バレンタインデー 其の三
「あ、先輩やっと来ましたね」
「…………今日もいるのかよ」
放課後、帰宅しようと下駄箱で靴を履き替えて校門まで行くと、昼間教室に乗り込んできた明るい髪の毛の後輩が俺を待ち構えていた。
「当り前じゃないですかー。毎日待ってますから」
「それはストーカーっていうんだ」
「ぎりぎりセーフだと思います」
「アウトでしかねぇんだよなぁ」
自分は正しいと信じて疑っていないその態度を見て思わずため息が出そうになる。
秋ごろから毎日にように、と言うか本当に毎日俺のことを待ち構えている後輩を鬱陶しく思いながらその横を通って学校から出る。そんな俺の様子を見てニコッと笑った後輩は俺の横について同じ帰途につく。
「先輩、今日どうでしたか?」
「どうって何が」
「今日先輩のクラスに言ったじゃないですかー。あの後何かあったかってことですよ」
鞄を持った手を後ろで組んで、体を前のめりに倒してあざとく俺の顔をのぞき込んでくる。あからさまな態度に呆れながらも昼間のことを思い返しながら言う。
「なんもねぇよ。普段あんま話さないやつに話しかけられたくらいだ」
「それは何かあったってことになりませんか?」
「さあな」
自分のことなのにやけに他人事に、感情のこもっていない無関心な声で言う。おそらくは誰かが見ればそんなテキトーなと突っ込みを入れたくなってしまうような態度であろう。事実俺自身が自分の態度に突っ込みを入れている。
「そうですか。どんな話したんですか?」
けれど、この後輩はそんな当たり前の疑問も疑念も感じ取れないのか勝手に納得したような言葉を口にして話を展開させようとしてくる。
「どういう関係だとかそういうのだな」
それを遮る気力を持ち合わせていなかったので、特に隠すようなことでもない昼間の世間話程度の出来事を口にする。
「彼女なのかー、とか言われました?」
「言われたな」
「えへへ、教室まで行ったかいがありました」
俺の淡々とした受け答えに嬉しそうにはにかむ後輩。何がそんなに嬉しいのかと問いたくなる。
「先輩は何て答えたんですか?」
「秋ごろから付きまとってくる後輩」
「先輩つれないー。そこは便乗してくれればいいのにー」
不満があるというわけではないのだろう、頬を膨らますでもなく間延びした緩いトーンで口にする。そんな後輩に何かを言うでもなくただ足を動かして自宅へと向かう。男と女では歩くスピードも違うであろうにこの後輩は根気強く俺に付いてくる。歩調を落としてくれとも待ってくれともいわず、文句ひとつ口にすることなくついてくる。
「先輩、チョコはもう食べてくれました?」
そして会話を途切らせまいと矢継ぎ早に新しい話題を振ってくる。
「食ってないな」
「もったいなくて食べれないって感じですかー?」
「そういうの自分で言うな。食べるタイミングがないだけだ」
「いいじゃないですかー。先輩あんまり貰えなさそうですし貴重じゃないですか?」
「確かにお前からしか貰ってないな」
失礼な物言いに何か思うこともなく淡々と口にする。実際バレンタインなんていうものに縁はないし、高校生となった今母親から貰ったりもすることはなくなった。バレンタインなんて会長のおやつが増えるだけのイベントだと思っていた。
「先輩あんまりモテなさそうですもんね」
「ああ、そうだな」
「何言ってるんですかモテますよ」
「お前よくこんな短い会話で矛盾を作れたな」
今度は俺の物言いが気に食わなかったのか軽く唇を尖らせて言ってくる。やはり前のめりに顔をのぞき込んでくる体制でだ。
いったい何が言いたいんだと視線を向けるとこの後輩は得意げに笑うと勝気な笑みを浮かべて言い放った。
「先輩ちゃんと私にモテてるじゃないですか」
「あそうですね」
「もっと感情込めてくださいよー。まったくー」
適当に答えると不満げに唇を尖らせた。そんな顔をされても言葉に感情がこもっていないのはお互い様だった。
「でも先輩一個だけもらったチョコが本命なんですからすごいですよ」
「そうなんですかー」
「なんで他人事なんですかー」
俺が間延びした声で言うとそれをマネして同じように返してくる。
「私のは本命チョコですよー? 先輩がもらったそのチョコが、です」
そしてまたしてもあざとく自分の可愛さを武器に唇に指をあてて首をかしげるように俺のことを見上げてくる。それを見て別段ときめいたりすることなく「あっそ」とだけ答えた。
「もっと嬉しそうにしてくださいよ、本命チョコ」
「はいはい嬉しい嬉しい」
「だから感情がこもってないんですってー」
テキトーに答える俺に不満をたらたらと口にする後輩。何度も思うが感情がこもっていないのはお互い様だ。
こいつのアピールはあからさますぎる。だから感情がこもっていないように思えてしまう。ただ遊んでいるだけ。相手の反応を面白がっているだけ。自分の可愛さを証明したいだけ。ただそれだけのように思えてしまう。
だからいくら本命だと言われてもときめかないし勘違いもしない。もっとやり方がうまければその気にさせられてしまうこともあるかもしれないが、こいつに限ってはそうではない。こいつの言葉には本気の重みが感じられない。
本命、なんて言われても俺はこいつに好かれるようなことをした覚えはない。出会いは秋の文化祭前日、段ボールの中身をぶちまけた彼女を手伝ったというだけだ。それが特別優しいと感じるわけもないだろう。もしそう勘違いできたとしても、本気で好きになるはずなんてない。それだけの面識の、赤の他人だったのだから。
だから俺は感情をこめずテキトーにあしらうように接する。俺自身が、変な勘違いをしてしまわないためにも。
「先輩のために作ったんですよ?」
「そうかそうか、それって誰?」
「水谷先輩です。優しい水谷先輩」
「お前チョコと一緒に目玉も湯煎したの? あのチョコ食べて大丈夫な奴?」
「大丈夫ですよー。そんなもの渡しませんって」
きっとお互いの心には全く触れない上辺だけの会話。いや、上辺すら見えていない虚像同士のやり取りだ。不毛に思える、そんな時間。
けれど暇つぶしには最適で、気付けば俺たちは大通りの交差点までやってきていた。真横のコンビニで買い食いする生徒たちの声を聴きながら、ちかちかと点滅して赤になった信号をみつめた。
俺の通う学校の生徒は大通りを境にそれぞれ四方へ散っていく。大通りの上り側には駅がある。電車通学をしている生徒は皆そっちへ向かうためそちらがどうしても混雑する。
下り側は川沿いへ向かう道になっている。駅方面とは全く違い田園風景が生き残っている田舎のような一帯へと続く道だ。
そして正面、大通りをそのまま突っ切って向かい側へ行くと、都会とも田舎とも形容できない、住宅ばかりのつまらない一帯が現れる。唯一何か言うことがあるとすれば、綺麗に整備された遊歩道があることくらいだ。
その三つのパターンの例の漏れず、俺も正面のその先にある住宅街へと向かうことになる。そして俺の真横を歩いている後輩も同じくだ。帰り道が一緒なのをいいことに付きまとわれている。
「あれ? 先輩どこ行くんですか?」
けれど、今日は珍しく横断歩道の前で信号が変わるのを待つのではなく、コンビニのほうへと向かった。
同じ制服に身を包んだ学生たちを横目にコンビニの中へと入る。暖房がきいているおかげか店内はかすかに暖かかった。
けれどきっと暖かいのはそれ以外にも色覚効果もあったのだろう。レジ周辺には真っ赤なポップで『バレンタインデー 運命の相手をゲットしよう!』なんて書いてあった。
「何か買うんですか?」
「別に」
当然のように俺の後をついてきた後輩がひょこっと顔をのぞかせる。俺は店内を回るでもなく誰も並んでいなかったレジへと向かった。いらっしゃいませという挨拶を聞き流しながら俺はレジの横に並んでいるケースの中を見つめた。
「肉まん一つ。…………お前はどうする」
「あぇ?! 私ですか? 先輩奢ってくれるんですか!?」
俺が訊くと、さっきまで間延びした声しか発していなかった後輩が声を大きくして興奮していた。大きな声に耳と頭を痛めながら「いいから選べ」とケースの中を指さす。
「じゃあピザまんでお願いしますっ」
後輩が言うと俺が伝えるよりも早く店員がピザまんを取り出してレジ袋へと詰めていた。
俺は数百円の代金を払ってレジ袋片手にコンビニを出る。コンビニを出ると先ほど点滅して赤くなった信号が青に変わったところだった。
今の内に渡ってしまおうとさっさと信号のほうへ向かう。歩調を上げてもなお明るい髪の毛の後輩は俺の後をついてきて俺の真横を陣取る。
道路を渡ってしまえばあたりは住宅ばかりだ。そんな一帯を抜けるため俺はレンガの敷き詰められた遊歩道へと入った。市のボランティアか何かで作っていたのであろう花壇には今は何も植わっていない。
「……ほらよ」
しっかりと追いついてきた後輩にご褒美とばかりにレジ袋の中に入っていた、包み紙に包まれたピザまんを差し出す。
「ありがとーございます。先輩奢ってくれるなんて思いませんでした。デレ期ですか?」
「いいから受け取れ、熱いんだよ」
「はーい」
俺がせかすと間延びした声と共に細く華奢な手が俺の差し出した包みを掴んだ。
「先輩、ツンデレですね」
ふふふと上機嫌に笑う後輩になんのこっちゃと思いながら自分の肉まんが包まれている包みを取り出して肉まんを取り出す。包み紙越しでも熱かったのだから当然中身はもっと熱い。俺は片手でお手玉しながら少し冷ましてかぶりつく。
「先輩普段買い食いとかしないのに珍しいですね」
「お前が俺の普段を知ってる事実が怖いな」
包み紙を両手で持ちながら言った後輩に茶化すように言う。そんな俺の様子を見てまた笑顔を浮かべるとようやく包みをはがしてピザまんにかぶりついた。
「おいひっ。……先輩ありがとうございます」
頬を染めながら心底嬉しそうに見える微笑みを向けてくる。無邪気な少女らしい表情に一瞬心臓が反応しそうになるが視線を逸らしてなかったことにする。
「気にすんな。お返しだからな」
「おはえひ?」
ピザまんに口をつけたまましゃべるから言葉がこもって妙な音に聞こえてしまう。しかし言いたいことはわかったので説明してやる。
「チョコのお返し。だから気にすんな」
「………………へ?」
俺が言うと後輩はピザまんに口をつけたまま固まって動かなくなってしまった。ずっと俺の横を歩いていた姿が消えてしまったものだから俺もつられて足を止めて振り返る。
「どうした?」
急に動きを止めた後輩を不思議に思って尋ねるとピザまんから口を離して俺とピザまんを交互に見つめた。意味不明な挙動に怪訝そうな視線を向けると後輩はためらいがちに聞いてきた。
「えっと、バレンタインのお返しってことですか……?」
「そう。来月だと忘れるから」
「じゃあ、来月は無しに」
「そうなるな」
「…………」
そこまで聞くとまたしてもフリーズしてしまう。どうしたんだと思いながら再起動を待っていると数秒後に大声を上げた。
「先輩これ返品します!!」
「いや、もう食ったじゃん」
タタタッと小走りに俺に詰め寄ってきた後輩に少しのけぞりながら言う。
「だって! これがお返しなんて思わなかったんですもん!」
焦ったように、少し涙目にも見える瞳で俺のことを見つめてくる。必死なせいか、いつもより距離が近くて俺が自分から離れなくてはいけなくなってしまう。
「せめてお菓子にすればよかったぁ!」
「うるさいな」
喚き散らす後輩をよそに俺は肉まんを暖かいうちに食べ進める。そしていつまでも立ち止まっていたくはなかったのでさっさと歩きだす。
ちらりと後を振り返るとすぐ真後ろに肩を落とした後輩の姿があった。
トトトっと俺の横までやってくるとあからさまにため息を吐く。
「そりゃ、お返しが欲しくて渡したわけじゃないですけど……。でもやっぱりもらえるならもらいたいですし……」
「あー、はいはいそうですか」
「また感情こもってない」
適当に流そうとすると落ち込んだような声が返ってきた。今日はずいぶんと表情がころころ変わるな。そんな風に思いながら俺は慰めるでもなく肉まんを食べ進める。どうせ大して気にしてないだろうしな。
「まーでも、お返しもらえたからいいかな。はむっ」
そう思いながらちらりと隣を確認するとやはり大して気にしていないようでピザまんに口をつけていた。
「お返しほしいならほかの奴にあげればいいだろ。お返しに運命の相手でも返ってくるぞ」
適当に軽口を口にしながら俺はひとかけらになっていた肉まんを食べつくす。よくお返しは三倍返しという言葉を耳にするが、三倍って値段を言っているのだろうか? それとも大きさ? だとしたら運命の相手って何倍で帰ってきたことになるんだろう。そんなことを想いながらコンビニにあったポップの間抜けさを実感する。チョコを渡したくらいで運命がなんだと言えるようなことが起きるのなら安いものだろう。
けれど、女子側としてはそう言った言葉に弱いのか感化されて本命チョコと題した贈り物をしてくる女子もいる。そう俺の横に。
「運命の相手、ですか……。先輩は運命って信じますかー?」
「さぁ」
間抜けな質問に興味ないと態度で示しながら答える。運命なんて考えたこともないし、何ならそんな言葉を使ったのも今日が初めてかもしれない。
けれどまぁ、運命なんて言う言葉を信じている奴だっているだろう。十人十色。人それぞれ思うこともあるのだろうから。だからきっとこの後輩もそういう俺とは違うタイプの人間なのだと思う。というか主に女子とは考えが合う気がしない。私だけを見てとか、幸せにしてとか。何でいつも受け身なんだか。
そんな風に女子への偏見を思い返していると真横にいた後輩が呟きにしては妙にはっきりとした声で言った。
「私は、運命なんてないと思います」
「…………」
意外な言葉に声を上げそうになってしまった。てっきり「運命はありますよ」とかいうものだと思っていたから。
「恋愛だけじゃなくて何でもですけど、運命はないと思ってます」
「ほー、その心は?」
妙に興味をそそられて、からかうように尋ねるとその後輩はふふっと笑ってから言った。
「どんなに好きだった人でも、お互い好きで付き合っても、先のことなんてわからないんですよ。もしかしたら明日別れを切り出されるかもしれないんです」
そう言うと後輩はパクっとピザまんに口をつけて幸せそう頬を緩ませる。
「だからですね。いつ一緒に居られなくなるかもわからない、そんな運命の相手なんていないと思います。運命っていうのがわかるのはずっと未来になってから、昔のことを振り返って、あー運命だったんだな。って思ったときくらいだと思います」
息継ぎのついでと言わんばかりに両手で大切そうに持っているピザまんを食べ続ける。そうしているうちに、半分ほどあったピザまん姿を消してしまった。
「何もしなくても結ばれる運命なんてないと思います。何もしなくても好きでいてもらえる運命なんてないと思います。できることは、自分からしないといけないと思います。だから、先輩……」
そう言うと先ほどまでピザまんが入っていた包み紙を丸めた。そして小走りに俺の前に来ると、あざとく俺の顔をのぞき込むようにして、もう毎日のように聞かされている空想にも等しい言葉を口にした。
「私先輩が大好きですよっ」
頬と耳を紅くして、はにかむように笑いながら。軽々しくその言葉を口にする。あまりの軽々しさにため息を吐きたくなってしまう。
「……お前、それ言いたくてこの話題振ったろ」
「あ、ばれました?」
からかうように言った彼女の顔は、まだ赤い。それが好きだと口にした余韻なのか、それともほかに何かを隠しているのか俺にはわからなかった。
「先輩は、私のこと好きですかー?」
「いや、別に」
「そこは感情こもってなくてもいいんで好きって言ってほしかったですー」
そう言った彼女の声に感情はこもっていない。間延びした、心の底の読めない声音だ。
一応は文句を口にした後輩だが、それ引きずるようなことはしていない。また俺の真横を陣取って俺の気遣いもしない歩調に合わせて歩いている。
「で、どこまでついてくるんだ?」
「先輩のお家まで行きますよー」
「さいですか」
当然のことのように言う彼女に反論しようとは思わなかった。反論しようがどうせついてくるのは目に見えていたし、走ってこの場から去るのもこの後の疲れを考えるとしたくはなかった。
だから俺は隣に彼女のいるこの状況を甘んじて受け入れるしかなかった。
好きだなんて、思ってもいないことは言えない。正直こいつは何を考えているのかわからないし、ただ男をからかいたいだけのように見えてしまう。自分の可愛さを自覚して、それを武器に男を手玉に取って遊んでいるようにしか見えない。
俺はよく知りもしない相手を好きだ嫌いだなどと口にできない。俺はこいつとは違うのだから。軽々とそんな言葉を口にできるはずがないのだ。
まだ、俺はこいつのことを知らない。知っているのは、一つ年下の後輩で、毎日俺のことを待ち伏せするような奴で、帰る方向は同じで、バレンタインのチョコレートを持ってきたりして、表情が意外とコロコロ変わる、間延びした心の読めない声で話す女の子。それくらいだった。
好きなものも嫌いなものも、勉強の得手不得手も趣味も知らない。そんな相手だ。
けれど、運命を信じないといった彼女の言葉は、心の底からの言葉に思えた。そしてそれには共感できた。
まだ、すべては知らないしこの先知ることもできないだろうけれど、運命が嫌いだといった彼女のそう言う一面は。成川の――。
そういうところは、嫌いじゃなかった。
バレンタインの話はこれにて終わりです。
何かのイベントごとがあるときにタイミングが合えば更新しようと思います。
更新の仕方は今日のように三話~四話まとめて更新することになると思います。
次はおそらく三月になると思うので、気長に待っていてください。




