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柘榴の封印  作者: 御影
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第二章 沈黙の神殿 2

2


 翌日、宿を発った一行は街道をまっすぐマーガム神殿を目指したが、途中一度も襲撃にも遭わなかった事で、却って薄気味の悪さを覚えていた。街道に人通りがないわけではないが、かといって多いわけでもない。襲撃しようと思えばできなくはないのに、である。昨日の今日という事もあり、夕刻より少し前に目的地に到着した時には、スピカ達の緊張の糸は弾ける寸前であった。三人がほっと胸を撫で下ろすそんな中で、〈オクルス〉だけはつかず離れずの尾行者達の存在に気づいていた。だが、彼らが行動に出る気配がないため様子を見るつもりでいた。それ《、、》が彼らの役目なのか、それとも――?

「どうかしました?」

 思案にふけっていた〈オクルス〉は、スピカの気がかりそうな呼びかけに我に返った。目をやれば案の定、雇い主が不審そうな表情を浮かべている。

「いや…」

と、〈オクルス〉が言葉少なに否定し馬の手綱を神殿の馬丁に手渡すのを、スピカは怪訝そうに見つめる。

「でも…。だって貴女、昨夜寝てないんじゃ…?」

「一刻休んだ」

「やっぱり! それじゃあ…!」

 馬丁に手を貸す形で馬車から馬を外す作業を続けながらの〈オクルス〉の言葉は、あまりにも素っ気無い。

「それが仕事だ」

「誰が寝ずの番なんて頼みましたか!!」

 突然の大声に、思わずその場の全員がスピカに目をやった。彼女がいくら慌てて口を押さえても既に遅い。が、場の気まずさを破ったのは、鈍重そうな足音と頓狂とも言える声であった。

「ああ、申し訳ありません! お出迎えもせずに!」

 新しい闖入者の登場に、これまた皆の視線がそちらに一斉に集まる。その男は太めの体を揺すりながらスピカの前までやって来ると、妙に固いこの場の雰囲気に微塵も気づかず、領主の一人娘に深々と頭を下げた。

「お怒りはごもっともでございます。ですがこんなに早い時刻に、それもお忍び同然でお越しになるとは思ってもみなかったものですから、ああ、どうかご容赦下さいませ」

 どうやら迎えがなかった事にスピカが癇癪かんしゃく

を起こしたと思ったらしい。この神官の早とちりに、スピカは救われた気分で彼に頭を上げてくれるように言った。

「その事を言っていたのではありませんから」

「は?」

 神官は、人の良さそうな丸顔にきょとんとした表情を浮かべてスピカをまじまじと見やった。

「ではあのお声は…?」

「いえ、あの…」

 改めて、それもひどく無邪気に問い返されて、口ごもるスピカ。と、ここでアクルクスが二人の間に割って入った。

「神官殿。スピカ様はお疲れだ、このままここで立ち話を続けるおつもりか」

「おお、これは気がつきませんで! 重ね重ね失礼致しました。お部屋にご案内致します」

 神官はあたふたと手にした布で汗を拭きながら、一行に先立って神殿へと向かった。

 この、ペイダリオン国内で八番目に古いとされている神殿はすべて花崗岩グラニートでできているため、内部はひんやりとした空気に満ちている。石造りの通路は、上部を多柱構造にする事で採光と換気の両方の機能を満たしていた。切り出されたまま積み重ねられた薄桜色の石材はザラザラとした質感を当時のそのままに残していたが、床に使われた物だけは長い年月を経て、神官達のやわらかで踵のない革靴によって磨き上げられたようになっている。彼らの靴は床石を磨くだけでなく足音すらも消す役割も果たしているため、案内役の神官はもとより、すれ違い、軽く会釈をして去っていく他の神官達ですら音もなく歩いていた。そのため、神殿そのものが落ち着きと静寂の中に「る」。そんな重みが確かに、そこかしこに漂っていた。

信心深い者なら荘厳とも厳粛とも受け止めるであろう空気の中を、旅装束のスピカ達が静かに進む。彼らのその硬く高い足音だけが、広い通路に響いていた。誰一人口を開かないのを、その雰囲気に呑まれているとでも気を回したか、前を進む神官が肩越しに皆を振り返って言った。

「ご存知の通りこのマーガム神殿は『沈黙の神殿』と呼ばれていますので、初めて奥に進まれる方にとっては少々気味が悪いかもしれませんが、慣れれば快適なんですよ」

 そうは言われても、街の喧騒けんそうに慣れた者にとって、その音すら聞こえてこないこの奥の殿はかえって落ち着かない。慣れれば、と神官は執り成すが、そこまで滞在する予定のないスピカ達は彼の気遣いに苦笑を返す他ない。もっとも、最後尾を行く〈オクルス〉だけは常と変わらぬ鉄面皮であったが。それは用意されていた居室に荷物を置き、そのまま神官長の執務室に通されても変わらず、一切の感情を表さない。控えの間に二人きりで残されたアクルクスは、壁を背もたれにして戸口横に立つ〈オクルス〉を複雑な心境で見やった。

 相手に読まれるな。

 兄ラウルスの言葉がぼんやりと脳裏をよぎる。

 表情、感情、気配、そのどれを相手に知られても先手を取られる。お前は気持ちを表に出しすぎる――。

 教練場での手合わせのたび、いつも釘を刺された。だがそれは、情報であって知識ではなかったから――兄の言葉を軽んじるつもりはなかったものの――、これまで自分の実力以上の相手は兄の他に知らなかったから、頭の隅に追いやられていた記憶だった。

〝だが…〟

 〈オクルス〉という得体の知れない人物と不本意ながら行動をともにするようになって、アクルクスはほんの少しそれの意味を考えるようになっていた。

 確かにまったく考えの読めない相手、というのはそうでない者に比べて余計に気疲れする。これまではどんな相手でも有無を言わさぬ力で叩き伏せれば済むと思っていたが、もし、実力が拮抗していたら? 兄の言う通り、負けるのは自分――? ぞくり、と一瞬背筋をなめた怖気を気取られたような気がして、アクルクスは〈オクルス〉をちらと盗み見る。が、まさに「我関せず」の〈オクルス〉に何故かむっときたアクルクスはしかし、敗北イコール死である事にはまだ実感を持てずにいた。自分にとっても――敵にとっても。


 スピカの持参した手紙を読み終え、神官長は手元から目を上げた。部屋の中央に配置した客用の長椅子にネウラと並んで座り、彼が書状を見終えるのを静かに待っていた少女が、にこりとややぎこちなく微笑む。

「――お話は早馬の知らせで受け給っておりましたが、なるほど…大変な事ですな、これは」

 神官長は鼻先から小さな老眼鏡を外し席を立つと、スピカの正面の椅子に座り直した。

「それでは今宵と明日の二日で『お清め』をする事に致しましょう」

「ありがとうございます」

 ゆっくりと、スピカは目の前の小柄な老人に頭を下げた。その容貌は、すっかり肉も落ち、ほっそりとした体つきながら、血色や肌つやは年齢を感じさせない程に良い。穏やかな眼差しからは少女に対する気遣いが見て取れた。年齢はゼノス神官と同じ位に見えたが、実際は彼より七歳も上のはずだった。それなのに、とスピカは憂う。ゼノスがあんなにも衰えて見えたのは。そして消耗しきって亡くなってしまったのは。全部自分のせいではないかと――無論それだけではない事も重々判っていたけれど――いう念がこみ上げる。自分と出会わなければと、係わり合いにさえならなければ、いっそ自分が(・・・・・・)生まれなければ(・・・・・・・)、と。そんな自責がに出てしまっていたのか、黙ってスピカを見つめていた神官長がゆっくりと微笑んだ。

「確かゼノス神官でしたな。――そうお気になさるな。貴女のような方をお守りするのも、私達神官の大切な使命なのですよ」

「でも…」

「いいですか?」

と、神官はやんわりとスピカの言葉を遮って告げた。

「もし、どうしてもゼノス神官への負い目が拭えないというのなら、貴女は力一杯生きなくてはなりません。そのために彼が尽力したのならなおの事、幸せにおなりなさい。それがなによりの供養ですよ」

「そうですよ、おひい様」

 それまで沈黙を保っていたネウラが、うつむくスピカの腕に手をかける。

「それこそがゼノス神官様の望みだったんですからね」

「誰かの犠牲の上に自分の命があると言うのなら、その人達の分まで精一杯生きる事が貴女の使命だとお思いになられるといい。いや、歳を取ると話がくどくなっていけませんな」

 老神官はそう自嘲すると、意外に気さくな仕種で薄い白髪頭をかいた。手垢のこびりついた表現ではあるけれど、とスピカは顔を上げた。老神官の微笑みは、慈愛と呼ぶのが最もふさわしく見える。その顔が不意にぼやけた。

「?」

 スピカは一瞬とまどい、それが自分の流している大粒の涙のせいだと気づくと、小さく「あ」と声をもらした。そしてとめどなく溢れ出すそれが、どうしても押さえきれないと思い知る。それならば、と少女は無駄な努力をやめた。この旅中で、泣く事もそれが許される事ももうないのだから。張り詰めていた心の糸が切れたこの場で、涙がなくなってしまうまで。ネウラや老神官長が心配そうに見ているのも判っている。ごめんなさい、と胸中で詫びながら、スピカは両手で顔を覆った。これが止まったらしゃんとするから。もう不安に負けたりしないから、だから、あとちょっとだけ、ちょっとだけ、このままにしておいて。

 少女の涙のわけを不完全ながら察している二人が見守る中、スピカは声もなく涙を流し続けた。


 その晩と翌日にわたった「お清め」の儀式をとどこおりなく済ませたスピカがネウラやアクルクス、〈オクルス〉と共に出立の準備をしていた中庭に、老神官長が一人の神官を伴って現れた。

「少し、よろしいですかな?」

 変わらぬ穏やかさで声をかけられた一同は、手を止めて彼に顔を向けた。その皆のいぶかしげな視線に応え、老神官長は自身の斜め後ろに控える神官を指し示す。

「改めて紹介します。アンゲルス神官です。北の大神殿への道案内をしてもらいます」

 それは、一同がここに着いた時に案内をしてくれた神官だった。紹介を受けた神官が深々と頭を下げる。彼に目をやりながら、老神官長はにこにこと話を続けた。

「彼は元々あちらの出身でして、今でも時々連絡役をしてもらっておる次第。その分地理にも土地の事情にも詳しいので、どうぞお連れ下さい。――もちろん」

と、ここで老神官長はスピカにだけ聞こえるような小声で付け加えた。

「貴女の事情もよく説明してあります。口の堅い男ですから御安心を」

「…ご配慮、感謝致します。神官長様」

「いろいろお心痛む事もあるでしょうが、無事のお戻りをお待ちしております」

 老神官長は、力づけるようにスピカの手を取り、ぎゅっと握った。

「気を強く持ってのぞめばきっとうまくいきますよ」

「はい」

 老神官長の心遣いがスピカには嬉しい。スピカは、ようやく頭を上げたアンゲルス神官に向き直ると道案内を喜んで受け入れた。

「よろしくお願い致します。アンゲルス神官」

「もちろんでございます」

 またも深々と頭を下げたアンゲルス神官は、次いで老神官長に礼をする。

「それでは私も準備を」

 そして老神官長の許しを得ると、彼はぱたぱたと太めの体を揺らして神殿へと消えていった。

「あの、彼はどちらに?」

というスピカの問いに老神官長は、

「着替えと、鳩を飛ばしに行かせました。皆さんの出発には充分間に合いますので」

「鳩はともかく、着替えは済ませてから来れば良かったのでは?」

 やれやれ、といった感のアクルクスに、老神官長は笑って答える。

「同行の事は、まず皆さんに了承していただいてからと思いましてな。おや?」

 不意にかすかな驚きの声をもらした老神官長につられて背後を振り返ったスピカは、そこに何の変化も見つけられず、小首を傾げながら尋ねた。

「何か…?」

「あ…いや、お連れは三人だったと記憶していたのですが…」

「ええ、そうですよ」

と、もう一度後ろを振り返り、少女はそこに〈オクルス〉の姿がない事にようやく気がついた。確かについさっきまで馬車のそばにいたというのに。つられてこちらもこうべを巡らせたアクルクスが眉根を寄せた。

「どこに行ったんだ? あいつ」

 相変わらず読めぬ〈オクルス〉の気配と行動に、一同は首をひねった。


 ぱたぱたと、神殿では既に周知の足音に――さすがの革靴も消し切れぬらしい――、鳩の世話当番の神官は戸口へ顔を向けた。予想通り走り込んできたアンゲルス神官に笑いかける。

「準備はできてるよ、アンゲルス神官」

「いやあ、助かるよ。神官長様のお手紙はここに」

と、息を弾ませながら答えたアンゲルス神官は、腰に吊るしたポケット代わりの小袋から小さく折りたたんだ紙片を取り出して同僚に差し出す。

「北の大神殿だから、一番賢い奴にしてくれよ」

「もちろん」

 受け取った紙片を器用に折りたたみながら請け負った神官は、それを鳩の足に取り付けられた細い筒に押し込んだ。そして彼は、その鳩を指に止まらせたままアンゲルス神官との談笑を続けつつ、鳩部屋を出る。その背後を気配のない人影が追尾していたが、二人は気づきもしなかった。

「それじゃこれから出るのか?」

「うん。スピカ様はお急ぎだし、何より明るいうちにサクスに着きたいしね」

「そりゃまた大変だな」

 揃って中庭に出た二人は、北を向いて立ち止まると鳩を放した。勢い良く飛び立った鳩を見送ったアンゲルス神官が、不意にはたと我に返る。

「そうだ、こんなのんびりしてる場合じゃなかった!」

 言うが早いか、アンゲルス神官は同僚への挨拶もそこそこに自室の方へと駆け出した。やれやれ、と呆れ顔で見送った神官の背後、中庭と回廊とを仕切る太い柱の影から、彼らを監視していた人影が音もなく踵を返す。一瞬だけ、わずかに差し込む光の筋に、ひるがえった髪がひらりと白く光って見えた。


「あ、戻ってきたわ」

 手持ち無沙汰に神殿の方をぼんやりと見ていたスピカが、そこから出てきた〈オクルス〉の姿に喜声を上げた。いつものように早足で彼女がやって来るのももどかしげに、スピカは〈オクルス〉に問いかけた。

「どちらに行ってたんですの?」

 問いかけに〈オクルス〉はちらりと雇い主を見やると、言葉少なげに答える。

「忘れ物だ」

「忘れ物? 貴女がですか? 意外ですわね」

「そうか」

 それで会話を打ち切った〈オクルス〉は、さっさと馬車に歩み寄ると馬丁から手綱を受け取った。その馬の足元を確かめていたアクルクスが手の土を払いながら立ち上がり、含みのある口調で呟く。

「忘れ物ねえ?」

「……」

 答えずただ青年にちらりと目をやった〈オクルス〉は、アクルクスの視線が別を向いていると知る。振り向くまでもなく背後から聞こえてきた、ぱたぱたという足音で青年の言外の思いを察した。が、〈オクルス〉は何もなかったように小さく肩をすくめただけだった。

「――少し、穿うがちすぎではないのか?」

「そうか」

 スピカに返したのと同じ応えは、やはり先程と同じく会話の終了を告げている事を察したアクルクスは、ふんと大きく鼻を鳴らした。

〝どう見ても得体の知れん…〟

 だが〈オクルス〉は、アクルクスのそんな険のある視線を完全に黙殺し、ひらりと御者台へと飛び乗って、スピカ達を待つ。その思案は既にこの先の旅程に向けられていた。


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