宴
白亜色の柱の間から、蒼く透き通った空が見えた。
その下に熱帯植物の葉と赤や黄色の花々の色合いが、互いを引き立て合う爽快な景色を描いている。
(贅沢な庭ね)
きっとあの美しい花や植物を保つために、沢山の水が必要なはずだ。
サラは美しい庭から視線を戻した。
目の前の広間は宴専用のホールで、円形の建物に太い柱がぐるりと一周並んで立っていた。中央には天上に作り付けられた天窓から太陽の光りが差し込み、天然のスポットライトとステージが整えられている。
その最奥に布製のカウチソファが置かれ、ゆったりと体をもたれ掛け、水の都と呼ばれるアートゥ国の第一皇子が酒を楽しんでいた。
その眼前では、各々出身地の衣装で着飾り立てた女達が、ただ一人の目にとまろうと熱い視線を送り続けているところだ。
今日この時、国の第一皇子であるムスタファのために集められたハレムの女達の歓迎会が行われていた。
サラは先日到着したばかりで、ムスタファを見るのも宴に出るのも初めてだ。
(遠すぎて、顔がさっぱり分からないわ)
自分が嫁いだ相手は、文字通り雲の上の存在だからか遠すぎて霞んで見える。かろうじて髪の色が金色なことと、白の服に青色のトガを肩から斜めに巻き付けていることが分かった。
「南方のメイヴェン領地、領主の第二息女。サラ様」
「っ!はい」
いきなり呼ばれて、慌てて返事をする。
(いけない。つい夢中で見てしまった)
勢いよく立ち上がれば、腰に巻いたヒップスカーフのコインがシャラシャラと鳴る。サラは人の間を器用に避けながら、中央のステージまで歩いて行った。
歓迎会が行われる話を聞いたとき、出し物を披露できると言われて、サラは得意のベリーダンスを望い出た。しかし、当日を迎えれば、みな名前を言われたら前に出て挨拶をするだけで、誰も何もしない。もしかしなくとも、出し物をするのはサラだけなのだろうか。
(まぁ、準備期間が短かったし、やりたくても出来なかったのかも)
高貴な方々の趣味は様々だ。この場でやるなら唄を歌うか、楽器を奏でるか、詩を朗読する位だろうか。歌や楽器は、宮廷お抱えの楽団が既に宴の間中演奏しているからハードルが高そうだし、詩はもっと畏まった宴でない限り場違いになりそうだ。
不利な条件を全てを覆すだけの実力が無ければ、断る方が賢いだろう。
開けた場所まで辿り着くと、サラは改めて目の前のステージを見る。
(なんて美しい場所なのかしら)
天窓は不揃いにカットされたガラスが使われ、下の床に映る光は水面の様な紋様になっている。
その中へと進み出れば、水の都と名高いアートゥに合わせて選んだ水色の衣装に、差し込む光りが柔らかく反射し、散りばめられたスパンコールとカットストーンの刺繍がキラキラ瞬き始めた。
サラの緩いウェーブがかったアッシュピンクの髪の隙間からは、大きなダイヤのピアスが時折光に反射し、首と手首に重ね付したパールが控え目に発光する。
それはまるで、水の中に現れた人魚姫のような演出となった。
サラはムスタファに向かい礼を取った。
「サラと申します。ムスタファ殿下のハレムに加えてい頂いたこと、心より感謝致します。お礼に、この場をお借りしてベリーダンスを披露したいと思います」
ざわりと周囲が騒ぎ出す。
「そんな低俗な踊りを」、とか「そこまでして、気を引きたいのか」などの嘲りが聞こえる。
(確かに、夜の華を売る店の女が透ける衣装で踊ることがあるから、そう思われがちよね。でも私のベリーダンスは違うわ)
「よい。許そう」
「ありがとうございます」
ムスタファの許可が出ると音楽が鳴り止む。
サラは持っていたエメラルド色のベールを背中を通して両手に持つと、始まりの姿勢を取る。
トップスは露出を控えたくて丸首で袖のあるものを選んだ。その分、きゅっと縊れて立て筋が綺麗に入ったお腹は惜しげも無く晒す。スカートの両側にある腰まで入ったスリットの隙間からは、下に履いたハーレムパンツの濃い青が見え隠れした。
(私の衣装に比べたら、ムスタファ様の近くに居る女性達の衣装の方が女を主張してるわね)
目の前を陣取るのは、大きな胸を強調し透ける布を纏っている美女達だ。遠目だとほぼ何も着ていないように見える。そうやって目を引く作戦なのだろう。
自分は決して、あんな下品な女の色香を演じるわけでは無い。
(いけないわ。落ち着け私。集中するのよ)
目を閉じて、じっと始まりの音を待つ。
タタンッと打楽器の音が鳴り、楽士が音を奏で始めた。
(有名で誰もが知ってる聞き馴染んだ曲だ。アートゥを、水の都を称える曲)
最高の曲と演出に、サラは胸が熱くなった。
ベールを舞い立たせ、ひらりと回転する。出だしの緩やかな曲調に合わせて、腰をゆっくりと回しながら、全身で穏やかな水の調べを演じ上げていく。
目の前の人集りは視界に入るが、意識は舞姫へと上がっていった。
『例え王様の前でも、曲が鳴って踊る間は舞姫が支配者なの』
自分にベリーダンスを教えてくれた、母の言葉を思い出す。
全方位を丸く囲んで座る人の際を、サイドステップを踏みながら見せ付けるように進む。移動に合わせてベールを左右に返せば柔らかく波打った。まるで引いては寄せる波のように美しく揺らめいている。
サラの生み出す様々な水の動きに、観客は魅入られていた。
方々から手拍子が湧き、ダンスの声掛けが響く。
ターンをして正面を向けば、第一皇子も起き上がって酒を置き手拍子しているのが見えた。
(バッチリね!)
フィナーレに向けて曲調が早くなり、打楽器の音に合わせた手拍子が更に大きくなっていく。
サラが広げた両手を上下に旋回させてクルクル回れば、エメラルド色の大きな円が描かれる。水面を模した光の中で大輪の花が咲いた神秘的な情景は、そこに居る全ての者の目を奪っていた。
誰よりもサラは目立っていた。
踊り終われば、その日一番の拍手がホールを包み込んでいた。
周囲に挨拶をし、サラは機嫌良く席に戻る。
自分はここ一番で見事に決めることが出来たし、上手くやれた自信があった。これから続くハレムの生活もきっと上々だろうと考えていた。
けれど、ひと月待ってもサラの元に第一皇子が訪れることはなかった。