006 捌いて食べる
魚にしろ、肉にしろ、獲物を捌く際のポイントは基本的に同じだ。
締めて、血抜きをしたら、身体を切り開き、必要な部分と不要な部分を分ける。これがその場で行う作業で、残りの作業――例えば鹿の場合だと、枝肉に分割したり、皮を鞣したりする――は拠点に持ち帰ってから行う。
外で行う作業はスピード勝負だ。ひとたび締めたら、最後まで可能な限り迅速に行わなければならない。品質に直結するからだ。
「大事なことだからしっかり見るんだぞ」
俺は実演しながら教えることにした。
今から捌くのは、目の前で横たわっている鹿。目は開いていて、助けを乞うような眼差しを俺に向けている。その瞳を見ていると心が揺らぐけど、決して判断を改めることはない。弱肉強食だ。
「まずは血抜きまで」
心臓の上にある頸動脈へナイフを突き刺す。首から胸に向けて垂直に近い角度で刺すのが望ましい。使用するナイフには、ある程度の刃長が求められる。
頸動脈を突き刺すと、血が止めどなく溢れ出ていく。噴水のようにブシャーと噴き上げるのではなく、ペットボトルを倒したような感じでドボドボと流れる。この時、全身の血が流れ出るよう、頭部を低い位置にすることが大事だ。
「キィィ!」
鹿が甲高い声で鳴いた。
血が流れていくにつれて、目から光が失われていく。急所を攻撃したからといって、ゲームのように一瞬で絶命するわけではない。一分ほどかけて死に向かっていくのだ。
この時間は本当に辛い。日本でも、爺さんの山に現れた鹿を何度も狩っていて、数え切れない程の解体作業をしてきたけど、最も胸が苦しくなるのはこの段階だ。思わず目を背けたくなる。
「ここでは絶対に鹿から目を背けるな」
これは爺さんから言われたセリフだ。
「どうしてですか?」とニーナ。
「生命に対する感謝の念を忘れない為にさ。自分達の為に、他の生命を奪うんだ。そのことを忘れず、相手に対して感謝しなくてはならない。いかに相手が畑を食い荒らす害獣だからといって、いい加減に扱うことは許されないんだ。だから、完全に死に絶えるまで目を離さずに見届ける」
ニーナや村人達が感動している。
皆の目から鹿に対する憎悪の感情が消えていく。
「血抜きが終わったので次の作業だ。腹を切り開き、不要な部分……つまり内臓を取り出す。内臓は基本的に全摘で問題ないが、可能なら肝臓だけは持って帰りたい。生で食べると寄生虫が怖いけど、焼けばそれなりに安全で、栄養価が高くて身体に良い。ただし、難しいようであれば、無理に肝臓を追う必要はない。最も大事なのは作業速度であることを忘れるなよ」
説明をしながら鹿の腹部を切開し、内臓を取り出す。
この作業、日本ではゴム手袋をしていたが、この世界にはゴム手袋が存在しない為、今回は人生初の素手だ。直に伝わる内臓の触り心地は最悪。経験豊富な俺でさえ、思わず顔面を歪めそうになる。
「「「おぇぇぇ」」」
取り出した内臓を見て、何人かの村人が嘔吐く。嘔吐いていない連中にしても、顔面を青ざめさせていた。卒倒しかけている者もいる。
かなりのグロ耐性が要求される作業だから無理もない。これまで畑を耕してきただけの連中には衝撃が強すぎたのだろう。爺さんに聞いた話だと、たいていの人間は何度か作業をすれば慣れるそうだ。
「現地で行う作業はこれで終了だ」
今回は我ながら優秀な出来だ。
しかし、村人達の顔色はよろしくない。
「最初は気持ち悪く感じるだろう。俺もそうだった。だが、この作業がいかに大事であるかは、今日中に理解できる。だから今は俺を信じて作業をしてくれ。猪も基本的に同じ方法で捌けばいいから」
真っ青な顔面の村人達に指示すると、ニーナを連れて一足先に村へ戻った。
自分で捌いた鹿は、自分の手で持って帰る。
◇
村に戻ったら残りの作業だ。捌いた鹿の皮を剥ぎ、枝肉に分割していく。
これらの作業を村で行う最大の理由は、吊して作業をするからだ。森の中で行う場合、その都度、吊すのに適した木を見繕う必要がある。それでは非効率的だ。他の動物に襲われる危険もある。
「これでよし。あとは水で洗って冷凍庫に保存しておいてくれ」
「わかりましたっ!」
枝肉の保存はニーナに任せた。
幸いにも、この世界には冷蔵庫と冷凍庫が存在している。といっても、日本のようなハイテク機器ではない。温度調整だとか、野菜室だとか、そういうのは存在しない。零度近くまで冷やすか、カチコチに凍らせるかのどちらかだ。見た目もただの木箱である。
冷蔵庫や冷凍庫の動力源は、〈魔法石〉と呼ばれる石だ。
魔法石はこの世界における万能エネルギーである。水道に繋がっていない蛇口から水が出たり、ガスの通っていないコンロから火が点いたりするのも、全て魔法石の効果によるもの。この石は、魔物を倒すと得られる〈魔石〉を加工して作られている――と、ニーナが教えてくれたけど、よくは知らない。
余談だが、魔物退治を生業としているのは冒険者であり、勇者ではない。
勇者は魔物を統べる王を倒す為、異世界から強引に召喚された存在だ。召喚時にすごい能力が身につくと言われている。当然ながら、そのすごい能力とやらは、俺には備わっていない。
「さて……」
ニーナが肉を運んでいる間に、俺は鹿の皮を鞣すことにした。
毛皮のコートなど、動物の皮を使った製品を作るには、「鞣す」と呼ばれる作業が必要だ。それによって「皮」が「革」へ生まれ変わる。
もしも鞣さずに使用した場合、皮は音速で劣化し、腐ってしまう。ちなみに、毛皮のコートなどの「毛皮」には、「皮」という字が使われているが、正確にはこちらも「革」である。
皮を鞣す方法は色々あるが、俺は〈ミョウバンなめし〉と呼ばれる方法を採用することにした。
ミョウバンなめしは非常に簡単で、お湯の中にミョウバン――重曹に似た白い粉で、正式名称はカリウムミョウバン――と塩を入れ、そこへ皮を浸けるだけで完成だ。
お手軽なだけでなく、村にミョウバンが腐る程あることも大きな理由だ。この世界全体がそうなのか、それともこの村だけなのかは分からないが、洗濯物の臭い消しにミョウバンを使用している。それを拝借することにした。
「こんなものか」
皮に付着している肉を削ぎ落とし、ミョウバンなめしを行う。
鞣し用の木樽にミョウバンと塩をぶち込み、そこにお湯を張ってから皮を浸ける。この状態で一週間ほど放置すれば出来上がり。
「領主様、こちらでよろしいでしょうか?」
「ご確認お願いします、領主様」
森で作業をしていた連中が続々と戻ってくる。
俺は速やかに、且つしっかりと確認した。
「よし、問題ないぞ!」
彼らの仕事ぶりには多少の差があった。しかしながら、一様に及第点を与えられる内容だ。この村の連中はなかなか優秀のようだ。もしかしたら俺の教え方が上手いのかもしれない、なんてな。
その後、連中に残りの作業も教えた。
そうこうしている内に日が暮れ、夜になる。
「俺が提案したことなのに用意してもらって悪いな」
「いえいえ! 我々が何十年も頭を抱えていた害獣の問題を、領主様はたったの一日で解決してくださったのです。むしろこちらから提案できなくて申し訳ございませんでした!」
今日の夜は外で宴会を開くことにした。
村人が総出となって外に用意した木のロングテーブルには、所狭しとお皿が並んでいて、その上には焼いた肉が置かれている。もちろん、俺達の手で調達した鹿と猪の肉だ。
「ニーナに聞いた話だと、この世界の肉は処理がいい加減のようだな。一方、今回食べる肉は、丁寧に下処理をした完璧なものだ。家畜ではなく野生の肉だから、本来なら味は劣るはずだが、下処理の差で同等の美味さをしているはず」
俺はテーブルに向かって両手を広げて言った。
「さぁ食べてくれ!」
「「「いただきます!」」」
村人が久々の肉にありつく。
この世界で食用の肉と言えば、牛、鶏、豚、馬の四種類しかないらしく、皆は目には好奇心と不安が混じっている。「どんな味がするのだろう」とか「本当に食べられるのか」といった声が俺にも聞こえてきた。
そんな中、皆はおもむろに肉を頬張り、そして――。