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登校日 其の四

「おい、成川」

 図書室のテーブルで眠りこけている後輩に声をかける。

 けれど茶色の髪の毛の後輩は静かな寝息を立てるばかりだ。

「成川、帰るぞ」

 少しだけ顔を近づけて口にする。それでも成川は微動だにせず、苦しくないようにと横向きにした顔は穏やかなそれだ。

「……はぁ」

 ほんのりと、甘酸っぱい匂いを感じて顔を逸らす。まだ昼前で暑さも最高潮であろう窓の外に向かって。

 目もくらむような日の光をちらりと見て、仮想的に外気に触れると途端に肌がひりひりし始める。

 今から家に向かうよりも、夕方までここで時間を潰すなりして帰った方が体にはいいんじゃないだろうかと思って、俺は担いでいた鞄を下ろして成川の隣の席を引いた。

「ま、帰るなって言われたしな」

 そんな言い訳を口にしながら、成川の顔をちらりと見てから鞄の中に手を突っ込む。

 取り出したのは、筆記用具一式に本屋で買った参考書だ。

 だらだらした生活をしているから、俺自身ふとした瞬間に忘れてしまいそうになるが、俺はもう高校三年生だ。そう長くない間に大学受験が控えている。そして今は夏休みだ。当然受験勉強にだって取り掛かっている。夏休みの間外出しなかったのは、単純にインドア体質なこともあったが、受験勉強をしなければいけないということも大きな要因だった。とはいえ外出するのが面倒だという元物の性格によるところが大きいのは事実だが。

 それはそれとして、俺はそれなりにと言っていいくらいには受験勉強に励んでいた。

 今取り出した参考書も数冊あった参考書の最後の一冊だし、それだって半分ほど手がついている。

 別にいい大学に行きたいとまでは思っていないが、せめて今の成績と同レベルくらいの無難なところには安定して受かろうとは思う。浪人なんてしたらシャレにもならない。何よりうちの母親の目が怖い。

 だからもうだいぶ鍛えられているであろう自分の脳をさらにいじめ上げるべく、成川の隣で参考書に手を付け始めた。

 窓越しに、蝉の声が聞こえてくる。そのがなり声に負けじと運動部の掛け声も。司書室からも何やら物音がするし、図書室だからと言って静かな環境というわけではない。

 けれど、行き届いた空調と言い、傍で喚き散らす後輩が静かなことと言い、俺たち以外に誰も訪れないこの図書室と言い。勉強をする環境としては、かなりの条件がそろっていた。

 妙に落ち着きながらシャーペンを鳴らして参考書を読み進める。

 受験が終われば、当然この学校からも去ることになる。会長とは進路が違うだろうし、田所の進路なんか知ったこっちゃない。ほかに仲のいいクラスメイトなんていないし、そもそもこの学校で名前を憶えているのはその二人と隣にいる後輩くらいのものだ。

 卒業のことを考えてもセンチメンタルな気分になんてならない。ましてや涙を流すなんて天地がひっくり返ろうとありはしない。

 けれど、この夏休みの間、ふと思うことがあった。

 この関係は、どうなるのだろうかと。

 隣で寝息を立てている後輩との関係は、どうなるのだろうと。

 終業式のあの出来事以来。俺たちの関係は何も変わらない。夏休みの間一度も顔を合わせていないのだから当然と言えば当然なのだけど、その事実を不思議に思う。

 あんなことがあったんだ。今まで通りでいるのが不自然で、何か変わってしまうことのほうが自然だということは俺にだってわかる。それなのに今日、こいつは今までと変わらず俺に接してきた。

 正直、この関係は何なんだと思わずにはいられない。

 別に今この関係を疎ましく思っているわけではない。むしろ逆だ。

 だからこそ、考えてしまう。卒業して、接点がなくなってしまえば、この関係はどうなるのだろうと。

 今でこそ、こうして隣にいるのが当たり前になっているけれど、本来俺とこいつには何の接点もなかった。

 部活が一緒なわけでも、バイト先で共に働いているわけでもない。特別な繫がりなんて微塵もない。ただ文化祭の時、話すタイミングがあったというだけでそれ以外は何もない。

 いつかも思ったことだ。この関係は、風が吹いた程度でちぎれてなくなってしまうような関係だと。

 だからきっと、このまま何事もなく受験を終え、卒業してしまえば、何も残らないのだろう。せいぜい残るのは、数年後おぼろげな過去を思い出して浸れる思い出くらいのもの。その程度のものだ。

「…………よく寝てんなオイ」

 隣で眠りこける成川を見て、聞こえはしない愚痴をぶつけてみる。当然成川は何も答えない。くすぐったそうに寝返りしたりもせず、静かに寝息を立てている。

 いつもの間延びした声が聞こえないから、少しだけ物足りなくて頬杖をついて成川を観察してみる。

 染髪料で染め上げた茶髪の髪は手ですいたら気持ちよさそうだと思わせるくらいにはさらりとしていて、柔らかそうな頬にはほんのりと化粧の跡がある。

 正直、こういうタイプが苦手な男というのは多い気がする。自分の可愛さを自覚してあざとくアピールしてくるいわゆるぶりっ子タイプ。これだけでもう男からしたら「うわっ」と思わずにはいられない。それに加えて化粧っけのあるこの顔だ。

 男という生き物は、なんでかわからないけれど化粧をひどく嫌う。まあ、顔に粉塗ったくっているようなものだし料理の下処理かよって思わなくもない。美味しくはならないだろうなと常日頃から思っている。

 俺個人としては化粧が嫌だというつもりはない。というか化粧とか興味ないからどうでもいい。よくわかんないし。

 それでも、成川の普段の行いを見るに、あまり男子に好かれるような類の女子ではないだろう。田所には高評価だったので一概には言えないが、多分あいつは少数意見だ。

 まあ、だから何ということは無いが。俺が常日頃からこいつに抱いている気持ちはいつだって、あざとい、というものだった。

 何もかもがあからさまで、真実味を帯びていないから。

 かわいくない、とまではいわない。可愛い可愛くないで言わせれば、正直口にはしたくないけれどこいつは可愛いのだ。けどからこそ、信じられない。

 こんな女の子が、俺に好きなんて言葉を吐くという事実が。そしてそれが、もしかしたら本当に心の内に秘めている想いなのかもしれないということが。

 何せこいつに好かれるようなことをした覚えはないし、それどころか真面目にとりあってもくれないふざけた人だと思われるようなことをたくさんしてきた。だから余計に信じられなかった。

 それなのに、今はそれが真実であると認め始めている。

 終業式の日、俺の言葉を遮った成川の表情を見て、俺は思ってしまっている。

 本気なんじゃないかと。

勘違いかもしれないのは重々承知だし、勘違いさせたくてあんな態度を取ったのかもしれない。そうして期待させて、いざ本気になれば手放してあざ笑うのかもしれない。そう思ってしまえば、そのほうがどちらかと言えば現実的だ。何せ俺は自分がモテないことを理解しているから。

性格がどうこうというのももちろんあるが、モテないというのは事実としてそうなのだ。むしろ嫌いとまで言われた過去があるくらいだ。もう何年も前のことだからよく覚えてはいないけれど、その事実は覚えている。

だからまあ、信用しきったわけではない。疑念が芽生えただけだ。もしかしたら、俺はこいつに向き合っていなかったんじゃないかと、そんな疑念が。

「俺らしくもない」

 自虐的に呟けば、今この瞬間までずっと成川の寝顔を見ていたことに気付いた。

 そんな俺に対して眠りこけている成川が少し気に入らなくて、俺は頬でもつねってやろうかと成川に手を伸ばす。

 けれど、それ手は成川に届くことなく、参考書へと戻される。

「……何考えたんだろうな」

 自分のことなのに他人事のように呟けば、持ったままだったシャーペンが指先から零れ落ちた。

「…………ん?」

 その拍子に、成川がうめき声をあげる。どうしたと思いながら成川を見れば、ずっと閉ざされたままだった瞼がゆっくりと動いた。

「…………先輩?」

 その瞳が、俺を映す。まだ焦点が合っていないのか、瞳の中の俺がゆらゆらと揺れる。

「おはよう」

 成川を覚醒させるためにそう口にすれば、成川の顔がふにゃりとほころんだ。

「先輩と同棲する夢見てる…………」

「それは夢でしょうね」

 寝ぼけて幻覚でも見えているらしい成川にため息を吐くと、俺は広げていた参考書を片付けて席を立つ。

「さっさと起きろ、帰るぞ」

「はへ?」

 鞄を背負いながら成川に言えば、瞼を擦りながら体を起こした成川が素っ頓狂な声を上げる。

 じっと成川が動き出すのを待っていると、その目がしっかりと開く。かと思えば必要以上に大きく見開かれた眼で俺を見た。

「あ、待ってください!」

 ようやく状況を理解したらしい成川が慌てて足元にあったスクールバッグを手に取る。しかしそこでぴたりと止まるとそれを持ち上げることなく俺のほうを見た。

「…………何?」

 さっさと準備しろよと半眼で睨めば、成川は頬を少しだけ赤くしながら言った。

「せ、先輩……私の寝顔見ました?」

「帰っていい?」

 どうでもいい問いが返ってきたのでさっさと踵を返す。すると成川は慌てたようにバタバタと俺の後に続いた。

「なんで無視するんですかー」

「してないしてない。なんでちゅか?」

「馬鹿にしてるじゃないですかー」

 言うと成川は心外だとばかりに頬を膨らませる。いつも通りあからさまな態度が見れてふっと鼻で笑えば一層その頬が膨らんだ。

「いいから、さっさと帰るぞ」

 言いながら図書室の重たい扉を引いて廊下に出れば、いつも通り成川は俺の左側を陣取る。俺もそれに慣れてしまったのか、その肩に隠れる茶髪の後輩に何を思うでもなく揃って歩き始める。

 すると成川は突然ふっと笑った。

「先輩、ちゃんと待っててくれたんですねー」

「勉強してただけだけど」

「勉強?」

 顔も合わせず言えば、成川はなんのこと小首をかしげて見せた。

 相変わらずのあざとい仕草にため息を吐きそうになりながら俺は口にする。

「受験勉強だよ」

「あー、先輩三年生ですもんね」

 言えば、成川は今思い出したとばかりに声を上げる。こんな時もあざとく口元に人差し指を当てている姿を見て、呆れを通り越して感心してしまう。ついさっきまで寝ていたから元気いっぱいなのかと思って成川を見れば、俺の顔を下からのぞき込むようにしている成川と目が合う。

「でも、待っててくれたのは事実じゃないですかー?」

「結果的にはな」

 あくまで結果的にだと強調して言えば、成川は満足そうに微笑んだ。

「先輩優しー」

「まだ寝ぼけてんの?」

 意味ありげな言い方をした成川に対してふざけて返せば、成川はふふっと微笑んだ。

「寝ぼけてないですよー。先輩は優しいですもん」

「節穴なだけだったか」

 ため息交じりにそう呟けば、成川が「節穴じゃないですよー」なんて間の伸び過ぎた声で返してきた。

 それに力ない笑みで答えると、成川は俺の顔をのぞき込むように距離を詰め、笑顔でわけのわからないことを口にした。

「先輩は、そのままでいてくださいねー?」

「え、嫌だけど」

「なんでですかー」

 即答すれば、成川はまたも頬を膨らませた。

 いや、だってこのまま成川の相手をし続けろってことだろ。それは嫌だわ、めんどいわ。

 そう思いながらも成川に半眼で返せば、ぷくっと膨らんだ頬に目が行った。

「……せんぱーい? どうしたんですか?」

「よく膨らむなと思って」

「はい?」

 言うと成川は、何のことだかわからないと言いたげに可愛らしく小首をかしげて見せた。

 俺はそれに気にするなと手ぶりで返すと、成川は少し考えるようなしぐさをした。けれど、それも一瞬のことで、すぐに諦めた成川はまた俺の顔をのぞき込むと笑顔で言った。

「とにかく、先輩は今のままでいてくださいよー」

「はいはい」

 いったい成川が何を言いたいのかわからなかったが、適当に返事をして受け流す。けれどそれを知らない成川は笑顔を浮かべた。

 間抜けなほどに明るい成川は、本当にいつも通り。終業式の時のことなどなかったかのよう。気にしているのは俺だけなのかと思えるほどに。

 不平等を感じてため息を吐けば、成川がどうしたのかと言いたげに俺の顔をのぞき込む。それを手で追い払えば成川は首を傾げながら身を引いた。それを見送る振りしながら、追い払うようなしぐさをした自分の手を見つめる。

 本当に不平等だ。成川に付き合わされている現状を見てそう思う。

 俺はそれをぶつけるがごとく成川に視線を向ければ、それを受けた成川は笑顔を返して見せた。

 また、その頬に視線が行く。そして今度は、自身の手にも。

 俺はそれを追い払うためにため息を一つ吐いてから、成川に言われたことを脳内で繰り返した。

 変わらない、か。

 それを口に出しそうになりながら、俺は再び口角が少し上がって膨らんだ頬を見た。

 その柔らかそうな頬を見て、俺はもう一度ため息交じりに思った。

 変わらないなんて、できるはずがないだろうと。


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