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出会ったあの日

 文化祭の準備は、どのクラスも忙しそうにしていた。

 校内は段ボール箱や小道具を持った人でごった返し、誰もがせわしなく働いていた。

 私も、その中の一人だった。

 クラスの出し物のため、必要となる道具を自分たちの教室へと運んでいた。秋の空は暗くなるのが早かったけれど、それでも私の目には光がよく映っていた。

 二学期に入ってから、私は髪の毛を染めた。黒かった髪が光を放つ茶色へと変わった。

 染めた理由は、いろいろあった。失恋したこともそうだし、自分勝手だった自分を見直したのも理由の一つだった。

 けれど、その中で一番の理由は、待っているだけでいるのはやめようと思ったから。

 私は結局あの後、あの男子のことを好きになった。

 あの人は、一つ上の先輩だった。帰りがけ、昇降口で二年生の下駄箱から出てくるのを見たのがきっかけで知った。

 あの人は、部活をしていないらしい。バイトもしているわけではないし、学校の授業以外でやっていることと言えば図書委員の当番くらいのものだった。なぜ知っているかと言われれば、あの人を見かけるたびに観察していたから。

 あの人の家は、大通りを抜けた住宅街にあるらしい。私とは言えの方向が違ったけれど、大通りまでは一緒だったので確認できた。ついでにあの人の家まで後をつけたこともあった。

 正直、ばれてしまえばストーカーだと警察に突き出されかねないことをしていた。あの人の後をつけたのは一度や二度ではないし、あの人の会話を盗み聞ぎ来たことだって何度あるか分かったものじゃない。

 褒められたことは何もしていない。ばれてしまえば犯罪だ。

 けれど、私はそれをやめなかった。言い訳でしかないけれど、私はあの人のことがずっと気になっていた。

 罵声を受け流して淡々と受け答えをし、状況を理解し相手の汚点をひけらかしにする。そんな絶対零度のような、それでいて優しさの垣間見える隙の混在する不思議なあの人のことを、気にしていた。

 九月からの二か月間で、いろいろとわかったことがあった。

 心の内を読み切れない淡々とした態度は彼の性格によるものだけれど、その言動のもとはあまりにも単純だった。

 あの人は相手の汚点をひけらかしにしようとしているわけではなかった。ただあの人は見て感じたものをそのままに口にしだしているだけだった。

 相手を責めたてるのではなく、本当に理解できなくて、自分自身の考えとは異なっていてそれを知りたいがためにあの人は言葉を交わしていた。

 そして、あの人のやさしさは気まぐれなんかではなかったことも知った。

 あの人は、とてもやさしい。

 困っている人がいれば手を差し伸べてしまう。そんな人だった。

 そしてとても真面目だ。

 周りが不真面目にないがしろにする掃除や行事の後片付けなんかを、彼は文句ひとつ言わずにやっていた。最初は面倒くさそうにも見えていたけれど、彼は誰よりも丁寧に仕事をこなしていた。

 この二カ月で、わかったことがある。

 それは、あの人はとても生きずらそうだということ。

 とてもやさしいのに、真面目過ぎて甘やかせず。思ったことを口にしてしまうからこそ冷たいと距離を置かれてしまう。

一つ一つは美点なのに、それが入り混じってしまうせいで彼は一人でいることがとても多かった。

頼りにされてもおかしくないのに、誰も彼のもとへは寄ってこない。傍にいるのはいつも決まって一人の男子生徒だった。

生きづらいだろう。彼は理解されにくいから。長く見ていないと彼のことはわからない。表面だけで見てしまえばおかしな人、近寄りたくない冷たい人と思えてしまう。

長く見つめなければ見えない良さなのに、誰もそこまで彼を見ようとはしなかった。きっとわかっているのは、いつも彼の隣にいる男子生徒ただ一人。

 あの人は、とても魅力的だ。

 誤解されやすく、距離を置かれてしまうからこそ魅力的だ。

 きっと、どれかが欠けてしまえばその魅力は薄れてしまう。

 あの人が、受け身な姿勢を許容してしまえば、今ほどの魅力を感じない。

 ただ優しいだけの人になってしまえば、これほどまでに気になる人ではなくなってしまう。

 彼は、今のままでいるのが一番魅力的だと思った。

 美点が美点として映らないからこそ、私は彼を好きになった。

 廊下を擦りながら、段ボールをゆすって歩く。中に入っているのは教室を彩るための装飾道具だったと思う。

 コトコト音を鳴らす段ボールを抱えたまま、私は階段に差し掛かる。

 夏休みの登校日以来、私はあの人と話してもいない。だから名前も知らないし、彼もまた私のことなんて覚えてもいないだろう。

 もし覚えていても、染めた髪の毛と少しだけ着崩した制服、眼鏡をはずし化粧をした顔を今の姿を見れば、あの時の地味な女の子だとは思わないだろう。

 そう思いながら階段を登ろうとしたその時だった。

 ふと顔を上げて自分の行く先を見てみれば、そこにはあの人の姿があった。

 私は驚いて一瞬固まり、すぐに慌てて踵を返した。

 見られただろうか、そう思いながら背後を見れば、無感情な彼の顔が目に入る。

 とりあえず気付かれてはいないみたいで一安心。けれど逃げ出してしまった自身の行いを後悔してため息を吐く。

 もう何週間も、こうやって逃げる日々が続いている。会いたくないわけじゃない。むしろ話したくてたまらない。

 それなのに、どうやって話を切り出せばいいのか。なんと話しかけたらいいのかがわからずにずっと逃げ続けている。

 何かハプニングが起きて、自然に会話できるようになればいいのに。

 あの人のほうから、私に話しかけてくれればいいのに。

 そう思いながら、ふうと一つため息を吐いた。

 結局、受け身でいるのをやめようなんて思ってもできたことはストーカーまがいの犯罪行為だけ。正面から話しかけることもできはしないんだ。

 私は自分のふがいなさに呆れて首を垂れた。その拍子に、段ボールが再びコトリと音を鳴らした。

 さっきから音を立てているのはいったい何だろうと思いながら、噛み合わせてあるだけの段ボールのふたを覗き見る。あまり重くないし、装飾品のためのものだから折り紙やらテープだと思うのだけれど。

 なんだろうなと思いながら、うまくのぞき込めずに片手で噛み合わせを緩める。すると蓋がこすれる嫌な音が聞こえると同時、勢いよく開くとその中のものをあらわにした。

 中身は、思った通り折り紙やテープの類のものだった。そしてコトコトと音を立てていたのは、一番上に乗っていたマジックのケースだったらしい。

 わざわざ片手持ちをしてふたを開けるなんて行為をしたのに得られた成果は私の頭の中にすでにあったものだった。

 無駄なことをしたな、なんて思いながらもう一度段ボールを持ち直すと、段ボールの中をマジックがスケートのごとく滑ってぶつかった。

私が傾ければ逆らうことなく思い通りに方向へと滑る。ちょっとしたゲームの様だなんて思いながら何度か滑らせ、虚しさに苦笑いを浮かべた。

もしも、こんな風に思い通りに動かせるなら、今先輩が私に話かけてくれることを望む。

そうして少しずつ仲良くなって、そのうち恋人になれたらな、なんて思う。

益体の無いことを考えながらふっと笑みをこぼす。そんなこと、できるはずがないから。

できるのは、誰かに何をしてもらうではなく、私が何かをすることだけ。

それなのに、そう考えても思うことは一つだ。

先輩に話しかけてもらいたい。そんなことを思いながら同時に、話しかけてくれるような出来事なんて起きはしないなと思ってため息を吐いた。

その時、マジックがまた段ボールにぶつかった。今度は傾けすぎたせいか、少し跳ねて段ボールから逃げ出そうとする。私は体制を戻してそれを何とか抑えると安堵の息を漏らした。

落としたりしたらクラスのみんなに怒られてしまう。作品が入っているわけではないにしろこれから教室を飾り付けるためのものだ。マジック以外にもホチキスなんかの危ないものもある。

落とすなんてできない。軽いとはいえ中身はそれなりにいろいろ入っているのだから。

誰かに手伝ってもらえるなんて、ありはしないのだから――。

そこで私は、はっと思い出して肩越しに背後を見た。真後ろには、あの人の姿がある。

あの人は、私が困っていたら助けてくれるだろうか。

そう考えてみれば、出る答えは一つだった。願望入り混じったそれは、もちろん。

私は覚悟を決める。幸い周りには私とこの人以外誰もいない。

受け身なだけじゃダメなことはわかっているから。それでも、自分から話しかけることはできないから。ならせめて、そのきっかけくらいは、自分で作って見せようと。

息を吸い込む。同時に口内でクラスのみんなに謝罪した。

段ボールを持ち直すふりをして、体勢を崩す。そのまま前のめりになって、何もないところで躓いたふりをする。

「あっ、やっ」

 我ながら下手くそな演技でそのまま慣性に従って膝を折る。そして極力被害が少ないように、それでも先輩が手を差し伸べてくれる程度にはと思って段ボールを倒す。

 一番上にあったマジックが真っ先に飛び出して、それに続いてホチキスと折り紙も飛び出した。

「ぃやッ!」

 それを目で追いながら、悲鳴に似た声を出しながら段ボールを投げ出すようにして倒れ込んだ。

 マジックのケースがコトコト音を鳴らし、折り紙がぱたりと落ちる。ホチキスが私の代わりに悲鳴のような音を立てれば、段ボールから投げ出されたそれらは私の眼前に広がっていた。

「あ…………」

 やってしまった、という顔をしながら私はあたりを見回すふりをする。当然、私が見つけたいのは真後ろにいるあの人だ。

 肩越しに、助けを求めるようにその人を見ると、無表情の彼と目が合った。

 彼は、ふうと小さく息を吐くと、何も言わずに私の前を通り過ぎる。そして自分が持っていた段ボールを置くと、私が散らかした折り紙たちを拾い始めた。

 ああ、やっぱりこの人は根っこは優しい人なんだ。誤解されやすくいろんなものに覆い隠されてしまっているけれど、とても、優しい人なんだ。

 私も慌てた体を装ってそれを拾い始める。急がないように、急いでいるように時間を目いっぱいに使う。

 こういう時、お礼を口にするのが普通だと思う。だから私はお礼を言おうと彼を見た。けれど、ただ普通にお礼を言うだけではそっけない返事だけで終わってしまいそうで、少しでも彼の印象に残るにはどうすればいいのかと思って少し考える。

 悪い印象は与えたくない。可愛らしい、女の子らしい。女子高生らしい雰囲気で。

 大丈夫。黒髪の時とは違う。私は変わるって決めたから。

 私は小さく息を吸ってから、なるべく満面の笑みを浮かべて、彼に言った。

「ありがとうございますー」

「…………」

 私の間延びした声を聴いた彼は、怪訝そうな顔をした。

 あぁ! どうしよう! なんかすごい軽々しい感じになっちゃった! 間延びしたせいで気持ちも籠っていない感じがするしどうしよう!! っていうか先輩の手が早くなった! せっかくの時間が終わっちゃう!

 内心慌てふためきながらほとんど片付け終わった廊下を見ながら笑顔で言う。

「私、成川って言います。えっと、あなたは?」

 あなたはって何!? って言うかいきなり自己紹介って何!? 私は何がしたいの!? 先輩との時間を伸ばしたいんです!!

 めちゃくちゃな思考に翻弄されながら、私は先輩に笑顔を向け続ける。

 ため息が帰ってきたらどうしよう。いきなり嫌われてしまったらどうしよと不安ばかりが募っていく。

 お願い、ほんの少しでいいからきっかけを。

 そう願って先輩を見つめていると、「はぁ」とため息が聞こえてきた。

 心臓がドキリと跳ね、体の熱が奪われていく。どうしよう、やってしまったと。後悔が湧き上がってくる。

 張り付けた笑顔が少しずつ崩れていくのがわかる。それなのに止めることが出来ない。

 もう、どうしよもない。そう思った時だった。

「水谷」

「へ?」

 いきなり言われて、私は間抜けな声を上げた。

 すると先輩は、なんでそんな反応と言いたげに眉をしかめた。

「いや、名前聞かれたから名乗ったんだけど」

「あ、っ…………」

 心の中で、その名前を呼ぶ。水谷先輩。

 なんだろう。たったそれだけのことなのに、嬉しくて仕方がない。私は確かめるように、口に出してその名前を呼ぶ。

「水谷、先輩」

「一年生?」

「はいっ」

 会話が続いたことが嬉しくて私は笑顔を浮かべた。先輩はいきなりどうしたと言いたげな顔をしていたけれど、それでも私は笑顔を浮かべた。

 飛び出た道具たちが段ボールに戻され、廊下がきれいになる。私は心が弾む思いでもう一度先輩のことを見た。

 けれど、あまりうれしそうにするとまた変な目で見られてしまいかねない。そう思って、笑顔を浮かべて、それでも気持ちは少しだけ隠して先輩に言う。

「水谷先輩、ありがとうございますー」

「……どういたしまして」

 またも間延びした偏差値の低そうな声になってしまったが、先輩が言葉を返してくれたことが嬉しく私は笑顔を浮かべた。

 先輩は、それだけ言うと用はすんだとばかりに背を向けてしまう。置きっぱなしにしていた自分の段ボールを持ち上げ、私が向かう方向とは逆に歩き出す。

 私は、それを追ってしまおうかななんて邪念を抱いたけれど、それを吐息の乗せて吹き飛ばした。

 きっかけは、できた。

 あとは、もう頑張れる。

 今日のことを感謝して、それを伝えて、帰り道一緒に帰ったりして。そうやって、少しづつ距離を縮めて行こう。

 もう、言い訳はしない。

 何もしないで待ったりしない。

 私は、好きな人のところに歩いていく。

 そう思いながら段ボールを持ち上げれば、マジックがまた音を鳴らした。


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