の水。
「フレッド?」
「……!」
昼食時ひとり抜けるフレッドを以前から気にしていたライナス。「弁当が下手で、姉さんが気にするから」と言っていたのは知っていた。
外れにある井戸で水を異常な程飲んでいるフレッドと、弁当の大きさを見て、察しのいい彼はなんとなく理解する。
至極真面目な顔でライナスは提案した。
「──フレッド。 それ、買い取らせろ」
「は?」
「お前はその代金で食堂で食う。 俺はお姉さんの手弁当を食う。 ……感想は伝える。 お前は腹が膨れ、俺はお姉さんの手料理を味わえ、お姉さんは努力が無駄にならず、皆幸せ……のハッピープランだ」
「!!」
確かにハッピープランである。
ルイーズが感想を励みにしているのを感じていて、だからこそ余計に『食堂で食べたい』とフレッドは言えないでいるのだ。
騙すみたいで気は引けるが……『ルイーズは悪くない』という事実を告げても下手な自覚がある彼女はきっと、完全にそうだとは受け取らない。
しかしこれならバレたところで『ライナスが食べたがった』という事実がある。
ルイーズは下手なだけに恥ずかしがるだろうが、『食べさせたい』という気持ちの方が強いので、悪い気はしないだろう。
ルイーズという人間を一番よく知っているフレッドだ。姉のみを考慮してもどちらの事実を取るかなんて、考える迄もなかった。
「……言っとくけど、ぶっちゃけ不味い」
それでも一応念押しする。
それくらいには不味いが、食べるからには全部食べるのでないと承諾できない。
「レーションよりはマシだろ。 不味かろうがお姉さんが作ったってだけで、充分その価値はある」
「真顔かよ」
(多分、コイツは残さない)
そう思った通り、ライナスは決して残さなかった。
そして指示した訳でもないのに、誰にも見られないように食べ、ルイーズに自らなにかを言うこともなかった。
量だけはやっぱり足らないので、カフェでパンとかを買ったりはしていたけれど。
それは卒業するまで続いた。
卒業して騎士候補生となっても、すぐに正騎士になれるわけではない。
正騎士として馬を賜るまで2年。20になってようやく本当に騎士となったフレッドとライナス。
更に姓と『騎士』としての爵位を与えられるまで、戦や突出した功績がなければ順当にいくと更に3年かかる。
もうすぐ爵位と姓が手に入る。
『それを機に解禁』とは昔から言っていたフレッドだったが、クソ真面目にそれを守っていたのではないかという程、ライナスは変わらなかった。
直前になって、まさか今更賄賂を贈られるとは思わなかったし、それをほぼ全部飲まれるとも思わなかったけれど、多少の誤差は許す。
(つーかまあ、結構前から俺は許してたんだけどね……)
手助けこそしなかったが、本気だとわかってからは生温かく見守っていた。
ライナスは思った以上に真面目で一途で……ついでに陰湿だったから。
学生時代、『姉の周囲の男への牽制に使える』などと考えていたフレッドが引くくらい、彼はこっそり排除しまくっている。
ルイーズが鈍感で良かったと思う。
住居を調べた叔父が何度かルイーズと接触を試みようとし、それに頭を悩ませていたフレッドだったが、それもライナスが排除した。
どう弱味を握ったのかはわからないが、脅したようである。
それ以来叔父は姿を見せていない。
ライナスが我慢したのはルイーズの為ではあるが、自分の為でもあることをもう彼は充分理解していた。
恋人がどうの、というより本当は、ルイーズの為にしていた彼なりの努力を、無駄にさせたくなかったのだということを。
ルイーズの支えはフレッドだったが、フレッドの支えもまた、ルイーズだったから。
(横からかっさらって、幸せにしてくれても良かったのに……)
ライナスはいい友人だ。
強いてダメ出しをするなら、姉の年齢が結構いってしまったことだろう。
ライナスの浮かれた背中を見送り、フレッドも定時にさっさと家に帰ると、そこに居たのは珍しく小綺麗な姿をしている姉。
「……ねぇ、おかしくない?」
「大丈夫大丈夫、姉さんはいつも綺麗だよ」
「もう! 真面目に見てよ!!」
久しぶりに着飾って出掛ける姉は、浮き足立っていて少し不安そうだ。
でも、きちんと褒める気はない。
(どうせアイツがアホ程褒めるだろうし)
鈍感な姉にはそれまでお預けの方がいい。
フレッドなりの餞……いや、誕生日プレゼントだ。
「……それよりさぁ、明日。 久しぶりに弁当作ってよ。 あるんでしょサラダチキン。 サンドイッチにして」
「ええ? いいけど」
「あれ、姉さんの弁当の中でも当た……お気に入りだから。 ライナスの」
「……ラ……え? ええッ?!」
黒歴史でもある下手くそな弁当を、ライナスが食べていた事実──ついでにコレもオプションとして。
「ちょっと! いつあげたの?! あああああんな美味しくない……」
「ライナスに聞けばぁ? あ、俺も外で飯食ってこよっと。 着替えるから入らないでね、オネーチャン」
ささっと自室に入り、姉の怒声が聞こえる中で着替えながら、フレッドは思う。
(やっぱり俺ってシスコンかもしれん……まあ、このくらいはアレだ。 可愛い意地悪だな!)
なんせ、弁当の不味さはライナスの愛の深さであるが故。
アパートメントの部屋の窓から、ライナスが迎えに来たのが見える。
なかなか小洒落た格好で、『雰囲気イケメン』は今も健在。
このところ少し浮かれているフレッドも、それなりの格好で出掛けることにした。
しっかり貯めたお金は姉の結婚資金に遣う予定だったが、額は減りそうだ。多分ライナスはぎっちり貯め込んでいるとみた。
もう少し自分のことの為に使ってもいいだろう。
昨夜『友達以上恋人未満』の彼女には想いを告げ、晴れて恋人になった。
今夜はデートコースの下見に、ちょっといいレストランに行こうと思う。彼女に贈る指輪を見てから。