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綺麗なもの

作者: 柿崎

 ママと喧嘩をした。

 喧嘩の原因はよく覚えていない。たしか試験の成績が悪かったとか、帰宅時間が門限を過ぎてしまったとか、そんなつまらないことだった気がする。

 しかし、どれだけつまらなくても、口喧嘩の果てに私が制服のまま家を飛び出すには、十分すぎる原因だった。

 行くあてもなく夜の街を歩き始めた。吹き抜ける風が私の体を冷やし、頭に上っていた血が徐々に引いていく。

 少しずつ落ち着きを取り戻した私は、その風を追いかけるように周囲を見回して、

「綺麗……」

 と感嘆の声を漏らした。

 そこにあったのは、まばゆい光だった。夜の暗闇の中に家々の明かりが浮かび上がり、まるですぐ近くに満天の星空があるようだった。

 あの綺麗な光を、もっと近くで感じたいと思った。あれほど綺麗なものは、家にも学校にも、きっと私の知るどこにも存在しないだろう。ならば今いる場所から出て、あの光を目指し、どこか遠くへ行こう。

 そんなことを考え始めた私の中に、先ほどまで感じていた怒りはもうなかった。つまらない喧嘩も、ママも、全部どうでもよかった。歩き出すための勇気だけが存在していた。

 最初の一歩を踏み出そうとしたその時、足元で何かが動いた。薄暗かったのでそれが何なのかすぐにはわからなかったが、目を凝らし、やがてそれが猫だと分かった。けれどもその猫があまりにも奇妙だったので、私は驚き、足はすっかり止まってしまった。

 その猫は全身の毛が水色で、立派なスーツを着ており、「大変だ、遅刻だ!」と喋りながら、後ろ足二本で走っていたのだ。

 走り去る猫を見ているうちに、私の驚きはどんどん興味へと変わっていった。あの水色の猫が、私をどこか綺麗な場所へ連れていってくれるかもしれない。そう思い、私は猫の後を追いかけた。

 追いかけるうちに、いつの間にか夜の闇も家々の明かりも消えて、代わりに温かい日差しが降り注いでいた。足元には美しい花が咲いており、それはまるで、丁寧に手入れされた庭園のようだった。

「すごく綺麗な場所だわ。学校のほったらかしの花壇と大違い」

 独り言をつぶやきながら庭園の中を歩いていくと、開けた場所に出た。

 広場の真ん中には大きなテーブルが置かれていた。テーブルの中央にはティーセットが乗っており、さらにその周りには、おいしそうなお菓子やケーキが並べられている。

 テーブルを囲むようにいくつかの椅子が並んでおり、緑や黄色、色とりどりの猫たちが席に着き談笑していた。

「こんにちは」

「やあこんにちは。君もお茶会を楽しんでいってね」

 私が声をかけると、一番奥に座っていたリーダーらしき黒猫が挨拶を返してきた。

「おいしい紅茶があるよ」

「もちろんお菓子とケーキもね」

「そうそう。ずっとここにいるといいよ」

 猫たちも次々に口を開き、私を快く迎え入れてくれた。

 私の心は弾んだ。ここには綺麗なものがたくさんある。猫たちの言葉に甘え、ここでずっとお茶会を楽しもう。

 しかし直後。私の脳裏に、ふと幼い日の思い出がよぎった。ママが焼いてくれたケーキを、二人で笑いながら食べた日のこと。目の前の豪華なティーセットと比べると非常にシンプルなお茶会だったが、それでも、その時間は私の中でとても綺麗に残っていた。

「ごめんなさい。誘ってくれたのはとても嬉しいけど、用事を思い出したから帰るね」

 そう言うと私は振り返り、来た道を戻り始めた。背後から黒猫の声が聞こえた。

「ママによろしくね」

 そういえば、あの猫たちを以前どこかで見たような気がする。どこだったっけ。

 歩きながらそんなことを考えるうちに目が覚めた。私はいつのまにか、制服を着たまま自分の部屋のベッドで眠っていたようだ。

 そうだ、思い出した。

 私はクローゼットを開け、その奥から、小学生の頃に使っていた自由帳を取り出した。水色に緑に黄色。スーツを着たカラフルな毛並みの猫たちが、ページの上に並んでいた。

 あの頃、私が描いた絵をママはよくほめてくれた。

「とても上手。色づかいがとても綺麗」

 そう言ってくれた。

 私は扉を開けて部屋を出た。

 今ある綺麗なものを壊さないために、ママの部屋へ向かった。

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