登校日 其の一
「せんぱーい」
夏休みも終盤に差し掛かった八月の最終週。一週間もたたずに二学期が始まろうというこの日に、あろうことか学校側は登校日なんて言うものを設けていた。
多少涼しくはなったけれど日中はまだ暑さの残り、そのくせ日が沈めばもう秋なのかと思わせるような涼しい気候に変わってしまうから、でたらめな気候に体がおかしくなってしまうんじゃないかと陰鬱な気分になりながら通学路を歩けばそんな声が聞こえてくるのだ。
「はぁ……。朝から元気だなお前」
言いながら振り返れば、小走りに寄ってきた半袖のワイシャツ姿の後輩の姿がいつも同様、俺の左側を陣取ると目を細めて微笑んで見せた。
「先輩に会えましたからねー」
「はー、光栄ー」
「感情こもってないですー」
そんなことを言いながら視線を道端に投げ捨てれば、無感情な文句が聞こえてきて小さく息を吐いた。
「先輩は嬉しくないんですかー? 会うの久しぶりじゃないですかー?」
「全然そんな気がしないわー」
言いながら最後にこいつに会ったのいつだっけと寝ぼけたままの頭を動かしてみると、もう一か月も前のことだったと思い至る。
約四十日の夏休みの間、会長や成川は愚か近所に住むおばちゃんにすら会った記憶がないせいで、成川にあったのがつい昨日のことのように思えてしまう。
それもこれも、夏休みの間ほとんど眠って過ごしていたせいだ。本当に何十日という時間が経ったのかと誰かに問いかけたくなってしまうほど俺の体は時間の感覚を失っていた。
自堕落な生活のせいか体が苔むしているような感覚を感じながらも首を回せば、隣の成川がふふーんと鼻を鳴らした。
いったい何事かと思ってちらりと視線を向ければ、いつものように上目で買いに俺のことを見つめている瞳と目が合った。
なんだよ、と視線で問うと成川はあざとく微笑む。
「そんなに私のこと考えてくれてたんですかー?」
「誰と話してんの?」
俺の右側に誰かいる? と思いながら視線を向けてみるがそれらしい人影は見当たらない。目に見えない何かとお友達なのかと思いながら口には出すまいと思いそっとしておこうと歩調を早める。
「先輩に言ってるんですよー」
しかし、その行動が読まれていたのか単純に俺の行動速度が遅かったのか、成川は俺の左側から外れることなく俺の歩調に合わせてきた。
この後輩は超能力者か何かかと思いながらジトっと視線を向る。
「なに、何が言いたいの?」
「先輩は夏休みの間も私のことで頭一杯だったのかなーと」
「お前の頭はお花がいっぱいなの?」
というかそれ自分で言うってどんだけ自信あるんだよ。残念な子なのかな、なんて思って憐みの視線を向ける。
すると成川は前かがみの体制を直して無感情に言う。
「先輩は全然変わりませんねー」
「この一カ月でどう変われと」
「日焼けとかですかね」
「むしろ白さに磨き掛かってんだよなー」
言いながら自分の腕を見て、まったく外出をしていなかった昨日までのことを思い出す。ああ、戻りたい、あの平和な日々に。
「先輩引きこもってたんですかー?」
「在宅作業一杯あるからね」
現実逃避も甚だしい引きこもり同然の思考回路に身を任せてみるが、登り始めた太陽がそれを妨害するかの如く脳天を焼き始める。
恨めしく思いながらにらみを利かせて天を見据えれば、圧倒的な光量を前に目を細め顔を逸らすことしかできなかった。
「外は暑いな」
「先輩、だいぶ涼しくなりましたよー?」
「夕方はだろ」
「昼間もですよ」
「マジかよ」
いったいどこがと思いながら赤く色付き始めた真っ白な自分の腕に視線を落とす。
「もうすでにヒリヒリしてんだけど」
「それは先輩が引きこもってたからですよ」
「それ関係ある?」
「ないわけがないじゃないですかー」
「まあそうね」
言いながらもやしと一緒に暮らしてたのかと問いたくなるほどに白い自身の肌を見る。多分美白コンテストとかあったら優勝すると思う。
太陽と一向に仲良くできそうにない自分の体を見回しながら、何とか譲歩してくれないかな、とお天道様をちらりと見てみる。しかし空の彼方にある炎の塊にそんな気持ちが届くはずもなく、空を昇っていくそれはどんどんと熱量を増していく。
「はぁ……」
もうすでに帰りたいな、なんて思いながらため息をもらせば、額に浮かび始めた汗が風を受けてほんのりと熱を奪ってくれた。
早く学校へ行けということなのだろうか。日本の気候はとことん体に優しくないと思いながらもう一度ため息を吐く。
「先輩元気出してくださいよー。周りのみんな元気ですよー」
「周りの奴らとは作りが違うんだよ」
「後ろ向きなことを誇らしげに言いますね」
「疲労困憊のこの顔見て何言ってんの?」
なにも誇らしげに見えないだろうと思いながら自分の顔を指さしてみれば、成川がどれどれとばかりに顔を近づけた。
すると成川は暑さにやられているのかほんのりと頬を上気させてはにかんだ。
「いつも通り私の好きな顔ですよー?」
「お前感性おかしいんじゃない?」
疲れ切って今にも死にそうな顔が好きな顔って何事。どんなサディストなの? と思いながら半歩距離を空ける。すると成川はさっきよりも俺に近づいてくる。
「おかしくないですよー。先輩の顔はどんなのでも好きですよ?」
「そう言いながら刃物突き立てるんだろ、俺知ってる」
言いながらもう一度半歩後退る。
やはり成川はその分だけ俺に詰め寄ってくる。
「そんなことしませんよー。というか先輩逃げないでくださいよー。周りのカップルみたいにイチャイチャしましょうよー」
「幻覚でも見えてんの? 保健室行こ?」
「幻覚じゃないですよー。探せばいますよー」
言いながら成川はキョロキョロとあたりを見回す。
「探さないといないってことだろ。ってか、見つけたところでいいことなんもないだろ」
「それもそうですね、私たちは私たちらしくしてればいいんですよー」
「本当に頭大丈夫?」
私たちらしくって、俺らの関係を一体何だと思っているのだろう。誰が見たってこの関係は仲睦まじいものではないだろう。顔見知り程度の先輩後輩の仲。どれだけ美化してみたとしてもそんな程度にしか見えないだろう。
それなのにこの後輩はきょとんと首を傾げて言って見せる。
「友達以上恋人未満、ですかねー」
「夏の暑さにやられてんなお前」
目は太陽に焼かれ、脳は熱で溶けてしまっているらしい。俺はもうお手上げとばかりに明後日の方向を見る。
するとそれが気に入らなかったのか成川は不貞腐れたような声を上げた。
「先輩も熱くなってくださいよー。周りのカップルみたいに」
「俺らカップルじゃないからお手本にできないよねー」
言いながら俺は、はたして周りにカップルがいるのかと思ってちらりと視線を巡らせてみた。
しかし、そんな風に見たところでカップルらしい特徴なんてわかるわけもないので断念。男女二人で歩いている生徒たちがみんな付き合っているわけでもないだろうしな。
なので俺はため息を吐きながらぽつりと言う。
「それに、その辺にいるカップルってあれだろ。インスタントだろ。恋人が欲しいから付き合ってるだけだろ」
「先輩卑屈ですよー」
「今更だな」
言いながら鼻で笑ってやると成川がぷくっと頬を膨らませた。
「そうじゃない人もいますよー。私の友達とかすごい恋してるんですからね」
「すごい恋って何? 泥沼?」
「違いますよー」
頬を膨らませながら唇を尖らせた成川が言う。その唇引きちぎってやろうかな、なんて思いながらしらっとした目を向けてやると成川はまた前のめりに俺の顔を覗き込んだ。
「…………今度先輩に話してあげますよー」
「興味ないんだけど」
心底どうでもいいと思うながら、ぽやっとした声で言うと成川は間伸びした声で「聞いてくださいよー」と言っていた。
他人の恋愛どころか自分の恋愛にも興味ないんだけどなー、と思いながらため息を一つ吐くと成川が少しむっとした表情で言う。
「今日の帰りに話してあげますよー」
「求めてねー」
ぼやき声をあげたのだけれど成川には届かなかったのか「楽しみにしててくださいね」なんて言っていた。
夏休みの間にたった一度だけある登校日がまさかこいつと会話するだけの一日になってしまうのだろうかと思いながらも、俺にはこいつにしゃべっていない事情があるので大丈夫だろうと気にも留めずに歩みを進める。
「あ、そういえば先輩」
すると、成川が思い出したように声を上げた。
いきなり呼ばれて何事かと思いながら目だけを向けると、成川は満面の笑みを浮かべて言った。
「先輩今日図書委員の当番ですよね? 図書室で待ってますよ」
「…………」
いきなりそんなことを言われて、俺は言葉を失った。
何も言わずに虚空を見つめる俺を見た成川は、どうしたのだろうと小首をかしげる。それをちらりと横目で確認すると、俺の口からため息が漏れた。
「なんで知ってんだよ」
「先輩の当番は覚えてますよー?」
「ストーカーだったか」
「それはやめてくださいって前に言ったじゃないですかー」
不服そうに唇を尖らせる成川。そういえば前にそんなこと言われたなー、と思い出しながらぽけーとしていると成川がくすりと笑う息遣いが聞こえた。
そんなに俺の顔が面白かったのかと思って成川を見やれば、年下唯一の知り合いであるその後輩は笑顔で言った。
「とにかく。待ってますから、先に返らないでくださいね?」
「……はぁ」
ストーカーじゃねえか、と口にしたくなってしまうがなんとかそれを押しとどめて、俺は代わりにため息を吐いた。
どうやら今日も逃げられないらしい。




