第五話
翌日はベッドの上で疲れを取り、さらに次の日から、軽い運動と本格的な文字の学習が始まった。
日常会話程度ならできるようになり、剣の稽古を始めるようなって、気付けば一年が経った。
いまだにこの屋敷からは出たことがないが、判明したことがある。ここが地球じゃない。異世界であるということ。そうだと知った時はかなりのショックを受けた。もう家族には会えないのだと、友達と笑えないのだと。でも、例え受け入れがたいことでも、感情は時がたてば風化する。忙しい毎日の中で、悲しみは次第に薄れていった。
ある日、私はシュナイツに大事な話があるということで、書斎に呼ばれた。
「お父様、イヴです」
扉をノックして、返事を聞いてから書斎の扉を開けた。
拙いながらも会話ができるようになったころに、私はイヴと命名された。シュナイツのことをお父様と呼ぶのは、そう呼ぶようにと言われたからだ。日本人だった身としては正直少し恥ずかしかったが、今ではもう気にならなくなっている。
シュナイツが、机の向かいにあるソファに座るように示す。
「早速ですが、大事な話というのはなんでしょうか?」
洗練された。とはいいがたいが、それなりに整った所作でソファに腰かけながら、話を切り出す。
「イヴ…もう少し砕けた口調で接してくれていいんだぞ?」
シュナイツが、少しすねた口調で言う。
自分で言うのもなんだが、私を溺愛している父は、娘が敬語で接してくるのは少し不服らしい。
「そうですね、努力します」
私は苦笑して流す。
シュナイツは、分かりやすく口をとがらせて見せる。使用人や、部下の前ではもっとキリッとして、できるおじ様然としているのだ。
こんな表情を見せるのは、私と、執事のバウルの前くらいのものである。
「お父様、大事な話があるんでしょう?」
私は話を戻すことにした。
「ああ、そうだった」
シュナイツが、真剣な表情に戻る。そして、少し逡巡したのちに口を開く。
「イヴ、そろそろお前を拾ってから一年になる。…いや、勘違いするな。お前がダンジョンの最奥にいた理由を聞きたいとかじゃない。えっと、だな…」
シュナイツが、言いにくそうに頭をかく。
「その、正式に俺の娘…つまり、養子となる手続きをして、正式にイヴ・ハーレンになってくれないか…?」
私は噴出した。不謹慎であることはわかっていたが、噴き出さずにはいられなかった。言い方が、まるっきり告白だった。お父様などと呼ばせておいて、養子になってほしいと言うだけで、こんなにも不安そうにするのか。
シュナイツは、いきなり噴出した私を見て唖然としている。
「わかりました、お父様」
私は笑顔のまま、そう返事をした。
この時、当たり前のように下した決断を、のちの私は後悔した。けれど、剣術では右に出るものがいないといわれるハーレン家。その養子になったことで得られた出会いもまた、あったのだ。