第五十三話
そんな私の思考が聞こえたかのように、セイリカさんが口を開いた。
「あの黒い剣を使えばいいじゃない。私は、あのドラゴンが倒されるところを、偶然。そう、偶然見ていたのだけれど。血の中から現れた漆黒の剣。浮かび上がった魔法陣。人理の中にない力。あれは魔術なんかじゃない。神の権能を顕現させた魔法だった。私も、それをもう一度見てみたい。あの圧倒的な力さえあれば、私を虚仮にした奴らを皆殺しにできる。忌々しいエルフたちなんて塵も同然だわ。それを確認したい。私が貶められた原因である魔法の力を借りるなんて少し癪だけれど、そんなこと、復讐のためなら些末なことよ。ねぇ、一緒に来て、イヴ。その力がなくても、私はあなたを気に入っているの。悪いようにはしないから。それでも断るというのであれば―」
短剣が、ストエルの首元へとゆっくり近づく。
「黙れ!」
五本の投げナイフが、いとも簡単に躱されてしまう。
「それが答え、ということでいいのかしら。仕方ないわ―」
セイリカさんが、魔術式を唱える。左手には、弓。右手には何も持っていない。
魔術式が唱え終わり、弓は、矢がつがえられていないにもかかわらず、ギリリと弦が引き絞られた。
「私ね。思い通りにいかないのが一番嫌いなのよ」
パッと、指が開く。どんっ、と。衝撃がおなかをへこませた。
一度、地面に崩れて、おなかを抑えながらなんとか体を起こすと、短剣を持って歩いてくるセイリカさんが映った。
私は、転ぶように、というか転びながら後ろに避けた。短剣が、空を切る。だが顔を上げれば、短剣が再び振り下ろされようとしていた。
私は、地面についた手の下にあったものを、とっさに投げた。
そもそも、何かあったこと自体が幸運だった。何かあったにしても、石ころ程度では、攻撃は止まらなかっただろう。だが、そこにあったのはナイフだった。戦闘中、いつのまに落としたのか、お守り代わりに持っていた業物のナイフだ。
それが、セイリカさんの肩口に突き刺さり、血が噴き出る。セイリカさんは一瞬ひるんだ。その一瞬で、私は防御の姿勢をとる。
振り下ろされた短剣が、私の剣でブロックされる。セイリカさんの動きが止まったすきに、いつの間にか駆け寄ってきていたストエルが、背中にダガーを突き立てた。
セイリカさんが苦悶の表情を浮かべる。
迷うな。自分にそう言い聞かせて、私は追いうちに、その首をはねた。
たった0.5秒それが遅ければ、そうなっていただろう。
「やめて―――――――――――――――!!」
悲鳴が聞こえた瞬間に、私の剣はぴたりと止まった。心のどこかで、安堵していた。迷わないなんて、私にはできなかった。それでよかった。結果オーライ。
形ばかり、剣をセイリカさんの首に触れさせたまま、悲鳴の主を見た。
初対面の、男の冒険者にケンカを売られた時、無表情を保っていた女性の冒険者だ。魔術仗を持っている。身体強化の術士も、たぶん彼女だろう。
「何?」
声に安堵が滲まないように気を付けながら、なるべく鋭い声で問いかける。
あっ、あっ……苦しそうでもどかしそうな表情の魔術師は見てるだけで心が痛くなる。それが表情に出ないように、さらに眼光を強くした。
「セイリカを、殺さない、で…」
うん。わかった。そうする。それでもいい。けど、理由くらいは尋ねないといけない。優しいエピソードとか、意味のないエピソードでもいい。やっぱり、セイリカさんはいい人なんだってなって、許して、それで解決。
「セイリカは、私を助けてくれた。路地裏で、居場所のなかった私に、居場所をくれたの。だから……っ」
もう、いいや。なんて、妄想だった。
「サド。戦いなさい」
絶望。この感情にはそれがお似合いだ。この時、セイリカさんの首を切ればよかったのだ。そうすれば。
「でも……」
魔術師の顔には、「嫌だ」と書いてあった。
「私。思い通りにならないのが一番嫌いなの」
「……………はい」
セイリカさんが口をあけて笑った。怒りで、それがカモフラージュであることに気付かなかった。彼女が使う魔術は水流操作。唾液も、立派な液体。細い、針のような唾液が、私を貫いた。
死ぬ。やばい。そんな当たり前の状況確認がうんだ焦りが、私の体を動かす。
良く研がれた刃は、ヒトの皮膚など易々切り裂いた。
「いやぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
悲鳴が聞こえる。




