文化祭準備 4
ため息が出るどころか呆れてものも言えない。
女生徒を追い回した男子生徒をとっ捕まえて糾弾するどころか悔いるように涙ぐむなんて正気の沙汰ではない。いや間違いなく正気じゃなかったのは俺の方なんだが今はそれを棚にあげさせてもらうとして、本当に担任の反応は常軌を逸していた。
あの場面では間違いなく俺は説教を食らうどころか下手したら目も当てられない社会的な抹殺が待ち構えていたところなのだが、今俺は解放されるどころか昼休みのあの時から野放し状態だ。俺だったら絶対にあんな頭のおかしい男子高校生は留置所にでもぶち込むところなのだが、本当にどういうことだろう。
いや、どういうことも何もないのはわかっている。あれこそが一目見たときに、そしてこれまでの学生生活であの教師に与えてしまった俺の印象と凝り固まった先入観の影響なのだ。
大人しく反発もしない。地味な片付け作業に没頭するつかみどころのない静かな生徒。
それこそが水谷という生徒なのだろう。
いや、なにも否定することなんてない。事実俺はそういう奴だし、あんな風に女生徒を追い回して奇声を発するなんてことをする方が俺らしくない。というかあの時の俺は完全に気が触れていた。ストレスが限界まで溜まるとああなるらしい。俺は将来職場でストレスをため込まないためにも要領を得ない回答をする上司の下には着かないぞなんて決意を固めてはみるが、そんな未来をえり好みできるくらいならこの国は誰も彼もが幸せそうに微笑んでいるだろう。間違ってもハロウィンやクリスマスに人様の迷惑にすら気が回らない奇行に明け暮れたりする人間であふれかえるなんて言うことは起きないはずだ。百鬼夜行とはつまり現代社会のストレスから生まれるのだろう。
だから俺は半ば最悪な未来を創造しながら階段を上り切った。
俺が今向かっているのは、自分の教室でもなければ成川の教室でもない。もう放課後だ。一か月前ならば成川と仲良く帰途についていた時間帯だ。
そもそもそれ以前に明日は文化祭だ。クラスも部活もどこもかしこも準備に追われている。こんな状況下で帰ることなんてできるはずもない。
ならば、いったいどこに向かっているのかと問われれば、部活に所属しているわけではない俺が向かう先なんて決まり切っていた。
俺が向かっているのはあの本棚で埋め尽くされた部屋だ。
文化祭の前日にまさかの当番か、なんて思われるかもしれないが今回は少し違う。
俺はポケットの中に入っている当番表を指先で撫でる。
今日当番なのは俺ではない。成川だ。
そう、もうこうなったら強硬手段だ。あの一件不真面目に見えるとても真面目な後輩は仕事をほったらかすようなまねができる奴ではない。それは卒業式の準備の時に学んだし、そうでなくともあいつは不真面目な態度をとったことは無かった。
だから、絶対逃げられない状況で問いただしてやろうと思った。
言い訳も何も通用しないくらいに、真正面から正々堂々に、それでいて相手の逃げ道をすべて潰した非道な方法で。
図書室の前に立つ。当然扉は閉まっている。理由は知らんが開けっ放しにするのはいかんらしい。
一応当番にはなっているが、もしかしたら文化祭の準備でほかのことをやらされている可能性もある。毎年図書室の古本処分のために古本市をやっているからその仕事もあるだろうし。
しかしそうだとしても困ることは何もない。待っていれば、いずれ現れるだろう。そう思って重たいドアを引いた。
中に入って図書室を見回してみるがそこに茶髪の後輩は見当たらない。
隣の司書室には図書委員であろうと立ち入り禁止だ。そこにいるはずもない。
「……待つしかないか」
予想していたとはいえ肩透かしを食らった気分の俺はため息を吐きながら図書室の奥に歩いていく。
最近妙に増えたライトノベルの棚を通り過ぎて、誰も借りることのないような専門図鑑系統の棚の前まで行く。
別に何かを読もうと思ったわけではない。けれどなんとなく、いつかもそんなふうにしたように棚の影になっていて誰にも見えない最奥のこの場所へと足を運んでいた。
あの時も、確かこんなに静かな時だった気がする。
おぼろげな記憶をたどろうと息を吐き出せば、突如本棚がガタリと震えた。
俺は少し驚いて振り返る。振り返ったのは図書室の最も端。勉強をさぼるような奴らだって入ってこないような真っ暗な一角だ。
「……ぁ……えと……」
そこには、数冊の本を片手に抱えた後輩の姿があった。
「…………」
真面目に委員としての仕事をこなしている最中だ、今邪魔するのは褒められたことではない。
「……成川」
「はいッ」
怯えるように返事をした成川は数歩後退り俺から距離を取る。けれどそんなことをしたところで後ろにはまた本棚がある。自分の逃げ道を無くすだけだった。
「……あっ」
やがて本棚にぶつかった成川はしまったとばかりに目を見開くと、唯一空いている逃げ道へと視線を向けた。
けれど、成川が駆けだすよりも先に俺の手が成川に届く。俺は成川の手から本を奪い取ってその背表紙を確認する。
全部で六冊あったほんの半分を成川に差し出して、残り半分は自分で抱える。そしてそのまますぐ隣の本棚を指さして成川に言った。
「その本ここの棚な」
それだけ言うと俺は隣の棚に移動して抱えた本を背表紙の番号順に戻す。
ちらりと成川を確認すればぽかんと口を開けていたが、目だけでさっさとしろと訴えてればすぐに手を動かしてくれた。
たった数冊の本を二人で分けながら片付ける。わざわざそんなことする必要なんてないけれど、僅かな時間でも惜しかった。
「成川」
成川が最後の一冊を戻し終えた瞬間に名を呼ぶ。成川はやはり肩を跳ねさせた。
あわあわと慌てふためいた様子で俺のことを見ると成川は踵を返そうとする。そしてそのまま小走りに俺のもとから去っていこうとした。
だから、俺は成川の手を掴んだ。
「えっ」
その瞬間、成川の動きが止まった。当然と言えば当然だ。手を掴まれてしまったんだから振り払わなくては逃げ出せない。それをしないならその場にとどまってしなうのは当然のことだった。
だから俺は半ばどころかほぼ百パーセントの苛立ちを成川に向けた。
「お前、いい加減逃げんのやめろよ。本当に家まで行くぞ」
「あっ、や、めてください……」
「…………はぁ」
怯え切った様子で言われたから、俺はため息を吐きながら手を離す。成川は俺に掴まれた手が痛むのか手首をさすっていた。
「別に、難しい事は聞いてねえだろ。首振るだけでいいんだ」
「…………」
なるべく優しい声を心がけたのだが、それは思いのほか悲しげな音をしていて、それを耳にした成川は気まずそうに目を逸らしてしまった。
「もう返事するのも嫌なら嫌でそれでいい。そういうことならもうそれでいい」
俺はもういい加減悲しくなってきて、不貞腐れたように呟いた。不貞腐れるも何もないだろうに。
変に期待したのは俺だし、期待しまいと自分を戒め続けて成川のことをないがしろに扱っていたのも俺だ。その苛立ちを成川にぶつけようとするのはお門違い。答えがもらえないなら貰えないでそれでいいじゃないか。
答えをくれない。顔も合わせたがらない。それはそれでもう一つの答え方だ。
何を意地になっているんだろう。なっていたんだろう。わかり切っていたことだ、予想していたことだった。
こっちが本気になったら噴き出すように笑って捨てられる。わかっていたはずなのに。
俺はいったい何を期待していたんだろう。
自分がモテるはずもないってわかっていたはずなのに、何を思い上がっていたのだろう。
もう、どうでもよくなった。
「はぁ……。成川、じゃあな」
そう言って踵を返す。これで終わり。随分呆気ないと言うか、味気ないと言うか。どうせなら本当に嘲笑われて捨てられる方がよかったんじゃないかとも思える終わり方だった。
俺って実は気が触れてるのでは? なんて今更ながらに頭のおかしさを自覚してため息を一つ。そしてそのまま俺は図書室の扉に手をかけた。
「あの、先輩ッ」
図書室を出るとき成川が声を上げた気がしたが、それを無視して扉を閉めた。




