もう一度逢いたい
もう一度逢いたい
十二月も間近いとある日、都内の広いクラブを貸しきって俳優でもあり歌をも歌う綾瀬恭一のコンサート会場へと私は向かっていた。
綾瀬恭一は今年で五十八歳となる俳優でその年齢にもかかわらずアクションドラマをこなす一方でシリアスな渋い演技力を高く評価される役者であった。
そして、ハンサムな顔立ちとスタイリッシュなそのしなやかな体つきは劇中の中で犯人役を追う刑事役での見事な疾走で多くのファン達を魅了する。
華やかな芸能界での活躍ぶりとは裏腹にそのプライベートはあまり公表せずにいる彼の私生活は妻と二男一女がいるという事ぐらいであろうか。
その彼の唯一のプライベートが新聞の片隅に載った事が二度程あった。
ひとつは長女の自殺。
もうひとつは彼が肺がんにかかり密かに肺の一部を切除手術を受けていた事。
長女の自殺も私にはショックだったが劇中で全力疾走する彼がまさか肺がんだった事に私は驚嘆した。
そして、やがてコンサートの幕があがり、いつものようにバリっとしたスーツ姿で現れた彼は今日この日が迎えられた事をファン達に感謝の言葉を述べ舞台は始まった。
舞台はダンスを得意とする彼の軽快な音楽にのせたステップ曲から始まり、自作の劇中での挿入歌や他の歌手達のカバー曲を歌い、MCの部分では彼独特の洒落たジョークで観客達を笑わせたりして二時間の予定のコンサートもついに最後の一曲を残すのみとなった。
彼が最後に選んだ曲は古いボサノバのラブソング『もう一度逢いたい』だった。
やや高めのスツールに腰掛けて足を組む彼の背後にはアコギを奏でる男が一人ぽつんと座っている。
「最後の曲です。『もう一度逢いたい』」
彼の言葉と共にピンスポットが当てられ舞台は暗くなった。
そして、切ないボサノバのメロディがギターで奏でられる。
もう一度逢いたい
もう一度逢いたい
あなたに逢いたい
もう一度あなたに
もう一度触れたい
もう一度触れたい
あなたの素肌に
もう一度触れたい
もう一度見たい
もう一度見たい
あなたの笑顔を
もう一度見たい
もう一度知りたい
もう一度知りたい
あなたの心を
もう一度知りたい
もう一度抱きたい
もう一度抱きたい
あなたの体を
もう一度抱きたい
彼独特のハスキーな声が会場に流れるたびに観客達は皆うっとりと歌に聞き惚れていた。
私は思った。
これはラブソングではなく今は亡き愛娘への愛惜の歌なのだと。
そして、やがて曲は終わった。
「ありがとう。おやすみ……」
安らかに眠る娘への言葉のように彼は優しく微笑みながらそう言った。
「完」