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いつか欠片を束ねて  作者: 澄葉 照安登
第三章 四月
10/30

図書委員 其の三

「おつかれさまでーすっ」

 下駄箱に行くと、いつものように成川が待ち構えていた。

俺はそれを一瞥すると目も合わせずにその横を通って昇降口を抜ける。ふと視線を自分の肩口に向ければ、その先に彼女の姿が見えた。

「挨拶くらい返してくれてもいいじゃないですかー」

「はいお疲れさん。じゃあ解散で」

「先輩ドライすぎませんかねー」

 肩口に隠れた彼女からため息が聞こえる。いや別にそんな仲いいわけじゃないんだし解散でいいでしょ。まあ挨拶を返さなかった俺は人としてどうかとは思うけれどね。

 ともあれ、いつも通り俺の隣には成川がいる。別の隣にいろと言ったわけでも、こっちに来いと呼んだわけでもないのに隣にいる。

 その状況を少し鬱陶しく感じながらも俺はため息を吐いた。

「先輩どうしたんですか? なんか疲れてるみたいじゃないですかー」

「いやお前のせいだからね?」

「えー、私何もしてませんよ?」

「それ常に行動してるやつが言うと逆にうざいな」

「…………ん?」

 俺が言うと成川はなんのことと言いたげに可愛らしく唸り声をあげた。肩口に隠れて見えはしなかったがきっと首をかしげたのだろう。いつものようにあざとく。

 簡単に想像がついたからのぞき込んで確かめるなんて言うことはしない。けれどその代わりに成川がひょいっと顔をのぞかせた。

「ところで先輩。約束、守ってくれましたかー?」

「なんのことですかー?」

 成川の真似をして間延びした声でふざけて返す。ふざけないでくださいよとかそんな言葉が返ってくるかと思ったのだが、成川は笑顔を浮かべた。

「図書委員、なりましたか?」

 あんまり笑顔で言うものだからちらりとのその顔を見てしまって危うく視線が合うところだった。

「せーんぱい?」

 ダメ押しとばかりに俺の顔をのぞき込んでくる後輩。いやダメ押しのつもりなんだろうけどそういうあざといの見慣れてるせいか逆に平常運転で安心して冷静になれるんだよな。

 そう思いながら俺はあー、と今思い出したと言いたげな声を出した。

「そういやそんなこと言ったな」

「言いましたよー。で、ちゃんとなりましたか?」

「いや、美化委員になった」

「………………えぇ!?」

 言うと、成川は珍しく大声を上げた。そしてその場でくるっと百八十度回転。

「先輩! 私ちょっと戻って美化委員になってきます!」

「いや無理だろ」

「うぅ――――――っ」

 今すぐにでも駆けだそうとする後輩を静かにたしなめると可愛らしい唸り声をあげた。なんだそれあざといな。それ素でやってんだとしたらすげぇよ。

 感心しながらも歩みを進めていつもの交差点で白のストライプの道路を歩く。一瞬本当にこいつは戻る気なのかと思わなくもなかったが、成川はしっかりと俺の左側を陣取っていた。

 しかし、あからさまに元気がない。首を垂れて長い髪の毛をゆらゆらと揺らしながら千鳥足にも似た足取りで歩く。

「先輩と、同じ委員会…………はぁ……」

「なんでそんなに落ち込んでんだよ」

 あからさますぎて裏があるようにしか見えない後輩の態度をちらりと視界に入れる。

「先輩と一緒がよかったんですよー。先輩部活もやってないしバイトもしてないからつながり作れないんですもん」

「なんで俺のバイト事情まで知ってるの? いやこれだけ毎日一緒に帰ってたらそりゃ気付くか」

 一瞬本当にストーカーされているんじゃないかと背筋に冷たい物が走ったが納得のいく結論にたどり着けたので一安心。

 しかしそんな俺とは裏腹に成川はなおも肩を落としている。

「先輩とのつながりが……」

「はいはいそうですか」

 まだ四月なのにじめっとした空気を感じて適当に受け流す。けれどそれだけでよくなるはずもなく隣からは似合わないため息が聞こえるので仕方なく声をかけてやることにする。

「なんでそんなにも俺にこだわるかね」

「好きだからですよー」

 頬を膨らませながらもそんな風に言って見せる成川。心なしか泣きそうな声だ。

「真面目に委員会しろよ」

「いやらしく先輩とのつながり欲しさで委員会に入りました」

 俺がお前の落ち込み具合なんて興味もないと言いたげに言うと成川は落ち武者かってほど体を揺さぶって今にも倒れそうになりながら答えた。

「正直でよろしいですね。本心かどうかは知らんけど」

 適当に流しては見るがやはり成川がいつものように軽々しい雰囲気を取り戻すことはない。いつもと違う様子にリズムを崩されながらもため息交じりに言う。

「何、お前は図書委員になったの?」

「なりましたよー。約束ですもん」

「あれはほぼ命令だからな」

相槌ともいえない相槌を打ちながら見慣れた住宅街へ。気付けば俺たちの足元には桜の花びらがちりばめられていた。

「今年一番の落ち込み様です」

「マジでか、今年まだ始まって三か月だぞ」

「今年度一番の落ち込みです」

「まだ四月なのにか。そりゃすごい」

 一つしか年が違わないはずの後輩がとても幼く見えるがこれでも高校生。そのうち立ち直ってくれるだろうと適当な相槌を打ち続ける。

「私も美化委員になればよかったです」

「後悔先に立たずだな」

「先輩のせいですよー」

「すみませんねー」

「はぁ…………。ん!」

 根気強く復活を待っていると、成川は勢いよく顔を上げると両頬を叩かん勢いで自分の顔を覆った。

「いつまでも暗いままじゃダメ、いつもみたいにしなきゃ」

 自分に言い聞かせるようにぶつぶつと呟くとふうと息を吐く。するとそこには、さっきまでのうなだれた女の子の姿はなく、軽々しい笑顔を浮かべる女の子の姿があった。

「ほんと先輩ひどいですー」

「ひどくないですー。って言うかさっきのなに、なんかのアピール? 私健気ですよアピール? 新しい手法取り入れてきたな」

「先輩とりあえずそれはスルーの方向で願いします」

「はいはい」

 別に興味があったわけでもないので文字通り二つ返事で了承する。

 俺のやる気のない返事が気に入ったのかはわからないが笑顔を浮かべると地面を蹴飛ばすように足を振った。

別に触れたわけでもないのにふわっと、地面にちりばめられた桜が舞い上がる。

「だいぶ、散っちゃいましたね」

 言われて成川の視線の先、遊歩道の道沿いに植えられていた桜の木を見る。

 三月末には満開で桃色一色だった桜の木は、黒っぽい木肌をさらして黄緑色の新緑を携えている。まだ四月も上旬だというのに気付けば桃色よりも緑色が目立つようになっていた。

「もう葉桜だな」

「そうですね」

 言って見上げた桜は、俺と成川の瞳に等しく映っただろう。

 同じ景色を見ているのに違うものが見えるはずもないのだから。

 けれど、そうでない場合もきっとある。同じものを見ていても、心持が異なれば見える景色も違うものになりえるのだろう。俺の自己評価と、成川の俺への評価の様に。

それは多分、自然なことで。まったくの同じものを共有する方が、何倍も難しい。

 同じものを見たい、とは思わない。だから、これでいい。

 たまに奇跡とも呼べるほどの確率で同じものを共有できるなら、それできっと満たされる。それ以上を求めるのはきっと傲慢で、いつか罰が当たってしまうだろうから。

 遊歩道を歩きながら桜を見上げ続ける成川。その瞳に映る桜の木は、似てはいても一つ一つ形が違うのだろう。違うことは、間違いではなくて、正しいことだから。それをどうこうしようとは思わない。

そのままでいい。

 けれど、たまには奇跡ではなく、必然で同じものを見てみるのも、いい気がした。

「成川」

 足を止め、彼女の名を呼ぶ。

「先輩? どうしました?」

 俺が急に足を止めたからか、それとも俺が成川のことを呼び止めたのが珍しかったからなのか、成川は俺の数歩先で半回転すると首を傾げた。

 桜で化粧をした遊歩道がしんと静まり返る。雪は音を吸うとはよく言うが、桜が音を吸うわけもない。だから耳をすませば風の音や遠くから車のエンジン音が聞こえないこともない。けれど、音がなくなったと錯覚するような間があった。

 その静寂を破るのは、いつも軽々しく好きだのなんだのという言葉数の多いふわりとした後輩ではない。今この瞬間に関してだけは、違った。

「お前に一個、聞きたいことがあるんだけどさ」

「え、はい。……なんでしょう?」

 いつもとは異なる空気感のせいか、成川は戸惑いがちに相槌を打った。

 そのせいで俺も緊張してしまったのか急に喉が渇いた。別に緊張するほどのことでもないだろうに、変な空気を作ってしまったせいで緊張してしまう。

 俺はそれを紛らわせるためにため息にも似た吐息を吐き出す。自分の吐息の音が鮮明に聞こえてくる。それこそ目の前にマイクでも用意されているんじゃないかと思うくらい大音量で、他の音が何も聞こえなくなるほどに。

 俺は数度深呼吸を繰り返すと茶髪の彼女の瞳をまっすぐに見つめた。

「あのさ……」

「は、はい……」

 怯えるようにびくりと肩を震わせた彼女の心臓の音が聞こえた気がした。

 それを意識しないように一度視線を逸らしてから、もう一度彼女の瞳を見つめて言う。

「お前の下の名前、教えてくれないか?」

「…………………………え?」

 しばしの間、成川は硬直した。ぽかんと口を開けて間抜け面をさらす彼女に俺はもう一度言う。

「名前。お前の下の名前教えてくれって言ったんだけど?」

 何、聞こえてなかったのちゃんと聞けよ。と文句をたらたらとこぼしそうになりながらも半眼で成川のことを睨んだ。

 すると成川はようやく何を言われているのか理解したらしく、スローモーションで深くうなずく。

「え、あー、名前……ですか?」

「そう名前」

「はぁぁぁあぁぁ…………」

 聞かなくてもわかるだろと思いながら返すと、成川は大きなため息を吐いた。何、なんでため息。そんなに名前訊かれるのが嫌だったの? なら取り消そうか?

 そう思いながら靴の裏で地面を擦って成川に向かっていたつま先を逸らそうとする。

 すると成川はぷくっと頬を膨らませて俺のことを見た。

「先輩、そういうのやめてくださいよー。心臓に悪いです。告白されるかと思ったじゃないですかー」

「は? 何言ってんの? 俺がお前に告白するわけないだろお前の頭もお花畑ですか?」

 予想外の言葉に呆れながらも早口で言う。されど成川は頬を膨らませたままだ。あっざと。

「そりゃ先輩が私に興味ないのはわかってますけどー。そんな雰囲気出されたら少なからず女の子は期待するものじゃないですかー」

「知らんがな」

 さも当然の様に言われたが女子の常識なんて男子の俺が知るはずもない。俺はつま先で地面をつつきながら女子って大変なのねーと他人事だ。

「まあいいですけどねー。そのうち好きになってもらいますしー」

「がんばれー」

「なんでそんな他人事なんですかー」

 適当に言った俺に対して成川はさらに頬を膨らませた。もう破裂寸前だ。多分今両頬を叩いたらいい音が鳴る。

「まあ他人事だしな。……それで、名前なんて言うんだよ」

「あ、はぁ……」

 いきなり話題を戻されたからか、成川は呆気にとられたのか拍子抜けするように息を吐いた。

 そして不思議そうに首をかしげながらぽつりと言う。

「…………なんでいきなり名前なんですか?」

「知らないから」

「いやそれはわかってますけどー」

 そうじゃないんだよなー、と首をフルフルと左右に振る。なんだそれうぜえ。

 適当な突っ込みでも入れたいところだが、いつまでも立ち止まっているのもあれなのでさっさとこの話を終わらせてしまおうと早口に言う。

「お前に名乗られた時に苗字しか言われてないから気になっただけだよ」

「いや私名乗りましたよー?」

「覚えてないからノーカウントだ」

「横暴じゃないですかー。……まあ名乗ってないんですけど」

 なんだこいつ。得意げにニヤッと笑うところなんかもうほんと何こいつ。ウザさ極まってもう何も感じなくなってくるんだけど。

 立ち止まっているせいか、いつもよりも成川と一緒に居る時間が長く感じる。一刻も早く解放されたい一心でとりあえず話を前に進めようと試みる。

「ならさっさと名乗れ。そしたら解散でいいから」

「解散しないでくださいよー」

 しかし俺の思いとは裏腹に成川はこのやり取りを楽しんでいるのか間延びした軽々しい声で適当なことを言うだけだ。なんだかもうムキになってこいつの名前を知ろうとしているのがばかばかしく思えてきた。というか、自分から聞いといてなんだが、アンダーネームを知ったからって何だというのか。別に呼びかた変えるわけじゃないのに何をムキになっているのか。

 今更ながらに冷静になってもうどうでもいいやと思いながらため息を吐いた。なんだか無駄な労力を使ってしまった。

 そう思いながら俺は地面を擦りながら止めていた足を動かし始める。心なしか、地面に塗られた桜の化粧が薄い気がした。

 そんな俺の後を追うように成川もタタタッと歩き始める。

「先輩? いいんですかー?」

「何が?」

「名前、知りたいんじゃないですかー?」

「もうどうでもよくなった」

「そこは興味持ち続けてくださいよー」

 不満そうに言った成川だがその声は軽く、ついでに足取りも軽かった。

タタッと駆けるように俺の数歩先に躍り出るとその場で立ち止まり、俺に背を向け、後ろ手に持った鞄を揺らしながら肩越しに俺のほうを振り返った。

 その顔は、悪戯を仕掛けようとする子供の様に無邪気に歪んでいる。

 いきなり立ち止まった成川を追い越すのもあれなので俺はその場で立ち止まり何がしたいのかと観察することにした。

 俺が立ち止まったことを確認した成川はわざとらしく空を見上げる。

「でもまあ……」

 成川はその場でくるっと半回転して俺のほうを見き直った。

すると成川は、いつものように自分の目線が上目遣いになるように計算しながら体を傾けて、小さな口元をひっそりと隠すように人差し指を当てた。

自分の可愛さを自覚しながら、あざとく、魅力的に見えるように。

そしてそんな胸を貫くようなしぐさとは裏腹に、無邪気な声音で言い放つ。

「教えてあげませんけどねーっ」

 悪戯っぽく微笑みながら、若干の照れくささを頬に表して成川は言った。

 俺は成川を見ながらいつも通りだなー、とか思いながらため息を吐いた。

「あざといですねー」

 俺がそう言うと成川はその場で一回転した。そして俺に向きなおると駆け足で俺の横まで戻ってきた。

 俺の突っ込みに何の文句もないことを不思議に思って成川のほうをちらりと見ると、小悪魔のように笑った彼女と目があった。

 見慣れない彼女の蠱惑的な表情に一瞬どきりとした。

 すると成川はそれを感じ取ったのかニッと口元を歪めた。

「先輩」

 そして俺の名前を呼ぶとタタッとローファーを鳴らしながら俺の肩に飛び乗るようにして手をついた。

 いったい何事かと思って視線を向けると、俺よりも身長の低いはずの彼女の顔が、すぐ目の前にあった。

 飛びつかれたのか、それとも背伸びしているだけなのか。はたまた目の錯覚か。いったいなぜという疑問ばかりが浮かんで状況を理解できていない。

 肩にかかる彼女の体重で押さえつけられ逃げ出すことはおろか足を踏み出す余裕もない。

 どうにもできないままに彼女から少しでも距離を取ろうと首をできる限り伸ばして視覚的な距離を遠ざける。けれど俺の肩に乗るようにして身を乗り出した彼女から逃げられるはずもなく、彼女の顔が確実に俺との距離を詰める。

 柄にもなく慌てふためきそうになりながらも歯を噛んでうろたえるのをこらえる。

 そうして、彼女が今まさに俺の頬にその唇をつけようとしたときに、うなじをくすぐる吐息とともに、そんな声が聞こえてきた。

「私のこと、名前で呼びたくなったら教えてあげますよ」

 言い終わってからか、それとも言っている途中からか、俺の耳元みかかると息が遠ざかって行った。

 かと思うと左肩に乗っていた重みも解けるように消えてなくなり、代わりにタップを踏むような音が聞こえてきた。

「あっととと」

 おそらく俺の肩から降りる際にバランスでも崩したのだろう。タップを踏む音とともにそんな声が聞こえてきた。

 俺はのけぞるように逸らしていた身を戻しながら隣にいる彼女の様子をうかがう。

 俺に気付いた彼女は顔を真っ赤にしながら歯をのぞかせた。

 そんな彼女に倣って、代わりにと言わんばかりに俺は奥歯をかみしめてから深い溜息を吐いた。

「平常運転で安心するわ」

 冷静を装いながら呆れたというようにため息交じりに言う。

 すると成川はなおも頬を染めながらはにかむように笑った。

「今回のは私をぬか喜びさせた先輩のせいですよー」

「なんという冤罪」

 適当に言いながら、俺は地面を叩くように薄い桃色の絨毯を蹴飛ばした。

「図書委員が何人毒牙にかかるか見ものだな」

「先輩その言い方はひどいですよー」

「いや多分事実になるぞ」

 本人のその気があるかどうかは別としても、今みたいなことをされたりなんかしたらころっとやられてしまうだろう。俺みたいにそれなりに防御力にステータス振ってないと即死もいいとこ、オーバーキルだ。俺だって今日はそれなりにダメージを――。

 ともあれ、当初の目的である成川の本名の詮索は失敗に終わったわけだ。まああんな風に言われた手前、今更知りたいなんて口が裂けるどころか声帯が切り裂きジャックへとトランスポートされようと言えるわけがない。というかもう半ばどうでもよくなってるし、とりあえずはこの話は終わりでいいだろう。

 なのでとりあえず。

「図書委員がんばれよー」

「すごい他人事じゃないですかー。まあ頑張りますけどー」

 俺のエールに不満そうな声が返ってくる。まったく人のエールをむげにするとは何事か、俺のエールとか超貴重だぞ。多分。

 なんて自分の行いを過大評価しながらも頭上を見上げれば、緑色に姿を変えた桜の木が目に入った。

「まあ真面目に頑張れ」

「先輩も美化委員がんばってくださいねー」

 意趣返しのつもりなのか、軽い口調でそう返してくる成川。別に俺はこいつに恨まれるようなことは何もしていないんだが、まあいいか。

 そう思いながら俺は同じように意趣返しのつもりで空を見上げながら言う。


「まあ、今年もそれなりにがんばるわ。……図書委員・・・・


「がんばってくだ………………えっ?」

 いきなり立ち止まった成川をそのままに、俺はスタスタと先を行く。別に成川を待ってやる義理もないし、手招きする道理もない。いつも勝手についてくるだけだ。歩幅だって合わせようと思ったことがない。

 だから素知らぬふりで歩き続ける。

 すると後ろから騒がしい足音が聞こえてきた。

「先輩!? 今なんて言いました!?」

「うるさいな、ご近所に迷惑になるぞ」

「先輩!!」

 注意をしたにもかかわらず成川はギャーギャーと騒いでいる。小学生かお前は。

 若干呆れながらも、悪戯がうまく言った俺はニヤリと口元を気持ち悪く歪ませた。

 まあいきなり下の名前を知りたいなんて言ったところで教えてもらえるとは思ってなかったし、覚えてなかったのかと怒られる覚悟もあった。別にそれはいまは求めてはいない。というか求めてない。

 別に名前なんて知らなくてもいい。知っていることがそれなりにありさえすればいいのだから。

 すべてを知らなくてもいい。知ることができるはずもないのだから。

 それはずっと俺が思っていること。何もかも知りたいなんてそれこそ傲慢で罰が当たってしまいそうだから。天罰なんてものに出くわしたくはないから。

 俺はそれなりに彼女のことを知っているというこの立ち位置に甘んじる。

 ほかの誰かよりかは、彼女のことを知っている程度のこの立ち位置に。

 だから、俺は騒ぎ立てる彼女の珍しい表情を覚えておいてやろうと視線を向ける。隣の彼女はなおも、焦ったように大声を上げている。

「先輩、今のって!」

 覚えておくことにしよう。

 驚きながらも、嬉しそうに笑っている彼女の顔を。


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