第十一話
「おまたせ」
私は左手に持った果実水を差し出した。ロナが差し出した小銭を押しとどめながら一緒のベンチに座る。
あっという間に手に持ったコップを空にしてから、静かな時間が流れた。太陽の角度はあまり変わっていなかったからそれほど長い時間黙っていたわけではないだろう。
「イヴさんは貴族なんですよね?」
唐突にロナが口を開いた。その口調は質問というより確認に近い。私にも驚きはない。路地裏でロナを助けたときに護衛がいることはばれていた。
私は黙って首肯する。
「私も貴族なんです」
ロナの告白にも、私は平静を保ったままだった。追いかけてきた兵士たちにお嬢様と呼ばれていたし、高級店に何のためらいもなくは入れたことから、貴族か富豪の娘あたりだろうと思っていたのだ。
「私の家は徹底的な実力主義なんです。礼儀作法も、ダンスも、座学も、護身術も、話術も、テーブルマナーも、芸術も、全ての事柄で非凡な成績を出すことを期待され、出せなければたとえ実の娘だろうと切り捨てる。そんな家です。私はその期待にこたえ続けてきました。朝から晩までいろんなことを学んで、食事の時も、寝るときも、お風呂に入るときでさえも誰かに監視され続け、期待され続けていました。だから今日、耐えきれなくなって、家から逃げ出したんです。すぐに見つかって家に連れ戻されることなんてわかり切っていました」
でも、とロナは微笑んだ。
「だからこそ、逃げろって言ってくれた時はすごい嬉しかったです」
頬がわずかに赤いのは、兵士から逃げていた時の高揚が残っているのか、夕日のせいでそう見えるだけか、私にはわからない。
「勝手な自己満足だけど、イヴさんに話せてよかったです。聞き苦しい話しだったらすいません」
私は…私はこの少女に何と声をかければいいのだろう。彼女の苦しみなんて想像することしかできないし、どんな気持ちで今日であったばかりの私に打ち明けたのかもわからない。彼女を慰めて、頑張ったんですね、と褒めることはできても、結局それくらいのことしかできない。彼女の家に干渉することができない自分は、何を言ったとしても嘘になってしまいそうな気がする。だから。相手にだけ話をさせて自分だけ口をつぐんだままなんて平等じゃない。そんな言い訳をして口を開いた。
「私の家は、帝国随一の剣の名門で、私も毎日父にから剣を習っています。この家の一員として剣を学ぶことに不満はないですし、父に稽古をつけてもらうのはうれしい。けれど、剣を好きだと思ったことは一度もありません。私はあまり、誰かを傷つけるのが得意じゃないらしいです。ですが、今日路地で襲われそうになっていたあなたを守ることができて、はじめて剣を習っていてよかったと思いました」
言い終わると、少し心が軽くなった。
「少し、似ていますね。私たちは」
ロナが言った。
そうだろうか?方や期待と監視から逃げ出そうとした少女。方や自分の学んでいたものを少しだけ肯定できた少女。
「あんまり似てないかな」
少し笑って呟いた。
ロナも「そうかもしれませんね」と苦笑した。
「私は、そろそろ家に帰りますね」
二人で少しだけ笑いあった後、ロナが言った。
「いいの?」
「はい」
ロナの声には覚悟の響きがあった。
「じゃあ、また会おう」
「はい、また会いましょう。次会う時は、必ずお礼をします」
「うん、ばいばい」
「ばいばい」
ロナの背中が見えなくなるまで見送った。
ばいばい、か。そんな言葉を誰かに言ったのはいつぶりだろう。そしてようやく、自分がいつの間にか敬語を使わなくなっていたことに気づいた。
まるで友達みたい。次会う時は、そうなれるだろうか。
私は次に彼女に会う時を想像しながら帰路に就いた。
深夜になってから、シュナイツは帰ってきた。一見していつもと変わらないが、身にまとう雰囲気がとげとげしい。
「お義父様、昨日の暗殺者の件で何かあったのですか?」
「感情を表に出さないよう気を付けていたんだがな。イヴにはわかってしまうか」
シュナイツがため息をついた。
「なんとなく、ですけど。きっとバウルも気付いてますよ」
シュナイツを見てピクリとも眉を動かさなかったが、あの老執事はきっと私よりも鋭敏に異変を感じ取ったことだろう。
「そうか…敵わないな。実は…」
シュナイツの話を要するに、何かあったのではなく何もなかったらしい。暗殺者は最初は口を割らなかったが、拷問にかけるとすぐに雇い主を吐いた。信憑性はあまり高くないが、昨日のパーティにも出席していた辺境の男爵家だという。流石に鵜呑みにすることはできずに何度も拷問をしたが、暗殺者の口から出てくるのは同じ名前だった。明日から本格的に調査に入るらしい。
「だが、どうしても信じられない。暗殺者なら拷問に耐える訓練を施されていてしかるべきだし、たかだか男爵家が王家を狙っても利益は薄い。ならその貴族も誰かに乗せられてやったと考えるのが妥当だが、問い詰めようにも暗殺が失敗とわかった時点で逃げられているだろう」
「そうですか…」
シュナイツが苛立つのも頷ける。黒幕は、何のリスクも侵さずに王家を暗殺しようとした。そしてその思惑通りに、しっぽをつかむことすらできていない。
「まあ、犯人捜しは私の専門外だ。一応報告くらいは上がってくるだろうが、私ができることはない。週末には予定通りに帰ろう」
「はい、わかりました」
「それはそうと、今日出かけたときに戦闘があったそうじゃないか」
あまりにもいきなり話が変わったので、私は返答に窮した。
「いえ、戦闘と呼べるほどのものではありませんでした」
心を落ち着けながら、少し的外れな回答を絞り出す。
「へえ、戦ったのは認めるのか」
護衛から一部始終聞いているだろうという突っ込みは、つばと一緒に飲み込む。
どうしよう、今この場で私は何を言っても藪蛇な気がする。
「それも自分から首を突っ込んだらしいじゃないか」
シュナイツの顔が一瞬般若に見えた。
「イヴ、言いたいことがあるのなら言ってごらん?」
今夜は長くなりそうだと、私は観念して今日の出会いを話すことにした。
私は、ベッドの天蓋を見ながら今日出会った少女のことを思い出した。
「イヴさん…」
名前を呼んだだけなのに、体が少し熱くなる。
「イヴ・ハーレンさん…」
自分のことを話してくれた時の彼女の顔が頭の中に浮かぶ。夕日を受けて映えるその表情は、どことなく作り物めいていると感じた。
彼女はすごく強いのに、どことなく危うい気がする。私はそんな彼女に惹かれている。
次会う時は、私がお礼をする番だ。次会う時は、私が彼女を助けよう。その為に彼女に釣り合うくらい強くなろうと、心に誓いをたてる。




