第六話
養子となる手続きは、書類だけであっさりと終わった。だが、帝国貴族の慣例として、子供は十歳になるまでに年に一度王城で開かれる社交界に出席しなければいけないらしい。
私の年齢は、外見から8歳か9歳くらいだと推測され、養子縁組に当たり、戸籍上も9歳だということになった。
ということで、来週から、礼儀作法やダンスに加え、ハーレン家が仕えているガライト
帝国の歴史を習うことになった。
「そうだ、明日当たり街に行ってみないか?」
話が終わり、席を立とうとした私に向けてシュナイツがそう言った。
「本当ですか!?」
私は思わず耳を疑う。あまりにも嬉しくて、聞き返さないわけにはいられなかったのだ。この一年、何不自由ない生活ではあったが、多少窮屈に思う時もあった。それに、異世界の街並みに自然と興味は沸いてくる。
「ああ」
シュナイツは、娘の喜ぶ顔を見て、満足そうに微笑んだ。
その夜、次の日が楽しみすぎて眠れなかった。ということはなかった。そういうタイプではない。どちらかというと、前日はゆっくり寝て次の日に備えるタイプだ。
逆にというか、朝食の席に着いたシュナイツの目元にうっすらと隈があった。この義父は、やはり子供っぽいところがあるようだ。
朝食が終わると、いつもより質素な服を纏った。お忍びという奴である。馬車の中から眺めるだけでは物足りないだろうというバウルの提案だ。
裏口から外に出ると、すでにシュナイツが待っていた。飾り気のない服に加え、帽子を目深にかぶっている。
シュナイツは、中身はあれだが容姿はかなり整っていて、注目されやすい。それを避けるためだろう。
「一応、これを持っておきなさい」
シュナイツがそう言って差し出したのは、一本のナイフだった。子供に刃物を持たせていいのか、と内心で突っ込んだが、深く考えずに頷いて懐にしまう。
「それじゃあ、行こうか」
「わあぁぁぁ…」
私は歓声を上げた。
露店の周りを走り回ってどやされる子供たち。朝っぱらから酒場で飲んでいる男。値引き交渉の声と、赤子のお守りに奔走する女性。
笑い声、泣き声、いろんな声が飛び交い、すれ違う人々も様々な表情を浮かべている。
日本じゃ見たこともないほど混沌として生き生きとしている光景だ。
ここは日本じゃない。そう改めて感じて、私の中の好奇心が色めき立つ。
精神年齢が17歳であることなども忘れて、私は見た目通りの子供のようにはしゃいだ。
午前中は露店を見て回り、お昼も露店で買い食いした。午後は芝居小屋なんかを見に行く。空が橙色に染まってきたころに、私たちは帰路についた。
本格的に暗くなり始めたころ、シュナイツにいきなり手を引っ張られた。
私はいぶかしみながらも、一生懸命に足を動かす。質問している暇などなかった。
右に、左に、いくつか道を曲がって、シュナイツは人気のない路地で足を止めた。後ろから覗ける表情は真剣そのものだったが、どことなく楽しそうな色が混じっている。
「私の後ろに隠れてなさい。そして、目をそらさないように」
そう命令する声はどこまでも冷たい。私は、こくんと首を動かした。
シュナイツは、隠し持っていた短剣を抜く。
「さっさと出てきたらどうだ」
シュナイツが虚空に向かって話しかける。
数秒もしないうちに、路地の曲がり角、それも前と後ろから挟むように数名の人影が現れた。暗くて人相はわからないが、全員武装していることはシルエットから分かる。
人影のうちの一つが動いた。
それを合図に両側から突進してくる。
シュナイツは絶え間ない攻撃を巧みにさばきながら、反撃を加えていく。
暗い色の血が飛び散る。嫌な臭いが鼻を刺激した。静かな闇に、短剣を振る音と悲鳴が響く。
私は吐き気を必死にこらえた。父は言ったのだ「目をそらさないように」と。きっとこの光景は、いつか乗り越えなければいけない。
私はあらためて思い知る。ここは日本ではない、異世界なのだと。泣いているだけではだれも助けてはくれないし、力がなければ淘汰される。ハーレン家の一員として、私はいつか誰かを殺すのだろう。
いつの間にか、戦闘音も悲鳴もやんでいた。
それからの記憶はあいまいだ。けれど、ぎこちない手つきで頭をなでられたことだけは覚えている。