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いつか欠片を束ねて  作者: 澄葉 照安登
第四章 六月
14/30

梅雨空 其の四

「先輩! わたしがいいて言うまげほっ、はいってごないでぐだざい」

 玄関から迎え入れられ数十秒、せき込みながらそう言った成川は俺を薄いドアの前に突っ立たせたままバタンと部屋の中へ入って行ってしまった。

「なにわら達也だ」

 置いてけぼりを食らった俺は誰にも届かない突っ込みを入れながら今まさに成川の入って行った部屋のドアノブをガチャリと引いた。

「えっ、先輩待ってくださいよー!」

 成川が言うが早いか、俺はさっさと扉を潜り抜けて成川の部屋に入った。先に入った成川は電気もつけていないのか、曇天の空も相まって部屋の中は薄暗かった。

「うるせぇ、部屋の惨状なんか知ったこっちゃねぇよ。さっさと寝ろっつってんだろ」

 言いながら後ろ手にドアを閉めると、真っ先にしわしわに寄れたベッドが目に入った。そしてその上に何かを覆い隠さんと手を広げている成川の姿も。

「お前今日どうした。キャラ崩壊著しいぞ」

「先輩のせいですよー」

 呆れ半分諦め半分に言うと、成川は仕方ないとばかりに立ち上がった。

「先輩デリカシーなくないですかねー?」

「そんなもの俺に求めないでくれる? いいから寝ろっつってんの」

「先輩なんか今日彼氏みたいですねー」

「お前はまるで別人だけどな」

 あまりの熱で混乱してしまった成川の声にテキトーな突っ込みで返すと成川はわかりやすくそしてあざとく頬を膨らませた。あー、あー、そんなことしたらまたせき込むでしょうが。

「先輩なんか今日は扱いが雑すぎないですかー……けほっ」

 すると俺の心を読んだかのように成川がせき込んだ。ほら言わんこっちゃない。いや言ってねぇけど。

「体調不良なのにバカみたいなことやってるからだ」

「それは心配してくれてるってことですかー?」

「相変わらずのプラス思考」

 いつ風邪をうつされるともわからない状況の中わざわざ我が儘を聞いているこっちの身も考えずになんておめでたい脳みそだろうと思いながらため息を吐こうとして止める。嫌ちょっと漏れた。

「はぁ~…………」

「今日一番のため息ですねー」

「お前のせいでな」

 言いながら俺は持っていたビニール袋からペットボトルを取り出して成川に差し出す。

 すると成川はそれが何を意味しているのか分からなかったのかこてんと首を傾げた。

「これ呑んでさっさとベッド入れ」

「先輩なんかやらしいです」

「俺帰っていい?」

「すみません言うこと聞くのでもうちょっとだけお願いします」

 俺が帰りをちらつかせると成川はわかりやすく態度を改めた。おー、なんか感心するわ。あの間延びした声が返ってこないだけで平和だ。さっきやりにくいとか言ってたの誰だ。

「ならさっさと布団に入れ」

「先輩やっぱりそれ」

「俺帰るぞ」

「入りました」

 俺が帰りをちらつかせた瞬間、成川は残像を残して布団に潜り込んでいた。おいなんだその動き、病人の動きじゃねえぞ。というかなんでそんな帰ってほしくないんだこいつ。俺の帰宅が抑止力になるとか夢にも思わないどころか疑問しか浮かばねぇんだけど。

 いったいこの状況は何なんだと首を捻りながらため息を一つ。そして成川の潜り込んだ布団の横まで行ってコンビのの袋を掲げて言う。

「これ、食えそうか?」

 中身は成川自身がさっき見ているのでわかってはいるだろうと思ってレジ袋のまま指し示す。すると成川はその中身が何なのかわかっているのかいないのかニッと笑顔を浮かべて言った。

「先輩が食べさせ――」

「じゃあ風邪ちゃんと治せよ」

「すみません一人で食べれます。だから帰らないでください」

 踵を返した瞬間成川が早口にまくし立てるように言うから俺はため息を吐きながらレジ袋をガサゴソやって中に入っていたプリンと持ち手が妙に短いプラスチックスプーンを成川に差し出した。

「ありがとうございます」

 成川はそう言うとうつぶせなのか仰向けなのかもわからなかった体制を直してベッドの上に座ると俺の手からおずおずとプリンを受け取った。

「なんか素直なお前は変な感じだな」

「先輩が帰るとか言うからですよ」

「必死なことで」

「必死にもなりますよ」

 成川にプリンを渡しながら憎まれ口をたたくと成川は少しだけ寂しそうに視線を落とした。そんな表情が目に入ってしまったせいで、こいつは本当に寂しいのかもしれないなんて同情じみた気持ちが一瞬だけ芽生えてしまった。

 誰しも風邪で体が弱っているときは心も弱ってしまうものだ。だから誰かの手を借りたくなってしまうし、つい甘えたことを口にしてしまうことだってあると思う。まあ俺はそんなこと言っても無視されるだけだからなんも言わないけど。母親って怖いなー、いやそうでなく。成川に関して言えば、その母親にすら助けを求められなかったわけだ。

両親が共働き。それはこのご時世別に珍しいことでもないだろう。共働きどころか片親の子供だってたくさんいる。専業主婦の母親を持つ子供と、そうではない子供をはかりにかければ一対一とまではいかなくとも三分の一にほど近い数字になると思う。

だから、別に珍しいことではない。そう思う。

けれど、家に誰もいないことが当たり前だから寂しさを感じないかといわれればきっとそれは違う。いつでも母親のいる環境で育っても寂しさを全く感じないなんてことはない。子供のころから親が家にいないのが当たり前。そんな環境で育ったのなら、人一倍の寂しさを抱えていても何の不思議もない。

 だから、俺は柄にもなく思ってしまった。成川はそういう環境で育ったがゆえに人一倍人恋しさを感じるようになったのではと。

 もしそうなら、こんな俺に付きまとうようになった理由にもなるだろう。誰でもいいから相手をしてほしい。自分の周りに誰かがいるのが当たり前になってほしい。そんな風に思ったから、近場にいた都合のいい。自分を跳ね飛ばしたりしない都合のいい相手を求めた。そういうことなのではないだろうか。

 そんな風に考えてしまったからか、電気もついていない、レースカーテン越しの曇天の光だけの薄暗い部屋が嫌に寂しく思えてしまって、すぐに帰ってしまおうと思っていた足が妙に重く感じるようになってしまった。

「で、いつまでいればいい」

 だから俺はほんの気まぐれでそんな風に尋ねていた。不憫に思ったわけでも、同情したわけでもない。そう言えたらきっとかっこいいけれど、今の俺の気持ちはその二つでいっぱいだった。

 すると、俺の言葉を聞いた成川はあからさまに嬉しそうに顔をほころばせた。

「え、いつでもいいんですか? いやー、寂しいなんて言ってみるものですねー。予想外にうれしいことが起きました」

「おいちょっと待て、数秒前の俺の同情返せコラ」

 成川の言葉を聞いた瞬間、センチメンタルになっていた気分はどこかへ吹き飛んだ。こいつにドラマチックなものを期待した俺が馬鹿だった。そうだこいつはこの間延びした声と心の読めないあざとすぎる仕草が特徴のどうしよもない女だ。何を同情なんてしてるんだ目を覚ませ俺。

 自分が寝ぼけていたことを自覚して、眠気覚ましに首をくるくると回す。ついでに視線もぐるぐる。

 すると視界の端にペンケースのようなものが入ってきて反射的に視線を止めた。

「そういや、お前目悪いんだな」

「あ、えっと、これは伊達メガネですよー?」

「レンズのとこ握っていい?」

「すみませんちゃんと度が入ってます」

 それが言いながら成川のかけている眼鏡に手を伸ばすとそれを死守せんと電光石火のごとく胸に抱きかかえるようにして眼鏡を守ってしまった。うん、そうだよね、レンズに指紋とか付くの嫌だもんね。

 俺は誰から聞いたかも思い出せない眼鏡あるあるを思い出して手を引っ込める。そしてそのまま自分のうなじを指さして成川に言う。

「あと髪、そのままでいいのか?」

「あ、そうですね、外します」

 俺が訊くと、今度は素直に二つ結びにしていたゴムを外して水を切る犬の様にぶるぶると頭を振った。

 成川の茶色の髪の毛がふわりと舞って、それが落ち着くとようやく見慣れた成川の姿が現れた。

「お前ほんとに成川だったのか」

「先輩今まで誰だと思ってたんですかー」

 俺が言うと成川は呆れたように呟いた。

「いや、眼鏡姿とか見たことなかったし、二つ結びとかお前らしくねぇなって思ったし」

「メガネは家だけですし、二つ結びはその油断してたと言いますか……」

「わざわざ下校時間に合わせて外出しといてか」

「起きたのがついさっきだったんですよー」

「ほー」

 成川の言い訳がましい言葉にさして興味もないので適当に受け答えすると、成川ははっと思い出したように右手に持ったスプーンで天井を指した。

「というか先輩、もしかして私が先輩に会いに行ったんだと思ってました? 先輩自意識――」

「じゃあ帰るから」

「先輩待ってください本当に待ってください」

 俺が言うと成川はベッドの上で前屈でもするかのように頭を下げていた。いや、というかプリン、お前の髪の毛入るから。いやまだ蓋空いてなかったわ。

 そう思いながらいいから頭を上げろと手の甲で追い払うしぐさをすると成川は笑顔で顔を上げた。何こいつ元気じゃん。

「とりあえずそれ食え。もうぬるくなってると思うけど」

 ともあれこいつが寝るまでとは言わずともプリンを食い切るくらいまではここに拘束されることになりそうだ。それくらいのことは察することが出来たのでさっさと手を動かせと成川の手元を指さす。

「あ、そうですね。いただきます」

 すると成川はお行儀よく食材ひいては生命に感謝を述べてプリンのふたを開けた。そしておもむろに一口。

「確かにぬるいです」

「だろうな」

 文句を言った成川だがその表情はまずいとは訴えていなかった。

 どこか幸せそうにも見える、無表情にも近い横顔を見ながら俺はふっと一つ息を吐いた。

「体調どうだ」

「先輩そういうとこ優しいですよねー」

「いいから答えろよ……」

「呆れないでくださいよー。……んっ、そうですねー。だいぶ良くなってはいると思いけほっけほっ」

「説得力ねぇな」

「あはは……」

 言葉の途中でせき込んだ成川に言うと、彼女は面目ないと言いたげに苦笑いを浮かべた。

「とりあえずそれ食ったら早めに寝ろ」

「わかりましたー」

 ぶっきらぼうに言うと成川は間延びした声で返事した。そしてそのまま急ぐようにプリンを食べるとさっき一緒にベッドに飛び込んだペットボトルを取り出して一口煽った。

「けほっ。……先輩、我が儘聞いてもらってすみません」

「……もう帰っていいのか?」

「はいっ」

 聞くと成川はもう大丈夫だと言うように元気に返事をした。

 もっと拘束されると思っていたので少し拍子抜けだが、早く帰れることはいいことだ。長く一緒に居ればそれだけ風邪をうつされる可能性も高くなるわけだしな。

 そう思いながら俺はもう一度首を回してから成川に言う。

「じゃあな」

 言いながら踵を返して成川のことを見ると、熱が再発したのか赤くなった顔で笑顔を浮かべて、少しだけ上げた手を力なく振っていた。

 出口に向かいながらもう引き留められはしないだろうと思いながらも、少しだけ不安に思ってため息を一つ。

「あ、先輩待ってくださいっ」

 するとタイミングを計ったように成川が俺のことを呼んだ。最後の最後で何だと思いながら振り返ると成川は熱い息を辛そうに吐き出しながら笑顔で言った。

「まだ言わなきゃいけないことがありました」

 忘れるところだったと自嘲気味に微笑んだ彼女は一度大きく息を吸った。

「ぅ、けほけほっ」

 けれどそれがいけなかったのか成川はせき込むと体を折って口を押えてしまった。

「いや、何言おうとしてんのか知らんが早く寝ろ。そして早く帰らせろ」

「先輩ひどいですー。ちょっと待ってくださいよー」

 俺が面倒だと態度で示しながら成川に言うと、成川は間延びした声でいつものように返してきた。

 今度はせき込まないようになのか、ゆっくりと小さく息を吸ってから俺を見つめた。

「せーんぱいっ」

 そして成川はあからさまな笑顔を浮かべる。

 その時点で、ああまたこれなのか。と思わざる負えなかった。風邪をひいていようが姿がいつもと違おうが成川は成川なんだなと思い知らされる。こんな時にも自身の可愛さを証明せんとあざとくアピールしてくるのだと。

 俺にとっては大してときめきもしない、意味のないアピールを。

 俺は呆れながらも気が済むまで付き合ってやろうと思いながら成川の言葉を待つと、彼女は満面の笑みで言った。


「ありがとうございました」


「…………はい?」

 言われて思わず聞き返してしまった。予想外の言葉に呼吸が一瞬止まりかける。

 改まって、それこそ根性の別れのあいさつの様なことを口にした成川は、疑問符を口にした俺を見てなおも笑顔を浮かべている。

「いえ、その、言ってなかったなーと」

「いや、何度か言ってたろ」

 恥ずかしそうにはにかんだ成川にどうでもいい突っ込みを入れると、成川はあれ? と首を傾げた。あざといなー。

「なに、言いたかったのはそれだけ?」

「はいっ」

 尋ねると成川は元気に頷いた。あー、あざといねー。

「じゃあこれでいいな。もう帰るわ」

「あ、はい、また明日ですー」

「お前の風邪が治ればな」

 あからさまな笑顔に心底あざといなと呆れながら踵を返す。

 俺はベッドの上で手でも振っているのであろう成川のことを振り返りもせずに、最後の最後で憎まれ口をたたきながら俺は成川の家を後にした。

 どういたしましての一言も言わないまま


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 外に出ると、薄暗い部屋の中にいたせいか曇天の町がいくらか明るく感じた。

 心なしか気温も少し上がったように感じる街を歩きながら、俺は見慣れた遊歩道を歩いていた。

「……くそ」

 言いながら俺は見えもしない太陽を見る。

 日はかなり伸びてはきた。もう六時過ぎても明るく感じるほどだ。けれどだからこそ、いくらか傾いた太陽が時間の流れを教えてくれて悪態をついた。

 せっかく今日は成川から解放されて自由に過ごせると思っていたのに、結局成川に付き合って時間をつぶされてしまった。しかもいつもよりもだいぶ長い時間を。

 そのことを今になって確認して得も言われぬ後悔が押し寄せてくる。

「家で寝てればよかった、くそ」

 言いながら、もう今からではできもしないであろう惰眠に思いを馳せて再び悪態をついた。気のせいか、いつもよりも足元を流れる景色が早い気がする。

 気付けば歩調が上がっているせいか少しだけ体が熱を発していた。

「風邪移されてねぇよな、くそ」

 自分の身を心配しながら、うかつにも丸腰で成川の家に入った自分に悪態をつく。

 雲が薄くなったせいなのか、体にこもった熱が一向に逃げ出し手はくれない。俺はそれをどうにかしようとワイシャツの胸元をパタパタと仰いだ。

「暑い、くそ」

 けれどそれでも熱は冷めてくれずに自身の体に孕んだ熱に悪態をついた。

 予想外だった。あんな風にまっすぐにお礼を言われることが。

 きっと成川は、いつものように好きだなんだと口にするのだとばかり思っていた。本心かどうかもわからない、からかい文句に等しいその言葉を口にするのだと。

 なのに、今日はそんな中身のない言葉ではなく、真っすぐな感謝を告げられた。そのことが意外で、意外過ぎて仕方なかった。

 自意識過剰だった。

 そのことが恥ずかしくて、嫌で。俺はずっと見えもしない何かに向かって悪態をついている。そんなことしても、何も消えてはくれないのに。

「はぁ……」

 俺はため息を吐いて体の中にたまった熱を吐き出した、けれど、体の熱は冷めてはくれず、それどころか体の一部が猛烈に熱くなるのを感じた。

 俺は汗が流れる感覚を感じて殴る様に自分の頬をぬぐった。それでも嫌な感覚は消えてくれなくて、逆側の頬も同じように拭った。

 けれど、それでも何も変わってくれはしない。

 風邪をうつされたせい。そんな風に思ってもそんなことないとわかっている。

 気温が上がったせい。そう思っても昼間とさして変わっていない気温を理解している。

 だから俺は顔を隠すように空を仰いで悪態をついた。

「くそっ」

 頬が熱い理由は、摩擦のせいにもできはしなかった。


更新がだいぶ遅れてしまって申し訳ございません。


次の更新は七月下旬になります。

更新頻度は遅いですがお付き合いのほどよろしくお願いします。

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