001 プロローグ
ある日、どこにでもいる高校三年生の俺こと橘祐二は――。
「おおお! 勇者召喚に成功したぞ!」
「これで魔王を倒せるぞ!」
「魔物共に終焉を告げるときがやってきた!」
――異世界に転移した。
魔物が跋扈し、魔王が存在するゲームのような異世界に。
その世界のお偉いさん方がおこなった召喚魔法によって。
ただし、俺は――。
「あれ? 魔方陣の中に二人?」
「誰だ、そっちの男は」
「分かりませんが、勇者の資質はありません!」
――勇者ではなかった。
俺のすぐ隣で、俺と同じく間抜け面を浮かべてきょとんとしている男。
全裸の俺とは違い、服を着ている。
この男こそが勇者。
俺がいるのは薄暗い空間。
足下に光る魔方陣があり、その周囲を大量の人間が囲んでいる。主に白いローブを着た連中。なかにはマントと王冠という絵に描いたような王様の姿も。空間内には荘厳な雰囲気が漂っている。
「ささっ、勇者様、こちらへ。突然のことで驚きになられているかと思いますが、ご安心ください。直ちに事情を説明させていただきます。ささっ、こちら。ささっ」
白いローブの男の一人が近づいてきて、俺の隣にいる男に声を掛ける。
「ありがとう」
俺は何食わぬ顔で答えてみた。
もしかしたら俺に声を掛けているのかもしれない。俺が勇者で、隣のコイツはただのポチ。ワンチャンそういう可能性もある。ポチだけにワンチャン。なんちゃって。――とにかく、そんなことを考えていた。
「あなたは違います」
冷たい言葉が返ってくる。ワンチャンはなかった。
「ささっ、こちらへ! ささーっ!」
「え、あ、うん」
隣の男が魔方陣を出て、そのまま部屋の外へ消えていく。
魔方陣を囲っていた大量の人間がその後に続いた。
王様と思しき人間も、部下に何やら耳打ちしてから出て行く。
耳打ちされた部下だけがその場に残った。
その部下が、気怠そうな顔で俺の前まで来て言う。
「誠に申し上げにくいことなのですが……」
彼の言葉は、たしかに申し上げにくいことだった。
要約するとこうなる。
お前――つまり俺――は〈勇者召喚〉に巻き込まれてこの世界に転移した。お前を元の世界へ戻す術はない。お前には申し訳ないと思っている。だからといって、お前にしてやれることは何もない。運が悪かったな。どんまい。
「そんなのってあんまりだ」
たしかに俺の素行は、お世辞にも褒められたものではない。この世界に転移する直前は、全裸で空気清浄機に陰毛をぶち込む奇行に耽っていた。空気汚染を示すランプが点滅し、ブーブーと唸る空気清浄機を見るのが楽しくて、果てしない数の陰毛を毟っては放り込んでいた。
だからといって、いきなり召喚された異世界で、お菓子のオマケみたいな扱いを受けるのは理不尽が過ぎる。いや、お菓子のオマケならまだいい。人によってはオマケをメインにすることもあるから。俺の場合は違う。完全に脇役。食品に入っている乾燥剤だ。
「そこでですね」
俺の反応に対し、男が待っていましたとばかりに声を弾ませる。
俺は「何が『そこで』なんだよ」と思いつつも耳を傾けた。
「祐二様のご不満を少しでも和らげるべく、国王陛下が祐二様を領主に任命されました。貴族以外の人間が領主となることは前代未聞。これは異例中の異例の計らいと言えます。前の世界における祐二様のお立場は存じ上げませんが、これでお怒りを収めていただけないでしょうか。領地を治める前にまず怒りを収める、というわけです」
男は自分の発言に「がっはっは」とウケている。
俺は「全然面白くないからな」と指摘しておく。
「領主か……」
領主とは、日本の知事みたいなものだろう。東京都知事とか、大阪府知事とか、そういった類の存在だ。もしくは社長のようなものかもしれない。よく分からないが、とにかく、治める領地の中ではトップクラスの権力者だ。
そう考えると悪い気はしなかった。無一文で放り出されるよりは遥かにマシだ。
「いいだろう、領主になるよ。それで許そう」
俺は領主に任を引き受けた。駄々をこねて領主ですらなくなっても困る。
「ありがとうございます! 契約書を用意いたしますので、しばらく客間でお待ち下さいませ。ご案内いたします」
その場から離れようとする男。
一方、俺は動かない。
俺は「ささっ、こちらへ。ささーっ」の言葉を待っていた。隣にいた勇者様のように、空港に到着したハリウッドスターみたいな扱いを受けたかったからだ。しかし、その思いは叶わなかった。
「どうされたのですか? 祐二様」
普通に「早くついてこい」と言いたげな顔で見られて終わった。
「いや、なんでもない」
俺は苦笑いで続いた。
◇
契約書の内容を見て嫌な気がした。まとめると、「私は後から文句を言いません」と書いていたからだ。とはいえ、拒むという選択肢はない。俺はサインした。
「それではこちらの馬車にお乗り下さい。祐二様を領地までお送りいたします」
契約書のサインが終わると外に出て、馬車の待機所に行った。駅にあるタクシー乗り場のように、煌びやかな馬車が並んでいる。そこではじめて、俺がいたのは巨大な城の中だったと知った。城の内装はバロック調だったし、もしかしたらこの世界は中世ヨーロッパに近いのかもしれない。
「出発せよ!」
俺が馬車に乗ると、ここまで案内してくれた国王の部下が御者に言う。
御者は「ははーっ!」と元気な声を上げ、馬車を走らせた。
(外が見てぇ)
俺の乗っている客車には窓が付いていなかった。足下にある無数の穴から換気を行っており、そこから客車の外を見ることはできるものの、見えるのは地面だけだ。逆立ちのようなポーズで、どうにか地面以外を見ようとしたところ、客車の車輪が見えた。
外の雰囲気を知りたかった。
◇
「到着でございます!」
馬車は気が遠くなりそうな程の距離を走り、ようやく止まった。
乗車時間はおそらく十時間を超えている。同じ姿勢で座り続けるのが辛くて、客車の中で色々なことを試した。筋トレをしたり、歌を歌ったり、パンツの中に手を突っ込んだり。
ちなみに、俺は着心地の良い水色のローブを纏っている。客間で支給されたものだ。転移時は全裸だった。
「どうぞ!」
開かれた扉より客車を降りた俺は思う。
やっぱりな、と。
「これが……俺の領地……」
俺の視界に映っていたのは、老朽化の著しい館と、それを囲む藁の家々。
契約書を見た時に抱いた嫌な予感は的中していた。
これでは領地というより、ただの小さな農村である。
領主という建前で、俺は辺境の地に追放されたのだ。