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Lv.8

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「ふい~っ……!」

 穴から顔を覗かせた彼は気の抜けた声を出して額の汗を拭う仕草をした。

「よし、開通……とりあえずこれで6割くらいは終わった様なもんだな」

 残る工程は階段の作成、そして舗装と照明の設置といった所だ。腕時計で時刻を確認する。午前0時を少し過ぎた頃だ。

「はい、今日の仕事終了。予定通りと。さて、落ちたら(・・・・)ビールでも飲むか」

 穴からしばらく歩くと丁寧な舗装と照明が施されたY字型の分かれ道に出てくる。右後方に行けば奥の湖に辿り着く。真っ直ぐ進めば洞窟の入口だ。

 そこで彼は進路を示す矢印型の案内看板が倒れている事に気が付いた。

「あれ……土が柔らかくなってるのかな……よいしょっと」

 仕事の疲れと、さっさと現実世界に帰還したいという思いからささっと看板を地面に刺し直し、彼はすぐにその場を立ち去った。

「は~あ、こんだけ働いても大した給料もらえない……下請けは辛いねえ」

 ……その僅か数秒後に、バランスを悪くした看板がくるりと向きを変える事など、誰が想像出来ないだろうか。


『どっちらけの新婚旅行(ハネムーン)(後編)』▼


「おっはよ~ダーリン! あ、オムニス(こっち)ではこんばんはか」

「……おはよう」

 新婚旅行二日目。マルクは珍しく約束の時刻に遅れてホテルの部屋にログインしてきた。コー助の覚えている限りでは待ち合わせをする場合は彼の方がいつも先に来て瑠璃を待っているのだが、それほどこの旅行が億劫だとでもいうのだろうか。

「今日で旅行終わりだね」

「……そうだな」

「楽しい思い出作れるといいね」

「……」

 そこは無言ですかい。

「今日はどこ行こっか」

「どこでもいい」

「え~、じゃあカジノとか行ってみる? ダーリンの好きそうなレア・アイテムとか景品であるんじゃない?」

「ギャンブルは嫌いだ。そんな事するくらいならジムに注ぎ込んだ方がマシだ。確実にステータスが上がる」

「そ、それもそうだねえ……ダーリンはどこか行きたい所無いの?」

「………………無い」

「……」

 やはり期待に応えてはくれないか。瑠璃はマップに目を通す。何か無いだろうか、こいつのテンションを上げられる物は……。

「あ! ここどう? 潜彩窟(せんさいくつ)。奥に大きな湖があって、オーロラが見れるらしいよ」

「洞窟の中にオーロラ……?」

 マルクは首を傾げる。果たしてそれは定義としてオーロラというのか、と言いたげである。それはコー助もわかる。凄くわかる。

「ま、まあ、ゲームだし……とにかく、異議が無いなら行こ」

「まあ時間を潰せればそれでいいよ」

 カッチーン。これにはさすがのコー助も眉を上げた。彼(女)がこの旅行に対してどう考えているのかはわかってはいたが、それを言葉にされると苛立つものである。

「……じゃあ、決定! まずは潜彩窟!」


 潜彩窟はアルカディアの北部に位置するクレスト山の麓にある洞窟だ。最寄りのバス停から歩いて三十分。都市部からはかなり外れているため、訪れる観光客も極端に少ないらしい。確かに、洞窟なんかクエストでしょっちゅう行けるし、近未来がすぐそこにあるのなら大抵の人間はそちらに現を抜かすだろう。実際アルカディアはそれを売りにしている訳であるし。

 したがってこのバス停で降車したのは瑠璃達だけだった。潜彩窟への細い道は茂みに隠れる様にひっそりと伸びていた。立て札さえもうっかり見落としてしまってもおかしくなかった。

「何か、秘境って感じだね」

「……同じ都市の中とは思えないな」

 先述した様に、アルカディアは主に沿岸に沿って開拓を続けている。なので内陸部は後回しなのだ。ただ潜彩窟は現在夜間に工事を行い新たなルートを作成しているらしい。

 道なりに歩いていき、ふたりは洞窟の入口に辿り着いた。これから彼らを飲み込もうと待ち構えている様に、小さな闇がぽっかりと口を開いている。

「おお~……雰囲気出てるなあ」

「……松明あったか」

「ううん。でも大丈夫みたい。ちゃんとランプが設置されてるよ」

「そうか……」

 ふたりは足を踏み入れた。照明のお陰で中は思ったよりも明るい。彼らの他に観光客の姿は見えず、ふたりの足音だけが洞窟内に響く。

「……」

「……」

 会話らしい会話は無かった。街中だと周囲の喧騒がこの空気を溶かしてくれるが、ここはそうはいかない。ふたりの沈黙は、世界の沈黙の様だ。今ここには、マルクと瑠璃、ふたりだけしか存在していない……。

 しばらく歩くと道が二手に分かれていた。ランプは左奥へと続いているが、真ん中に立つ矢印型の案内板は真っ暗な右側を示している。こちらが順路だという事か。

「ここからは明かりが必要みたいだね」

 瑠璃はリュックサックの中をまさぐり杖を取り出すと、魔法を使用した。杖の先端に光が灯り、道を照らしてくれる。

「よし、行こう」

 奥の湖を目指してふたりは歩みを進めた。

「……」

「……」

 沈黙が続く。それに耐えられなくなったコー助はとうとうこの旅行中ずっと聞きたかった事を腹の中から押し出した。

【……そんなに俺の事嫌いか?】

 ボイス・チェンジャーはオフにしていた。瑠璃ではなく、園崎コー助として話をしたかったからだ。どうせ周りには誰もいないのだ、正体が露呈する事は無いだろう。

 初めてだ。オムニスで地声を出すのは。

「!」

 彼の突然の行動に驚いたマルクは急に俯き、足を早めた。先導の瑠璃を追い越していく。

【! 待てよ】

「……」

【なあ、何か言えよ】

「……」

【俺とは口を利きたくないってか】

【……あ】

 彼は……いや、彼女はようやく声を発した。コー助に触発されてか、マルクも変声を解除していた。

【……あ、あんたはアアッ!?】

 突如声を上擦らせ、マルクは瑠璃の目の前から姿を消した。何が起きたのかと瑠璃は駆ける。彼女の悲鳴はどんどん遠のいていった。

 見ると、そこには大きな穴が開いていた。マルクはこれに落ちたのだ。もう声は全く聞こえなくなっていた。深いのか。

【マルク!?】

 穴の中に呼びかける。だが返事は無い。

【マルク! マルク!】

 杖で穴を照らすが、その光は底まで届く事は無かった。やはりこの穴、相当深い。

【……ええいっ!】

 ここはダンジョンではないからダメージ判定は無いはずだ。あったとしてもどうか即死しません様に……祈りながら瑠璃は穴を滑り降りた。

 現実の感覚で十数秒間斜面を下っていったが、途中で体勢を崩し穴の底には頭から着地してしまった。ダメージ判定は……無い。よかった。

【マルク! 大丈夫か!】

 彼の姿を探す。しかし真っ暗だ。思い出した様に光の魔法を使用した。

 ……が、何も起こらない。もう一度呪文を詠唱する。しかし状況は変わらない。

【……!? バグか……!?】

 何か明かりに使えないかとリュックの中を除き込む。暗闇の中でもアイテムメニューなら見れるはずだ……そう思ったが、視界には何も映らなかった。あれだけごちゃごちゃしていたはずのリュックの中身が今は空っぽになっている。

【……!? アイテムが表示されない……!?】

 魔法も、アイテムも、使えない。もしかしすると元からそういう仕様なのかもしれない。

 この穴の中では、魔法もアイテムも使えない事になっている。そういう事だろうか。

 コー助ははっとする。工事中のエリアだ。ここはまだ開拓中の領域なのだ。おそらく管理者権限を持つキャラクター以外は操作が限られている。もしくはまだ設定が施されていないか。そのどちらかだ。

 間違って侵入してしまったのだ。どうりで順路らしくない順路だった訳だ。ていうかセキュリティーかけろよ……ハッキングくらったらどうすんだよ。

 しかたなくそのまま呼びかけを続けながらサーチ・モードでマルクを捜した。視界に入るキャラクターの上にマークが表れるのだ。オムニスを始めたての頃は操作の対象を定める際にこれに大いに助けられた記憶がある。

 すると、マルクは驚くほど目の前にいたのだった。

【うおっ! 何だよお前すぐそこにいたんじゃねーか! 返事ぐらいしろよ!】

【……………………ぐすっ】

【……? な、何だよお前、まさか泣いてんのか……!? どっか怪我して痛いとかいう訳じゃねーよな、ここオムニスだし……】

【………………こ…………怖い…………】

【…………は?】

【く、暗闇は……………………怖い…………怖いの…………!】

 彼女の声は震えていた。怯えている様に感じられる。

【…………】

 ちょっとは女の子らしいとこあるんじゃねえか、とコー助は思った。いや、だから何だってんだと即座にその思考を捨てる。

【そ、そうなのか……だ、大丈夫か?】

【怖い……怖い怖い怖い怖い怖い……暗いのは()……!】

【お、落ち着けマルク。ここはオムニスだ。そんなに怖けりゃインターフェイスを外せばいいだろ】

【! ……】

 コー助の耳元でノイズが走った。彼女がインターフェイスを外したのだろう。かといってこのままずっと外しっぱなしにされても困る。今は新婚旅行中だ。

 やがてまたノイズが鳴った。

【……落ち着いたか?】

【…………う、うん……少し……】

【いいかマルク、ここは多分工事中の新ルートだ。確か掘削はもう終わってて、あとは舗装だけだって話だったはずだ。って事はこの奥に進めばその内地底湖に着く。さっき滑ってきた感じだとここから上がるのは難しいと思うし、これから俺達はこの暗闇を歩いてかなきゃなんねえ】

【……………………うん】

 彼女はすっかり弱々しくなっていた。リアルで会った時のあの威勢の良さは今はどこにも見られない。

【歩けるか?】

 オムニスの操作は思考と直結している。不安定な精神状態だとまともに歩く事すら怪しくなってくるのだ。

【…………ちょ、ちょっとま、待って…………今立ち上がるから……】

 目の前まで近寄ればうっすらシルエットが見える。瑠璃はマルクに肩を貸した。

【……行こうか】

 マルクの首が縦に揺れたのを見て、ふたりはゆっくりと歩き出した。

【……】

【……はぁっ……はぁっ……】

 暗闇への恐怖からか、マルクの息遣いは少し荒い。掠れる様な吐息を耳元で漏らされると、コー助は何だか変な想像(・・・・)をしてしまいそうになる。こんな時に何を考えてるんだ俺は。それに、こいつはまだ中学生のガキだぞ。

【……そんなに俺の事嫌いならよ】

 煩悩を振り切ろうと彼はここに落ちる前の話の続きを始めた。今の状態の彼女に言うべき事ではないかもしれないが……。

【もう離婚するか】

【!】

【理由は適当でいいよ。俺……瑠璃が浮気したとかさ】

【……そ、そしたらあんた、ログインし(入り)づらくなるじゃない】

オムニス(ここ)は広いからな。遠いとこに行きゃいいさ】

【……でも、鉄平とライラと会えなくなるでしょ】

【また新しい仲間見付けりゃいい。それかひとりで楽しむか。お前と会う前は流れ者やってたしな】

【……】

【あるいは瑠璃を消して、アカウントを作り直すか。今度はイーオンに行ってもいいかもな】

【……あんたは】

 彼女の声はまだ震えている。今にも消えてしまいそうなほどにか細い。

【あんたは…………あたしの事、嫌いじゃないの】

 それが、この穴に落ちる寸前に俺に言おうとしていた事なのだろうか。

【……好きではねえ、ってのが本音だな】

【……】

【お前、口悪いし】

【……】

【目付きも悪いし】

【……】

【自分の事は棚に上げるし。初めて会うのに生意気だし。偉そうだし。それから目付きも悪いし】

【……あーもーうるさいっ!】

【あととにかく目付きが悪い】

【何回言うのよっ! あんたやっぱりあたしの事嫌いなんでしょっ!?】

【……けどよ、お前は毎日ここにログインしてステータスを上げてる。強くなるっていう明確な目標を持ってる】

【……っ!? あ、当たり前じゃない! ゲームなんだから!】

【その当たり前が当たり前じゃない奴もここにいんだよ】

【……?】

【いや、俺はな、お前ほど頑張って生きてねーんだよ。適度に手を抜いて、ほどほどに力入れて生きてる】

【……が、頑張ってる……? あたしが……?】

【オムニスを始めたのだって、お前みたいに神プレイヤーになるとかいう目標を持ってた訳でもない。流行ってるから何となくやろうって、ただそれだけだ。多分このまま何となく大学に行くと思う。そうやって考えるとよ、お前は俺なんかよりもよっぽど凄い奴だなって思ってんだよ。お前のそういう所は、素直に尊敬出来んだな】

【そ、尊敬……?】

【ただ、目付きと口が悪い】

【まだ言うかあっ!!】

【だから、俺はお前の事をまだ好きじゃねえ】

【……】

【お前は俺が嫌いなんだろ】

【……うん、嫌いよ】

【あそう……】

 口に出されるとやはりへこむ。少しでも良い答えを期待した俺が馬鹿だった。

 気付けば目の前がうっすらと白んでいた。目的地である地底湖に到着したらしい。マルクの姿が、その表情が、しだいにくっきりと見えてくる。

【でも……さっきまでは大嫌いだったわ】

 何じゃそりゃ。

【変わってねえじゃん……で、離婚はどうする?】

【……もう少し、先延ばしでいいわ】

 マルクは、笑っていた。久し振りに瑠璃に笑顔を向けてくれていた。口ではまだ嫌いだとは言っているが、もしかしたら心の中で何かが変わったのかもしれない。

 地底湖のあるエリアは鍾乳洞になっていた。奥には滝があり、止めどない量の水が流れ落ちている。

 そこには確かにオーロラがあった。色鮮やかな目映い光が幾色にも変化しながら鍾乳洞全体を彩っている。滝や湖の水に、天井から垂れた鍾乳石に、地面から生えている鉱物に、この空間全てにあらゆる色彩が溢れていた。わかっている。これは単なるグラフィックだ。所詮はプログラム。しかしそれでも。

【綺麗だな……】

【うん、綺麗……】

 現実に劣らない美しさが確かにあった。美しいと思う心に、真の美しさは存在するのかもしれない。

 ふたりはしばらくの間その場に立ち尽くしていた。瑠璃がふとマルクの顔を見ると、彼と目が合った。彼はまた微笑んだ。瑠璃も微笑みを返した。

 滝の裏に通路が存在し、そこを上ると上層部に繋がっていた。こちらにも湖があり、滝の水はこの上層部の湖から流れている物だった。通路との境にはロープが張られている。恐らく立ち入り禁止を表す物なのだろう。いやあの分かれ道にも張っといてくれよ……そしてここもセキュリティーかけとけよ。


 潜彩窟を出た夫婦は次なる目的地を思案していた。マップを開いて瑠璃が再度マルクに行きたい場所が無いかを聞くと、彼は恥ずかしそうにある一点を指差した。

「こ……ここ」

「……もふポコ園……?」

 もふポコとはアエラ内で愛玩用に飼われているモンスター、つまりペットだ。ふわふわとした毛皮が魅力的で、愛くるしい顔をしている。クエストにも同行させる事が可能で、躾や育て方しだいでは強力な仲間になる。

「……やっぱ女なんだな、お前」

「な、何よっ! あんたが聞いてくるから……!」

「あー、もう変声してんだからマルクでいてくれよ。何かキモいし」

「あんたもでしょっ!」

 夜になれば観光を終え、残された時間をホテルの部屋でふたりきりで過ごした。トランプをしたり、(ゲーム内)ゲームをしたり……楽しかった。潜彩窟以降、ふたりの間の空気はリアルで会う以前の状態に戻っていた。また前みたいに、お互い笑い合っていた。

 もう少し、この時間が続いてもいいかな。コー助は旅行が終わる直前にはそう感じていた。

 そして四十八時間の新婚旅行は、最後は笑顔で幕を閉じた。

CONTINUE.

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