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いつか欠片を束ねて  作者: 澄葉 照安登
第四章 六月
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梅雨空 其の二

「先輩、ありがとうございましたー」

 彼女がバックヤードに連れていかれて暫し、雑誌コーナーの一角で雲の色が濃くなってきたな、なんて思いながら空を見上げているとようやく容疑の晴れたらしい後輩がわざわざ頭を下げに来た。

「いや、別に何もしてねぇけど」

 そんな殊勝な彼女に対して、俺はえらくぶっきらぼうな声を返す。不機嫌なわけではないのにそんな声が出てしまうのはきっと、普段とは違う彼女の姿のせい。

「ってかお前その恰好なんだよ。学校休んだのか?」

 スウェット姿の彼女に向けて問う。髪が二つ結びなのは、乱れた髪をそれなり見見せるために付け焼刃といったところなのだろうか。ちらりと足元に視線を向けてみると当然というべきか、見慣れたローファーではなく生地の薄そうなスニーカーだった。

「あー、えっとちょっと風邪をひいてしまいまして……」

 たははと力なく笑った彼女の声は、やっぱり掠れ気味で言葉を理解せずとも体調が悪いことくらい一目でわかった。というか服装を見て大体の見当はついていた。

 だから俺はため息を吐いて口をもごもごさせながら言う。

「だろうな。……出歩いて大丈夫なのかよ」

「先輩優しいですねー」

「大丈夫そうだな」

 いつも通り軽々しい声が返ってきたので、俺はさっさとコンビニから出て行こうと踵を返す。すると成川が背中越しに不貞腐れたような声を上げた。

「病気の女の放って帰るなんてひどいじゃないですかー」

「病気の女の子は出歩いたりすんなよ」

 振り返りもせずにそう言うと俺の背後にいた成川は何も言わずにあははと笑った。

 いつもならそれで俺の後ろをついてくるのだが、その笑い声が聞こえたかと思ったらその後に続く言葉も足音も聞こえてこなかった

「……親、いないのか?」

 その笑いはいったいどういう意味なのかと思って振り返ってみると、目のあった成川が少し意外そうに目を丸くした。そして暫し硬直したのち、思い出したように華奢な手をひらひらと振りながら言う。

「私の両親共働きなんですよー」

 自嘲気味に笑った成川は、やはり普段に比べて元気がないように見える。体調不良だから元気がないのは当たり前といえば当たり前だ。しかし今の成川からはどこか戸惑っているような空気を感じた。

「そりゃ大変だな」

 だから、俺は必要以上の言葉はかけずに、いつも通り興味ないという体を前面に押し出して吐息交じりに言う。

「あはは……」

 そして返ってきたのは、さっきと同じ力ない笑い声だった。

 いつもなら間の抜けた声で何やら会話を広げようと話しかけてきたりするものだが、なぜか今日はそれがない。もしかして両親の話はあまりしてはいけなかったのだろうかと思いながら、人の事情なんて知ったことじゃないとため息と一緒に後悔を吐き出す。

「……飲み物でも買いに来たのか?」

「あ、そんなところです。スポーツドリンクとかそういうのを」

「そうか」

 俺が訊くと、成川が思い出したようにぽんと手のひらを合わせた。そしてそこで一度会話が途切れると、俺は一度ため息を吐いてから、ついさっきレジで受け取ったビニール袋を成川に差し出した。

「これ、持ってけよ」

「え……」

 俺が言うと、成川は差し出されたビニール袋を見下ろしながら間抜けな声を上げた。袋の中身は、ついさっき買ったスポーツドリンクとプリンだ。

「こんなもんでよければやるよ」

「……ッ」

 言いながら目を逸らすと、成川が息を呑む気配を感じた。不都合でもあったのか、それとも俺の差し出したものは欲していたものとは言えなくて、どう断ればいいのかを思案しているのだろうか。

 いらないならいらないと素直に言えばいいだけなんだが、と思いながらちらりと成川のほうを見ると。彼女は深呼吸のように息を吐いてぽつりと言った。

「……先輩、卑怯ですよねー」

「何言ってんの?」

 いきなりの卑怯者呼ばわりに異を唱える代わりにそう問いかけると、成川は笑顔で「なんでもないですよー」とか言って袋を受け取った。

 袋を成川が受け取る瞬間、かする程度に触れた彼女の手は、かなり熱い。

「お前、熱何度あんだよ」

「朝は八度六とかでしたよー」

 何の気なしに尋ねてみると、いつも通りの軽い声音に乗せられて、あまり笑い飛ばせない言葉が飛んできた。

「ずいぶんとひどいな」

 八度六分なんて四捨五入したら九度だ。そんな高熱を体内にはらませながら外を出歩くなんて正気の沙汰ではない。というかやろうと思っても多分立ち上がれないと思う。俺だったら食べ物や飲み物がどうとかいう余裕すらないと思う。俺の体が熱に慣れていないだけなのかもしれないけど。

 ともかく、そんな高熱といっていいほどの体温を抱え込みながら、わざわざ学校にほど近いこのコンビニに来るなんて正気の沙汰でないことは明らか。こっちまで来なくとも俺の家の近くにはすたれたコンビニが一件あったはずだ。俺は柄にもなく少し心配になりながら成川に言うと、コンビニ袋を持った彼女はあははと笑った。

「なのですぐ帰りますよー。先輩、これありがとうございますー」

「いや、ただの気まぐれだから」

 力なく言う彼女の礼に少し照れ臭くなって俺たちはコンビニの出口へ向かう。

 ピロピロとうるさい音を鳴らしながら電気の力で開いたガラスの扉が外の湿った空気を迎え入れる。俺はその空気に若干の嫌悪感を覚えながら外に出ようとため息を一つ吐いた。

 すると、何の気なしに振り返った背後に成川の姿がないことに気付く。別にあいつがいないと都合が悪いなんてことは一切ないが、普段からはあまり考えられない事態に気になってさっきまでいた雑誌コーナーの奥を見てみると、両手で重そうにコンビニ袋を持っていた成川がその場で立ち尽くしていた。

「……まだなんか買うのか?」

「え、あ、そういうわけではなくてですねー……」

 早くしろというように成川に言葉を投げると、彼女はためらいがちに目を伏せて視線を彷徨わせた。

 彼女らしからぬ行動に疑問を感じながらため息を吐く。そして俺は彼女の元まで戻ってその手に下げられていた袋をひったくる。

「早く家に帰った方がいいだろ」

「あっ」

 言いながらさっさと来いとばかりに視線で出口を指し示すが成川は驚き半分戸惑い半分に声を上げたままその場で固まってしまった。

 何をもたもたしてるんだと若干イライラしながらため息を吐くと、成川は慌てたように出口へ向かって言った。

 それに少し遅れて外に出ると、先程感じた湿気が肌にまとわりついてきて、体が湿気るような嫌な感覚に襲われる。俺はそれをため息で吐き捨てて目の前にいた成川に言う。

「とりあえず今日は家まで送ってってやるから早く休め」

「えっ!?」

 ぶっきらぼうに言うと、成川は驚いたように声を上げて俺のほうを見た。

「なんだよ、嫌なら別にいいけど」

「あ、そうじゃなくてですねー……。その、先輩に悪いなーと……」

「帰る方向は一緒だろ、大差ねぇよ」

「あ、いえその……」

 気にすることはない、むしろ病人を置いて帰るのは後味が悪いと苛立ち半分に成川に伝えてみるものの、彼女は戸惑いがちに、そして焦りながら何かを探すように視線を彷徨わせるばかり。

 いつにもまして理解できない行動をする成川に疑問を抱きながら首を傾げる。

 別に思い上がっているとか、勘違いしているわけではないが、普段の成川ならこういった申し出は快く引き受けるはずだ。ホントですかー? ありがとーございますー。とかなんとか言って。

 それなのに今の成川は戸惑いながらどうすべきかと悩んでいるようだ。彼女らしからぬ行動は熱のせいかと思いながら挙動不審な彼女越しに交差点の信号へと視線を向ける。信号は、今まさに青に変わったところだった。

「とりあえず信号変わったから渡るぞ」

「あ、えっと……」

 早足に信号のほうへ向かおうとすると成川の小さな声が俺を止める。いったいなんだと思いながら振り返ると、彼女はとても言いにくそうに両手をもじもじとさせながら俯いていた。

 何か言うことがあるならはっきりしろと思いながらその様子を見ていると、ようやく意を決したのか彼女は目をぎゅっと瞑ってから、かすれた声を裏返しながら言った。

「すみません先輩…………。私の家、こっちなんです……」

「……は?」

 言いながら彼女が指さしたのは、俺の家とは全く違う方向だった。


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