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第十二話

「ぁぁぁぁぁああ」

 シュナイツは机に突っ伏してうめき声をあげた。

―うちの娘が可愛すぎてつらい。

「旦那様、まだ仕事中ですよ」

 そばで書類の整理をしているバウルにとがめられたが、正直それどころではない。

「嫌だぁぁぁぁあ」

 呪詛がこもったような声を上げるシュナイツに、バウルがこれ見よがしにため息をついて見せた。

「お嬢様を思う気持ちはわかりますが、そろそろ観念してください。旦那さま」

「嫌だぁぁぁぁあ」

 シュナイツが二度目の台詞を吐く。

 うちの娘は可愛い。容姿もそうだが、そのすべてがとにかく可愛い。そのひたむきな性格も、私が親バカを発揮した時に見せる困ったような笑顔も、帝国最強を自負する私でさえ瞠目するほどの剣術の才能も、全てが可愛すぎるのだ。

―もしかしてこれは罰なのか?確かに昨晩は、イヴが悪漢と戦ったと聞いて必要以上に怒ってしまった。でもそれはイヴのことを思ってこそ怒ったのだ。高々悪漢程度が、イヴを傷つけることができないのは重々承知だ。けれど、万が一ということがある。自分のことを第一に考えてほしいと思うのが親心というものだろう。

 そんな、親バカここに極まれりといったことを延々と考えるシュナイツにバウルはさっきから数えるのもつかれるほどのため息を再度吐いた。

「そろそろ本当に諦めてください。これは代々守ってきたハーレン家の慣例です。旦那様の代で破るわけにはいきません」

 認めたくないが、バウルの言う通りだった。ぐうの音も出ない。反論の代わりに、シュナイツは内心で毒づいた。

―まったく、嫌な慣例もあったものだ。

 そして、せめてあと二年たってからという条件を出す。バウルは渋々それを受け入れた。


 季節が巡る。冬が来た。数センチほど積もった新雪を踏みしめ、剣を振るう。風を切る音は、普段より少し鋭く聞こえた。

 季節が巡る。春が来た。桜が咲く。この世界の桜は、地球の桜よりも赤っぽい。剣尖は、同じところを何度もなぞる。最近は、素振りに加えシュナイツに教えられた剣技の練習をしていた。ひらりと落ちてきた赤い花が、偶然木剣の刃に触れた。

 季節が巡る。夏が来た。この世界の夏はそれほど熱くならない。たまにお忍びで領都に行っても、半そでの人はまばらだ。屋台にかき氷やを見つけたが、売れ行きはあまり芳しくなさそうだった。

 季節が巡る。秋が来た。建国記念パーティーが近づいてきて、主要貴族の名前と特徴を覚えるのに苦労する。去年聞いた名前が今年はなかったり、その逆もある。実感は乏しいが、貴族の世界は厳しい弱肉強食の世界なのだ。

 やがて当日が来た。去年はあまり気にしなかったが、この国の第二王女は二年連続でパーティーを欠席しているらしい。今年もいなかった。同年代と聞いてひそかに興味があったので少し残念である。次の日、帝都を巡ったが、ロナと再会することはかなわなかった。

 また、季節は巡る。雪が舞う。桜が彩る。少しだけ、景色が変わる。ずっと、風を切る音と息遣いと木剣同士がぶつかる音が響いていた。

 そして、今日も。

 互いの木剣が交錯する。重厚な音色が中庭で響いた。両腕に衝撃が伝わり、軽く吹っ飛びそうになったが、歯を食いしばって踏ん張った。

 つばぜり合いはどう考えても私に分が悪い。木剣をさばきつつ、バックステップで距離を取ろうとする。そこに追撃が入った。

 切り払い、切り下し、突き、切り上げ、薙ぎ払い。絶え間ない攻撃を捌いて、捌き切れないものはステップで避ける。

 だんだんと、木剣を持つ手が痺れて来る。次につばぜり合いに持ち込まれたらおそらく吹き飛ばされてしまう。このまま相手の攻撃を凌ぐだけでもじり貧だ。なら、攻めるしかない。

 そんな思考が、通じたのだろうか。相手の右肩あたりに隙ができた。

 いや、違う。一見隙に見えるが、相手が剣を引き戻せばぎりぎり間に合ってしまう。つまり、罠だ。

 私は三回ほど剣を捌いた後、ほんのわずかな隙を見つけて強引に仕掛けた。突き、突き、切りはらい、突き、切り上げ。隙の少ない突きを多用して攻める。相手は防戦一方。攻守が逆転したが、依然余裕がないのは私の方だ。

 スタミナが残り少ない。私は勝負を決めるために、姿勢を落として相手の足めがけて剣を払った。相手はぎりぎりでバックステップで避ける。ここで体勢を立て直されたら私に勝ち目はなくなる。

 逃がさない。

 私は剣を振りかぶって地面を蹴った。

 地面に転がって、呼吸を整える。一年程前に始まったこの模擬戦の成績は、いまだに全敗。膂力とリーチに大きな差があるとはいえ、一本も取れていないのは悔しかった。

「罠につられなかったのはよかったが最後はもう少し慎重に技を出したほうがよかったな。あの時私は体勢を崩していたが、両足は地面についていた。斬撃ではなく、ガードされてもすぐに追撃できる突きを選択されていたら私も負けていたかもしれない」

 そう批評するシュナイツは、呼吸が乱れていない。最後に少し油断したことは反省しているが、たとえ突きを選んでいたとしても、勝てる気はしなかった。


 お風呂で体を洗った後は、朝食となる。

 その席で、シュナイツが口を開いた。

「イヴ、このハーレン家に代々伝わる慣例について知っているか?」

「いえ、知りませんけど」

「そうか…」

 シュナイツが続きを言わ無いので、私は首をひねった。

「旦那様」

 バウルが続きをせかす。

「わかっているっ」

 表情から迷いを払って、シュナイツは深く息を吸い込んだ。

「ハーレン家のものは代々冒険者としての名声も高い」

 それは私も知っていたので、頷いて続きを促した。

「全員、もちろん私も、子供のころに冒険者として活動した経験がある。それは冒険者として成功すればいろいろなものを得られるからだ。名声、人脈、経験、資金。どれもあって困るものではない。だから、お前も……ぼ…ぼう………ぼうけ……ぼう」

「冒険者になれ、ということですか?」

 土壇場で踏ん切りがつかなくなったらしいシュナイツの代わりに、私が引き継いだ。

「そういうことだ……」

 シュナイツががっくりとうなだれる。様子を見守っていたバウルがやれやれとため息をついた。もうとっくに退職してておかしくない年齢、というか退職していないのがおかしい年齢であるバウルのためにも、この義父は娘の前でもう少しシャキっとするべきだと思う。

「建国パーティが終わってから毎週金曜日を、丸一日冒険者と活動する日とする。自分が貴族ということは伏せておくように。数日かかる依頼を受けるときは、ひと声かけてくれればいい」

 まるで魂が漏れ出しているかのような声だった。

「わかりました…」

 私はとても微妙な顔で頷いたのだった。

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