第六十四話
帝都郊外の廃屋。その中で二人の人物が密談を交わしていた。
親しみやすさの奥底に、芽吹く前の狂気をはらんだ声は、魔術によって家の外からは全く聞こえない。
「はい。順調ですよ。イヴ様は呑み込みが早くて教えていて楽しいです。ああ、そっちですか。そっちはあまり順調とはいいがたいですね。次からはこういう任務は回さないでください。そうですか…性格が悪いですね……………ごめんなさい、分かりました」
こうして密談は終わる。そろそろ夜が明ける。赤髪のエルフは、天井に開いた穴から空を見上げてそう思った。
「すまない、イヴ。今日も日が沈む前に返ってこれそうにない」
「いえ、今日はバウルも一緒なのですか?」
少し気になったから、馬車の御者台に腰かけたバウルを見ながら質問する。
「ああ、今日は重要な会議があってな。面倒臭いがそれがしきたりだ」
「そうですか」
私の軽い知的欲求は満たされた。
「行ってらっしゃいませ」
「ああ、行ってくる」
馬車の窓から体を出して手を振る、いい歳した、というか世間一般の基準に照らせばおじさんの姿が遠ざかって行って、私はため息をこらえられなかった。
バウルがいなくなると、私の生活は少し寂しくなる。朝食の時も、昼食の時も、必ず部屋にいるのに、今日はいない。だからどうということもないけれど、部屋がいつもより少し広く感じた。連鎖的に、この別荘の広さも実感、いや、思い出して、現実感が僅かに希薄になる。お母さんがいて、お父さんがいたときとは違う。ここには、当たり前がない。
つらつらと、そんなどうしようもないことを考えながら昼食を食べていたら、マナーがかなりやばくて、かなりやばかったと、ストエルじゃない普通のメイドに遠まわしに注意された。
「これで気流操作の初級もマスターできましたね。明日からは二日ほどかけて概念を操作する魔術を学びましょう。他の魔術よりは難しいですが、イヴ様の呑み込みの早さなら、二日でも初級くらいは覚えられそうです」
「ありがとうございました…」
私は、肩で息をしながら頭を下げた。四時間くらいぶっ続けで同じ魔術ばかりを使っていて、頭が沸騰しそうだ。なまじ、私は魔力が多いらしいから、魔力が枯渇して休憩になることもない。スパルタだ。
「…と、いうのは噓です」
「先生?」
「ごめんなさい」
そんな感情のない謝罪を聞いたのは、セイリカさんで一度目、これで二度目だ。
帝城内部の最上階の一室で、その日3年ぶりの円卓議会が開かれた。メンバーは3年前と変化なし。議題は1週間後の建国パーティー、二か月前の魔物侵攻。そしてシルヴァリス神教国の発表について。
朝早くから始まった議会は、休憩をはさんで午後へと突入した。一通り、報告と議論を終えて、ようやく終われる(帰れる、ではないのはまだ他の仕事が残っているせいだ)と思った矢先に出てきた議題は、ハーレン家の令嬢についてだった。
普段なら食いついていた。もう、いくらドン引かれようとも、自分の娘の可愛いところを息継ぎも挟まずに百個くらいあげていただろう。
だが、残念ながらそんな気力はなく、そろそろマジで帰りたかった。早く、イヴに会いたい…。
「シュナイツ殿のご息女は息災か?」
「ええ、元気ですよ。それが何か?」
「嫌なに、建国パーティーの際にしか姿を見せないと話題になっていてな。それに、わしは建国パーティーに出席するのも久しぶりでな。5年前に一度見たときの状態からでは、心配したくもなる」
老人の瞳が、鋭く光った。全盛期からの衰えをまるで感じさせない。だがそれをどこ吹く風と受け止めながら、シュナイツは作り笑いを浮かべた。
「そうでしたか。ご心配痛み入ります。おかげさまで、病気は完治しましたよ」
「そうか、それは何よりだ」
扉がノックされた。円卓議会の一員でもある皇帝側近の執事・ビディスリーが、皇帝の了承を得て扉を開けた。
訪ねてきたのはどうやら伝令らしい。議会を一時中断させてまで来たのだから、火急の要件だろう。
議員以外がこの部屋に入ることは基本的に許されていない。ビディスリーが部屋の前で要件をうかがい、一度皇帝に耳打ちしてから、私のところへ来た。
ああ。嫌な予感がする。
「すまない。急用だったので今日は失礼する」
数人から問い詰めるような視線が刺さったが、全てを無視して、席を立つ。
「シュナイツ」
「なんでしょう?」
皇帝から声がかかり、足を止めた。
「大事にしてやれ。あの娘はなかなか面白そうだ」
部屋の温度が、一気に氷点下まで下がるような笑みだ。寒気のような恐怖を表に出さないように、シュナイツは気丈に一礼してその部屋を出た。




