宦官 ムドラ
アートゥ国は水源豊かな水の都と謳われる砂漠に囲まれた奇跡の国である。長く続く平和の恩恵で肥沃な大地と潤沢な財を保有していた。その豊かさで周囲の国々を属国として取り込み、今なお領地を広げている大国だ。
その平和な国の皇帝陛下には、二人の息子がいた。
第一妃であるナディア様が生んだムスタファ殿下。
第二妃であるネヒル様が生んだセリム殿下。
ムスタファが生まれて三カ月後にセリムが生まれた為、二人の年齢は同じ二十一歳になる。
平和で大きな問題のないアートゥで、この二人のどちらが皇太子となるのか長らく注目されていた。しかし二十一歳なった今も皇帝陛下は皇太子を指名していない。
一時期、真面目で評判の良いムスタファ殿下を推す派閥と、母の実家が大貴族のセリム殿下を推す派閥とで対立しかけたことがあった。
しかし気付けば、大宰相を味方に付けたムスタファ殿下が皇太子候補として優勢で、母の実家頼りなやる気の無いセリム殿下の劣勢が、誰の目にも明らかとなっていた。
ちなみに、ムスタファとセリムは昔から仲が良く、これらのいざこざは周囲の人間が勝手に盛り上がっているだけなので、アートゥが大きな問題のない平和な国であることに変わりはない。
そんな平和な国の宦官ムドラは、皇帝陛下に呼ばれて玉座の前に立っていた。
そして目の前の皇帝は、アートゥの将来を宣言するかのような命令を言い渡たしたのだった。
「ムスタファのためのハレムを早急に整えよ」
任された自分は後々ハレムの管理者になるだろう。昇進ともとれるその話は、ムドラにとっては厄介事の始まりだった。
当のムスタファがまったく興味を示さず、ハレムに関わる全てをムドラに丸投げしたのだ。しかし、だからといって適当に集めたら後で文句を言われるのはムドラである。
「せめて好みとか、許せないこと位は教えていただけないと!」
と、しつこく言い続けたら紙切れ一枚を雑に渡された。
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一.美しいこと
二.面倒くさくないこと
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「やる気無さ過ぎでしょ!」
頭を抱えたが時間が惜しい。ムドラは、その条件がまともな内容に見えるように改変することにした。
(皇子の年齢が二十一歳だから、十五~十九歳なら釣り合うか。最低限の教養は必要だろう。未婚なのは当たり前。アートゥの言葉が読み書き出来ることくらいか)
そうして、出来上がった条件を手紙にしたためて娘を持つ貴族に送ったのだった。
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決められた返信期間内に、かなりの量の「諾」の回答と娘の釣書が送られてきた。大半は問題ない人選だったが、一部問題になりそうなものがチラホラあった。
「やれやれ。娘可愛さに客観的な視野が欠落しているな。こちらは、野心家が養女を迎えて捻じ込んできたのか」
仮にも第一皇子のハレムなのだ。養女の元の生家もある程度しっかりしたものでないと困るし、寵を競えぬ程度の者を入れて質を下げるのも困りものだ。
「問題ありそうな所は、一度出向いて確認するか」
来てから追い返しても良いのだが、受け入れ時に面倒ごとが集中するのが目に見えている。数もそこまで多くないなら早めに潰す方が得策だ。
ムドラは自分の配下から、問題のありそうな家への事前面接を割り振った。既に気の早い者はハレムに入るため、アートゥへ出発をしているのだから早々に片付けなければならなかった。
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「まさか、性別を偽っていたとは!」
控え目に言って美しくない娘を確認しにいけば、娘ではなく息子を送り込もうとしていた事が発覚した。丁重にお断りした。
(今回は、直ぐに分かったからよいものの、美しい息子を送り込まれていたらどうしよう・・・)
ルドラは身体検査を追加するように王宮へ手紙をしたためた。
王都からの手紙では、既に気の早い者が王都周辺に滞在し早く入れろと督促が届いているらしい。そんな予期せぬ苦情に始まり、長年使っていなかったハレムの準備に女官の斡旋と仕事は山積みだった。
(早く帰って、対応しなければ)
けれど、王都へ帰る途中で別の領地を訪れている者から応援を頼む手紙が届いてしまった。
(む、無視したい。せめてもう少し遠ければ断れたのに)
残念ながら、件の領地はムドラの帰り道にバッチリ被っていた。ムドラは仕方なく応援を受ける返事を書いたのだった。
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メイヴェン領地は複数のオアシスに恵まれた豊かな場所だった。ムドラを出迎えたのは気の強そうなご婦人と控え目に言って細くない令嬢だ。
(年齢は十九歳とギリギリか。なら断れば良いではないか)
控え目に言って細くない令嬢であるレイラは、顔は可愛らしくS字の曲線はしっかりとあるため、そういった趣向の者には喜ばれそうなタイプだった。
「ハレムには様々な華を添えるものでしょ?レイラはこの通り見た目も可愛らしく豊満な体で、皇子を虜にする筈です」
(我が部下は、この押しの強さに負けたのか)
何を言っても大丈夫だと返されて、聞いて貰えない感じが凄い。
「申し訳ないが、皇子の好みは細身の繊細な女性ですからレイラ様は向いていないのですよ」
「それでは、メイヴェン領地から送れる娘がおりませんわ!」
「既に沢山の娘が選出されていますので、ご心配無く」
「それでは、此方の面目が立ちません」
それまで、全く発言しなかった領主が口を出してきた。
(何なんだ此奴らは。領主も自分の妻と娘くらい何とかしてくれ!)
最早ムドラの堪忍袋の緒は限界だった。自分は忙しいのだ。こんな取るに足らない一人のために使う時間は全く無いのに、と苛々している。
「お父様、急ぎの話があるとお客様が、、、っ失礼しました」
ノックと共に入ってきたのは、とても美しい娘だった。領主を父と呼ぶからには彼のもう一人の娘なのだろう。
「貴女の名前と年齢は?」
不躾な質問に、目の前の娘の顔はピシリと固まる。
「・・・サラと申します。年は十六歳になります」
「メイヴェン領主よ、こちらの娘ならハレムに相応しい。どうしても嫁がせたいなら、この娘を差し出すことをお勧めする」
一拍の後、レイラが金切り声を上げ、サラは走って逃げ出した。
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「何で私がこんな目に。聞いてますか?ムドラ」
「そう言いたいのは、此方の方ですよ。サラ様」
結局あれから、どうしてもハレムに娘を送り込みたい領主がサラを説得して自分に連れてって欲しいと差し出したのだ。当のサラは、渋々了承はしたものの文句が止まらないらしく、ずっとこの調子だ。
「まったく。何故姉を引き取ってくれなかったのです?見て下さい。姉の輿入れ衣装なんて使えないから、私は何一つ作らずに、あり物で済まされました」
「全て貴女の姉の見た目のせいです。此方に非はありません」
「それは間違いありませんね。権力お化けにに取り憑かれて努力を怠ったから、念願叶わずなのは良い気味だわ」
「その、権力お化けって何ですか?」
「権力は全てを叶える魔法の言葉と勘違いしている者を揶揄っているの。姉は身分の高い自分は美しいと常日頃から自慢してました。今回のことで現実を知ったことでしょう。ざまぁみろだわ」
「貴女は姉上が、お嫌いなのですね」
「ええ。向こうも私を嫌いだから、お互い様ね」
(何とゆうか、口の達者な娘だな)
こうもポンポンと切れ味良く返ってくると、内容はともかく会話するのが楽しかった。
王宮に到着する間、ムドラは彼女と実に幅広い内容の会話を楽しんだ。驚くことに彼女は政治や地理や歴史など、女性が余り得意としない事にも反応があった。
「私の趣味を追求したら、結果多くのことを知る機会が出来ただけです。きっかけもなく政治や地理や歴史に興味など示しませんわ」
「趣味とは?」
「踊りを少々嗜みます。地方によって様々な踊り方があって、地理を知りたくなりました。踊りの生まれた背景を知ろうとしたら、その時代の時世や政治が絡んでいたんです。そうしたこたが重なったので、通り一辺倒に押さえれば、きっと役に立つと思ったのです」
「なら、歓迎会で踊りを披露してみますか?当日は名前を呼ばれて挨拶した後、出し物をすることが可能ですから」
「まぁ。素敵ね!なら是非お願いするわ」
(いろいろあったが、結果として良い娘を迎えることが出来たかもしれない)
ムドラはサラのことが気に入っていた。自分はハレムの管理者だから一人に肩入れするわけにはいかない。でも心の中で応援するくらい許されるだろう。
だから、サラがハレムを去りたいと言ったとき、ムドラは天地がひっくり返るほど驚いた。そして、何としても彼女を引き留めたいと思ったのだった。