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いつか欠片を束ねて  作者: 澄葉 照安登
第四章 六月
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梅雨空 其の一

 六月に入るとクラスの女子の鳴き声がうるさくなる。湿気で髪がまとまらないだの、雨で服が濡れるだのほんとにうるさい。一週間の命で人生欧化しようとするセミかってほどうるさい。蝉と違ってその声には陰鬱な空気しか感じ取れないが。

 だから必然的にクラスの雰囲気もじめっとするし、何ならそのせいで曇り空がさらに暗く見えてくる。グダグダと文句ばかりでそれを自分で改善しようともしないのを見てると気分が悪くなるので、俺はチャイムが鳴り終わるよりも早く学校を出た。他人の愚痴聞いて気分重くなるとかなんて二次災害。そういうのは届かないとこまで逃げるのが吉。

 というわけで、俺はまだ人もまばらな昇降口にて靴に履き替えていた。

 湿気でほのかに重くなったブレザーをまどろっこしく思いながら、学生かばんを半ば振り回すようにして担ぐ。そしてつま先で地面を数度蹴ってから昇降口へと向かう。

 毎度のことだがこの学生生活において一番の憂鬱といっても過言ではない瞬間がこの瞬間だ。というか最近そうなった。なんで帰宅するだけのこのタイミングで憂鬱な気分を味わわなきゃならんのだろう。そう思いながら俺は速足気味に昇降口を抜ける。というか駆け抜ける勢いだった。仕方ないよ、面倒なんだから。

 そう思いながら昇降口を抜け、ちらりと背後を確認。まだ数名しか生徒が見えていないことに安堵しながら俺は速足に校門へと向かう。

 日はさしていないのに熱い気温にマジじめじめしてきもちわるいんだけどー、と内心で悪態をつきながら何も持っていない右手をぷらぷらとほぐす。

 梅雨、といってもそりゃ毎日雨降っているわけじゃない。比較的雨が多いし、太陽が顔を出すことのほうが少ないと言える時期であることは間違いないのだが、だからといって梅雨が明けるまでの約一か月、毎日雨が降っているなんて言うことがあるはずもなく、今日は曇り時々晴れと、最近ではそれなりに良いと呼べる天気だった。

 久々にレイニーシールドを装備せずに休暇を取っている右手をポケットに突っ込みながら俺は再度背後を確認。見慣れた明るい髪の毛が視界に入らないことに安堵して俺は少しだけ歩調を緩めた。

 空を仰げば一面の灰色。別に青い空が見慣れているわけでもないのに、梅雨だからなんて先入観で普段にもましてその色は濃く映る。

 けれど、灰色なんて別に珍しいものじゃない。人間はいつだってグレーゾーンをうろうろして曖昧な言葉を並べ立てているし、道路を見れば白線の何百倍の面積をアスファルトが占めている。

 空が灰色なのだって雲がかかれば当然のこと。雨が降るのならばなおのことだ。

 それなのに、どうしてか一度意識すると目に映る色を見て思ってしまう。

 なんてつまらない景色だろうかと。

 普段と大差ない下向きな感情だけれど、六月の陰鬱な空気はそんな当たり前のものまで無機質に染め上げてしまうらしい。

 ほうと息を吐いてみれば不思議と体が重くなった気がした。

 それはこの後迫ってくる足音を思い浮かべたからだろう。そう思った瞬間に嫌な予感がして、俺は校門近くで今一度校舎を振り返った。

 けれど、見慣れた茶髪は見当たらない。

 毎日毎日、雨だろうが何だろうが昇降口で待ち構えているあの後輩の姿が見えない。図書委員の仕事でもしているんだろうか。そう思いはしたけれど引き返したりはしない。あいつを待っている理由なんてないのだから。

 いつも人の気も知らずに付きまとってくる迷惑甚だしい下級生がいない。それはむしろ喜ばしいことで、俺は久しぶりに平和な帰路に付けると思いながら吐息と共に言葉を吐いた。

「……珍しいな」

 言いながら校門を抜けたころには背後からいくつもの足音が聞こえてきていた。

 いつもと変わらないはずの帰路は、とても暗く感じた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 久しぶりの自由な放課後。なればこそ、この間に自分の好きなことをするほかない。

 そんな風に意気込んで学校から歩くこと数分。さして趣味らしい趣味があるわけでもない俺は、話し相手もいない帰路を退屈に感じでもしたのか、無意識に交差点にあるコンビニへと足を踏み入れた。

 ピロリンという機械音が俺を賑やかに迎え入れる。学校が終わってまだ間もないからか店内を見渡してみても学生服姿の人影は見当たらない。というか店員を覗いて一人しか客がいない。大丈夫なのかこのコンビニ。

 別に普段から利用しているわけではないし、大して心配しているわけではないが反射的にそんなことを思いながら、俺はコンビニの順路を守る様に雑誌コーナーから店内奥の飲み物コーナーへと歩みを進めた。

 百数十円の値札と共に飲み物の名前とラベルを見て顎に手を当てる。

 はてさて、とりあえずコンビニに入ったのはいいのだが、何を買おうか。もともと買いたいものがあったわけではないので正直コンビニに入る必要すら本来はないのだが。入ってしまった以上は何かを買わなくてはいけない気がする。

 得体のしれない脅迫感に後押しされながらも、大して乾いていない喉にお前は何を所望かいと問うてみるが水分を欲していない喉が答えるどころか興味を示すこともなく俺は結局ペットボトルのラベルをにらめっこしただけでその場を去る。

 と、そこでふと、誰かの視線を感じた。なんだろう店員さんにでもにらまれたかな。悪いことなんて何もしていないのでそんなことは決してないとは思うが、妙な視線を感じたことは事実なので俺はお菓子やカップ麺の並んだ一角の向こう、レジへと視線を向けてみる。

 しかし、そこには俺を睨みつける店員は愚か人っ子一人存在していなかった。客がいないというのも相まってレジに常駐する必要がないのだろう。見ればサンドウィッチやおにぎりの並ぶ一角に店員らしき人影がある。

 どうやら店員さんににらまれたわけではなさそうだが、なら今感じた視線は何だろうと思いながら首を捻る。

 けれど首を捻っても答えが出るはずもなく、まあ気のせいだろうと楽観的に結論付けて俺はコンビニ内の壁に沿うように進んでいく。

 雑誌コーナー、飲み物コーナーとくれば次に来るのは同じ冷気を必要とする食品系のコーナー。そう、冷凍食品だ。お弁当の味方だもんね。

 そんなことを思ってはみるが、俺自身自分で弁当を作った経験なんてありはしない。毎日優しいお母さまがお弁当を作ってくださるのでそういうのは無縁だ。まぁたまに具無しの焼きそばがタッパーに敷き詰められてたりするけれどあれはきっと時間がなかっただけ、いやがらせとかではないと思う。多分。

 まあそれはともかく、日ごろの感謝として、というかお弁当の中身のリクエストとして何かしら買っていくのはいいかもしれない。女の人って「食べたいものある?」って問いに「何でもいい」って答えると機嫌悪くなるしな。うちの母親も何でもいいって言うと大体素ラーメンとか素焼きそばとか素うどんとかになるしね。たまには意思を持ってリクエストをしてみようなんて思いながら俺はそれを横目で見てスルーする。

 いや、俺食に興味ないので。栄養補給さえできれば何でもいいんでリクエストとかないですはい。というかリクエストなんてしても答えてくれなそうだし、何なら俺の弁当が一週間炭水化物オンリーになるまである。母親マジで怖い。いや、そんなことはどうでもいい。俺の目的はこの先にあるんだ。

 妙なタイミングで母親の恐ろしさを再確認しながらなんとか意思を保って目当ての甘味コーナーへとたどり着く。

 近頃、コンビニのスイーツは馬鹿にできないと思う。昔こそ所詮コンビニでしょ、なんて冷めた目で見てはいたが食べてみると存外歓声の一つもいあげてしまうものだ。いや美味しいよね、ロールケーキ。

 そう思いながら俺が手に取ったのはスマホ。甘くもなければ食品ですらない。ついでに商品ですらない俺の所有物だった。

 正直、この時期に甘いものは食べたくはなかった。もう夏近いのこの時期はまったりとした甘いものを口にすることがはばかられる。口に入れた瞬間まではまだいいものの、咀嚼を繰り返すうちに口の中の甘味でだんだんと気持ち悪くなって来てしまうのだ。さらにはそのまま飲み込むのすら危うくなって最後は麦茶で流し込む羽目になってしまう。夏場の甘味はアイスがいいですね。それはともかく麦茶美味いよな。

 そんな支離滅裂な思考に流されるように、俺はつい数十秒前までいた飲み物コーナーへ戻ろうと踵を返した。

「ッ!」

「…………」

 刹那、商品棚の向こう側から俺の様子をうかがうようにしてのぞき込んでいた女の子と目が合った。

 おそらくは同年代または年下だろう彼女は、黒縁眼鏡にマスクをつけていて顔がよく見えない。服装は上下セットであろう灰色のスウェット姿。髪の毛はうなじのあたりで二つに縛られていてそれだけ見れば物静かというか地味な女の子という風貌なのに、髪色を見れば染めているのであろう不自然な茶髪で、アンバランスな頭髪に抱く印象は高校デビュー失敗、というところだった。

 いったい誰だこいつ、なんて思いながら飲み物コーナーへと向かうためその女の子との距離を詰める。すると彼女は逃げるように、というか逃げ出した。驚きの速さで退いたかと思ったら俺が飲み物コーナーの前に着くころには、その姿は忽然と消えてしまっていた。

 いったい何だったんだと思いながらラックの隙間から彼女の姿を探すがどうにも見当たらない。代わりに機械的な入店音に続いて数人の学生が入ってくるのが見えた。

 するとそれに驚いたのか何なのか、ちょうど死角になっていたラックの隙間から茶髪のおさげがふわりと弧を描いた。なんだあの挙動不審ぶりはと思いながら俺は田舎人の味方麦茶のぺットボトルを手に取った。もちろん六百ミリのミネラルがどうとラベルに書かれているあれだ。断じて二リットルじゃない。

 俺は手に取ったペットボトルの口の部分を指で引っ掛けながらプラプラと空中ブランコの様にあそばせる。一応落ちないようには気を付けているけれど落としたら嫌だなー、なんて思いながら俺をまた甘味コーナーを通ってレジのほうへと向かった。

 すると、そのタイミングで順路を守らず真っすぐ真ん中を突っ切ってきたブレザー姿の男子生徒数人が俺の前に躍り出て先にレジに並んでしまった。

 なんと間の悪い。そう思いながらその男子生徒と目が合わないようにちらりと背後を振り返ってみると黒縁眼鏡の彼女の姿が見えた。

 当然、目が合いかけた彼女はまるでもぐらたたきが如く頭を引っ込めてしまったのだが、さっきからいったい何なのだろう。別に俺はゲームをしているつもりは毛頭ないのだが相手は遊んでいるつもりなのだろうか。というかそんな挙動不審で大丈夫か。万引きか何かに間違われないかそれ。

「あの、お客様?」

「は、はい!」

 と、思うが早いか。予想通り彼女は店員に話しかけられていた。そして何やら慌てて手を振って何かを否定している。あー、ほんとに万引きに間違われてんだな。

 レジに並びながら、背後で焦りながら「違います!」と繰り返す彼女と困り笑いの店員を見つめながら、俺は一つため息を吐いた。

 いや、別に彼女が万引きしていないなんて確証はないわけなんだが、まあ十中八九そんなことはしていないだろうし。このままだと面倒なことになりそうだったので、まあ気まぐれに、声をかけてみようなんて思って見たわけだ。

 もちろん、これで田所が言うような新しい出会いが始まるなんてことは当然あるわけもないだろう。そんなことで恋人ができるくらいならこの世界に独り身なんていやしないだろうしな。ほんの気まぐれ。無実を証明できるものなんて持ち合わせてはいないから状況打破もできないだろうが、このまま知らんぷりするというのも後味が悪い。

 なので俺は「次のお客さまー」とか言っている店員の声を無視して踵を返した。

 そして今まさに言いくるめられて縮こまりそうになっていたその彼女に向かって、いつも通りにテキトーなトーンで声をかけた。

「何してんの、お前」

「せ、先輩ぃ」

 眼鏡姿の成川は、少し枯れた声で縋り付くような視線を向けてきた。


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