図書委員 其の二
つい先日入学式が終わったからか、部活動に入っている人はみな一様に新入生の勧誘がどうだとか言っている。放課後はまだほど遠い昼休みでもそんな風に騒ぐ声はとどまる所を知らず、俺たちはそんなこと話してもいないのに勝手に耳に入ってきてしまうほどだった。
そんな中、教卓の影に隠れるようにして静かに弁当を口へ運ぶ俺と会長二人だけの寂しい昼飯の場に、なぜか最近混ざるようになっていた田所だけがほかのクラスメイト達同様浮足立っていた。
「春が来た! 出会いの季節が来た!」
「頭にお花畑でも広がってんのかお前」
高らかに宣言した田所と違って俺は冷え切っていた。
そんな俺たちに何か言うでもなく、会長は表情一つ変えずに黙々と弁当箱を片手に食事中だった。
まるで興味ないというような会長と冷め切った態度の俺とは裏腹に、脳内お花畑の田所はなおも大きな声で言う。
「春と言えば出会いの季節! そして恋の季節!」
「あ、さいですか」
もう馬鹿馬鹿しくなって何か言うのも諦めた。田所が大声を出しているときは好きなようにしゃべらせるほかない。話を強制的に終わらせようとしたところで逆効果、田所に接続されているスピーカーがうなりを上げるだけだ。
「新しい出会いで俺にも春が来るはず」
「来るといいな」
「あわよくばモテモテになりたい!」
「なれるといいな」
会長は黙々と箸を動かして、俺は適当に合図地を打つ。そんなだから田所は自分一人でしゃべるしかないので必然的に俺たちの興味をそそろうと声がより大きくなる。なんという負の連鎖。もう迷惑行為以外の何物でもない。心なしかクラスの視線が集まった気もする。
「けれど俺は一途に行こうと思う! とりあえずかわいい子!」
「範囲広いな」
適当な突っ込みを入れながら俺は会長に倣って弁当を食べ進める。ちなみに田所の弁当は鉄製の底の深い大きな弁当箱だったのだが、もう空になっていた。何こいつ、早食い選手権にでも出れば?
決して早弁したわけではないのに手持ちの弁当がゼロになった田所を何こいつキモ、と半眼で睨むように見ると田所はスクッと立ち上がった。
「というわけで、一年生の教室に行こう!」
「行ってら」
グッとこぶしを握ってお前も来るだろ、みたいな視線を向けられたので箸を持っている手でシッシと追い払う。
すると田所は会長のほうを見て親指を立てた。
「会長! 行こうぜ!」
「いや、俺は遠慮する。一人で行ってきなよ」
「…………」
二人から断られた田所は、捨てられた子犬みたいな顔をした。いやそんな顔しても行かねえけど。それに会長は何が何でもいかないだろ。イメージがうんたらかなんたらといつも気にしてるような奴だぞ。
そうは思ったのだが、田所はいつまで経ってもそのうざったい顔をやめないので仕方なく口を開く。
「一人で行ってくれば下級生に囲まれるんじゃないのか?」
決してそんなことを起こりえないだろうとは思いながらも適当にそんな風に言ってのける。すると田所は寂しそうな顔から一転、今度は重々しい口調で言う。
「俺がそんな会長と同じ扱いされると思うか?」
「ちゃんとわかってんだな」
ちゃんと正しい自己評価ができていることに感心しながら返すと田所はくっとわざとらしく下唇を噛むようなしぐさをした。何そのあざとい仕草。成川と違ってかわいくねえからやめろ、いや今のなし。
ともかく、田所の気持ち悪い三文芝居に付き合ってやるほど俺も人ができてはいないので、適当に周りの会話を耳にしながらそれっぽいことを言ってみることにする。
「部活の勧誘とかで頑張れよ。お前なんか部活してんだろ」
俺はボディビルダー一歩手前の筋骨隆々の田所の体を見ながら言う。すると田所はずいっと俺との間合いを詰めて恨めしい声で言った。
「部活入ってないんだよ」
「は?」
俺はわけがかからず聞き返した。いや、その体で部活に入ってないって何? それともあれか、学校内じゃなくて他のところで何かやってる的なやつか。
そう思って聞き返そうとしたのだがそれよりも早く田所が悩ましげな声を上げた。
「俺のバイト先女の子いないんだよぉ!!」
「あー、バイトか」
なるほど、と合点がいった。引っ越し屋のアルバイトとかしていればたくましい体つきになるやもしれん。俺はバイト経験がないからわからないが。というか何のバイトしてるのか聞いてないが。
別に是が非でも知りたいというほどの興味があったわけではないが、なんとなくそう聞いてみた。
「何のバイトしてんの?」
「業務センター資材置き場」
「すげぇピンポイントだな」
あれか、資材ということは木材とか鉄パイプとかそういうやつか。なにレジ打ちじゃなくて仕入れの方? まあ聞かなくてもその体見ればわかるけど。
「あとはたまに引っ越し屋」
「何お前自分をいじめるのが趣味なの?」
さも当然のように付け足すから反射的に言ってしまった。あまり体を動かすような重労働をしたいとは思わない俺としてはそう思うしかない。本当に何こいつ。
そう思って視線を向けると田所ははぁとため息を吐いていた。
「だから職業柄女の子いないし。いても女の子って年齢じゃないし……」
「なるほど、そういうもんか」
まあ肉体労働の場に女の子、それも年の近い人なんてそうそういないだろう。勝手な憶測だけど田所が言うならそうなのだろう。
「何、つまり女子とのつながりが欲しいわけ?」
「そういうこと!」
「物好きだな」
そんな風に女に飢えてる男にはまず寄ってこないだろう。なんか女性ってそういうのに敏感らしいし。寄ってきたとしてもそれはまああれだ、あまりよろしくない理由だろう。田所なんかそういう女に引っかかりそう。バイトしてる分学生にしては金持ってるからたかられて終わるみたいな感じで。うわ、かわいそ。
俺が心の中で勝手に憐れんでいると、ふと今まで黙っていた会長が口を開いた。
「じゃあ委員会にでも入ればよかったんじゃないか?」
見れば、会長はさっきまで手に持っていた弁当箱を片付けて、綺麗にケースの中にしまい終えていた。やばい、俺だけ取り残された。
危機感を感じて急いで弁当を口へ運ぶ俺の目の前で田所が腕を組んで唸っている。
「いや、委員会ってそういうのなさそうだしよ。面倒なだけな気がして」
女子との出会いが欲しいなんて言っておきながら高望みしすぎて自分から可能性を手放しているクラスメイト。お前もそういう奴だったのか。せめて何か行動しろよ。いや俺も人のこと言えた義理じゃないんだけどね。委員会には入ったけど。
呆れながらちらりと隣の会長に視線を向ければたははと困ったように笑っていた。頑張れ会長、飯食い終わったら俺も参加しないでもない。
「彼女欲しいよぉ!」
「がんばって」
俺は適当に合図地を打って残り僅かになっていた白米を掻き込もうとプラスチックの箸を突き刺した。
すると、日ごろの行いが悪いからか、それとも神様というのは性格ねじ曲がった意地悪な奴ばかりだからなのか田所が俺のことをキッとにらむように見た。
「お前は彼女候補がいるからいいよな!」
「いねぇよ。ってかその言い方止めろ、俺がろくでもない男みたいに聞こえるから」
思いっきり睨まれてしまったのでそ知らぬふりもできずに言うと田所はふんと鼻を鳴らして床に胡坐をかいた。
「どっちにしたっていい女の子いるだろ。ほらあの…………」
「……なんだよ」
勢い良くしゃべっていた田所がいきなり口ごもったのでぶっきらぼうに聞き返す。すると田所は腕を組んだまま首を傾げた。
「そう言えば、俺あの子の名前教えてもらったっけ?」
「さあ?」
適当な合図地をしたものの、そういえばどうだっけななんて思い出してみる。確か会長には卒業式準備の時に教えた。田所と一緒に作業してる時にも話題に上がったから確か名前くらいは出たはず。…………いや、名前出してないな。あいつとかそんな感じの三人称使ってたな。
ぼんやりと思い出しながら頭上を見上げていると田所はまたしても俺のほうへと迫ってきた。
「あの子の名前なんて言うんだ?」
「なんで俺に訊くんだよ、本人に聞けよ」
「本人と付き合いがあったらとっくにそうしてるわ! というか告白してるわ!」
「え、何お前あーゆー軽々しいのがタイプなの? ぼろ雑巾のように乱雑に扱われて捨てられるぞ」
どうやら田所はとりあえず見てくれが可愛らしければそれでいいらしい。かわいい奴っていうのは普段から外見に気にかけてるやつだから、それなりに異性の目とかも気にしてたりするもんだろうな。そういう奴ってろくでもないやつが多いよな。なんて偏見に満ちた考えを展開させながら愚かなクラスメイトに黙とう。どうかこいつに女性との縁を与えないでください、絶対にこいつ破滅するから。
「とりあえず教えてくれよ。知らないわけじゃないだろ?」
俺が静かに黙とうしている間も田所はしつこく聞いてくる。年端も行かない子供に「なんでなんで、なんでー!」と駄々をこねられているような気分だ。
いつまでもうるさくされると俺の鼓膜と心の平穏が危険にさらされてしまうので、ため息を一つ吐いて分かったから静かにしろと伝える。
「成川。一年……じゃねえか。二年生の」
四月になって学年が一つ上がったことを思い出して言い直す。あー、そういえば受験だなー、やだなー。
なんて思いながら満足したかと言いたげに田所のことを見た。
「…………え?」
「え?」
しかし田所は疑問符を浮かべていた。意味不明な行動に俺も疑問符を浮かべる。なに、日本語理解できなくなったの? 何語なら理解できるの?
俺が田所の頭の心配、はさしてしていないけれど首をかしげていると田所は手をぶんぶん振りながら早口でまくし立てた。
「いやいやいやいや。それだけ? クラスとかどんな子かとかないわけ?」
「いや、なんで詳しく知ってるなんて思ったんだよ。他人のことなんて知るわけないだろ」
「……フルネームも?」
「…………」
別に気にすることでもない。部活が一緒なわけでも委員会で関わりがあったわけでもないただの後輩。顔見知りくらいの関係なのだから。
けれど、言われてはっとした。
俺は成川の下の名前を知らない。
いつだか、彼女から自己紹介をされたことがあったが、その時にフルネームを教えて貰っただろうか。記憶が定かではないが確か苗字だけしか名乗られなかった気がする。覚えていないのではないと思う。知らないのだ。
「……水谷?」
いきなり黙った俺を不思議に思ったのか田所が俺の名を呼んだ。けれど俺は何も答えない。
別に、下の名前を知らないからなんだという話ではある。
知ったからと言って下の名前で呼ぶわけじゃない。そんな親しい中でもないし、名字で呼ぶ方が自然だろう。あいつだって俺のことを名字で呼んでいるし、俺のことを下の名前で呼ぶような奴はこの学校はおろか家族以外にいないだろう。あいつだって、きっと俺のフルネームを把握してはいない。
だから、別に知らなくていい。知らないままでいい。
たった三年間の高校生活。その一つ下の後輩と一緒に居る時間なんて長くて二年間だ。そんな短い時間のことなど成人して働き始めたらきっと忘れる。連絡も取らないような関係になる。昔少し話したことのある知り合い程度になるんだから。
だから、今知りたいなんて思ったのは何かの間違いで、すぐに忘れる気持ちだ。
そう思って俺はきょとんとしている田所を見つめた。
そう俺は知らないままでいい。フルネームも知らないまま、なんとなくの姿形のシルエットと明るい茶髪。その程度を覚えておけば、過去を振り返ったときに何となくは思い出せるだろう。会長や田所と同じレベルの認識でいい。なんとなく覚えているくらいでいい。これから先ずっと一緒に居るわけでもないんだから。
だから知らないままでいい。
そう言い聞かせたのに、田所よりも彼女のことを知らないのは悔しかった。




