入学、そして出会い
「えー、アイリスアデラより星能力を授かった能力者の諸君。入学おめでとう。諸君らは……」
入学式。学園長の式辞を右から左へ聞き流しながら、イアン・ハイドランジアは指先のささくれを剥いていた。
帝立サフラン学園。
中学生の歳までに星能力が発現した学生が通う、能力者の養成学校のひとつ。主には一般の高等学校と同じ扱いをされる、全寮制の学園である。
数百年前、激しく光る星が降ったあのときから「星暦」が始まった。人々はその星をアイリスアデラと名付け、神格化して崇め始める。
アイリスアデラが降ったとき、地球上に降り注いだ閃光はヒトの身体に多大なる影響を与えた。それが星能力と神星力だ。
ヒト一人に一つ、何の前触れもなく発現した星能力。それはいわゆる特殊能力とかいうやつで、以前では考えられないような超常的な力をヒトに与えた。
ある者は空を飛び、ある者は雷を放ち。そういう能力を行使するときに消費するのが、あの星の光からヒトの身体に宿った「神星力」だった。
これは魔法と魔力、電化製品と電気みたいな仕組みだ。血液等の体液とともに全身を巡る神星力によって、ヒトは能力を行使する。
「あ、痛てっ」
上手く剥けなくて血が滲んでしまった指にふっと息を吹きかけ、イアンはゆらゆらと視線を滑らせた。
視界の先の方では未だに学園長が長ったらしい祝辞を述べていた。その更に奥ではサフランに星をあしらった校章の刺繍された、目が覚めるようなロイヤルブルーの校旗が掲げられている。
星能力というものが現れてから少し、世界は無法地帯になりかけた。まあなんやかんやあって騒動は収まり、世界も少しずつ修復されていったのだけれど。人々は争いをなくし能力の制御や規範を学ぶための学校を作った。
それがこの学園のような養成学校だ。生徒たちはここで一般教養だけでなく、能力の仕組みや歴史、制御の仕方まであらゆることを学んでいく。
くあ、とひとつあくびをしてみる。イアンのひとつ前の席に座っている男子生徒は、頭を揺らしながらもうすっかり船を漕いでいた。
隣の女子生徒は背筋をぴんと伸ばしながら自分の手の甲をつねっている。どうやら祝辞がつまらなく感じていたのはイアンだけではなかったらしい。
それからまたしばらくしてようやっと学園長は降壇し、式は来賓祝辞へと移っていった。こちらが早々に終わってくれたのは不幸中の幸いだろう。
いや、厳密には幸いではないかもしれないけれど。さっき列の先頭の女子生徒が貧血で倒れてしまったから。
「……これにて第二百三十六回帝立サフラン学園入学式を閉会する。新入生諸君、しっかり学業に励みたまえ」
入学式が終わると新入生たちは、振り分けられたクラスで担任からガイダンスを受ける。とはいってもそれもかなり簡易的なもので、重要な注意事項や連絡事項を説明されたらすぐにその場はお開きになった。
イアンは一年A組だった。AからDまであるうちのA。担任はアリス・フィサリスという名の女教師だった。
「なあ」
「うん?」
「君、アルストロメリアからの留学生か」
がやがやと騒がしくなった教室の中、イアンはまっすぐに後ろの席を振り返った。
話しかけたのは彼よりも体がひとまわりは小さい少女。小動物を連想させるような、くりくりとしたレモン色の瞳が印象的でかわいらしい。さらりとした瑠璃色の髪を両脇でシニヨンに結い上げている。
ぷっくりとした頬は薄く桜色に染まっていて。
入学早々まくり上げている制服の袖、そこから見える両のひじにはカラフルな絆創膏が貼られていた。
いきなり振り返ってきて、それに何の前触れもなく質問を投げかけるだなんて失敗したかな。でもそんな失礼な俺にもこんな人当たりの良い笑顔を浮かべてくれるなんて、きっとこの子はとてつもなく優しい人なんだろう。
そうイアンはほっと胸を撫で下ろした。彼はあまり自分に自信がないタイプの人間だった。
人との接し方が分からないとも言う。
「そうだよぉ。どうして分かったの?」
「だってそれ煌華のかんざしだろ? 髪に挿してるの」
「わわ、よく分ったねぇ。かんざしなら桜和にもあるのに」
イアンは友達の作り方を知らない類の人間だった。もちろんそれは「話した奴はみんな友達」のような陽の気を帯びているようなものでは決してなくて、ただ単に人との会話の仕方が分からないだけなのだけれど。
だからとりあえず、彼女の出身地やら身に着けているアクセサリーやらの話を振ってみただけなのだった。
これはここに入学するイアンを送り出すときに、母親が「女の子を口説くときは取り敢えず身に着けているものを褒めなさい♡」と使えるか使えないか分からないようなアドバイスを寄こしたことにも起因するのだけれど。
イアンは約束や言いつけはきっちり守る、実は意外と「良い子」なのだった。
アルストロメリア共和国。六つの国が集まって出来た共和国だ。ここ、アマリリス帝国に隣接しているためよく留学生が行き来している。
煌華や桜和というのはその集った六国のうちの二つだ。この六国というのもそれぞれ個性があって、違った文化や価値観がある。
かんざし自体は煌華で生まれ、そこから桜和へと伝わったものらしい。しかし伝播したあとに様々な種類が開発されたのも相まって、煌華と桜和のかんざしとはデザインが異なっているので分かりやすかった。
「あたしね、ヨウランっていうの」
「ヨウラン?」
「そぉ。悠然って書いて悠然。李悠然。キミは?」
「俺は……」
ぱちぱちとまばたきを繰り返しながら身を乗り出すヨウラン。
その問いに答えようとイアンが口を開いた瞬間、ふと上から黒い影が差した。それに慌てて視線を上げると、どうやら横からわらわらとクラスメイトたちが群がってきたようだった。
よくよく見れば集まってきたのは男子生徒ばかりで、女子生徒たちは教室の隅に集まって独自のネットワークを広げている。
イアンを押しのけるような形でヨウランの方へと押し寄せる生徒たち。何度かおしくらまんじゅうを繰り広げたのちに外にはじき出されてしまったイアンは、その勢いで尻もちをつき、小さな溜め息と共に肩を下ろした。
「おーおー、お前煌華から来たのか」
「うん。留学生だから分からないこと多いと思うけど、教えてくれると嬉しいよう」
「煌華? ああ、アルストロメリアの」
「東の方だろ。でも桜和よりは手前側か」
「うん、そうなのだ!」
目の前に群がる男子生徒たちは一斉にヨウランに向かって話しかけ始めた。どうやら彼らが興味があるのは彼女の方で、イアンのことはお呼びではないようだった。
ここ、サフラン学園の留学生枠は人数が決まっている。それは一国に対して二人以内というものだ。アルストロメリア共和国からは二人以内、また別の国からも二人以内というように。
この学園に入学するような身分の少年少女は自国の外に出たことがないような人間がほとんどなので、外の国からの留学生が特別めずらしく感じられるのかもしれなかった。
周りの邪魔にならないようにそっと腰を浮かして立ち上がる。入学初日のためほとんど中身の入っていないスクールバックを肩に引っかけ、イアンはそそくさと教室を後にした。
「さてと、邪魔者は退散しますかね」
イアンはこの学園に友人がいなかった。そもそもこの学園の中に限らず、友人という存在が一人もいなかった。中等部までの勉学は家で家庭教師に見てもらっていたし、そもそもあまり外に出るようなタイプでもない。
日の照る下を駆け回るよりは部屋で読書をするのが好きな人間だった。社交の場に顔を出すよりは部屋でボードゲームをするのが好きな人間だった。
まあ言ってしまえば引きこもりなのである。
それでも家を出てこの全寮制の学園に入学を決めたのは、彼のある目的のためだった。
しかしその目標の達成のためには人脈形成が必要不可欠で。何しろここは自分のテリトリーではない。何をするにも他人頼みで、孤立していてはどうにもならない。
だから彼もこうしてどもりながら周りに声をかけるしかないのである。だからヨウランにも話しかけた。
しかしまあ、あっと言う間に囲まれて弾き出された後は惨めに床に這いずることしかできなかったのだけれど。
(それが不審者のようにしか見えなくったって、でも俺にはそうするしか方法がないんだよなあ。)
やっぱり彼は、あまり自分に自信がないタイプの人間なのであった。
そうしてイアンがこそこそと教室の後方ドアから退出しようと歩を進めていたとき。そのドアからひょっこりと顔を覗かせている薄紅色の髪の少女とぱちりと視線がかち合った。
かわいらしい少女だった。いや、かわいらしいというよりは綺麗とか美しいとか、そういう言葉の方が合っているのかもしれないけれど。
意思の強そうな瞳は、晴れ渡る空のような浅葱色。雪のように透き通る白い肌に、淡く色づいた唇は淡く色づいて。
イアンは自分の息がつまるのを感じた。いや、つまるというよりは呼吸を忘れるような、そんな感覚。
そうしてしばらく言葉を忘れて、でもやっぱり彼女の挙動にどこか違和感を覚えて。
少女はその綺麗な瞳をせわしなく動かしながら、A組のクラスルームの中を舐めまわすように見つめていた。そう。じっとりと、舐めまわすように、じろじろと。
このクラスに友人がいるならさっさと入って声をかければいいだろうし、どうしてそう偵察でもするような恰好をしているのだろうか。気味悪いことこの上ないし、そしてなにより意味が解らない。
少し前までは自分の挙動が不審者のようだと内心少し、いやかなり落ち込んでいたイアンだったのだけれど。
(いや、どちらかと言えば俺よりもこの子の方が不審者だな。)
イアンは少しだけ自信を取り戻した。
でも。やっぱりそう、なんと言ってもこの彼女は綺麗だった。綺麗で、どこか浮世離れしていて。
気恥ずかしいとか照れくさいとか、そういう感情以前に全ての感覚が吸い寄せられてしまうのだ。だからどうにも彼女から目を離せなくて、逸らせなくて。
何度も何度も気後れして、一度口を開いては閉じ。金魚のようにぱくぱくとそれを繰り返した後、ようやっと覚悟を決めてイアンは小さく言葉を発した。
「えーっと。何、してるんだ。君」
合ったままだった視線。向こうからもそれを逸らすことなく、目の前の小さな頭が傾げられた。
こてん、と。そんな拍子抜けする効果音でもついているような感じで。
それに追従するかのように揺れる髪は、よく見れば腰ほどの長さがあって。
「何、って。偵察ですかね。敵情視察」
ふわり、とかすかに花が香った気がした。