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いつか欠片を束ねて  作者: 澄葉 照安登
第五章 七月
17/30

終業式 其の三

 日差しを恨めしく思うのは、ここ数日毎日のことだ。特に昼時のこの時間は太陽の熱が人の体を焼き焦がそうと躍起になっているせいもあって、明るさや温かさの象徴たる太陽人間皆から疎まれていると言っていいだろう。

 見上げれば真っ青な空に目もかすむほどの光の熱量。耳を澄ませたわけでもないのに耳鳴りのように響いてくる蝉の声。首筋から背中にかけて垂れてくる気持ちの悪い汗の感触。汚れたアスファルトの上で蒸発した埃を吸った水の匂い。

 こんな天気、気候があと一か月は続くのかと思うと外出する気力はおろか、生きる気力すらもなくなってくる。

 はぁ、とため息を吐いて自分の足元を見てみれば、自分の真下に伸びもしないで隠れている影が見えた。

 普段通り学校があればこんな時間に屋外に出歩くなんてことはしない。体育の授業で学校のグラウンドに出るのであればいざ知らず、フライパンになりたがるアスファルトの上を歩くなんてことは絶対にしない。

 しかし今日は終業式。当然授業なんて言うものはないのだ。

 朝担任教師のありがたいお言葉を聞き、かと思えば体育館に集められそこでも今にも死にそうな校長先生とやらの話を聞いて、最後にまた担任の声を聴くなんて無駄なことで埋め尽くされた一日だ。

 これならばまともの授業を受けていたほうがまだましというもの、そんなことを思いながらあくびを隠しもせずに二時間強学び舎に拘束され、炎天下のもと拘束具たる学生服を身にまといようやく訪れるひと時の開放を目指して歩き続ける学生の姿は、もはやゾンビのそれだ。

 そして俺もそんな屍の例に漏れず、体中の水分を蒸発させながら必死で体温を下げアスファルトの上を歩いている。

 額に浮かんだ汗をぬぐいながら、直視してはいけない太陽を上目遣いに睨むと、いつもの通り、左隣から靴をする音が聞こえてきた。

「本当に熱いですねー」

 振り返ってみれば、ついさっき昇降口で会った後輩の姿がある。暑い暑いと言いながら、風紀を乱さず規定通りに制服を着ている姿を見るとなんだか滑稽だ。

いつも通りの光景にもはやため息を吐くこともあるまいと思って今一度額の汗をぬぐうと、そんな心とは裏腹に熱を吐き出すために俺の口から息が漏れた。

「はぁ……」

「先輩も暑そうですね」

「お前が鬱陶しくてな」

「泣きますよー?」

 適当に返すと、成川も同じように感情のこもってない声で返してくるので笑顔も何もなく、二人で道の先の陽炎を見つめる。ゆらゆらと揺れるそれは、設置された室外機の風を受けてダンスにでも興じているように見える。

「先輩、アイス買いませんかー?」

「はい?」

 突然言った後輩に首を傾げて見せると、茶髪を揺らした成川がちょんと道の先を指をさした。

 なんだと思ってその指を先を見ると、クラブ通いでもしてそうな陽炎の向こう側に見慣れた看板が見えた。

 それはいつだったか、成川に中華まんの類を奢ってやったあの店だ。

 全国展開されている、二十四時間営業のその店を見つめながら、俺は成川に言う。

「奢んねえぞ」

「そんなこと言ってないじゃないですかー」

 成川は心外だと言いたげに頬をぷくっと膨らませた。

 いつもの通りにあからさまな態度だなと思いながらため息を吐くと、その拍子に頬を伝って汗が垂れた。

 俺のため息を耳にした成川が、これまたあざとくわざわざ体を折り曲げて、上目遣いで俺の顔をのぞき込む。

「買いませんかー?」

 言った成川は、頬を伝わせた汗を顎先でゆらゆらと揺らした。

 それがくすぐったかったのか、成川はあざといポーズをやめ、手のひらで汗をぬぐう。そしてそのまま汗で頬に張り付いた茶髪をすくようにして耳に掛ける。

 それが狙ってやっているのかどうかわからずに眉をしかめていると、成川が不思議そうに首を傾げた。

「先輩?」

 俺はその顔を見て、視線を逸らし、ため息交じりに言う。

「買わん」

「なんでですかー」

 俺が言うと不服そうに声を上げる成川。

 俺は鬱陶しいなと思いながら理由を説明する。

「早く家帰りたいから」

「先輩引きこもりじゃないんですから」

「予備軍な」

 飄々と言うと、成川は目を見開くでもなく無感情に「そうなんですねー」なんて言った。

「お前は買ってくればいいだろ」

 俺は言いながらコンビニへと視線を向ける。きっとあの中は涼しいだろう。小休止にはちょうどいいのかもしれない、そうは思うがやはり早く家に帰りたい気持ちが勝る。

 とっとと俺を開放しろとばかりに視線を戻すと、成川はニコッと笑って言った。

「先輩と一緒に帰ります」

「はぁ……」

 誇らしげに言った成川に、俺はため息を返す。

「お前、家の方向違うだろ」

「いいじゃないですかー」

 言った成川は、コンビニを通り過ぎ、いつもの交差点で立ち止まった俺の横を陣取ったままだ。本当についてくる気なのかと思って成川に視線を向ける。

「お前早く家帰れよ」

「先輩が来てくれるならいいですよー?」

 成川は言いながら唇に人差し指を当てる。鬱陶しいくらいにあざとい仕草にため息を吐きそうになりながら、俺は成川に問う。

「お前、こんなことしてて楽しい?」

「楽しいですよー。先輩といられるだけで楽しいです」

「わー、うれしー」

 無感情に言うと、それに答えるように信号が青に変わる。それを確認しながら足を踏み出すと、合図をしたわけでもないのに成川も同じタイミングで俺な方向に向けて足を踏み出した。

「嬉しいんですかー?」

「ウンマジウレシー」

「感情込めなさすぎですよー。まあいいですけどねー」

 文句を言った成川だけど、嫌な顔はしなかった。

 こんな本当かどうかも分からない言葉の応酬の何が楽しいんだろうと呆れながら、俺は自分の肩に隠れている成川に言う。

「お前、物好きだな」

「先輩のこと好きですからねー」

「…………」

 言われて、ため息も吐けなかった。

 好きだなんだと言われるのはいつものこと、それこそ毎日の出来事だ。別にそれで心臓が跳ねたりなんかしない。ただこんなタイミングで言われるのは珍しいと思っただけだ。いつもは別れ際に耳にするから、テンポが崩されて言葉が出てこなかっただけ。

 それに、その言葉に返す言葉も見当たらなかったから。

 茶化して、物好きだななんて言って見せればいいのかもしれない。それは多分いつものことで、それが一番自然なことだ。

 けれど、それを口にしようとしたとき、反射的にあの言葉が俺を止めた。田所に言われたあの言葉が。

 見慣れた遊歩道で、ざらざらとしたレンガを踏みしめ、足を止める。

 急に足を止めたからか、成川が遅れて足を止め、不思議そうに俺のことを見る。俺はそんな成川に、また一つ問いかけた。

「お前、本気で言ってんの?」

「……何がですかー?」

 成川は少し考えるようなしぐさをしたが、何を問われているのか理解できなかったようで、いつも通り間延びした声を返した。

 俺は成川のそんな態度が面倒だと思いながらも、問いかけてしまった以上ここで何でもないなんて言えずに口を開く。

「好きとかなんとか、本気で言ってんのかって聞いたんだよ」

「あ……え?」

 俺が言うと、成川は目を見開いて固まった。

 何を言われたのか理解していない、というよりは、その結論を出すことをためらっているような、そんな感じがする。

 成川は何も見えはしない空中をきょろきょろと見まわして、うめき声をあげる。

 いつまで経っても答えを口にしない成川を見て、俺はもう一度問う。

「本気で言ってんのか?」

「あ……はい……」

 強めに言うと、成川はほとんど反射でそう答えた。俺はそれに「そうか」とだけ答えて、暫し押し黙る。

 別に、田所に何か言われたからと言って、それに影響されることは無い。男らしいだとか、ぬか喜びさせるなとか、そんな的外れなことを言われて影響を受けることなんてない。

 けれど、もしも本当に成川が、本心のままにそう口にしていたのなら。

 そうだとしたら、俺は答えなくてはいけない。

 そもそも、俺が成川の言葉を気にも留めていなかったのは、それが真実でも本心でもないと思っていたからだ。自分の可愛さを証明するため、数字では表せない魅力を測りとるための測定器としてちょうどいいから使っていただけ。そう思っていたから、俺はこいつの言葉に真っ向から向き合ったことは無いし、こいつもまたそうなんだと思っていた。

 けれど、もしそれが間違っていたのなら。

 男だからなんて理由ではなく、俺自身がそう言った行いが嫌いだから、何もしないで受け身でいるだけなのは嫌だから、答えるほかない。

 依然その言葉が真実である確証なんてないけれど、本気だと言われてしまったのなら答えよう。

 それがどんな答えになろうとも、今のままでいることはできない。

 俺は一度息を吐いてから、成川に向きなおる。

「成川」

 俺が呼ぶと、成川は驚いたように俺のことを見た。別に珍しいことでもないだろうにと思いながら、呼吸を整えると、それだけでただならぬ気配を感じたのだろう。成川はさらに目を見開いて、グッと息を呑んだ。

 その表情を見るに、それなりに気付きはしたのだろう。

 気付いたのならば、もうあれこれ考える必要もない。そう思って、俺は口を開いた。

 今のままではいられなくなるのを理解したうえで。

「俺は――」

「先輩、夏休みって何するんですか?」

 しかし、そうしたとき、まるで邪魔をするかのように成川ののんきな声が割り込んできた。

「…………は?」

 理解できない行動に、俺は声を上げる。成川のことを見てみれば、茶髪の後輩は申し訳なさそうに笑って首を傾けていた。

 俺は口をあけっぱなしにしながら、頭を掻く。

「いや、そうじゃなくて今は――」

「予定無いなら、デート行きませんか?」

「…………」

 話を戻そうとするとまたしても成川に遮られる。人が真面目に答えようとしているのになんなんだと思いながら、成川を睨むようにして見る。

 そして今度は遮られないように一声に言おうと息を吸った。

「俺はおま――」

「先輩」

 今度は、優しい声だった。いや、優しいというには弱弱しい、懇願するかのような音を含んだそれは、儚いと言えるものだった。

 そんな声を向けられるとは思わなくて、成川にどういうことだと確認するように視線を向けた。

 すると成川は、また申し訳なさそうに小首をかしげると、消えてしまいそうな声で言った。

「止めましょう、先輩」

 その瞳は下ろされ、いつもの気楽な、間延びした声の持ち主とは思えなかった。

 静かすぎる彼女の声に、息を呑む。はかなげな声音の彼女の表情は、苦笑いを通り越して、今にも泣きだしてしまうんじゃないかと思うような痛々しさがあった。

 俺は、ただ黙って言葉の先を待つ。何を言っても遮られる気がしたから。なら成川の言いたいことを先にすべて語らせてしまおうと思った。

 ポケットに手を突っ込んで言葉を待つと、俺の意図をくんだのか、成川が儚げに笑って言った。

「止めときましょう、先輩。やめましょう」

 数刻前と同じように言う。申し訳ないという気持ちが、こちらにまで伝わってくる。

 成川はそれを隠すように笑顔を浮かべると、やはり静かに言った。

「先輩が、なんて言おうとしてるのかわかってます。なんて答えるのか、わかってます。だから、やめて、ください」

 今度ははっきりと、言葉で懇願する。何か恐ろしいものを前にしているかのように、その声は震えていた。

 自分の背中を流れる汗の感触に気持ち悪さを感じて身じろぎすると、成川は笑う。

「自分勝手なのは、わかってます。でも、それだけはやめてください。私は、まだ先輩と一緒に居たいです」

 言った成川は、風邪で寝込んでいた時以上に弱弱しい。

 それでも笑顔で言うから、なお弱弱しく感じられて、俺はごまかすように地面を擦った。

「先輩、一緒に居ましょう?」

 言葉面は問いかけているのに、頼み込んでいるだけなのに、まるで命令されているかのような強制力を感じた。

 それは多分、成川の言っている意味を理解できてしまっているから。

 そう口にした彼女の意図を理解できてしまったから。

 だから俺は、ふうと息を吐いてから言った。

「いやそもそもお前が付きまとってくるだけなんだけど?」

 いつの模様に茶化して、本心をおくびにも出さずに。

「ってか、お前キャラ崩壊激しいぞ」

 こいつが風邪で寝込んでいるときの様に、大して知りもしない相手にらしくないなんて言って見せる。

 すると成川は安心したのか、深い溜息を吐いて、跳ねるように俺の目の前へとやってくる。そして彼女もまたいつかの様に言った。

「先輩のせいですよー」

 少しすねたように、けれど心の内は一切表に出さず。真実が透けてしまわないようにと、急ごしらえで取り繕って見せる。

 そんなことしても、今起きたことはわからないのに。

 けれど、俺はそれに付きあって無感情を装って言葉を口にする。

「すみませんねー」

 言いながら足を動かせば、一瞬遅れて成川も歩き出す。つま先は、自分の家に向かってはいないのに。

 俺はそんな後輩に、鼻で笑いながら言う。

「でもお前が馬鹿なのがいけないだろ」

「馬鹿じゃないですよー」

 ぷくっと頬を膨らませて言う成川は、いつも通りを張り付けた。そうすれば、変わらないから。

 蝉の声も日差しも陽炎も。何一つ変わりはしない。それは関係性もまた変わらない。

 自分から何かをしなければ。

 それは些細なことで変わってしまうものなんだということをみんな知っている。だから、何もしないで、今あるこれが一番の幸せなんだなんて自分を納得させて、動けないでいる自分を正当化している。

 臆病者の末路。自分で行動できないくせに、望だけは人一倍。俺はそういう奴が大嫌いだった。

 けれど、今はそういう人たちの気持ちを、かけらほどには理解できる。

 きっとそれは、馬鹿正直にそれに付きあっている周囲の人間もまたそうだから。

 相手のすべてが本心でないことを分かったうえで、戯れている。

 俺も同じく馬鹿だ。俺自身がそう思えるほどに、今この関係は歪だ。

 名前も趣味も好きなものも、何も知らない間柄。それでいて心の内に何があるかを理解し、それを見ないふりをする。

決して褒められた関係ではない、誇らしいことなど何もない。きっと歪につなぎ合わせたこの関係は、風が吹けばちぎれてなくなってしまうだろう。

 俺はそれを理解しながらも、それに付きあっている自分が愚かしいことを理解しながらももう一度思った。

 この後輩は馬鹿だ、と。

 隣で揺れる茶髪は、知ることを拒んだ。だから知らなくて当然だ。

だからこそ、俺はそう思った。


――誰も断るなんて言っていないんだから。



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